27/05/2026
≪海軍落下傘部隊慰霊祭≫
本日午前九時三十分より、海軍落下傘部隊慰霊祭を厳粛のうちに斎行いたしました。
祭典の開始時刻が近づくにつれ、厚い雲があたりを覆いはじめましたが、幸い雨に見舞われることもなく、滞りなく祭典を執り行うことができました。
さて、海軍落下傘部隊慰霊碑は、昭和四十八年に元海軍落下傘部隊一同によって建立された慰霊碑であり、横須賀鎮守府第一特別陸戦隊四十三名、第三特別陸戦隊四十六名の戦没者名が刻まれています。
太平洋戦争開戦直後、日本軍は石油資源の確保を目的として、蘭印作戦と呼ばれるオランダ領東インド(蘭印、現在のインドネシア)への侵攻作戦を開始しました。
蘭印作戦は、昭和十七年一月十一日のオランダ領タカランおよびメナドへの侵攻をもって始まり、その際、セレベス島メナドにおいて日本軍史上初となる空挺作戦を実施したのが、横須賀鎮守府第一特別陸戦隊でした。
当初、落下傘部隊の降下実験は横須賀海軍航空隊で行われていましたが、昭和十六年六月一日の館山海軍砲術学校開校に伴い、その実験は館山海軍砲術学校で行われるようになりました。
さらに昭和十六年九月下旬には、横須賀鎮守府第一特別陸戦隊が館山で編成され、その後これを分割する形で、二つ目の空挺部隊となる横須賀鎮守府第三特別陸戦隊が編成されました。
これらの部隊は、昭和十六年十二月三日までに台湾へ進出し、横須賀鎮守府第一特別陸戦隊は昭和十七年一月十一日にセレベス島メナド攻略戦へ、また横須賀鎮守府第三特別陸戦隊は同年二月二十日、ティモール島クーパン攻略戦へ参加しました。そして、その陰には、多くの兵が祖国のために命を捧げた歴史があります。
このような経緯から、館山は海軍落下傘部隊発祥の地とされています。
本年は九名の方々にご参列を賜りました。
ご参列の多くは毎年お越しくださっている方々であり、互いに顔なじみとなっていることから、久方ぶりの再会を喜び合う和やかな様子もうかがえました。