Japanese Fellowship Church

Japanese Fellowship Church Japanese and English bilingual church in south Minneapolis. We have child care and lunch every Sunday. All are welcome!

03/28/2023

愛されているものとして生きる
Live like you are loved

コロサイ人への手紙3:12−3:17
Colossians 3:12−17
Aogu Suzuki

おはようございます!
(祈り)

植物の実験
みなさん、愛されていますか。
ドバイで、こんな実験が行われました。それは、「植物をいじめると成長に影響はあるのか? 」を確かめるものです。
実験では2つの同じ種類の植物を、日光、水、肥料の量などを同条件にして学校に設置。片方には「優しく、愛のある言葉、綺麗だね、素晴らしいねと言った言葉」をかけ、もう片方は「悪口などのネガティブな言葉、馬鹿だね、みにくいねと言った言葉」を浴びせました。

ポジティブな言葉とネガティブな言葉、それぞれが録音されたレコーダーを30日間流し続けた結果、ほめられた植物は育って、いじめられた植物は、しおれてしまった。そんな実験結果が出ました。

この実験は、いじめ予防の啓発の一環として行われました。
実験に科学的根拠があるかはさておき、「優しさ」や「思いやり」の重要性について目に見える形で伝える実験だと思います。

私たちの中で、小さい頃から、「えらいね」「すごいね」「立派だね」こういう言葉だけを聞いて育ったという人はあまりいないのではないのでしょうか。

「馬鹿だね」と親から言われた
「お前は間違ってる」って頭ごなしに否定された
「太ってるね」と親戚から言われた
または、もっとひどい言葉を言われた

あるいは、むしろ、言葉をかけてもらえなかった人もいるかもしれません。マザーテレサは、「愛の反対は憎しみではなく無関心だ」と言いました。いくら頑張っても、「頑張ったね」と言ってもらえなかった。どれだけ仕事をしても、認めてもらえなかった。

だんだんと、そうか、自分はもしかしたら馬鹿なのかな、価値がないのかなと思い始めてしまいます。そして、周りと比べて、自分はダメな人間だとか思ってしまう。みなさんはどうでしょうか?自分についてどう思っていますか。

今日の箇所を見てみると、神様が私たちのことをどう思っておられるのかが書いてあります。そこには、「愚か者たちよ」「つまらないものたちよ」「太っているものたちよ」とは書いていないです。
コロサイの3章12節で、パウロは私たちクリスチャンのことを、
「神に選ばれた者」
「聖なる、愛されている者」
と呼んでいます。

私たちは、確かに罪人です。間違えてしまうこともたくさんあります。
でも、そんな私たちを、神様は愛して、特別に選んでくださいました。
そして、罪人の私たち一人ひとりのために、素晴らしい計画を持っておられます。
昔「土の器」という讃美がありました。
土の器 欠けだらけのわたし その欠けからあなたの 光がこぼれ 輝く 土の器 ヒビだらけのわたし そのヒビからあなたの 愛が溢れ 流れる こんなわたしでさえも 主はそのままで愛してくださる だから今 主の愛に 応えたい わたしの全てで 用いてください主よ わたしにしか できないことが 必ずあるから

今日は、愛されているものとして、
神様が名前を呼んで、
大事に選んでくださったものとして、
どう生きていくべきかを見ていきたいと思います。

1.キリストの愛を身につける

では、愛されているものとして、私たちは、どう生きるべきか。
まず一つ目に、私たちは愛を身につける必要があります。
愛を身につけるとはどういうことか、3章12節から14節にはこう書かれています。
「12 それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。 13 互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。 14 そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。

同情心
ここで、パウロはまず、深い同情心について話しています。私たちの主は、憐れみ深いお方です。新約聖書を読むと、キリストがその憐れみによって、傷ついた人々を「見て」、その人々に喜んでより添われた様子が描かれています。
私たちも同じような憐れみを持っているでしょうか。つまり、私たちも、周りの人をしっかりと見て、憐れみを持って行動しているでしょうか。

慈愛
ここでは、「慈愛」という言葉も使われています。この慈愛という言葉は、いつくしむ愛と書きますが、「恵み 」に関連した言葉です。神があなたに相応しくない贈り物を与えたように、私たちも惜しみなく与える生活を送っているでしょうか。

謙虚さ
謙虚さや、優しさはどうでしょうか。ここでいう「謙遜」とは、「仕える心」という意味です。仕える気持ちというのは偶然に起こるのではなく、私たちが、「今日もあなたに仕えます」と毎日意図的に選択していくものです。あなたは、たとえ困難な状況であっても、奉仕することを選んでいますか?

忍耐
忍耐はどうでしょうか。先日、アメリカ人の友達と春休みなので一緒に勉強をしに行きました。ちょうど、この説教を仕上げなければいけないと思っていたところで、ちょっと焦っていたんですが、そうしたらその友達がときどき話しかけてくるんですね。心の中でちょっとイライラしてしまってですね、なんで一緒に来たんだろうとか思ってしまったりして。でもすぐに自分はなんて忍耐がないんだろうとハッとさせられました。みなさんはどうでしょうか。忍耐強い心を持っていますか。

赦し
最後に、パウロは、キリストの愛には「赦し」が含まれると言っています。赦すということは、いかにも良い考えのように聞こえます。しかし、実際に何か赦すべきことがある時、私たちはすぐに赦すことができますか?もしかしたら、まだ赦すべき人がいるでしょうか?

愛されているものらしく生きるには、どうすればいいのか。私たちは、まず愛を身につける必要があります。愛を身につけるには、同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容、忍耐、そして赦すことが必要です。みなさんは、何よりも「愛」を身に纏っているでしょうか。

愛されているものとして、私たちは、キリストの愛を身につけると同時に、キリストの平和も身につける必要があります>。

2.キリストの平和を身につける (3:15)

3章の15節にはこう書かれています。「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。」

この箇所では、キリストの平和が、あなた方の心を「支配」するようにしなさいと書かれています。
みなさんの心は、今何に支配されているでしょうか。

「忙しさ」に支配されているでしょうか。私たちは、この世の中で、常に何かに追われながら生活をしています。やらなければいけない仕事、教会の奉仕、家族とのこと、様々な支払いや手続き、いろいろなことが毎日あり、心の中の平和を失いがちではないでしょうか。

「不安」に支配されているでしょうか。もしも家族に何かあったらどうしよう。お金が足りるかな。健康が心配だなとか、いろいろな思いで、心がいっぱいになっていないでしょうか。

「欲望」で支配されている人はいないでしょうか。欲望にはいろいろな種類があると思います。もっとこれが欲しい!周りの人に認められたい。良い人だと思われたい。あるいは、何もせずにただダラダラしたい。いろいろな欲を追いかける、そんな人生を送っていませんか。

私たちの心は、常に何かに支配されています。みなさんの心は、今、「キリストの平和」によって支配されていますか。

キリストの平和によって心が支配されている時、そこには、感謝があります。パウロは、ピリピの手紙4章でこう言っています。

6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

今一度振り返って、自分の心を吟味しつつ、何に支配されているかな、キリストの平和に支配されているかな、聞いてみる必要があります。

3. キリストの言葉を住まわせる (3:16-17)

愛されているものとして生きるには、
まずは、キリストの愛と、キリストの平和を身につけることを見ました。
最後に、私たちは、愛されているものとして、
キリストの言葉を身につける必要があります。

3章16節17節には、こう書かれています。
16 キリストのことばをあなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。 17 あなたがたのすることは、ことばによる行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。

キリストの言葉を、私たちの身につけるとはどう言うことでしょうか。私たちはまず、互いに教え合い、戒め合う必要があります。この教えは、日曜日のメッセージ、この後段からくるものだけではありません。私たちは、お互いから、主にある兄弟姉妹から、そして小さな子供たちからすらも学ぶようにと召されています。

赤ちゃんの例え
先日、友人の7ヶ月の赤ちゃんを1時間ほど抱っこさせてもらったんですが、その間ずっと赤ちゃんは抱っこされてとても嬉しそうでした。でも、私が寝かせようとするとすぐに泣き出してしまう。言葉は話せないけれど、ちゃんと、「下さないでください!」って伝えられるんですね。もし、赤ちゃんでさえ、完全に依り頼むと言うことはどう言うことか教えてくれるなら、私たちはお互いからどれだけ多くのことを学ぶことができるでしょうか。

キリストの言葉が私たちの中に宿るとき、そこには、歌があります。この歌は、日曜日にここで歌う数曲の歌以上のものです。私たちが人生を通して歌う歌のことを指しています。

クリス・トムリンと言う賛美リーダーのかいた曲に「How can I keep from Singing」というのがありますが、そこにはこう書かれています。

There is an endless song that echoes in my soul
私の魂には、永遠に響く、果てしない歌がある。

And though the storms may come I am holding on To the rock I cling
嵐の時、私は揺るがない岩にしがみつく

How can I keep from singing Your praise
どうしたら、あなたへの賛美を歌わずにいられましょう

How can I ever say enough How amazing is Your love
どうしたら、あなたの愛がどれほど驚くべきものか、言い尽くすことができるでしょう

How can I keep from shouting Your name
どうしたら、あなたの名を叫ばずにいられましょう

I know I am loved by the King And it makes my heart want to sing
私は、私の王に愛されていると知っています。そしてそのことが、私の心に「歌いたい」と言う気持ちを与えるのです。

私は王に愛されていると知っている そしてそれは私の心を歌いたくさせる

私たちの教えや歌を通して神の言葉が私たちの中に宿るとき、私たちは人生をかけて行う小さなことでさえ、主イエスの名によってすべてを行うのです。

共に教え、学び、歌う時、私たちは、ことばによる行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝するようになります。そして、そんな境界には、主への感謝があふれていきます。皆さんのミネソタの教会は、どうでしょうか。共に主のみ言葉を身につける教会、共に教え、学び、歌うそんな教会に変えられていっているでしょうか。立ち止まって、教会としての歩みを再確認するのも良いのかなと思います。

Message in Japanese and English by Mr Aogu Suzuki on 3/19

結論
日本の小学校では体操着というが指定されていて、体育がある日は、そのちょっとダサい体操着を着ていくのが決まりでした。私は、結構体操着を忘れてしまう子供だったんですね。ある日、今日こそは忘れないぞ!と思って、しっかり体操着を着て学校に行きました。
体育の時間になって、廊下に並んで、小さく前習えしていたんですね。
そうしたら、先生が私のところに来てですね、「仰くん、体操着はどうしたの!」と聞いてきたんですね。「いや、先生今日はちゃんと着てきました」
そして自分の姿を見たらですね、上は体操着を着ていたんですが、下は私服の黒い半ズボンで着てしまっていた。あれ、絶対はいたと思ったんだけどなと思って、すごく恥ずかしく思ったことを覚えています。

私たちはどうでしょうか。体操着のように正しい服を身につけているでしょうか?自分の格好をしっかり見てですね、「今日も正しい服を身につけている」確認したいと思います。

そしてですね、もしも大事な兄弟姉妹が体操着を着ていない!なんか変な服を身につけている!そんな時はですね、愛を持って、それを教えてあげるのも、私たちの役目ではないでしょうか。
「なになにさん、今キリストの愛を身につけていますか?
キリストの平和を身につけていますか?
キリストの言葉を身につけていますか?」
優しく声がけするのも、教会として、コミュニティーとしての役目だと思います。

もしかしたら、古い服の上に新しい服を身につけようとしてないでしょうか。

「キリストの愛と平和と言葉」を身につけるためには、今まで着ていた古い服を脱ぎ捨てる必要があります。

古い服とは、パウロが3章5節から8節で説明しているように、「不品行、汚れ、情欲、悪い欲、むさぼり、偶像礼拝、怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべきことば」のことです。

これらを身につけたままでは、新しい服を身につけてもうまく入らないものです。私たちの生活を吟味して、こう言った古い服がまだあるようだったら、それを捨てて、断捨離していきたいなと思わされます。

今日は、コロサイ人への手紙3章から、愛されているものとして生きるには、何が必要なのか学びました。私たちは三つのことを着る必要があること、
「キリストの愛」
「キリストの平和」そして、
「キリストの言葉」を着る必要があることを学びました。

初は、これらの新しい服が私たちにうまくフィットしないかもしれません。でもきっと、毎日着ているうちに、段々と「キリストの愛と平和と言葉」が私たちに馴染んでくるんではないかなと思います。愛されているものとして、毎日、新しい服を身につけて、クリスチャンにふさわしい格好をして、生きていきたいなと思います。

一言お祈りします。

あなたがたは、古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。

English

Good morning!

Are you loved?
In Dubai, this experiment was conducted. The purpose of the experiment was to find out "Does torturing plants affect their growth? The experiment was to find out.
Two plants of the same species were placed in a school under the same conditions of sunlight, water, and fertilizer. One was exposed to "kind, loving, beautiful, and wonderful words," while the other was exposed to "negative words such as bad words, stupid, and ugly words.

After 30 days of playing the recorders containing both positive and negative words, the plants that were praised grew and the plants that were bullied wilted. Such was the result of the experiment.

This experiment was conducted as part of a bullying prevention awareness campaign.
Leaving aside whether there is any scientific basis for the experiment, I think it is an experiment that visibly conveys the importance of "kindness" and "consideration.

I think there are not many of us who have grown up hearing only such words as "great job," "wonderful," and "admirable" from a young age.

My parents said to me, "You are stupid.
They denied me out of hand, saying, "You're wrong.
A relative said, "You're fat.
Or worse words were said to you.

Or, rather, some of you may not have had any words spoken to you. Mother Teresa said, "The opposite of love is not hate but indifference. No matter how hard I worked, I was never told that I had done my best. No matter how much work I did, I never received recognition.

Gradually, I began to think, well, maybe I am stupid or worthless. And then I would compare myself to those around me and think that I was a bad person or something. What about you all? What do you think about yourself?

If you look at today's passage, it tells us what God thinks about us. It does not say, "You fools," "You triflers," or "You fat people.
In Colossians 3:12, Paul refers to us Christians as
'God's chosen ones.'
"holy and beloved."
We are indeed sinners.

We are sinners, to be sure. We make many mistakes.
But God loves us and has specially chosen us.
And He has a wonderful plan for each of us sinners.
There was once a praise song called "Earthen Vessels.
A vessel of clay, chipped, but full of your light, shining through the cracks, but full of your love, flowing through the cracks, even as I am.

Today, as one who is loved...
I'm the one that God has called by name.
As one who has been carefully chosen.
I want to see how I should live my life as one who is loved, one whom God has called by name and chosen with great care.

1. put on the love of Christ.

How, then, should we live as loved ones?
First of all, we need to put on love.
What does it mean to put on love? Chapter 3, verses 12-14 says
12 Therefore, as God's chosen ones, holy and beloved, put on therefore deep compassion, charity, humility, meekness, and forbearance. 13 Be patient with one another, and forgive one another, even if one of you has a complaint against another. As the Lord has forgiven you, so do you. 14 And above all this, put on love. Love is perfect as a belt of knots.

Compassion
Here Paul first speaks of deep compassion. Our Lord is compassionate. As we read in the New Testament, we see how Christ, by His compassion, "saw" those who were hurting and was willing to be with them.
Do we have the same kind of compassion? In other words, do we look closely at those around us and act with compassion?

Charity
The word "charity" is also used here. The word "charity," which is written "compassionate love," is related to "grace. Are we living a life of giving generously, just as God gave you gifts you did not deserve?

Humility.
What about humility and kindness? The word "humility" here means "a heart to serve. The desire to serve does not happen by chance; it is something we intentionally choose to do every day, saying, "I will serve you today. Are you choosing to serve, even in difficult circumstances?

Patience
How about patience? I recently went to study with an American friend of mine since it was spring break. I was in a bit of a hurry because I just had to finish this sermon, but then my friend started talking to me from time to time. I got a little irritated inside and wondered why I had come along. But I soon realized how little patience I had. How about you? Do you have a patient heart?

Forgiveness
Finally, Paul says that the love of Christ includes forgiveness. Forgiveness sounds like a good idea. But when we actually have something to forgive, do we forgive immediately? Perhaps there is still someone to forgive?

How do we live like we are loved? We must first acquire love. To acquire love, we need compassion, charity, humility, meekness, forgiveness, patience, and forgiveness. Do you wear "love" above all else?

As loved ones, we need to put on the love of Christ as well as the peace of Christ>.

3. inhabit the word of Christ (3:16-17)

To live as the Beloved, we must
First, we saw that we are to put on the love of Christ and the peace of Christ.
Finally, we, as beloved ones, need to
need to put on the words of Christ.

In chapter 3, verses 16-17, we read.
16 Let the word of Christ dwell in you richly, teaching one another with all wisdom, admonishing one another, singing to God from your hearts with thanksgiving by means of poetry, praise, and spiritual songs. 17 And whatever you do, whether by word or deed, do it all in the name of the Lord Jesus, giving thanks to God the Father through Him.

What does it mean to put on the words of Christ? First, we need to teach and admonish one another. This teaching does not only come from Sunday's message, this latter part of the message. We are called to learn from each other, from our brothers and sisters in the Lord, and even from little children.

The other day I was allowed to hold a friend's 7-month-old baby for an hour, and the whole time the baby was very happy to be held. But as soon as I tried to put him to sleep, he started crying. He can't speak, but he can tell me, "Please don't put me down! I can tell him, "Please don't put me down! If even a baby can teach us what it means to be totally dependent, how much more can we learn from each other?

When the word of Christ dwells in us, there is a song. This song is more than just a few songs we sing here on Sundays. It is about the songs we sing throughout our lives.

A worship leader named Chris Tomlin wrote a song called "How can I keep from Singing" that says:

There is an endless song that echoes in my soul

And though the storms may come I am holding on To the rock I cling

How can I keep from singing Your praise

How can I ever say enough How amazing is Your love

How can I keep from shouting Your name

I know I am loved by the King And it makes my heart want to sing

When the Word of God dwells in us through our teaching and singing, even the little things we do with our lives, we do them all in the name of the Lord Jesus.

When we teach, study, and sing together, we do everything in the name of the Lord Jesus, whether by word or deed, and we give thanks to God the Father through Him. And in such boundaries, our gratitude to the Lord will overflow. How about your church in Minnesota? Are we being transformed into a church that wears the Lord's Word together, a church that teaches, studies, and sings together? I think it would be good to stop and reconfirm our steps as a church.

Conclusion
At elementary schools in Japan, we were required to wear gym uniforms on days when we had physical education classes. I was a child who often forgot to wear my gym clothes. One day, I thought, "Today is the day I won't forget! So I put on my gym clothes and went to school.
When it was time for gymnastics, I lined up in the hallway and did a small pre-study.
Then the teacher came up to me and asked, "Yo, where are your gym clothes? She said, "No, sir, I put it on properly today. No, Sensei, I wore my gym clothes today.
And when I looked at myself, I saw that I was wearing my gym clothes on top, but I had put on my plain black short pants on the bottom. I remember thinking, "Oh, I thought I was definitely wearing that," and feeling very embarrassed.

What about us? Are we wearing the right clothes, like gym clothes? I would like to take a good look at my own clothes and make sure that I am wearing the right clothes today.

And, if our precious brothers and sisters are not wearing their gym clothes! They are wearing something strange! If that is the case, it is our role to tell them with love.
"Mr. What's up, are you wearing the love of Christ right now?
Are you wearing the peace of Christ?
Are you wearing the word of Christ?"
I think it is our role as a church and as a community to speak kindly to them.

Are we not trying to put new clothes on over old clothes?

In order to put on "the love, peace, and words of Christ," we need to shed the old clothes we've been wearing.

The old clothes are, as Paul explains in chapter 3:5-8, "immorality, uncleanness, lust, evil desires, greed, idolatry, anger, wrath, malice, slander, and shameful words coming out of our mouths.

If we wear these things, even if we put on new clothes, they will not fit well. It makes me think that we should examine our lives and if we still have these old clothes, we should throw them out and get rid of them.

Today we learned from Colossians 3 what it takes to live as loved ones. That we need to put on three things, the
The love of Christ.
"The peace of Christ.
We learned that we need to put on three things: "the love of Christ," "the peace of Christ," and "the word of Christ.

At first, these new clothes may not fit us well. But I am sure that as we wear them every day, the "love, peace, and words of Christ" will gradually become familiar to us. As a beloved one, I would like to wear new clothes every day and dress and live in a way that is appropriate for a Christian.

01/24/2023

Message in Japanese by Mr Kazusa Okaya on 1/22

ミネソタ教会 「本当の愛」1ヨハネ4:7-21

突然ですが、皆さんは普段どのような音楽を聞かれるでしょうか。
私は、クリスチャンのグループではないのですが、ミスターチルドレンというバンドを中学の時からずっと聞いています。特にボーカルの桜井さんの歌詞が好きなんです。特に桜井さんの歌詞で好きな曲、それはtoUという曲です。その曲の中でこういう歌詞が出てくるんですね。
「愛。本当の意味は分からないけど。誰かを通して、何かを通して想いは繋がっていくのでしょう。」
「愛」という言葉の本当の意味はわからない。でもそれは人々を通して伝わっていくものなんだ。という曲です。この歌詞は私たちの世界を象徴している言葉だと思います。
愛。それはなんだかよく分からないものだけど、人々を繋げるもの。

ある人が全ての曲の歌詞をデータベースに入れて、最も使用されている単語を調べたところそれはloveだったそうです。世の中は愛という言葉で満ち溢れています。そこら中に溢れている、誰もが歌っている、映画やドラマで度々口にされる言葉。
でも、愛とは何ですか?と聞かれると桜井さんが歌うように誰も「本当の意味は分からない」。不思議な言葉です。
>しかし聖書は、愛とは何か、またどうすればその愛を知ることが出来るのか、その答えを持っています。

背景:
今日読んでいただいた第一ヨハネの手紙は、90年頃、イエスの弟子の一人だったヨハネによって、彼の教会に書かれた手紙だと考えられています。この教会はある問題に直面していました。それは教会の分裂です。イエスキリストが人してこの世界にこられたということを否定するような人たちが教会の中から出てきたようです。そして彼らは私たちこそ真理を持っていると言って、教会から出て行ってしまいました。現代では聖書とは異なることを語るグループのことを「異端」と呼びますが、教会の歴史の最初、聖書の中で既にそのような異端が出始めていたことが分かります。教会の中ではきっと色々な感情が爆発していたことでしょう。どうして彼らは出て行ってしまったんだろう。もしかしたら彼らが言ってることの方が本当なんじゃないか。怒り、悲しみ、混乱、迷い。教会がかき乱されていた。そんな混乱の中にいる、痛みの中にいる教会に対してヨハネはこの手紙を書きました。もし皆さんがヨハネさんの立場だったら、そのような教会にどのような手紙を書くでしょうか?ヨハネがそのような状況の教会に書いた手紙の中身、それは「神の愛」についてでした。今日の箇所はその手紙の中心部分です。

1・神は愛です
7 愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。 8 愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。

ヨハネはここで傷ついた、痛んだ教会に「愛するものたち」と呼びかけ、「私たちはたがいに愛し合いましょう」と勧めます。傷ついた人間関係、壊れた関係の中で「もっとお互いに愛しましょうよ」と言う言葉はよく耳にします。特に昨今、様々な政治や人種によって人々が分断されている状況の中で、「愛すること」の必要性が叫ばれている時代です。ビートルズのAll you need is love。が聞こえてくるようです。
しかし!ヨハネはここでただなんとなく、愛しましょう。とかなんとなく違いを受け入れましょう。と言っている訳では無いんです。ヨハネが語る「愛」にははっきりとした中身があります。

愛とはどこから出てくるものでしょうか?私たちは愛を自分たちの感情として捉えがちです。愛を感じるかどうか。自分が愛されていると感じるかどうか。自分たちの「感情」が愛の中心になっている。だからこそ、はっきりと意味を聞いてもふわっとした答えしか出せないんです。だからこそ「本当の意味は分からない」んです。ですが聖書が語る「愛」にははっきりとした中身が、意味があります。なぜなら聖書の愛は人間の心からスタートしないからです。聖書は「愛」とは神から来るものだと語ります。7節「愛は神から出ているのです。」さらに、

「8 愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。」「神は愛です」。と語るのです。
神は愛を持っています。とか神は愛に溢れた方です。ではない。「神は愛です」と語る。ふわっとした感情ではなく、愛とは神様ご自身から来るものであり、神様ご自身である。
このスタート地点を私たちは間違えてはいけません。愛の意味を人間を出発点にしてしまうと、私たちは愛が分からなくなってしまいます。そして逆に人間的な「愛」というカテゴリーで神様を捉えてしまうのです。そうするとGod is love「神は愛です」ではなく、Love is God「愛が神」になってしまう。そうすると私たちは自分たちに都合の良い神様を作り上げてしまう。人間の愛の基準で神様を測ってしまうことになります。「神は愛なんだから少しの罪は赦してくれるはず」「神は愛なんだから信じなくても救ってくれるはず」と私たちの「愛」のイメージを元に神様とはどういうお方かを考えてしまうようになる。しかし本当は全くの逆なんです。神様がどういう方か、愛である神ご自身を知ることで、私たちは愛の本当の意味を知ることが出来るんです。

<ではその神の愛とは何でしょうか?どのようにして私たちにその愛は示されたのでしょうか?>

2・示された神の愛
9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。 10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

これぞ「福音」です。神が息子をこの世に送り 私たちが彼によって生きられるようにされたのです。 そして、ヨハネは「これこそ愛である」と語ります。愛の意味を見失った21世紀の私たちに、聖書は "ここに愛があるある!"と叫んでいるのです。私たちを愛してくださった神様が、イエスキリストを遣わしてくださったこと、これこそ、神が私たちにご自身の「愛」を明らかにした方法でした。

<例話>大学時代ある友人がタイの田舎にボランティアに行きました。貧しい地域の子供達に支援物資を持って行ったんです。物資を届けた後、別れる際にバスの窓からみんなで手を振って"we love you"と叫んだそうです。しかしそこで彼女は思ったそうです。私は本当にこの子達を愛してるんだろうか。本当にこの子供達を愛すためには一緒に時間を過ごす必要があるんじゃないか。そのことがきっかけとなり、彼女は大学卒業後、現地に住み、タイの人々と共に暮らす道を選びました。

しかし神様はただ遠くから人間に「愛してるよーがんばってねー」って手を振っている方ではありません。罪の中でもがいている人間の世界に自ら来られ、自分の命をかけて人間を罪から救ってくださる方です。愛とは何ですか?と言う問いに対して、聖書は愛とは神様ご自身であること、そしてその神様の愛はイエスキリストの十字架の死によって私たちに示されたのだと語ります。

<しかし私たちはイエス様の十字架から2000年後の世界に生きています。
聖書が書かれた時代のように直接イエスキリストに会えるわけではありません。そんな私たちはどうすればこの神様の愛に出会うことが出来るのでしょうか>

3・神の愛を知る方法
方法①神の家族を通して
第一に、神様の愛はこの地上において、教会という神の家族を通して現されます。
11愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。

冷静に考えると少し不思議な文章です。神様が私たちのことをこんなにも愛してくれたのだから、私たちも神様を愛しましょう。だったら分かります。しかしヨハネは私たちも神様を愛しましょう、ではなく、私たちも「互いに愛し合うべきです」と述べているのです。どうしてでしょうか。

12 いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。

いまだかつて神をみたものはいません。とあるように、愛なる神様を私たちは直接この目で見ることは出来ません。ヨハネのように直接イエスキリストに会えるわけではありません。ではどうすれば見たことが無い神様を、その愛を知ることが出来るのでしょうか。ヨハネはその鍵は「私たちが互いに愛し合う」ことにあると述べます。
「私たちが互いに愛し合うなら神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。」
神が愛であり、愛が神から来ているなら、私たちが互いを愛するその愛を通して神様の愛が目に見える形で表されるということです。神様の愛は私たち人間を通して、世界に証されていくんです。

皆さんはどのようにして教会に初めて導かれたのでしょうか。私は今まで大勢の方の信仰の証を聞いてきました。中にはキリスト教に興味があってとか、聖書という本を読んでみたくて教会を訪れたと言う方もいました。しかしほとんどの場合、初めて教会に訪れたきっかけ、そしてクリスチャンになるきっかけは「誰かを通して」でした。
学校、職場、家族、ご近所、誰かを通して神様の愛は他の人へと伝わっていく。
桜井さんの歌詞と同じ。「誰かを通して、何かを通して思いは繋がっていく」
誰かを通して愛は伝わっていくんです。
>ただ圧倒的な違いはそれはふわっとした、意味はよく分からない愛じゃない。
伝わっていくのか、イエスキリストの十字架によって示された神様の愛。

方法②聖霊の働き
神の愛を知る二つ目の方法は聖霊の働きです。
13 神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。 14 私たちは、御父が御子を世の救い主として遣わされたのを見て、今そのあかしをしています。 15 だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。

神は、ご自分の愛の内的な証しとして、私たちに聖霊を与えてくださいました。そうすれば、「これによって」、聖霊によって、私たちは神の中にとどまり、神は私たちの中にとどまっておられることを知ることができます。聖霊によって、私たちは、父が御子をこの世の救い主として遣わされたことを証しすることができます。聖霊によって、私たちは、イエスが神の子であることを告白することができるのです。パウロがコリント人への手紙第一12章3節で語っているように、「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』と言うことはできない」のです。
さらに、聖霊は私たちが神の愛について知ることができるだけでなく、告白に導き、私たちを神に結びつけ、神の中にとどまらせることができるようにされるます。
15 だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。

そして、この「留まる」ということは、個人的なことではないということを理解することがとても重要です。私たちは時々、「神との個人的な関係」を、文字通り「個人的」なことだと考えてしまいます。私と神様との個人的関係。それは100%正しいことです。しかし12節と13節を見ると「私」ではなく、「私たち」「私たち」と繰り返されています。私たちは「共に」神のうちにとどまるのです。私たちは皆、個人的にそれぞれ別のイエス様に留まっているのではありません。そうではなく、イエス様を主と告白する人は、聖霊によって「共に」イエスキリストのうちに留まることができる。

そして聖霊の働きこそ、神の愛を知る二つの方法を一つに結び合わせるものです。聖霊は私たちのうちからキリストを証し、私たちをキリストに結びつけます。しかしそのイエスキリストはひとつのイエスキリストです。キリストの体のうちにみんなが結び合わせられる。そしてそのキリストの体の一致は、私たちが互いに愛し合う姿として、目に見える形で外に現されていきます。

例話:東日本大震災ボランティア。学生仲間と何度も行きました。あるおばあちゃんは私たちボランティアの人たちを「キリストさん」と呼んでいました。「キリストさんたちが来てくれた。」喜んでくださった。毎回私たちは否定しました。私たちはキリストじゃないんですよ。私たちはキリストの愛を伝えてるだけで、キリストじゃないんですよ。毎回否定しないといけなかった。でもある時ふと思いました。もしおばあちゃんが私たちの働きを通して私たちのうちにおられるイエスキリストに出会っていたなら、あながち間違ってないのかもしれない。もちろん私はキリストではない。しかし私のうちには聖霊を通してキリストが住んでいる。だとすればおばあちゃんが出会ったのは、私たちボランティアチームのちっぽけな愛じゃなくて、イエスキリストの愛だったんじゃないか。

ヨハネは16節でそのポイントをまとめています。
16 私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。
繰り返しになりますが、この「愛にとどまる者は」という言葉は、愛に満ちた人、優しい人という意味ではありません。そうではなく、ヨハネが語っているのは、私たちの感情からくるこの世的な愛ではなく、「神が私たちに対して持っておられる愛」16節についてだからです。ヨハネが「愛」を、「キリストにおいて私たちに示された」愛だと明確に定義しているからです。「愛にとどまる者」とは、(愛情深い人という意味ではなく)、キリストを救い主として告白することによって、神の愛の三位一体の働きにとどまっている人です。

4・恐れを締め出す
最後にヨハネは神様の愛が私たちのうちで完全なものになると語ります。

17 このことによって、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。それは私たちが、さばきの日にも大胆さを持つことができるためです。なぜなら、私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。

神の愛が完全になるとはどう言う意味でしょうか?
これは、神の愛が不完全で、私たちの行いによって完成される必要があるということではありません。「完全」と訳されたギリシャ語の原語には、「完了」という意味があります。任務完了のようなものです。私たちが神様の愛を完成させるのではなく、神様の愛が私たちの中で完成されるのです。この箇所には、神の愛のダイナミックな動きが示されています。イエスキリストを通して示された神の愛が、聖霊を通して私たちの内にとどまり、その愛がキリストにおいて他の人々を愛するために活発に働き続ける。この愛の連鎖が私たちの内に働くとき、私たちの内に神の愛が完成し、裁きの日に確信を持つことができる。この確信が、あらゆる恐れを締め出します。

18 愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。

例話:私の両親は非常に厳しい両親で、小さい頃から私は親に怒られないようにビクビクしていました。これをしたら怒られるんじゃないか。こうしないといけないんじゃないか。そこには常に、良い子でいないと愛されないんじゃ無いかという不安と紙一重だったんです。しかし、びくびく怒られるんじゃ無いかと怯えている関係性は本当の愛ではありません。しかし多くの日本人は神様をそのような怖い存在として捉えてしまっています。神様はこう棒を持って待ち構えていて、悪いことをしたら、「ほらきた」と人間を懲らしめるのを待ち構えているかのような神様のイメージです。

しかし聖書の語る神様はそうではありません。愛そのものである神様はイエスキリストを信じる全ての人に救いの確信を持って欲しいと願っておられます。神様の愛が私たちのうちで働かれ、私たちが神の愛に満たされる時、神様は私たちにとって恐怖で怯える存在ではなくなる。完全な愛は恐れを締め出すのです。
聖書は最後のさばきの日について語ります。全ての悪が、全ての罪が裁かれる日が来ると語ります。しかし私たちがイエスキリストを信じ、神の愛のうちに留まるなら、私たちは何も恐ることがありません。クリスチャンのあゆみは「恐れ」に支配されるあゆみではなく、「愛」に支配される歩みだからです。

結論
最初にTo Uという曲の歌詞を紹介しました。「愛。本当の意味は分からないけど。・誰かを通して、何かを通して想いは繋がっていく」
しかしクリスチャンの愛の理解は違います。本当の意味が分からないのではなく、愛の本当の意味、神様ご自身の御子を遣わされた愛を知っている。その愛が私たちのうちに住んでいてくださる。だからこそ、私たちを通してその愛がつながっていく。人々に伝わっていく。本当の愛。神の愛をしっているからこそ、私たちは他の人も愛することが出来る。

最後にヨハネはこのようにまとめます。
19 私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。 20 神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。 21 神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。

ここでヨハネがいう「兄弟」とは主にある兄弟姉妹、教会の家族のことです。
ヨハネは、傷つき、痛み、疑心暗鬼になっていた教会に勧めるんです。今こそ愛し合う時、愛し合うべきだと。
これはかなり厳しい戒めのように聞こえます。もし私が愛せないクリスチャンの友達がいたら、それは私がクリスチャンではないということになるのか、と思うかもしれません。しかし、そうではありません。私たちの救いの確信は、行いによるものではなく、神様の愛によるものです。私たちが良い行いによって神の愛に到達できるわけではありません。神の愛が私たちを愛する者へと変えてくださるのです。この「べき」は、条件ではありません。この「べき」のイメージは条件ではなく性質をあらわす「べき」です。

水の中にいる魚を考えてみてください。魚は本来、水の中にいる「べき」です。しかし、それは「条件」ではなく、水の外にあっても魚は魚です。しかし、魚は水の中にいる「べき」です。なぜなら、それが魚を生かすからです。

もし私たちがイエス・キリストを救い主として告白し、その愛にとどまるなら、私たちが互いに愛し合うことは最も自然であり、命を与えるものです。互いに愛し合うことは、クリスチャンである私たちの性質なのです。

教会の中に、あるいは教会の外にいるクリスチャンの中に、愛することに困難を感じている人がいるでしょうか?そこには何かしらの理由があるでしょう。傷ついたり、誤解されたり、不当な扱いを受けたりしたことがあるかもしれません。神様はあなたの痛みを知っておられます。クリスチャンであっても、私たちは皆罪人であり、私たちの愛は不完全なものです。

しかし 神様の愛は完全です。その愛によって、イエス様は私たちの世界に来られ、その兄弟のために十字架で死なれました。あなたがなかなか愛せないその兄弟姉妹のために。イエス様は彼のために死なれました。イエス様は彼女のために死なれました。そして、なかなか愛せないと思う人。その人も同じキリストの体の一部なのです。それがキリストのからだの現実です。仕事や友人関係であれば苦手な人は避けられるかもしれない、しかし同じ体を共有している同じイエスキリストに留まっている私たちです。

神の愛に留まる者として、神が私たちの心を変えてくださるように祈りましょう。痛みから癒しへ。愛せないから、愛したいという心へ。赦せない気持ちから赦す気持ちへ。
そして、ミネソタ・フェローシップ・チャーチが神の愛を公に示す場となるように、祈りましょう。日曜日の朝、この礼拝に集う一人一人が本当の愛に出会うことができるように。
Message in Japanese by Kazusa Okaya on 1/22

01/24/2023

Message in English by Mr Kazusa Okaya on 1/22

1John4:7-21 "True love on display"

Intro

One of my favorite pop song is a song called ToU by a Japanese band. I especially love the chorus which goes like this "愛、本当の意味は分からないけど" Isn't that great!? No just kidding. But the chorus translates like this "Love. Oh love. Though no one knows it’s true meaning." This lyric struck me as so representative of our popular imagination. That love is something important, something precious, something we need, but at the same time something mysterious which we don't really know.

And people across generations have sought for answers to this question.

What is love?



17 By this is love perfected with us, so that we may have confidence for the day of judgment, because as he is so also are we in this world.

Abiding in God's love gives us confidence in the day of judgement. As we abide in God through the Holy Spirit, and as we outwardly express that through brotherly love, God's love is perfected with us. This does not mean that God's love is imperfect and needs to be perfected by what we do. No. The original Greek word translated as "perfect", has a sense of completion. Like mission accomplished. We don't complete God's love, but God's love becomes complete in us.

We see a dynamic movement of God's love being presented in this passage, outgoing of God's love, manifested through the son, which abides within us through the hs, and that loves continues to work actively to love others in Christ.

When this active chain of love is working within us, God's love is completed within us, and we can have confidence in the day of judgement. This confidence casts out any doubt and fear.

18 There is no fear in love, but perfect love casts out fear. For fear has to do with punishment, and whoever fears has not been perfected in love.

i.e. I grew up with very strict parents, and I was always afraid that they might not love me if I don't perform well. I was trying so hard to earn my parent's love.

But that is not the love of God.

God loves us so much, that he wants us to be completely soaked in his love. He wants us to have full assurance of his love. Because, our Christian walk is not a one that is guided by fear, but a walk that is guided by love.

Conclusion

At the beginning of the sermon, I introduced a song called "To U" The lyrics went like this " Love, oh love, though I don't know what it really means. Through someone or something our emotions are connected."

But the Christian understanding of love is a little different. It is not that we don't know the true meaning, but we know the true meaning of love, the love of God Himself who sent His own Son. That love lives in us. That is why that love is connected through us. It is transmitted to people. True love. Because we know God's love, we can love others.

So John concludes

19 We love because he first loved us. 20 If anyone says, “I love God,” and hates his brother, he is a liar; for he who does not love his brother whom he has seen cannot love God whom he has not seen. 21 And this commandment we have from him: whoever loves God must also love his brother.

This sounds like a pretty strict commandment. You might think, wait, if I have a Christian friend I can't love, does that mean I'm not a Christian? Well, no. We have just seen that our confidence of salvation comes not from works but God's love. Our good works will

not get us to the love of God. BUT. The love of God will get us to works. There are certain recognizable characteristics that those who abide in God's love must have. Now this "must" is not a conditional "must". Where you must love his brother first to love God. No, but it is a "must" of nature.

i.e., think of a fish in the water. The fish by nature, "must" be in the water. But that is not a condition, fish is still a fish even outside the water. Nevertheless, a fish "must" be in the water, because that is what is most natural for the fish to flourish, it is what makes it alive.

If we confess Jesus Christ as our savior, and if we abide in his love, it is most natural and life-giving for us to love one another. Brothers, it is our nature, as Christians to love one another. (p)

APP: Do you have someone in the church, or some Christian outside of church whom you feel difficulty in loving? I don't want this to sound accusing. I have also had Christian brothers and sisters whom I had a difficult time loving. I know that there are reasons, most of the time good reasons. You might have been hurt, misunderstood, or wrongly treated. God knows your pain. This is the reality of the church in between the already/and the not yet. Even as Christians, we are all sinners, and our love is imperfect.

But. God's love is perfect. And with that love, Jesus came to our world, and died on the cross for that brother. For that sister. Whom you have a difficult time loving.

Did any face or name come up to mind when you read this verse? Jesus died for him. Jesus died for her. And he or she abides in God with you. With us. That is the reality of the body of Christ.

So brothers, let us pray. So that as those who abide in the love of God, God will change our hearts. From pain to healing. From unwillingness to love-to willingness to love. From unforgiveness to forgiveness.

And let us also pray that Minnesota Japanese Fellowship Church will be a public display of the love of God. That whoever comes through that door on Sunday morning will be able to encounter true love. Not the sentimental love that the world offers, but the true love of God, revealed to us through the death and resurrection of his son.

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