一乗院

御詠歌コンサート、住職も出演します❗️
06/09/2025

御詠歌コンサート、住職も出演します❗️

7月2日14時30分より大阪・関西万博のパビリオンWASSE(メッセ)にて御詠歌公演を行います。比叡山延暦寺とのコラボもあります。よろしければご来場下さい!仁和寺ブース内に金剛流御詠歌コーナーも設置してあります。私も2日から6日までおります...
30/06/2025

7月2日14時30分より大阪・関西万博のパビリオンWASSE(メッセ)にて御詠歌公演を行います。
比叡山延暦寺とのコラボもあります。
よろしければご来場下さい!
仁和寺ブース内に金剛流御詠歌コーナーも設置してあります。私も2日から6日までおりますので、お越しの際はお声がけ下さい!

真言宗御室派総本山 仁和寺の公式ウェブサイトです。888年に創建、かつて門跡寺院として栄えた、格式ある寺院・仁和寺。所蔵の国宝・重要文化財や御室桜などの境内のみどころ、仁和寺でできる写経や宿泊など数々の体.....

令和7年4月30日の長崎新聞に島原市の宝篋印塔移設の記事が掲載されております。下記は平成13年(2001)、一乘院檀信徒様に配布した小冊子に書いた文書です。 島原市の中心部、中堀町のアーケードの一角に、ひっそりと一本の宝篋印塔が建っている。...
29/04/2025

令和7年4月30日の長崎新聞に島原市の宝篋印塔移設の記事が掲載されております。

下記は平成13年(2001)、一乘院檀信徒様に配布した小冊子に書いた文書です。

 島原市の中心部、中堀町のアーケードの一角に、ひっそりと一本の宝篋印塔が建っている。これは、『深溝世紀』巻十七、靖公の寛政五年(一七九三)三月十八日に

一乘院建寶篋塔於堀街、弔流亡者

と記されている宝篋印塔である。寛政五年(一七九三)といえば、寛政四年(一七九二)の島原大変の翌年である。この塔の建っている場所は、当時は島原内港の船着き場で、城下随一の繁華街であり、寛政四年(一七九二)の島原大変の際に津波の直撃を受けた為、最も多くの被害者が出た。一乗院七世弘輝宥勝は、この地に「溺死供養塔」の建設を藩に願い出て許可を得、早速城下の有力者、財力者宅を訪れて建設費の勧進を試み、別当、乙名、御用商人たちの協賛を得て、寛政五年(一七九三)に完成したのがこの塔である。
 宝篋印塔は仏の舍利を奉蔵するため「宝篋印陀羅尼経」を納めた供養塔であるので、中堀町の塔は「陀羅尼経」を納めた形跡がなく、溺死者の戒名・俗名を刻んだ供養塔であるから、正確には「宝篋印塔型供養塔」と呼ぶのが適切である。
 実際、上下二段の基盤に溺死者九十六名の戒名・俗名が刻まれ、背面下段基盤の末尾に「温泉山一乗院現住弘輝法印造建之」の文字がはっきり見て取れる。尚、一乗院は、島原大変の直後にも城主の命を受けて、覚王院という小浜の山伏と共に、温泉山(雲仙)の噴火鎮静の祈願を行ったという記録が『深溝世紀』に残っている。
 数百年の時を経て、島原市の繁華街に今なお残るこの供養塔は、当時の悲惨な状況と、一乗院先師の浄行を静かに物語っている。

と、温泉山(現雲仙)開山1300年に合わせて書いた事を思い出しました。

今回の長崎新聞の記事には一乘院の文字も建立に尽力した一乘院七世弘輝宥勝法印の名前も記載されておらず、非常に残念でした。

10/01/2025

住所

長崎県雲仙市南串山町丙9218
Unzen-shi, Nagasaki
854-0703

電話番号

+81957882403

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