31/05/2026
【先週の宣教要旨】2026年5月24日
「霊に満たされる」使徒の働き2章1節から13節
ペンテコステの日に弟子たちの上に降った聖霊は、共同体にまとめて一つではなく、「一人ひとりの上にとどま」りました。そして聖霊に満たされた者が語ったのは、自分のことではなく「神の大きなみわざ」でありました。この霊の満たしは、私たちが努力して獲得するものではなく、神の側から与えられるものであります。
「もう間もなく」というイエス様の約束を信じて祈りながら待ち続けてきた弟子たちのもとに、ペンテコステの日に、その時がついに来ます。「突然、激しい風が吹いて来るような響きが天から起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った」(2節)。弟子たちが何かをしたから起きたのではありません。祈りが十分に熱かったからでも、準備がすっかり整ったからでもない。神の側から、突然にです。そして「炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった」(3節)。聖霊が降るというのは、特別な誰か一人にだけ降るのではなく、そこにいた全員の、それぞれの上に、でありました。
「すると皆が聖霊に満たされ」というこの「満たされた」という言葉は受け身の言葉です。自分で自分を満たしたのではなく、神の側から満たされた。聖霊に満たされた弟子たちは、自分では話せるはずのない他の国の言葉で話し始めました。世界中から巡礼に来ていた人々は「私たちめいめいが生まれた国のことばで話されるのを聞くとは、どうしたことか」と驚くわけであります。そして弟子たちが語っていたのは「神の大きなみわざ」(11節)でありました。聖霊に満たされた人が語るのは、自分のことではなく神のことでした。語らせているのは自分の上手な話し方でも思いの強さでもなく、「御霊が語らせるとおりに」(4節)とあるように聖霊ご自身であります。
自分の信仰が乾いていると感じている人や「聖霊なんて自分には縁遠い」と思っている人がおられるかもしれません。霊の満たしは、私たちが努力して獲得するものではなく、神の側から与えられるものであります。「何か証ししなければ」と気負わなくてよいのです。語らせてくださるのは聖霊だからです。今日ペンテコステの日に、一人ひとりの上にとどまったあの聖霊の満たしの中へ、私たちもまた招かれています。(牧師 小林大記)