自然宗佛國寺【仏心】

自然宗佛國寺【仏心】 【仏心】今月の言葉 として釈尊の根本仏法を発信しています。
ホームページ
https://bukokuji.jimdofree.com/%E4%BB%8F%E5%BF%83-%E4%BB%8A

釈尊は『釈尊の人間教育学』を確立し、人生問題に対する解決の道すじを開示されました。ご一緒に学びましょう。

宗教法人 自然宗佛國寺 開山 愚谷軒 黙雷
ーー行脚(徒歩)55年・下座行(路上坐禅)50年 、山居生活、で得たものをお伝えしています。ーー

<自 由>
28/05/2026

<自 由>

<自 由>
――前略――
「随処に 主と作る」
―――臨済義玄禅師の言行録である『臨済録』(示衆四)に
「随処に主と作れば、立つ処 皆真なり」という有名な句がります、
「随処」とは、
その時、その場、
「主」は「主人公」(人々に本来具っている仏性=本来の自己)のことです。
その時、その場、如何なる状況下にあっても、
人間だれもが本来もっている 主人公 を確りと自覚して、
客観的状況に束縛されるのではなく、
その状況の自由なる主人公となって、
すべてを自由自在に使いこなしていく。
そうすれば、
その時、その場が、
そのまま真実(ほとけ)の妙境だ という意味です。
従って、「随処に主と作る」ということは、
自分を 状況に埋没させることではなく、
自分から 積極的に状況を転じて
自由自在に 使いこなしていくことのできる 主体性を持つことが大切だということです。
そういう自由自在な主体性ならば、
環境の方が順応せざるをえないでしょう。
私たちは日常生活の中で、外界のいろいろなものにとらわれ、左右されて、
主人公を 見失っていることが多い と思います。
たとえば、貴賤貧富・利害得失・美醜好悪・順境逆境など、
さまざまな客観界の禍(わざわい)にまきこまれています。
使うべきお金にかえって使われているなどもその一例です。
そこで、私は、日々、日常的自己 と 本質的自己(主人公)と自問自答しながら、
主人公を 忘失しないように心掛けています。
「自問自答」
―――中国唐末の瑞巌寺の師彦禅師は、毎日、岩の上で坐禅して、
自分で 自分に対して大きな声で
「オーイ、主人公」と呼びかけ、
同じく 自分で「はい」と返事する。
さらに 自分に対して
「しっかり目を覚ましているか」、「はい」、
「いつ、いかなるときにも、人にだまされるなよ」、「はい」、
自問自答して日課とし、
それ以外、一生涯、一言の説法もしなかったということです。
自ら主人公に成り切って 
自分のことを「主人公」と呼び、
そして、自ら主人公に成り切って 「はい」と返事する。
この一見、馬鹿げたことのなかに 
正念相続の尊い姿があり、
私たちに対する 親切な教訓があるのです。

#85歳勧進僧黙雷
*下記コメント欄のURLより抜粋 表示を縮小

写真:一休禅師

<縁 起>
25/05/2026

<縁 起>

<縁 起>
ーー前略ーー
「因縁果の法(真理)」は
人間に限らず、
すべての事象が 生起、消滅する原理です。

草木国土、山河大地、森羅万象等、宇宙間に数限りなく存在する
一切の事象が起きる原理を、
キリスト教の『旧約聖書』では、
造物主としていますが、

仏法では
創造の造物主をたてません。
造物主=英語GODゴッド。キリシタン用語Deusデウスのこと。
ヘボン式ローマ字創始者
ジェームス・カーチス・ヘボン(アメリカ長老会宣教師)が
『聖書』(明治5年刊行)の日本語への翻訳を行い
ゴッド(デウス)を「神」と誤訳。
それを日本人は「カミ」と読み、
日本人の宗教観念、神観念の混乱の起因になっている。
造物主の創造ではなく、
すべての事象は造物主(ゴッド)の創造ではなく、
起きるべき原因があって、
それぞれの事象となる結果が 生まれるとするのが、
因果観です。
つまり、
因にはたらきかけて、因を変えるのが、「縁(きっかけ・条件)」です。
また因は,縁の力がなくては結果を生じられません。
縁はこのような大きな機能があるので、因と縁を合わせて、
因縁から すべての事象は起きるから
「縁起(縁から起きる)」とも
「縁生(縁から生じる)」ともいいます。
たとえば、蓮の実は、
成長すれば大きな蓮に育つ因ですが、
机の上に置いたのでは、いつまでも発芽できません。
土におろすきっかけや、陽光・水・肥料や栽培などの縁が
因の 蓮の実に機能はたらきかけて、
はじめて蓮の花が咲き、実(み)のり蓮に成長するのですから、
縁がどんなに大事であるかが、この例だけでもよくわかると思います。
これを人の場合についていうと、
人は家柄、生まれなど(原因)によって
その人の価値、あるいは貴賤が決まるのでなくて、
その人の行い、環境(補助的条件=縁)によって決まるということです。
この縁起の法によって 世界を、社会を、人間を見ることを
仏法では正見(しょうけん)といいます。
正しいものの見方、考え方とは、
すべてのものを
縁起の法に
照らして見ることであり、考えることであります。
「縁起を 見るものは 法を見る
縁起が分かれば法が分る
法を見るものは われ(仏陀)見る
法が分れば 仏陀(われ)というものが分かる 」『阿含経』
#85歳勧進僧黙雷

*下記コメント欄のURLより抜粋

写真:庭に咲いた「笹百合」の香りにくつろぐ #85歳勧進僧黙雷

<煩 悩>
23/05/2026

<煩 悩>

<煩 悩>

――前略―-

――青い色は青い光、赤い色は赤い光―-

青い色は青い光、赤い色は赤い光―――



『阿弥陀経』の中では、



「池の中に咲く蓮の花は、車の輪のように大きく、



青い色の蓮の花には青い光、



黄色の蓮には黄色い光、赤い色の蓮の花には赤い光、



白い色の蓮の花には白い光があり、



それぞれ清らかな香りを放っている」と、





阿弥陀仏の極楽浄土の光景を 美しく比喩で称え説かれています。





*「阿弥陀」は、
  無量寿(無限の時間)、無量光(無限の空間)の意。
 「仏」は覚者、即ち、宇宙の真理に目覚めた人の意。

仏法では なぜ蓮の花を重視するかというと、



蓮という植物が、



汚い泥水の中に根を置き、しかも、汚い泥水の中を通って成長し、



やがて水面に出て咲く花が、



まったく汚れなく 美しいからです。





それは釈尊が、



四苦八苦で象徴される、この世のあらゆる汚れの苦しみの中で、





悟りという



清らかな花を咲かせた という事実に適合すると考えられたからです。



――阿弥陀仏 は 自己の心中に有り――

阿弥陀仏は 自己の心中に有り――





自然の教え―――私が 水源山間地の荒廃した 山の再生に取り組んで、



山におしえられたことは、



杉・桧一色(いっしょく)の森は不健康であるが、



健康な森は、



欅けやき・山桜・桂かつら・栃とち・胡桃くるみ・山やま栗ぐり・杉・檜・松など



種々雑多な樹木が 厳しい条件の中で、



自分の置かれた環境に適応して



精いっぱい 生きているということです。





そして、山桜は山桜、杉は杉として



本来の自分自身の色を失わず、



しかも 互いに持ちつ持たれつで 共存共栄しています。





私たちの人間社会もこれと同じで、



その人の性格とか、境遇とか、経歴とか、年齢性別さまざまな条件で、



十人十色千差万別です。



健康な人間社会は、



皆すべて 一色に染まるのではなく、



それぞれの個性を持ったまま、個性を活かしつつ光るのです。





強い人は強い人なりに、



弱い人は弱い人なりに、



老いた人は老いた人なりに、



自ずから身にそなわった色の光りを 輝かせ香りを放てば、



自分の心は 阿弥陀仏となり、



身は極楽浄土に住し、



日々、幸せにすごすことができるようになります。





幸せは 自分の心が作る

#85歳勧進僧黙雷

*下記コメント欄のURLより抜粋

<心に起こる妄想を取り去る>
23/05/2026

<心に起こる妄想を取り去る>

<心に起こる妄想を取り去る>

妄想は、邪念、空想、迷いの心と同じ意味です。
現在、自分の置かれた状況にとらわれて、
あれこれと思い悩むのも、妄想のうちです。
また事実でないことに対して何らかの原因からいだく、
間違った確信、あるいは判断をいいます。
現実を自分勝手に想像して信じ込むものが、誇大妄想狂です。
私たちは、毎日、さまざまな妄想を湧かせながら生きています。
しかも、妄想のとりこになって身心を楽にするどころか、
苦しめ悩ます原因になっています。
この実体のない妄想にとらわれている限り、
的確な状況・人物判断はできません。
ましてや、大きな判断は下せない。
妄想を取り去って、自分がもっている本来の純真な心、
本性に立ったとき、
晴れて視界が広がってきます。
とはいえ、妄想は、私たちの心に影のように付き添っています。
これと正面からつきあって、格闘し、そして取り去ることが、
人生の妙味であります。  

#85歳勧進僧黙雷

<天上天下唯我独尊>
21/05/2026

<天上天下唯我独尊>

釈尊は、お生まれになると、 ただちに、七歩歩かれ、 右手で天を指し、左手で地を指して、 四方を顧みて 「天上天下唯我独尊」と叫ばれたといいます。 しかし、いくら釈尊でも鹿の子でもないのに、生まれてすぐに七歩....

https://youtube.com/shorts/lDY-ytAxRSI?si=esFL8VPkznsjmbgd
22/03/2026

https://youtube.com/shorts/lDY-ytAxRSI?si=esFL8VPkznsjmbgd

一筋の道❤️沢庵禅師に学ぶ❤️沢庵は一筋に仏法を追及し、仏法の実現のために生きぬいた。それは政治の世界を拒否し、政治の世界に無関心に生きるということではなく、❤️あくまで、政治という、人間にとって最も...

15/03/2026

令和8年3月 沢庵禅師に学ぶ
🔥欲の薪が智慧の火となる🔥

❤️自由❤️―――仏教語辞典には、「自らに由る」「自己に本もとづく」の意で、❤️独立自存、それ自身において存する。自己の主体性 を 堅持する。❤️迷情妄執から脱して、自主的行動するなどの 積極的な意味を持つとあります。 ここでの課題は、その...
02/03/2026

❤️自由❤️―――仏教語辞典には、

「自らに由る」
「自己に本もとづく」の意で、
❤️独立自存、それ自身において存する。
自己の主体性 を 堅持する。

❤️迷情妄執から脱して、
自主的行動するなどの 積極的な意味を持つとあります。

ここでの課題は、
その二つのうちの 自由についてであるが、
その求め方を見ると
🔥東洋と西洋とでは
全くちがうようです。

極めて大まかにいえば、
🔥西洋では
主として外に向って求め、
🔥東洋では
内面的に追求してきた といってよいかと思います。

そこで、
明治中期、鎌倉円覚寺の北川洪川禅師、釈宗演禅師について参禅。

欧米に渡り、英文で仏教、特に禅を紹介し、
東西の思想・文化の交流に大きく貢献された
❤️鈴木大拙居士が、

機会あるごとに
「自由」の意味について、
語り、書いたりしておられるので、それを要約してお伝えします。

#85歳勧進僧黙

*本文より抜粋

「自由」というのが、 あまりよく理解されていないような気がします。 何故なら、 明治近代化以降、とくに敗戦後、 自由の風潮にのって、 言論・出版・表現の自由が声高に叫ばれるようになり、 ちょっとした問題が起き...

08/02/2026

照顧脚下

住所

三重県多気郡大台町
Taki-gun, Mie
5192632

アラート

自然宗佛國寺【仏心】がニュースとプロモを投稿した時に最初に知って当社にメールを送信する最初の人になりましょう。あなたのメールアドレスはその他の目的には使用されず、いつでもサブスクリプションを解除することができます。

事業に問い合わせをする

自然宗佛國寺【仏心】にメッセージを送信:

共有する

カテゴリー

自然宗佛國寺「今月の言葉」

床の間は、日本人だけが生み出した静寂の空間です。

とくに茶道では、床の間が重視され、

茶席では必ず仏語、中でも多くは禅語が掛けられます。