So Cal Bible church/南加聖書教会

So Cal Bible church/南加聖書教会 House Church in SoCal as Japanese Ministry We hope this page inspires people to accept Christ God into their hearts and start doing good work. SHALOM.

当教会は、「家の教会」で、どこへでも行き、礼拝します。日本人宣教が主体ですが、全ての人に福音を宣言します。当ページの投稿が、ご覧になる人々にインパクトを与え、神であるキリストを信じ、良い業を実践できる者への一歩を踏み出す一助となりますなら望外の幸せです。
牧師:ミッキー
We are "House Church", go everywhere to worship God and proclaim the Gospel to everyone though we are as Japanese Ministry. Pastor Mickey

神の力の源、聖書にプラグ イン!
09/09/2026

神の力の源、聖書にプラグ イン!

2つのことがあなたを定義する。。。あなたが何も持っていない時の、あなたの忍耐。そしてあなたが全てを持っている時の、あなたの態度。。。
09/05/2026

2つのことがあなたを定義する。。。

あなたが何も持っていない時の、あなたの忍耐。そして
あなたが全てを持っている時の、あなたの態度。。。

あなたが祈る時、神は聞かれる。あなたが耳を傾ける時、神は語られる。あなたが信じる時、神は働かれる。AMEN.
09/04/2026

あなたが祈る時、神は聞かれる。

あなたが耳を傾ける時、神は語られる。

あなたが信じる時、神は働かれる。

AMEN.

牧師、バイカー、鮨職人として。。。シェア from LA   第75話 「キャンダスの祝賀パーティー」   大勢の人でザワザワとした会場。走り回る子供たち。ジーンズやカジュアル・ジャケットなどの普段着で、みんなリラックスした雰囲気。はたして...
08/30/2026

牧師、バイカー、鮨職人として。。。シェア from LA   
第75話 「キャンダスの祝賀パーティー」

   大勢の人でザワザワとした会場。走り回る子供たち。ジーンズやカジュアル・ジャケットなどの普段着で、みんなリラックスした雰囲気。はたしてこれは本当に葬式なんだろうか?アメリカのクリスチャンの葬式は押し並べて明るいが、さすがにこれは面食らった。ここはオレンジ郡きってのメガチャーチ、サドルバック教会内に複数ある「テント」と呼ばれる施設の一つだ。収容人数はざっと1000人程度だろうか。

トムさん(当エッセー第7~11話など参照)の愛妻キャンダスさんが5年間にわたる闘病生活の末に癌で亡くなった。70歳そこそこだった。当初は「余命3年」と言われていたが、持ち前の明るさと円満な夫婦関係、そしてイエスを愛する信仰によるエネルギーにより大幅に長く生きた。
私がトムさんの母シゲ子さんの葬式をアシストしたのは8年前、くしくも同じ5月だった。

当教会にいる多くの牧師の一人で年配の牧師が短い説教をした後、出て来たのはフラダンス・チームによる踊りだった。何とも和やかな雰囲気。そう言えばキャンダスはフラダンス・チームとゆかりがあった。その後トムさんの息子が立ち上がり「皆さん、こんにちは!」と挨拶するや否や、「グレッグです!僕はトムではありません!彼の息子です!」と続け、会場はゲラゲラと笑いに包まれた。何と葬式で笑いを取るとは! 彼はロサンゼルス在住でトムさんとは別の教会に通っているうえ、多くの参列者の中にはトムさんの顔を知らない人もいるので、頭のいい彼はそれを逆手に取ったようだ。他方、トムさんは最後まで挨拶はしなかった。さすがに悲しみに暮れていたのだろう。それを見たグレッグが父の代理として気を利かせたようだ。

ついに葬式がお開きとなる最後に10秒ほどのキャンダスの生前のビデオ映し出された。
「キャ~!やったわ~!勝った!勝った!勝った!キャ~!勝ったよ~!イエーイ!!」
両腕を振り回し子供のようにはしゃいで喜ぶ彼女。実はキャンダスは米国の有名長寿クイズ番組「ホイール・オブ・フォーチュン」に三度出演し優勝した実績の持ち主。ビデオはその時のものだ。

「ガッハッハ!!」 会場はドッと沸き、葬式は大爆笑で幕を閉じた。まるで祝賀パーティーの如し。キリストを信じた者には死んでも復活の希望があるからだ。だから私たちキリスト者は「さよなら」とは言わない。「また会おう。キャンダス」。

「眠っている人よ。目を覚ませ。死者の中から起き上がれ。
 そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」     
 エペソ人への手紙5章14節                                                                         
                                           2026-6-26

教育とは、自分の無知を発見していくプロセスである。ウィル・デュラント
08/28/2026

教育とは、自分の無知を発見していくプロセスである。

ウィル・デュラント

牧師、バイカー、鮨職人として。。。シェア from LA 再投稿   第67話 十字架を造った男たち ④「十字架は完成したけれど」     神さまの憐みと不思議な導きにより ついに十字架制作が始まった。まずヒロさんが鉄で土台をさっさと造った...
08/23/2026

牧師、バイカー、鮨職人として。。。シェア from LA 再投稿   
第67話 十字架を造った男たち ④「十字架は完成したけれど」  

   神さまの憐みと不思議な導きにより ついに十字架制作が始まった。まずヒロさんが鉄で土台をさっさと造った。7センチほどの平らな土台の真ん中に、縦25センチ、横5センチ、幅1センチほどの、十字架の柱部分を立てるためのプレート状の支柱が立っているが、十字架を取り外した場合でも見栄えがするようにクロームメッキが施された。実は彼は出張が頻繁で留守にしてることが多いため、手早く仕上げてジョンに手渡したようで、私はその工程を見る間もなかった。

いっぽう、この頃のジョンさんはかなり忙しく、十字架の制作作業がゆっくり進んだため、ちょくちょく訪問して工程を見ることが出来た。圧巻は十字架の柱を支える支柱を入れる凹型の深い穴部分だ。支柱が鉄製なので木のままでは十字架をはめ込んだ際に柱自体が割れるなど破損する恐れがあるため、穴の内側に薄い金属の板をはめてカバーしてくれた。さらには、同じ敷地内にある塗装屋に十字架の塗装とコーティング頼んで仕上げてくれた。彼は塗装屋ではないため、わざわざ自腹を切って頼んでくれたのだった。

「ついに完成した。」。作業開始から3カ月ほど経ったイースター前日の土曜日の朝、ジョンから電話があった。そして私が在宅であることを知ると何と自宅まですぐに届けてくれた!「何でそこまで?」と尋ねる私に「明日はイースターだ。十字架は必要だろ?」。

彼はどこまでも優しかった。全工程を工賃無料のボランティアだったことに加え、十字架を造るための高価な原木も彼が供出してくれた。さらに塗装代、塗料代、そして配達。「私も払う」とどれだけ言っても彼は受け取らなかった。さらに、届けられた十字架を見て目を見張った。何と鉄の土台の上も奇麗な木の板で覆い尽くしてある。「鉄がむき出しでは無粋だから」と彼自ら考案してくれた。

さて、十字架は建った。神による奇蹟の数々によって。しかし“十字架を造った男たち”は今それぞれ難しい状況にある。プロジェクトの口火を切ったバンク (65話参照) は あの後すぐに教会へ来なくなった。土台を造ったヒロさん(66話参照)は今に至るまで一度も教会へ来たことがない。おまけにビザの関係でメキシコへ引越し会えなくなった。ジョンはクリスチャン家庭だが夫婦関係にひびが入り、それ以来 彼は頑固になり疎遠になってしまった。

私はすぐに気付いた。十字架は完成したが、私はそれを「担いで行く」のだと。キリストは自身の為ではなく「他者のために」十字架を担がれた。事が成ったらそれで落着ではない。そこから十字架の道、執り成しの道が始まるのだ。今日もまた神に祈る。彼らの祝福と加護を、悔い改めと救いを。。。

「自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、
 わたしにふさわしい者ではありません。」
 マタイの福音書10章38節
 
2022-8-2

もの言う牧師のエッセー        終戦シリーズ 「 武蔵出現 」    新聞紙上が終戦(敗戦)回顧一色となる8月、奇跡的に生き残った戦艦「武蔵」の乗組員、渡辺清さんの回想「戦艦武蔵の最期」が目に留まり、約10年前、米マイクロソフトの共同...
08/21/2026

もの言う牧師のエッセー        
終戦シリーズ 「 武蔵出現 」

   新聞紙上が終戦(敗戦)回顧一色となる8月、奇跡的に生き残った戦艦「武蔵」の乗組員、渡辺清さんの回想「戦艦武蔵の最期」が目に留まり、約10年前、米マイクロソフトの共同創業者、ポール・アレン氏がフィリピン沖のシブヤン海の海底で、撃沈された武蔵を発見したニュースを思い出した。それまで武蔵は大和の陰に隠れあまり注目されることはなかっただけに、「軍艦 武蔵会」のメンバーたちは「夢のよう。よく見つけてくれた」と声を弾ませた。

1944年10月23日、日本海軍は、フィリピン・レイテ島に侵攻した米陸軍マッカーサーの大軍と、強大な米太平洋艦隊を一挙に撃滅しようと総力をかけてレイテ湾に殴りこむ。日米、さらに豪海軍を加えた総参加兵力が艦艇282隻、航空機数百機となり、その広い戦域や規模と合わせて「人類史上最大の海戦」と呼ばれる「レイテ海戦」を一言で要約するならば、かつて無敵と言われた日本連合艦隊の壊滅である。

10月24日午前26分、米空母からの攻撃隊は、タブラス海峡を通過中の栗田艦隊を発見。噂には聞いていたが長らく詳細不明の伝説的スーパー・バトルシップ「大和」と「武蔵」に米パイロットの目がいっせいに注がれた。航空機の援護のない「裸城」同然の彼らは一方的に打たれまくり、その後も続々と押し寄せる大空襲部隊は武蔵に殺到、滅多打ちとなった武蔵はついに午後7時35分に沈没。艦長の猪口敏平は「総員退去」を命じた後、自身は退艦せず武蔵と運命を共にした。

「 戦後70年の節目に姿を見せるなんて、武蔵は何か語り掛けているのかも知れない。乗組員の魂が思い出してほしいと呼び掛けているのだろう」と語る、発見当時93歳の元乗組員、原口静彦氏。

聖書には、滅多打ちになりながら最後まで戦い抜く人物が登場する。ずばりキリストだ。敵にあざけられ、棍棒で殴られ、鞭で打たれ血まみれになった後、重い十字架を担いで処刑場まで運び、ついに十字架に釘付けにされる。

「父よ。わが霊を御手にゆだねます!」ルカ23章46節。

これはキリストの最後の言葉である。我ら人類を救うために、積み重なった罪を一気に撃滅せんが為に、敵であるサタンに殴りこみをかけ、ついに自ら多くの罪を背負って陰府(よみ)に沈むのである。 

彼は3日後に復活し天に帰ったが、今も聖霊を通して彼に留意するよう私たち一人ひとりに語り掛けている。そして、長らく詳細不明ではあるが、やがて我々の前に再度出現する。その時、彼を心から信じる者たちは、彼を見て狂喜するであろう。  
                
2015-4-17のエッセーを改筆

もの言う牧師のエッセー 終戦シリーズ: 「秋山真之 」      今年は「昭和100年」。そこに至るまで、日清戦争から第一次大戦までを振り返る時に忘れられない人物が秋山真之である。「僕は何もしていない。秋山君が全部やった。」と日本連合艦隊を...
08/19/2026

もの言う牧師のエッセー
終戦シリーズ: 「秋山真之 」  

   今年は「昭和100年」。そこに至るまで、日清戦争から第一次大戦までを振り返る時に忘れられない人物が秋山真之である。「僕は何もしていない。秋山君が全部やった。」と日本連合艦隊を率いた東郷平八郎が言うとおり、日露戦争における日本海海戦で勝利をもたらした “丁字戦法” を初め作戦の一切は彼の手によるものである。

小説「坊ちゃん」で知られる名門松山中学を出た後、東京帝大を目指すが極貧ゆえにあきらめ、当時 “貧乏人のエリートコース” で授業料がタダの海軍兵学校に進学。抜群の記憶力と観察力を持つ彼は予習で大意を掴み授業で一切を把握、さらに教官がどこに重点を置いているかにのみ注意を払い、試験官の性格や傾向など含め過去5年間の答案用紙を分析、データベース化し、試験の折には必ずヤマを張り的中させ同級生にも親切に教えてやったので、ついたあだ名が「試験の神様」。

同校を首席で卒業した後、海軍の戦術家の道をひた走り、やがて戦略研究の世界的権威である米海軍のA.T.マハンと出会い、過去の戦史の実例を調べ、多くの兵法書の中から共通する法則を見つけ出すことを彼から学んだが、何とそれは陸軍の兵法を含んだものだった。後の日本の陸海軍の仲の悪さからは想像もつかないが、彼は持ち前の柔軟性と分析力を発揮して古くは武田信玄の「車がかり戦法」や能島村上水軍の「海賊古法」など古兵法から近代の米西戦争に至るまでの世界中の戦闘を研究しデータベース化しまくった。

その結果の大勝利ではあったが全てが終わった時、彼は「俺は坊主になる」言い出し軍を慌てさせた。ロシアを撃破し今や名参謀「Akiyama」の名が世界に知れ渡った人物が軍を辞めたりしたら、この先どれだけ優秀な若者が追従するかも知れず軍としてはたまったものではない。実は海戦は“死体を見なくて済む戦闘”として知られる。互いが距離を置いて艦上から打ち合う為である。だが戦闘終結後は参謀として全てを視察せねばならない。そして彼は全てを見た。首のない死体、累々と横たわる屍。。。彼は衝撃を受けた。己が血道上げて来た戦術や戦略の結果がこれなんだと。

国中上げての慰留により彼は軍に留まったが、戦争というものに人知ではコントロール出来ない不条理を感じた彼は、脱力感からか神道や仏教など宗教に凝り、無作為な日々を過ごすようになる。が、その十年後、彼は第一次大戦を視察。プロシアドイツ圧倒的優勢の中、米国とルーマニアの参戦、さらにドイツの敗北までを次々と予測的中させ世界を驚かし「Akiyama恐るべし」と称えられた。彼はフヌケになったわけではなかった。ただ、人間の限界を悟ってしまったのだ。

実は彼は日露戦後、「天意」を信ずる気持ちが強くなり、常々「神は敬すべきものであって、頼むべきものではない」と息子にも教えていたが、第一次大戦が終わりに近づいた頃、図らずも49歳の若さで病死した。彼は死ぬ直前まで「アメリカとは戦争するな!」と主張し続ける一方で、それが避けられずやがて日本が滅亡の道を進むことさえ予測していた。 聖書は、

「人は天より与えられずば、何をも受くること能(あた)はず。」
            ヨハネの福音書3章27節:文語訳 

と言っているが、晩年の秋山が感じたのはまさにこれである。それは、天才である彼が己の英知の全てを賭けて国を守ったからこそ見えてきたものではなかろうか。だが日本は、その後 “人意” だけを頼みとし、無謀な道を突き進み全てを失った。そして今も大して 変わっていない様に見える。神であり、天意のそのものであられるキリストに日本が立ち返り、来るべき破滅から逃れるよう今日も祈る。         
        
2014-9-11エッセーを改筆

もの言う牧師のエッセー 終戦シリーズ: 「立派な兵士」 「任務への忠誠心と忍耐力を体現し、戦後の繁栄と物質主義の広がりの中で、多くの日本人が失われたと感じていた誇りを呼び覚ました。」元陸軍少尉、小野田寛郎さんが12年前に亡くなった時、ニュー...
08/19/2026

もの言う牧師のエッセー
終戦シリーズ: 「立派な兵士」

 「任務への忠誠心と忍耐力を体現し、戦後の繁栄と物質主義の広がりの中で、多くの日本人が失われたと感じていた誇りを呼び覚ました。」

元陸軍少尉、小野田寛郎さんが12年前に亡くなった時、ニューヨーク・タイムズ紙はそう評した。その後 開かれた小野田さんお別れの会にも、若者ら2000人が参列したというから驚く。

フィリピン・ルパング島で30年近く潜伏していた彼は、別に隠れていたわけではなく、逃げていたのでもない、“戦っていた”のである。何と言っても彼は謎の多い陸軍中野学校出身の猛者だ。彼らは極秘裏に組織された諜報部隊で、日本軍一般とは異なり、「生きて虜囚の辱めを受けても」なお生き残り、最後まで敵を撹乱し任務を遂行する。当然 「玉砕」は御法度とされ、現に自害用に母親から手渡された短刀も使うことなく、帰国後に彼女に返却している。

したがって同校生徒らにとって八紘一宇や鬼畜米英などのスローガンは全く無視され、天皇制の是非についてさえ討論されたという。敵の奥深く潜行し、味方さえ欺くために、軍服を着用せず普段から平服に長髪でいることが推奨された。それゆえ、周囲から “非国民” とののしられ、スパイとして教育を受けている以上は親にも理由を明かせず苦労したと言われる。

さらに驚くべきは、生徒の9割以上が一般大学出身者で、東京帝大が最も多く、早稲田、慶応、明大等が続いた。その理由は、職業軍人にありがちな偏った知識を避け、諜報員として幅広く高い学識と冷静な視点が求められ、商社マンなどの民間人を装って活動するためであった。実際、徴兵前に小野田さんは中国勤めの商社マンだった。

そんな聡明な彼だから、日本が復興したことや皇太子の結婚などのニュースは全て知っていた。それどころか入手したラジオで日本の競馬中継を聞きながら仲間と賭けを楽しんでさえいた。野生の牛を捕獲して乾燥肉を作り、ヤシの実を食し、良質の動物性タンパク質とビタミン、ミネラルを効率良く摂取して健康を保ち、投降式の際にはマルコス大統領から「立派な軍人」とまで評された。 聖書には

「キリスト・イエスの立派な兵士として、私と苦しみを共にしてください。兵役についていながら、日常生活のことに掛かり合っている者は誰もありません。それは徴募した者を喜ばせるためです。」
2テモテへの手紙2章3-4節 

とある。見ての通りクリスチャンは 「キリストの兵士」 とたとえられている。確かに教会は駆け込み寺であり、迷える羊の導き手ではある。が、一たびキリストを心から信じ、彼の聖霊によって強くされた者は、今度は兵士、しもべとなって、神を愛し人を愛することによってキリストに身を捧げるのである。

笑われることもあろう。苦しい時もあろう。しかしやがて到来する「神の国」を信じて耐え忍び、聖書の言葉による豊かな栄養を取り、時には娯楽に講じながら歩むのである。愛する日本と家族たちのために、小野田さんが最後まで敗戦を認めなかったように、クリスチャンもまた、愛する神と人たちのために、負けることなくキリストの立派な兵士として働きたい。                        
                                 2014-3-28のエッセーを改筆

もの言う牧師のエッセー 終戦シリーズ: 「味噌は原爆に勝った」1945年8月9日、長崎に原爆が炸裂。長崎生まれの秋月辰一郎医師は、京大医学部を卒業後、44年から長崎浦上第一病院(現聖フランシスコ病院)院長(当時28歳)を務めていたが、爆心地...
08/18/2026

もの言う牧師のエッセー
終戦シリーズ: 「味噌は原爆に勝った」

1945年8月9日、長崎に原爆が炸裂。
長崎生まれの秋月辰一郎医師は、京大医学部を卒業後、44年から長崎浦上第一病院(現聖フランシスコ病院)院長(当時28歳)を務めていたが、爆心地から1.4kmの同病院で勤務していた彼も自ら被爆者となりつつも、多くの負傷者の治療に奔走した。

もともと放射線科の医師である彼は修羅場の中で思い出したことがある。「患者に放射線治療を施した際に自ら放射線を浴びた際に出る副作用と、被曝患者の症状の似ていること」、さらには「放射線技師たちが副作用に対して、濃い食塩水によって症状を緩和していたこと」である。

その当時この病院は味噌・醤油の倉庫として指定されており、それらが大量に備蓄されていた。「塩辛い味噌汁を毎日飲め!」と、彼は叫び続け、それがそのまま実行された結果多くの人が救われ、彼自身も89歳まで生き、しかも原爆症を最後まで発症することはなかった。そう、日本に古来から伝わる味噌は、放射性物質を防ぎ、さらには体外に排出する素晴らしい食材である。 
聖書は言う。

「神は仰せられた。『見よ。私は、全地の上にあって、種を持つ全ての草と、種を持って実を結ぶ全ての木をあなたがたに与えた。それがあなたがたの食物となる。また、地の全ての獣、空の全ての鳥、地をはう全てのもので、命の息のあるもののために、食物として、全ての緑の草を与える。』すると、その様になった。その様にして神はお造りになった全てのものをご覧になった。見よ。それは非常に良かった。」
創世記1章29-31節 

私は神に感謝する。日本に味噌を賜ったことを。それはチェルノブイリ事故の時も欧州諸国が買い求めたという優れ物だ。結局は神が造られた自然こそが、我々人類にとって一番良いということだ。神を信じ敬おう。         

2013-4-14のエッセーを改筆

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