ロゴス・ライフ宣教会

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光であるみ言

 神が光を与えられる前の地は、形がなく何もないところでした。闇が大いなる水の上にあって、動かす力である神の霊が水の上にありました。
 神が「光あれ」と仰せられると、光ができました。神のみ言は、光そのものであるのです。
 光が現れた地に創造の御業がすすめられました。
 大空を造られて大空の下の水と、大空の上の水に分けられ、大空の下にある水と大空の上にある水を循環させられました。
 神は秩序と調和を造られる力なのです。

27/08/2026

聖霊の働き

使徒パウロは明らかに、そして力強く証言しています。

ローマ8:9
『もし神の御霊があなたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人はキリストのものではありません。』
パウロは、聖霊によって生きる人とは、父なる神と御子と一つになっている人のことであると教えています。
父なる神と御子イエス・キリストに従わずには決して聖霊を受けることはできないのです。

ローマ8:6
『肉による思いは死であり、御霊の思いはいのちと平安です。』
父と御子の心、いのちと平安は聖霊の中にあるからです。

また、第一ヨハネ4:13-15にこのように記されています。

『神は私たちに御霊を与えてくださいました。 それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。……
だれでもイエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。』

聖霊は私たちを父なる神とイエス・キリストの中に一つの関係を持たせるために来られて働かれる方であることを示されます。

聖霊が願われること、聖霊の働きの目的とは、父なる神のみこころを成就することであります。
み言に背いた人間が失った聖霊が、人々の中に再び臨在し、人々の中に働かれることを父なる神は願っておられるのです。

それは、父、御子、御霊の三位一体となられる関係の中に、人々も 一つの関係を持つこと「一つの関係に生かされる」ことです。
これは、人々が父なる神のみ言に一つとなり、一つの心を持つことによって成就するのです。

聖霊は、この一つの関係を成就するために働かれるのです。

(車潤順 著 「聖霊の本質とその働き」より)

ロゴス日々の祈り(車潤順 著)
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27/08/2026

聖霊の働き

人は父なる神のことばに背いたために、神と父と子の関係を失ってしまいました。
これは人のいのちの源である聖なる霊の喪失であります。
聖書はこの人間の罪と死は、聖なる霊の喪失から始まっていると明らかに示しています。

それで聖書は、人が罪と死から解き放たれて、再び永遠のいのちの中に生きる者となるためには「み言に立ち返り、聖霊を受けなければならない」と教えているのです。
人が永遠のいのちを得る道は、聖霊によって生きること、これ以外にはありません。

「み言に立ち返り、聖霊を受ける」ためには、イエス・キリストのみ言に従わなければなりません。自分中心の思いを捨て、イエス・キリストのこころを私の心として生きるのです。
そうしたときに聖霊によって生きる者となるのです。罪と死から解放され、永遠のいのちを得るのです。

(車潤順 著 「聖霊の働きとその本質」より)


ロゴス日々の祈り(車潤順 著)
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25/08/2026

内に働くキリストの力
第二コリント12章

しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。12:9-10

パウロは特別に召し出された大使徒として、光の国に引き上げられて、口に言い表わせない神秘な体験をしました。
しかし彼自身は自分の弱さを誇っています。

それは弱い時にこそ強くなる秘訣を知っているからです。
パウロがもし、すぐれた啓示ばかり誇っていたならば、彼だけが人に買いかぶられて高められ、キリストの栄光は現われないことでしょう。
彼が弱くある時、彼の信仰はなお主により頼むより他なかったのです。そして、彼が受けた啓示は、彼の慰めとなり望みとなって生かされているのです。

パウロは、信徒たちによって苦しめられ、恥と悲しみを受けても、なお彼らの前にキリストによる品性を高めることができたのはも、彼が弱いときに完全にあらわれるキリストの力によってでありました。


私が弱いとき私の内に働いてくださるキリストを誇りとせず、自分の力、自分の働き、自分の体験を誇り、キリストの恵みを妨げてきた自己中心の信仰を赦してください。

ロゴス日々の祈り(車潤順 著)
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25/08/2026

みこころを知る者となりますように

* 「永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストを知ることです。」ヨハネ17:3

十字架の死を目の前にしながらひたすら父の栄光のために祈られた神の御子イエス・キリストの祈りから、人が求める最も尊いもの、正しい祈りを教えられます。

* 「わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。全焼のいえにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ。」ホセア6:6

人がすべきことは神のみこころを知ること。人を愛して止まない神のみこころを知る、み言の真実を知ることが、人がすべき最も尊いことなのです。

* 「人よ。何がよいことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行ない、誠実を愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか。」ミカ書6:8

神の前に人はちりに等しい者、自らは知恵も力もない者です。神が人に語りかけ、聖いことが何であるかを告げ教えてくださるのです。
神は、人が公義を行ない、いつくしみを愛し、へりくだって神と共に歩むことを願われるのです。

ロゴス日々の祈り(車潤順 著)
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25/08/2026

正義、あわれみ、誠実
マタイ23章

「…………… 目の見えぬ手引きども。ぶよは、こして除くが、らくだは飲み込んでいます。
わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは杯や皿の外側はきよめるが、その中は強奪と放縦でいっぱいです。
目の見えぬパリサイ人たち。まず、杯の内側をきよめなさい。そうすれば、外側もきよくなります。
わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは白く塗った墓のようなものです。墓のその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいです。
そのように、おまえたちも外側は人に正しく見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。」23:23-28

イエス・キリストは律法学者やパリサイ人たちに「忌まわしいものだ」と叱責されました。
忌まわしいものは偽善と教理的行ないには熱心でありながら、神と人に不誠実な者であると言われました。

神が願っておられるのは、「正義とあわれみと誠実」であると教えられました。
律法は守らなければならない神の戒めのことばです。それで律法を疎かにしてはなりません。 しかし、正義とあわれみと誠実が欠けた律法生活をするのは忌まわしいものであると叱責されたのです。

『正義』は「神のみこころに従う心」にだけ存在します。
『あわれみ』は「人をこよなく愛される神の愛を知る心」だけが持つことができます。
『誠実』は 「神のみ言を右にも左にも曲げず行なう心」だけにあります。

この心を持っていない人は決して正義とあわれみと誠実を持つことはできません。
これを持っていない人は神のみこころを悟り 知ることができませんから、善悪の分別のない者となります 。
それでイエス・キリストは律法学者とパリサイ人に「目の見えの手引きども」と言われました。盲目な指導者である彼らは、小さな罪と大きな罪を分別できないので、小さい 罪は大きな問題としながら大きな罪は何とも思わず受け入れているのです。

それで彼らは、表面は清いものとして装っていながら、その心の中は強奪と放縦に満ちているのです。
表面は清いように見えてもその心は腐敗したもののように汚れているのです。
イエス・キリストは、このように表面は正しく見せながら、その内側は偽善と不法に満ちているもの、人と呼ぶことのできない「忌まわしいもの」と言われたのです。

ロゴス日々の祈り(車潤順 著)
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25/08/2026

ロゴス・ライフ主日メッセージNo.313

〈尊い器〉

神はエジプトから出て(出エジプト)荒野の生活をするイスラエルの民のために、幕屋建設をモーセに命じました。
(幕屋=神が住まわれる所、神と民が会見される所)
 幕屋は、イスラエルの民が神の民であり、荒野の生活に神が常におられることこの証しでした。
イスラエルの民が荒野の生活を続け、遂にカナンの地に入ることができたのは、人間的方法と力によるのではなく、神と幕屋を中心とすることによってでした。
神とその幕屋が彼らの力であり望みであり、道であり方法であったのです。

 神の人モーセは、幕屋で神に聞き、それを民に伝え、民を神に従わせることによって民を導くことができました。
 神は幕屋建設にあたって、その働きをする人を選び召し出されました 。彼らは神に仕える真実な心を備えていた者たちでした。神は彼らに働きのための知恵を与えられました。

 そして、この幕屋のために用いられた材料にも神のイスラエルを愛するみこころを知ることができます。
幕屋のために用いられた「アカシアの木」は、荒野に育っている木です。神はアカシアの木だけでなく、幕屋に必要な材料はすべて荒野で求められるものと、民が所有しているものとしました。
民が止むを得ず間に合わせた材料ではなく、神は小さなものに至るまで材料を定め、しかも荒野にある物を用いておられるのです。


このことを通して神は、荒野にある何の価値のない材料のような私たちを用いてくださることを知ることができるのです。
 幕屋の心臓部にあたる神の箱は最も聖なるものです。この神の箱には、アロンの杖とマナを入れた金の壺、神がモーセに渡された二枚の石板(十戒のみことばが記された石板) が入っています。この神の箱がアカシアの木をで造られたのです。
 
アカシアの木は荒野の風塵にさらされ、曲がりくねった醜い木ですが、神のみことばが記されている石板を入れる器となった時、最も聖なる所に置かれるものとなりました。
良い材料といわれるレバノン杉、また白檀の木、これらがたとえ王宮の豪華な壁柱となっても、神のみ言を入れているこのアカシアで造られた神の箱の尊さに及ぶことはできないのです。

私たちも荒野と言われる世の中で、アカシアの木のように痛めつけられ古びていく者です。
けれども、外側は土で造られた価値なきものであっても、人が何よりも尊い存在と誇ることができるのは、その中に最も聖なる神のみ言を入れているからです。
 土で造られた人の中に、最も聖なるみ言を入れるとき、私たちは最も聖い器、尊い者となるのです。
 

#アカシヤの木 #出エジプト #神の箱 #器 #ロゴスライフ #み言 #祈り #車潤順 #チャーユンスン

21/08/2026

人間がいる限り叫ばれる神
イザヤ5章

預言者を通して父なる神の心であるみ言がユダとエルサレムの民に伝えられても、彼らの耳には入りませんでした。
み言は心から出る声であるゆえ、心の耳にだけ聞こえるのです。それで神のみ心を求めない彼らには聞こえるはずがないのです。

「それゆえ、わが民は無知のために捕らえ移される。その貴族たちは、飢えた人々。その群衆は、渇きで干からびる。
それゆえ、よみは、のどを広げ、口を限りなくあける。その威光も、その騒音も、そのどよめきも、そこでの歓声も、よみに落ち込む。………………」5:13-17

神は、聖別された民であるべきユダとエルサレムの民が、自身の犯した罪のゆえに、よみに落ちてしまうことをはっきり知らせてくださいました。
神の警告のみ言と、これから起こることの予言は真実であるゆえに、彼らにはもう望みが消え去ったのです。

彼らの心に聞く耳があり、悔い改めて立ち返れば、神はよみの道を変え、いのちの道に導いてくださいます。
けれども、神のこの切なるみ言を聞いて悔い改め、神のみもとに帰ってくる民の声は聞こえませんでした。

それでも神は叫び続けることを止められないのです。
このようにはっきりと神のみ言に従わない者の道を教えてくださるのは、不従順の道を捨てて立ち返らせて、人のいのちを生かそうとされる父の愛ゆえであります。

父なる神は、人間が聞き従うか、従わないかに関係なく、人間が存在する限り叫ばれるのです。

ロゴス日々の祈り(車潤順 著)
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20/08/2026

わざわいを予告される神の愛
イザヤ5章

「ああ。家に家を連ね、畑に畑を寄せている者たち。あなたがたは余地も残さず、自分たちだけが国の中に住もうとしている。
私の耳に万軍の主は告げられた。「必ず、多くの家は荒れすたれ、大きな美しい家々も住む人がなくなる。…………… 」5:8-10

神が神の民として養い育てようとされる聖なる地で、神のみこころを無視したエルサレム住民とユダの人たちは、貪欲で暴悪な者(酸ぶどう)となってしまいました。

酸ぶどうとなった木は根元から切り倒さなければなりません。
それで神は、わざわいと飢餓によってユダとエルサレムを荒廃させることを予言されました。

このように神が迫ってくるわざわいをあらかじめ知らせてくださるのは、ユダとエルサレムの住民に対する愛のみ言であり、望みのみ言なのです。
それは、どんなにきびしい裁きのことばであっても、それを予告されるのは、救われるために神は時を残しておられるからです。
神が これから来るべき裁きのときを知らしめてくださるのは、その日が来る前に、悔い改めて立ち返ることを望まれる愛と憐れれみのみ言であるのです。

この神の愛のみ言が無くなり、神の愛とあわれみが民たちから離れたら、彼らが再び神のみ声を聞くことはできません。神のみ言が与えられている時が人間には望みがあるのです。

ロゴス日々の祈り(車潤順 著)
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19/08/2026

酸ぶどうとなった原因
イザヤ5章

神はエルサレムの住民とユダの民たちに良いブドウの木を植えたのにも関わらず、 酸ふどうができた責任が誰にあるのかをわきまえてみよ、と問われます。

「………………わがぶどう畑になすべきことで、なお、何かわたしがしなかったことがあるのか。なぜ、甘いぶどうのなるのを待ち望んだのに、酸いぶどうができたのか。…………」5:3-7

神はぶどう畑を整え全てを準備して甘いぶどうが実るのを待ち望んでいらしたことを示しておられます。

それなのに酸ぶどうができた原因はどこにあるのかを、ユダの民とエルサレムの民に問いただしておられるのです。
神はその原因をご存じながらも、彼ら自身がそれに答えることを願われて問いただしておられるのです。
神は、良いぶどうの木が酸ぶどうになった責任、即ち、その原因は神にあるのではなく、彼らにあることを彼らが悟り、 その罪を告白することを期待されているのです。

神は彼らに心を注がれておられました。しかしユダの人とエルサレムの住民は、その神の心を従順な心で受け入れることをしませんでした。これが酸ぶとうとなった原因であるのです。

人間は、神が注がれるそのみ心を従順に受け入れる者とならなければなりません。
み心を注がれる神とそのみ心を受け入れるべき 人間の心が一つになった時、 良いぶどうの実を得ることができるのです。

ロゴス日々の祈り(車潤順 著)
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18/08/2026

酸ぶどうとなった民
イザヤ5章

…………… 彼はそこを掘り起こし、石を取り除き、そこに良いぶどうを植え、その中にやぐらを立て、酒ぶねまでも掘って、甘いぶどうのなるのを待ち望んでいた。ところが、酸いぶどうができてしまった。5:1-2

神はユダの民をぶどうの木、神御自身をぶどう園の主人にたとえてみ言をくださいました。

ぶどう畑の主人が、山を掘り起こし、石を取り除き そこに良いぶどうを植え、その中にやぐらを建て、 酒ぶねを掘って、と記されているように、 主人は全ての準備を整えて ブドウの木を植えられ、良い実を結ぶことを待ち望んでおられました。
しかし、ぶどうの木からは良いぶどうが出来ず、酸ぶどうができてしまいました。

これは、ユダの民が神が願われる民になり得なかったことを指摘されるみ言です。
主人が願われる良いぶどうの木となるためには、主人が与えられる水と肥やしをそのまま取らなければなりません 。
ぶどう畑の主人であられる神は、ぶどうの木のすべてをよく知っているので、ぶどうの木に適切に水と肥やしを与えられました。 ですから、ぶどうの木は主人が与えてくださるものを素直に受け入れさえすれば良いのです。 受け入れさえすれば良い実は必ずできるようになっているのです。


私たちを良いぶどうとして植えられ、良い実を期待しておられる父のみ心を悟り、ただひたすら従う者となりますように。

ロゴス日々の祈り(車潤順 著)
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住所

北中城村喜舎場1419
Yomitan-Son Nakagami-gun, Okinawa
901-2311

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