カトリック久居教会

カトリック久居教会 カトリック京都司教区   
三重県南勢ブロック ミサ(礼拝)の時刻 
毎週 日曜日 午前10時45分   
                
ポルトガル語ミサ
第 2日曜日  午後 2時 30分より

04/07/2022

主日の福音を味わう⑲
「隣人を自分のように愛しなさい」
 先月号でも述べましたが、ルカ福音書は9章の後半でイエスがガリラヤを出発をしたことを記した後、19章に至るまでエルサレムへの歩みを記します。7月の主日には、72人の弟子たちの派遣、善いサマリア人のたとえ、マルタとマリアの物語、主の祈り、愚かな金持ちのたとえが朗読されます。
 今回はその中で、善いサマリア人のたとえを取り上げることにします。このたとえは、律法の専門家がイエスを試そうとして、永遠のいのちを得るにはどうすればよいのか尋ねることから始まっています。答えは(やり取りの中で答えたのは律法の専門家の側ですが)、神への全面的な愛と隣人愛の教えでした。イエスも「正しい答えだ」といっておられます。
 マタイ福音書、マルコ福音書は、イエスがエルサレムに到着してからの論争の中で、最も重要なおきてとしてこの愛のおきてについて記しています。しかし、それはルカ福音書には記されていません。ルカ福音書は、愛の掟についての教えをこの10章に移し替えて記しているのです。この箇所がどれだけ重要かということが分かると思います。
 律法の専門家は、自分を正当化しようとして、イエスにさらに質問をします。「では、わたしの隣人とはだれですか」。この質問に応えるために、イエスは善いサマリア人のたとえを語られます。しかし、たとえの終わりにイエスがなさった質問は、律法の専門家の質問とかみ合っていません。「あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うのか」。
 神を愛し、隣人を愛するとは、愛さなければならない隣人とはだれかを考えることではない。そもそも、神は「だれが愛さなければならない隣人の対象となる人だろうか」などと考え、選別なさるかただろうか。愛するとは、むしろ、神の愛を味わい、自分が苦しんでいる人の「隣人になる」ということではないか。そうイエスは教えておられるのではないでしょうか。だから、イエスはこの人に、「行って、あなたも同じようにしなさい」といわれるのでしょう。
 (澤田豊成・聖パウロ修道会司祭)
      「(毎日のミサ 7月号)より」

23/05/2022

主日の福音を味わう⑱
「エルサレムに向かう決意を固められた」
聖霊降臨の主日で復活節が終わった後、典礼暦は年間の期間に戻ります。しかし、主日にはさまざまな祝祭日が続き、年間主日が再び始まるのは、今年の場合、6月26日の年間第13主日からです。この日に朗読される福音は、ルカ福音書ではとても重要な箇所です。イエスの公生活の転機を示しているからです。「イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。そして、先に使いの者を出された」(9・51-52)。
 マタイ、マルコ、ルカ福音書は、共通してイエスがガリラヤで宣教を初め、ある時期にエルサレムに向かい、エルサレムで死と復活の神秘を成就なさったという描く方をします。その中で、ルカ福音書だけがガリラヤを出発し、エルサレムに向かう「時」を明確に記します。それが先に引用した箇所です。しかし、「天に上げられる時期が近づくと」と言っても、ルカ福音書は全体で24章あり、まだ9章の終わりです。ルカ福音書は、エルサレムでの救いの成就を遠くに見ながらも、これを強調しているのです。
 また、マタイ、マルコ福音書は、ガリラヤからエルサレムまでの移動を記すのにおよそ一章から二章を用いるだけです。しかし、ルカ福音書では9章の終わりから始まって19章に至るまでこの移動の歩みが続きます。ルカ福音書では、イエスの公生活の記述の半分がこの道のりに割かれているのです。ルカ福音書は、このような構成をとおして読者に何を伝えたいのでしょうか。残念ながら、明確な答えは記されてはいませんし、その解釈もさまざまです。いずれにしても、このルカ9・51から始まる約10章にわたる箇所は単なる「移動」ではなく、「旅」として描かれています。イエスは、エルサレムで天に上げられる時期が近づいたことを明確に意識し、弟子たちとともに長い旅を始めます。読者はこのことを踏まえたうえで読み深めるように招かれています。わたしたちもイエスと弟子たちとともに旅を始め、自分の生活(=信仰の歩み)に重ね合わせながらこの箇所を読み進めていきたいと思います。
 (「澤田豊成・聖パウロ修道会司祭」毎日のミサ 6月号より)

10/05/2022

5/26(木)聖フィリポ・ネリ司祭
ヨハネによる福音(16・16-20)
 [そのとき、イエスは弟子たちに言われた。]
「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる。」そこで、弟子たちのある者は互いに言った。「『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる』とか、『父のもとに行く』とか言っておられるのは、何のことだろう。」また、言った。「『しばらくすると』と言っておられるのか分からない。」イエスは、彼らが訪ねたがっているのを知って言われた。「『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる』と、わたしが言ったことについて、論じ合っているのか。はっきり言っておく。あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。」
 「主の福音」 「キリストに賛美」

06/05/2022

5/19(木)復活節第5木曜日
ヨハネによる福音(15・9-11)
 [そのとき、イエスは弟子たちに言われた。]
「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。
 これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。」
 「主の福音」  「キリストに賛美」

06/05/2022

5/12(木)復活節第4木曜日
ヨハネによる福音(13・16-20)
 [イエスは弟子たちの足をお洗いになった後、こう言われた。]
「はっきり言っておく。僕は主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさりはしない。このことが分かり、そのとおりに実行するなら、幸いである。わたしは、あなたがた皆について、こう言っているのではない。わたしは、どのような人々を選び出したか分かっている。しかし、『わたしのパンを食べている者が、わたしに逆らった』という聖書の言葉は実現しなければならない。事の起こる前に、今、言っておく。事が起こったとき、『わたしはある』ということを、あなたがたが信じるようになるためである。はっきり言っておく。わたしの遣わす者を受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」
 「主の福音」  「キリストに賛美」

27/04/2022

4/28(木)復活節第2木曜日
ヨハネによる福音(3・31-36)
上から来られる方は、すべてのものの上におられる。地から出る者は地に属し、地に属する者として語る。天から来られる方は、すべてのものの上におられる。この方は、見たこと、聞いたことを証しされるが、だれもその証しを受け入れない。その証しを受け入れる者は、神が真実であることを確認したことになる。神がお遣わしになった方は、神の言葉を話される。神が"霊"を限りなくお与えになるからである。御父は御子を愛して、その手にすべてをゆだねられた。御子を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。
 「主の福音」   「キリストに賛美」

27/04/2022

5/29(日)主の昇天
ルカによる福音(24・46-53)
 [そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「聖書には]次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」
 イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。
 「主の福音」  「キリストに賛美」

26/04/2022

5/22(日)復活節第6主日
ヨハネによる福音(14・23-29)
[そのとき、イエスは弟子たちに言われた。]「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。
 わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る』と言ったのをあなたがたは聞いた。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくるはずだ。父はわたしよりも偉大な方だからである。事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと、今、その事の起こる前に話しておく。」
 「主の福音」 「キリストに賛美」

26/04/2022

5/15(日)復活節第5主日
ヨハネによる福音(13・31-33a,34-35)
 さて、ユダが[晩さんの広間から]出て行くと、イエスは言われた。「今や、人の子は栄光を受けた。神も人の子によって栄光をお受けになった。神が人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神も御自身によって人の子に栄光をお与えになる。しかも、すぐにお与えになる。子たちよ、いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」
 「主の福音」 「キリストに賛美」

22/04/2022

5/8(日)復活節第4主日
ヨハネによる福音(10・27-30)
[そのとき、イエスは言われた。]
「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。わたしと父とは一つである。」
 「主の福音」    「キリストに賛美」

22/04/2022

5/1(日) 復活節第3主日
ヨハネによる福音(21・1-19)
 その後、イエスはテイベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。シモン・ペトロ、デイデイモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。
  《食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ言っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、生きたくないところへ連れて行かれる。」ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。》
 「主の福音」      「キリストに賛美」

21/04/2022

主日の福音を味わう⑰
   「絶えず神殿の境内にて、神をほめたたえていた」
 復活節には、主日も週日も、おもにヨハネ福音書が朗読されます。しかし、主の昇天の祭日に、C年の今年はルカ福音書が朗読されます。ルカ福音書が描くイエスの昇天の場面であり、ルカ福音書の結びの箇所でもあります。
 ルカ福音書が描く「復活の日」は、最初に「明け方早く」(24・1)婦人たちがイエスが葬られた墓に行ったことから始まります。その後、「ちょうどこの日」(24・13)、つまりその日に二人の弟子たちがエルサレムからエマオに向かったエピソードが続きます。その途中、復活なさったイエスが彼らに現れます。しかし、彼らはイエスだと気づきません。そして、エマオで一緒に食事をする間にイエスだと気づくのです。彼らは、すぐにエルサレムに引き返し、起きた出来事を弟子たちに語ります。そこに、復活なさったイエスがお現れになります。そして、イエスは聖書に記されているすべてが必ず成し遂げられることを宣言し、弟子たちがその証人となることを伝え、そのために聖霊が注がれるまでエルサレムにとどまっているように命じられるのです。
 イエスは、「そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、……天に上げられ」(24・50-51)ました。不思議なことですが、同じ著者の書物とされる使徒言行録では、「四十日にわたって彼らに現れ」(使徒言行録1・3)、その後、「天に上げられた」(1・9)と記されていますが、ルカ福音書では「昇天」は復活の日の流れの中で記されています。
 この著者は何を言いたいのでしょうか。おそらく、復活の神秘には二つの場面があり、一つは永遠のいのちにあずかること(=ルカ福音書、復活の終わらない一日)、もう一つはそれを歴史の中で生き、あかししていくこと(=使徒言行録、四十日後の昇天)ということなのでしょう。著者は、その二面性を二つの書物で描き分けたかったのではないでしょうか。ルカ福音書の結びは、復活によって成就した「永遠の賛美」が終わることなく(「絶えず」24・53)続くことを宣言しているのだと思います。
  (澤田豊成・聖パウロ修道会司祭)
    (「毎日のミサ 5月号」より)

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〒514-1106

電話番号

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