日本同盟基督教団 Lilys Chapel 吉川福音教会

日本同盟基督教団 Lilys Chapel 吉川福音教会 私たちの教会は、日本同盟基督教団に所属する、プロテスタント福音派

06/09/2026

2026年9月7日(月) デボーション 詩篇119:89-104
92-93 もしあなたのみおしえが私の喜びでなかったら、私は自分の悩みの中で滅んでいたでしょう。私はあなたの戒めを決して忘れません。それによって、あなたは私を生かしてくださったからです。
今の時代には、色んなサプリメントが利用されています。その効果はさまざまです。しかし、本当に効果のあるものがあり、それによって体調がよくなったなら、それは、多くの人に愛されるのです。
神様のみことばは、とこしえに定まっています。状況や人によって変わるものではありません。そして、このみことばは人を生かすものです。だから、詩篇記者は神様のみおしえを「私の喜び」だと言っています。それによって、悩みの中で滅ばなかったと言っています。みことばによって生かされた経験によって、神様のみことばを愛する者となったのです。だから、敵が自分を滅ぼそうとしている今、自分は神様のみことばに耳を傾け、集中し、吟味するのです。そのみことばに生かされる道があるからです。さらに、そのみことばによって、自分は賢い者だと言っています。すべての師にまさる知恵があるのも、老人よりも見極めができるのも、つまずかないのも、すべて、神様のみことばを愛し、守っているからなのです。だから、そのみことばは口に蜜よりも甘いのです。みことばの真価を知り、生かされた者の告白です。
私たちにとって、神様のみことばはどんなものでしょうか。いつも命令ばかりする面倒なものでしょうか。それとも、生かしてくださる神様の力でしょうか。その違いは、みことばの真価を経験したかによります。みことばを守り、生かされた経験がある人は、どんなことがあっても、みことばを手放しません。そのみことばにいのちがあることを知っているからです。そして、みことばは変わりません。
吉川福音教会/金京模牧師

06/09/2026

2026 09 06 ヨハネ 8章30-36節 真理はあなたがたを自由にします

04/09/2026

2026年9月5日(土) デボーション 詩篇119:65-72
71-72 苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。あなたの御口のおしえは、私にとって幾千の金銀にまさるものです。
消火器は、場所を取り、ほこりまみれになって、邪魔なもののように見えます。しかし、なくてはいけないものです。その真価が分かるのは、火事が起きた時です。
神様のみことばの真価が分かるのは、いつでしょうか。もちろん、みことばの価値そのものが、私たちによって決まるわけではありません。しかし、私たちがその真価を悟ることは、また別のことです。では、いつでしょうか。私たちがその真価を悟る時は、それは、苦しみの時です。67節で、「苦しみ会う前には」迷っていたと言っています。しかし、苦しみに会った今は、神様のみことばを守るようになったというのです。なぜでしょうか。みことばの真価が分かったからです。さらに、71節では、苦しみに会ったことが、幸せだったと言っています。なぜでしょうか。その苦しみをとおして、神様のおきてを学んだからです。だから、今言えるのです。「あなたの御口のみおしえは、私にとって幾千の金銀によりまさります。」苦しみを通して、神様のみことばの真価を悟ることができるのです。それは、今何の苦しみもない時には分かりません。しかし、苦しみに会った時、分かります。そして、そのみことばによって救われてから、みことばを守る者となります。それが、みことばの真価を体験した者の生き方です。
今、みことばを守っていますか。それとも、その価値を知りませんか。苦しみがみことばの真価を悟らせます。しかし、苦しみが来る前にみことばの真価を悟り、守ることが、本当の祝福ではないでしょうか。苦しみが来る前に、みことばを信じ、従う者が知恵ある者です。
吉川福音教会/金京模牧師

03/09/2026

2026年9月4日(金) デボーション 詩篇119:49-64
49-50 どうか、あなたのしもべへのみことばを思い出してください。あなたは私がそれを待ち望むようになさいました。これこそ悩みのときの私の慰め。まことに、みことばは私を生かします。
辛い時、一言の慰めの言葉が欲しくなります。今の苦しみを乗り越えられる誰かの励ましが必要です。しかし、それだけでは足りません。希望がなければ、前に進めないからです。
詩篇記者は、さらに求めます。「あなたのみことばを思い出してください。」何のみことばでしょうか。それは、約束のことです。これこそが彼の悩みのときの慰めなのです。そのみことばが彼を生かすのです。なぜなら、希望だからです。慰め、励ましのことばが力を与えます。しかし、さらに前に進めることができるのは、ただ、慰めだけでは足りません。希望がなければ、一歩踏み出すことができません。その希望は、どこからでしょうか。それは、神様の約束のみことばからです。アブラハムが故郷を離れ、カナンの地に行き、神様の約束を長い間待ち続けることができたのはなぜでしょうか。この希望です。神様の約束のみことばがあったからです。もちろん、途中で迷うこともありました。ハガルをとおしてイスマエルを生みます。しかし、イサクを与えるという神様の約束のみことばは変わりませんでした。さらに、そのイサクをとおしてなさる祝福も変わりはありませんでした。そのみことばが彼の希望になり、どんな状況でも前に進むことができ、信仰の人となったのです。
私たちに今必要なのは、希望です。励ましの言葉によって慰められることも大切です。しかし、それだけでは、何もできません。むしろ、弱くなるだけです。しかし、希望があれば、前に力強く進むことができます。神様のみことばの約束が、私たちの希望です。
吉川福音教会/金京模牧師

02/09/2026

2026年9月3日(木) デボーション 詩篇119:33-48
45-46 そうして私は広やかに歩いて行くでしょう。それは私が、あなたの戒めを求めているからです。私はまた、あなたのさとしを王たちの前で述べ、しかも私は恥を見ることはないでしょう。
小さなことでも恐れることは、その心の土台が揺れているからです。つまり、自分の行動や言葉の根拠が真理に基づいていないからなのです。
みことばへの信頼と従順の思いが続いて書かれています。主の教えを守り、従うことを願う心を歌っています。そして、その道を喜んでいます。なぜなら、その道が正しいからです。今記者は、そしりにおびえています。だから「そしりを取り去ってください。」(39節)と求めています。なぜなら、主のさばきがすぐれて良いからです。そして、自分をそしる者たちに対して、言い返すことができ、彼らの前を堂々と歩くことができると言っています。その理由として上げていることが、「あなたの戒めを私が求めているから」だと言っています。これは、自分をそしる者がどんなに強くても、そして、そのそしりがどんなに恐ろしい者であっても、自分の心が揺るがない理由を、神様のみことばへの信頼、神様への確信だということです。つまり、彼の人生の土台が、主のみことばの上にしっかり立っていることです。だから、どんなそしりの前でも、堂々と歩くことができるのです。
イエス様は、砂の上に家を建てた人と岩の上に家を建てた人の話をします。砂は自分の経験、この世の慣わしです。岩は、神様のみことばです。何もない時には、砂の上でも、岩の上でも、家は倒れません。しかし、雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてくると、砂の上の家は倒れます。しかし、岩の上の家は倒れません。堂々と生きる人生は、みことばを土台とする人生です。
吉川福音教会/金京模牧師

02/09/2026
01/09/2026

20266年9月2日(水) デボーション 詩篇119:17-32
19-20 私は地では旅人です。あなたの仰せを私に隠さないでください。私のたましいは、いつもあなたのさばきを慕い、砕かれています。
耳があるから聞けるわけではありません。耳があっても聞けないことが多くあるのです。聞こうとする姿勢のことです。聞いても心がないと聞こえても聞こえないのです。
詩篇記者は、主に求めます。それは、主の戒めとおきてを教えてくださいということです。それは、主のみことばを守るためです(17節)。なぜなら、それが生かされる道、豊かな報いを受ける道だからです。だから、求めることは、富や力、知識、健康ではありません。むしろ、主の仰せを隠さないように求めているのです。つまり、聞こうとする姿勢を求めることです。さらに、聞いたみことばを悟らせてくださることを求めています。聞いても理解できないなら意味がありません。これは、ただの分析、理解のことではありません。むしろ、聞こうとする姿勢のことです。聞こうとする時、その言葉が聞こえ、理解され、さらに、実行することができます。だから、聞くことは、実行にまでつながる時、やっと聞いたことになるのです。イエス様は、「まず神の国と義を求めなさい」(マタイ6:33)と言われました。すごいみわざを求め、実行することではありません。先ずは、実生活の中で、ささやかな主の御声を聞くことです。神様のみこころを聞き、従うことです。つまり、聞こうとする姿勢です。その時、聞こえます。
私たちは主の声を聞こうとしていますか。あまりにも、自分の願いごとが多くて、主の声は聞こえず、自分の声だけが響いているのではありませんか。先ず、聞こうとする姿勢です。その時、聞こえます。そして、聞こえた声に従うことができます。
吉川福音教会/金京模牧師

31/08/2026

2026年9月1日(火) デボーション 詩篇119:1-16
9-10 どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。あなたのことばに従ってそれを守ることです。私は心を尽くししてあなたを尋ね求めています。どうか私が、あなたの仰せから迷い出ないようにしてください。
意味ある人生って何でしょうか。多くの人が生きる意味を失っています。なぜでしょうか。それは、神にしかないものを自分から求めたからです。
詩篇119篇は、ヘブル語の22個のアルファベットを使って作られたものです。各アルファベットを初声として8節ずつ語る形式です。8×22は、176節になるのです。その始まりを「幸いなことよ」と始めています。それは、主のみおしえに歩むことです。つまり、主のみことばをその人生の基準とし、目的とすることです。他からは幸せというものは見いだせないということです。そして、9節の始まりでは、「若い人は」とって、若い人たちに人生の意味って何なのかを問いかけます。自分の道を保てる、つまり、確かな目標をもって、しっかり人生を生きていく理由をどこから見出せるか、と言ことです。それも、主のみことばです。そのみことばを慕い求め、耳を傾き、守り従うことです。これは、行いをどうするかもことではありません。むしろ、その基準、目的、土台をとこに置くのかということです。生きる意味をどこから求めるかです。それは、ただ一つ、主のみことばなのです。そのみことばによって生きる者の人生は、幸いです。
私たちは、何も基準、つまり、生きる理由としているのでしょうか。何を喜びとしているかです。主のみことばによって生きることに、生きる意味があるのです。それ以外のものから、生きる喜びを見出せるものはありません。これを悟ることが、幸いなのです。
吉川福音教会/金京模牧師

30/08/2026

2026年8月31日(月) デボーション エゼキエル48:23-35
35 町の周囲は一万八千キュビトあり、その日からこの町の名は、『主はここにおられる。』と呼ばれる。」
その時は、気づかないことがあります。あまりにも大きい問題の前で、その問題しか見えないからです。しかし、後で気づきます。その時側にいてくれた人がいたということ。
エゼキエルが見た新しい神殿とエルサレムとイスラエルの割り当て地についての最後の記事です。部族ごとの割り当て地について書いた後、今度は、エルサレム城壁にある12の門を記録します。城壁の東西南北にそれぞれ3つずつあります。その名は、イスラエルの12部族の名前です。これは、イスラエルの12部族が一つの共同体であることを意味します。そして、最後にその城壁の長さが18,000キュビトであると記します。その後、一番大切なその町の名前が記されます。それは、「主はここにおられる」です。ヘブル語では、「アドナイ・シャンマ」です。今、エルサレム城壁はことごとく崩れています。主はもうすでにイスラエルから離れて、エルサレムにはおられないと思われます。しかし実は、「主はここにおられる」ということです。いや、正確に言えば、「主はここにおられた。」です。イスラエルから主が離れたことはありません。むしろ、主はここでご自身がその破壊、その滅亡を受けられたのです。イエス様が十字架の苦しみをすべてお一人で受けたようにです。
今、苦しみの中で、主が離れたと思われるかもしれません。しかし、そんなはずがありません。「アドナイ・シャンマ」主はここにおられます。主はここのおられたし、今もおられるし、今からもおられます。私たちが気づいても、気づかなくても、それは、変わらなし真実です。主は、私たちから絶対に離れません。
吉川福音教会/金京模牧師

30/08/2026

2026 08 30 ヨハネ 8章21-29節 希望を持って歩む十字架の道

住所

3-20-10, Chuo
Yoshikawa-shi, Saitama
3420061

電話番号

+81489812710

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