日本バプテスト連盟 西川口キリスト教会

日本バプテスト連盟 西川口キリスト教会 日本バプテスト連盟に所属するプロテスタント教会です。
住所は埼玉県戸田市ですが、川口市と蕨市、三市の堺に1962年から建っています。目の前は長い長い桜並木で、「桜並木の教会」が愛称です。

戸田・蕨・川口から通いやすい戸田市喜沢の教会、
西川口キリスト教会へようこそ。
私達の教会は毎週日曜10時から12時まで聖書の学びと礼拝を行っております。 小さいお子さまとご一緒に参加できるスペースもご用意しております。
どうぞお気軽にお出かけください。
※聖書や讃美歌は貸出用がございます
※初めての方は正面玄関から受付へお越しください。

【2026年6月の礼拝予定】6月のテーマ :賜物を活かして   「多様な私たち、ひとつの体」聖書箇所:  エフェソの信徒への手紙 4章11-16節「そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。...
02/06/2026

【2026年6月の礼拝予定】

6月のテーマ :
賜物を活かして
   「多様な私たち、ひとつの体」

聖書箇所:
エフェソの信徒への手紙 4章11-16節

「そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。
こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。
こうして、わたしたちは、もはや未熟な者ではなくなり、人々を誤りに導こうとする悪賢い人間の、風のように変わりやすい教えに、もてあそばれたり、引き回されたりすることなく、むしろ、愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長していきます。
キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです。」

2026年5月31日(日) 礼拝宣教要旨『信仰の闘いで知る賜物』 戸田 浩司
31/05/2026

2026年5月31日(日) 礼拝宣教要旨
『信仰の闘いで知る賜物』 戸田 浩司

埼玉県戸田市にある西川口キリスト教会の主日礼拝宣教要旨です。礼拝で語られた聖書のメッセージを通して、信仰生活の歩みや神さまの御言葉について理解を深める内容です。西川口・戸田市周辺でキリスト教会や主日礼...

『聖霊から受けた賜物』 朴 思郁 牧師2026年5月24日(日)礼拝宣教要旨聖書箇所:使徒言行録 2章1節〜13節「すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。(使徒言行録 2章4節)」 ペンテコステ...
24/05/2026

『聖霊から受けた賜物』 朴 思郁 牧師

2026年5月24日(日)礼拝宣教要旨
聖書箇所:使徒言行録 2章1節〜13節

「すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
(使徒言行録 2章4節)」

 ペンテコステの主日を迎えました。先週は「仕えるための賜物」と題して、仕えるために来てくださった主に倣う歩みを聴きました。今朝は、その仕える業がどこから注がれてくるのか——その源を、聖霊降臨の出来事の中に見つめます。エルサレムには世界中から人々が集まり、それぞれが故郷の言葉と祈りを抱えていました。そのような場所に、聖霊は降ってこられたのです。今朝は、三つのことを心に留めましょう。

 まず、聖霊は「一つに集められた群れのただ中に」降られました。「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると」(1節)と記されています。聖霊は、特別な一人の上にではなく、心を合わせて祈っていた共同体の真ん中に降ってこられたのです。婦人たちもイエスの母マリアも兄弟たちも共に祈っていた、その群れの上に。教会とは、「一つに集められる」というあり方そのものが聖霊の働きの場となる共同体です。そしてこの「一つになる」は、決して「同じになる」ことではありません。

 次に、聖霊は「それぞれの故郷の言葉を生かす形で」働かれました。弟子たちは学んだこともない外国の言葉で神のみ業を語り始め、人々は自分の故郷の言葉でそれを聞きました。大切なのは、聖霊が聞く側にではなく、語る側を「聞き手の故郷の言葉で語る者」へと造り変えられた、ということです。私たちが生まれ育った言葉と感性をそのまま携えて神の前に立つことを、神は許してくださっているのです。賜物の形は一人ひとり違っていて、それでよいのです。

 最後に、聖霊は「私たちを証しする者へと造り変えてくださる」霊です。弟子たちが語っていたのは自分たちの体験談でも信仰の自慢話でもなく、ただ「神の偉大なみ業」でした。私たちが「主は生きておられる」と語ることができるのも、自分の力ではなく聖霊の働きによるのです。私たちもまた、それぞれの場所で、ご自分の「故郷の言葉」で、神のみ業を証しする者へと招かれています。たとえ受け入れない者がいたとしても、聖霊が、その小さな一言を確かに支えてくださるのです。

 聖書教育には、「あらゆる恵みの賜物は神の一方的な厚意に由来しますが、人と人との関わりの中で、賜物は見出され、磨かれます」と記されています。礼拝後、2025年度決算報告総会の時を持ちます。それは単なる事務的な手続きではなく、聖霊によって一つに集められた群れが、この一年を主の前に感謝をもって差し出し、新しい歩みを主に委ねる交わりの時です。聖霊に押し出されながら、それぞれの賜物と「故郷の言葉」を携えて、それぞれの場所へ遣わされていくのです。

2026年5月17日(日)礼拝宣教要旨「仕えるための賜物」 朴 思郁 牧師聖書箇所:マルコによる福音書 10章42節〜45節「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」  ...
18/05/2026

2026年5月17日(日)礼拝宣教要旨
「仕えるための賜物」 朴 思郁 牧師

聖書箇所:マルコによる福音書 10章42節〜45節

「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」
        マルコによる福音書10章45節

 仕えることは、努力で身につける才能ではなく、すでに仕えてくださった主の招きを受けて、隣人の足元に降りていくことを許される賜物です。栄光の右と左を願った弟子たちを、主イエスは呼び寄せ、新しい価値観を教えてくださいました。今朝はフォード・マドックス・ブラウンの「ペトロの足を洗うイエス」のように身をかがめて降りてくる主のお姿を覚えつつ、三つのことを心に留めましょう。

 まず、仕えることは「世の価値観をひっくり返す生き方」です。主は「異邦人の間では支配者が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうではない」と告げられます。ギリシャ語で「仕える」を意味する「ディアコネオー」は食卓の給仕を指し、当時は奴隷や女性たちが担っていた目立たない働きでした。主はその「下」と見なされた働きを、教会の中心に据えられたのです。世のヒエラルキーをそのまま教会に持ち込まない——それが神の国の決定的な転換です。

 次に、仕えることは「教会という共同体の中心にある営み」です。「偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい」と主は言われます。ステファノたち七人の執事(ディアコノス)が、やもめへの配給から始まったように、教会の役職は最初から「給仕する人」として生まれました。ただし、み言葉が文脈を離れて、特に女性たちを抑え込む鞭として用いられてきた歴史を忘れてはなりません。賜物が支配の道具に変えられないよう、神に帰すべき「義しさ」を私物化する愚かさから自由でありたいと願います。

 最後に、仕えることができるのは「まずキリストご自身が仕えてくださったから」です。「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」(45節)——マルコ福音書の中心とも呼ばれるこのみ言葉が示すように、主は最も高い所から最も低い所へ降ろされ、僕のかたちを取ってくださいました。テモテへの手紙一・三章末尾の「キリスト賛歌」が描く、受肉と十字架の「降下」と栄光への「上昇」——その全体が、私たちを仕える者と造り変える根拠です。
 仕えるための賜物は、特別な才能の話ではありません。すでに主に仕えていただいた者として、隣人へ、社会へと、自由に身をかがめていくことが許されている——一人ひとりに開かれている恵みです。ペンテコステを迎えるこの週、聖霊に押し出されて、それぞれの場所で誰かのために身をかがめる小さな一歩を、ご一緒に歩んでまいりましょう。

【「大人のグリーンリースづくり」のお知らせ 】◇グリーンや小さな植物をかごリースに植え込んで仕上げる、涼やかで優しいたたずまいのリースです日時:5 月29 日(金) 30 日(土)  ①10 時半~12 時半  ②13 時半~15 時半 各...
11/05/2026

【「大人のグリーンリースづくり」のお知らせ 】

◇グリーンや小さな植物をかごリースに植え込んで仕上げる、涼やかで優しいたたずまいのリースです

日時:5 月29 日(金) 30 日(土)  ①10 時半~12 時半  ②13 時半~15 時半 各回とも先着5名
場所:西川口キリスト教会 多目的ホール
参加費:3,500 円
持ち物:ハサミ、持ち帰りの袋
講師:新田裕子

お申し込みはポスターのQRコードから👇 (5/24締め切りです。)

2026年5月11日(日)主日礼拝 宣教要旨
11/05/2026

2026年5月11日(日)主日礼拝 宣教要旨

2026年5月10日(日)礼拝宣教要旨 聖書箇所:エフェソの信徒への手紙 6章18節〜20節 「どのような時にも、霊に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。」 .....

2026年5月3日(日)礼拝宣教要旨聖書箇所:ローマの信徒への手紙 12章4節〜8節『賜物を活かして』  朴 思郁 牧師 宣教要旨”わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っています。”(ローマの信徒への手紙 12章6...
05/05/2026

2026年5月3日(日)礼拝宣教要旨
聖書箇所:ローマの信徒への手紙 12章4節〜8節

『賜物を活かして』  朴 思郁 牧師 宣教要旨

”わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っています。”
(ローマの信徒への手紙 12章6節)

 私たちは、キリストにあって一つの体とされ、それぞれに異なる賜物を「与えられた恵み」として託されています。賜物は勝ち取ったものでも、もともとあった才能でもなく、神の側から先立って注がれている贈り物です。そしてそれは自分のためではなく、互いの益のため、キリストの体を建て上げるために差し出されるもの——この事実こそが、本日の御言葉全体の土台です。賜物を活かして、今ここでどう共に歩むのか——今日は三つのことを共に聴いてまいりましょう。
 まず、私たちは「キリストに結ばれて一つの体」だということについてです。パウロは賜物の話に入る前に、この事実から語り始めます。私たちが何かをして体に「加わる」のではなく、すでに加えられている者として、自分の場所を発見していく——それが私たちの歩みです。「自分には何ができるか」という問いに先立って、「私はどの体に属しているのか」を覚えること。この土台は、自分の働きを誇りたくなる時にも、何もないと感じて沈み込みそうな時にも、変わらず私たちを支えてくれます。
 次に、賜物は「与えられた恵み」によるものだということについてです。賜物は自分で勝ち取ったものでも、もともとあった才能でもなく、ただ「与えられた」贈り物です。私たちは所有者ではなく、預かっている者にすぎません。だから誇る必要も、卑下する必要も、比較する必要もないのです。6〜8節には、預言や教えと並んで、奉仕・施し・慈善といった一見地味な働きが、何の区別もなく並べられています。日頃ごく自然にしている祈り、声かけ、手を差し伸べること——そのすべてが、「与えられた恵み」の確かな現れなのです。
 最後に、賜物は「他者のために」差し出されるものだということについてです。手は手のためではなく体全体のために動くように、賜物の方向は自分自身ではなく他者へと向かっています。家庭で、職場で、教会で——私たちが日々ささやかに差し出している働きの一つひとつが、確かに「他者のために差し出される賜物」として、神の御前に覚えられているのです。今、私たちの教会は、これまで育まれてきた賜物が、より豊かに組み合わされていく季節を迎えようとしています。それは誰か特別な人に任せきる話ではなく、一人ひとりが、それぞれの場所で関わっていく営みです。
 私たちは多くの数で、しかし一つの体です。それぞれ異なる賜物は、比べ合うためではなく、組み合わされるために与えられています。「賜物を活かして」——それは、特別な誰かの話ではなく、今ここに集う一人ひとりに、すでに語りかけられている招きです。今週も、与えられた恵みを互いに差し出し合いながら、共に歩んでまいりましょう。

【教会のメンバーが贈る5月の聖句】西川口キリスト教会「わたしは、祈りの度に、あなたのことを思い起こして、 いつもわたしの神に感謝しています。」             フィレモンへの手紙1 章4節祈る時間は、自分自身を振り返り、神様と会話を...
02/05/2026

【教会のメンバーが贈る5月の聖句】西川口キリスト教会

「わたしは、祈りの度に、あなたのことを思い起こして、
 いつもわたしの神に感謝しています。」
             フィレモンへの手紙1 章4節

祈る時間は、
自分自身を振り返り、
神様と会話をすることだと思います。

私はほとんど自分のことばかり
あれこれ希望を並べたり、
反省会をしたりという具合です。

ときには家族や
身近な方のことも祈ります。

祈ることでその人のことを思い、
その人にとって
何が一番良いのかを
あれこれ思いめぐらします。

でもその方を生かしてくださるのは神様、
その神様に感謝をしていきたいと思います。

教会員 M.I

2026年4月26日(日)主日礼拝宣教要旨『赦されて、生きる』  朴 思郁 牧師聖書箇所:テトスへの手紙 3章3節〜8節"神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。(テトスへの...
29/04/2026

2026年4月26日(日)主日礼拝宣教要旨
『赦されて、生きる』 朴 思郁 牧師

聖書箇所:テトスへの手紙 3章3節〜8節

"神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、
御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。
(テトスへの手紙 3章5節 "

 神の憐れみは、私たちの義の業によってではなく、ただ神ご自身の側から先立って注がれています。私たちは弱さを抱えたまま、この憐れみによって救われ、「赦された者」として生かされているのです。この事実こそが、本日の御言葉全体の土台です。赦された者として、今ここでどう生きるのか——今日は三つのことを共に聴いてまいりましょう。
 まず、「わたしたち自身もかつては」という正直な自己認識についてです。3節でパウロは、道に迷い、欲望に囚われ、憎み合っていた——という厳しい言葉を、「あなたがたは」ではなく「わたしたち」と自分自身を含めて語ります。そこには「健全なわたしたちが、健全ではない者たちに優しく接する」という高慢さはありません。私たちもまた、かつては同じ場所に立っていた者です。この正直さを引き受けるとき、はじめて私たちは、排除や分断ではなく、憐れみを携えて他者の傍らに立つことができるのです。
 次に、神の憐れみが先立って注がれているということについてです。3節の厳しい現実の只中に、4節の「しかし」が光を差し込ませます。私たちを救ったのは、私たちの側の何かではなく、ただ神の側のイニシアチブです。5節の「洗い」はバプテスマを思い起こさせ、聖霊によって新しく生まれさせ、造りかえられる恵みを指し示します。そして6節、神はこの聖霊を「豊かに」注いでくださいました——資格も実績も問わず、あふれるほどに、惜しむことなく。この先立つ憐れみこそが、私たちの立つ唯一の土台なのです。
 最後に、赦されたからこそ良い行いへと向かうということについてです。「義の業によってではない」と聞いた途端、私たちは二つの誘惑に揺れます。「自分は健全だ」という高慢と、「どうせ赦された罪人だから」という開き直りです。そのどちらでもない第三の道——弱さを抱えたまま、それでも優しさへと向かう道——が、赦された者には示されています。礼拝後の一言、久しぶりの連絡、隣に静かに座ること。そのような「小さな良い行い」を、豊かに注がれた聖霊が、今日も支えてくださるのです。
 赦されて生きるとは、自分の「かつて」を忘れることではなく、その自分に神の憐れみが先立って注がれた驚きを、日々新たにして生きることです。「かつては——しかし」。この「しかし」の向こう側に立たせていただきながら、今週も隣にいる人への小さな一歩を、共に踏み出してまいりましょう。

住所

戸田市喜沢1−2−13
Warabi-shi, Saitama
335-0003

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