須坂聖書教会 Suzaka Bible Church

須坂聖書教会 Suzaka Bible Church 須坂聖書教会は日本同盟基督教団に属するキリスト教会です。

須坂聖書教会のホームページを更新しました。本年は「委ね信頼する」(詩篇37:5)で皆と歩むなかで、図らずも整えられた様々なことがありました。感謝^^https://suzakabiblechurch.mystrikingly.com/
26/11/2025

須坂聖書教会のホームページを更新しました。
本年は「委ね信頼する」(詩篇37:5)で皆と歩むなかで、
図らずも整えられた様々なことがありました。感謝^^

https://suzakabiblechurch.mystrikingly.com/

10月26日(日)13時30分から当教会にてカールおじさんによる[英語であそぼう]の子ども集会を開きます。たのしみにしてね~♪お子さんとお孫さんと一緒におでかけください。
18/10/2025

10月26日(日)13時30分から当教会にて
カールおじさんによる[英語であそぼう]の
子ども集会を開きます。たのしみにしてね~♪
お子さんとお孫さんと一緒におでかけください。

子どもたちにとって、親御さんたちにとって、楽しいときとなりますように☆
18/06/2025

子どもたちにとって、親御さんたちにとって、楽しいときとなりますように☆

2025年5月25日 主日礼拝聖書 ヨハネの福音書14章1節~4節説教 『信じる道に生きる』〈聖書のことば〉1)あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。(ヨハネの福音書14章)(新改訳2017)〈まめ小説教〉...
27/05/2025

2025年5月25日 主日礼拝
聖書 ヨハネの福音書14章1節~4節
説教 『信じる道に生きる』
〈聖書のことば〉
1)あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
(ヨハネの福音書14章)(新改訳2017)

〈まめ小説教〉
1節、心揺らいでいる弟子たちにイエスはご自身を示し、命じた。●[神を信じイエス・キリストを信じなさい]。イエスは父なる神とご自身を同じ立場に並べて弟子たちに[信じなさい][信じて安心しなさい]と。しかも[わたしを信じなさい]と言って聞く弟子たち、聞く私たちに、他の誰かでなく、あなたとわたしという関係に置いて、顔を向けて語った。2節、私たちの心の置き所、安住べきところは所有する土地やマイホーム、または立派なお墓ではない。[天国]という所が確かにあることを語っている。[父の家]は通常、地上の神殿を示す言である。だが、話しぶりから天上のことと分かる。それだけでない。3節、すべてが準備できたらイエスは再び我らを迎えに来る。キリスト教会が世の終わりに主が再び来られ我らを救い出す。[再臨信仰]と聞かれることは、私たちの熱狂的宗教心が作り出しているものではない。イエスが語った約束が教えとなったもの。御父・御子イエスが真ん中におられる天上世界がある。すべてが完成される時、イエスは再び地上に来られ、すべてを終わらせる。…信じているか。●[本当にいつまでも、主イエスとあなたがともにいるために、信じること、約束されていることがある]。そして、イエス・キリストの生涯、その道のすべてが物語っている。4節、イエスが行く道とは何か。道は動きがあるもの。或る地点を指してもそれは地面・路面と云うだけ。ここからあそこまで、それが道である。イエス・キリストが人として世に来られ、我らの代表として生き、これから十字架の苦しみ受け、代わりに裁かれる。死ぬ。三日目に蘇り、罪と死に勝利する。すべての人が通らなければならなかった道、通ることがかなわない道、すべてを成し遂げたイエスこそ、いのちの道である。この道である方が、[わたしを信じなさい]とあなたに向かって、[信じること][天国と再臨の約束があること]を語っている。4節、地上に天国を求めない。この世だけで終わらせない、十字架と復活の救いを成したイエスを信じる道に、私たちは生きている。●[日々、信じる道に生きる]。慕い求めていこう。

2025年5月11日 主日礼拝聖書 ピリピ人への手紙2章25節~30節説教 『キリストの働きとは』〈聖書のことば〉30)彼はキリストの働きのために、死ぬばかりになりました。あなたがたが私に仕えることができなかった分を果たすため、いのちの危険...
13/05/2025

2025年5月11日 主日礼拝
聖書 ピリピ人への手紙2章25節~30節
説教 『キリストの働きとは』

〈聖書のことば〉
30)彼はキリストの働きのために、死ぬばかりになりました。あなたがたが私に仕えることができなかった分を果たすため、いのちの危険を冒したのです。
(ピリピ人への手紙2章)(新改訳2017)

〈まめマメ小説教〉
エパフロディトがピリピ教会の献げものを渡し、軟禁状態にあったパウロの近くで必要に応えて働く。それが不意の病により中断され、回復したことは感謝だったが、結局遣わされてすべきことが、中途半端に終わってしまったのではないか。主の働きに尽力したエパフロディトに対して、非難や陰口が起こる可能性があった。実はもう起きていたのかもしれない。敬意と歓迎の強調は、教会内で起きていることを収める牧会的配慮でもあったし、実際に[キリストの働き][神に仕える働き]ということを改めてピリピ教会の人々に教えようとしていた。
30節●[キリストの働きとは何だろう]。パウロのように伝えることか。確かにそうだ。だが、それだけでないことを本日箇所は明らかにしている。◎[伝える福音に関わる『あらゆること』]である。まずピリピ教会が祈りをもって献身を表わした献金と必要な品々。ここに「キリストの働き」がある。それを任され運ぶエパフロディト。現地で渡し、身の回りの雑務をし、手紙の整理や獄吏とのやり取りなどの事務に携わる。ここに「キリストの働き」がある。そこで不意に体調を崩して病に倒れた。[命の危険冒して]、原語の[命を掛ける:賭博用語が原意]から、エパフロディトは自分を押して頑張ったことがあった。それは、教会の皆がその場でできないことを代わりにしていたとパウロは証言している。ピリピ教会の皆にとっては、とりあえず働き人のエパフロディトに任せておけばいいだろう、と近い関係だからこそ見えなくなっていたことがあったのだろう。だからこそ、キリストのために身を投じている彼のような者たちを、主にあって、敬意をもって、迎えるように教える。しかもその働きは想像する限りパウロのように伝える働きではない。伝えるパウロに関わる「あらゆること」が「キリストの働き」と呼ばれている。
本日のみことばも、私たちの信仰の目を開いてくれる。「キリストの働き」は、主イエスが我らの罪を背負った十字架の死、罪の赦し、死からのよみがえりの「良き知らせ」に向かう「あらゆること」である。30節、私たちは死ぬほどでなくとも、引けを取らないほど[キリストにかける]思いで献げることができる。実はキリストを頭(かしら)とする教会にこそ、[キリストの働きが]満ちている。教会の行事、奉仕、交わり。宣教区の…。教団の…。各種の呼びかけをもう一度、みことばに照らして、受け止めてみないか。あなたによる、キリストの働きが満ちているはずだから。

2025年4月27日 主日召天者記念礼拝聖書 ヘブル人への手紙11章8節~16節説教『地上では旅人』〈聖書のことば〉13)これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て...
30/04/2025

2025年4月27日 主日召天者記念礼拝
聖書 ヘブル人への手紙11章8節~16節
説教『地上では旅人』

〈聖書のことば〉
13)これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。
16)しかし実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです。
(ヘブル人への手紙11章)(新改訳2017)

〈まめマメ小説教〉
 あなたが死ぬべきで、裁かれるべきだったことだが、愛と義と聖なる心でイエスはあなたのすべてを引き受けた。そして、よみがえった。キリスト教信仰の希望がここにある。キリストの永遠のいのちにあずかれる。ただし、地上にはいぜんとして死の影響力があり、人生はほんの少しの月日しかない。だから、地上に永遠を求めて生きようすることは、空しい。すべてを失うことになる。マタイ6:21にある通り、私の宝はどこに置かれているか、問われている。キリストに置き、天の御国に希望を置こう。旅人として、神をあがめ、ともに礼拝の天幕を張り続けよう。
 その価値を、もう発見しているだろうか。自分の宝、自分の人生の中心に据えているか。確かに人は、イエスをキリストと告白し、救い主と信じて救われる。理屈では分かっている。聖書も言っている。ヨハネ1:12[信じ、子とされる]。これは法的な救いの理解である。イエスが持つ神の子どもの身分が授与される。信じるだけで、そんなすごいものが与えられる。だが、そのすごい出来事の内実を受けとっているか。感じとっているか。ヘブル11:13、アブラハムたちは遠くにイエス・キリストによる救いの完成を信仰の目で見上げていた。法的理解をして、物知り顔でうなずいたのではない。ここで[敬意抱いて歓迎する][喜んでお迎えする]という意味の言葉が使われている。むしろ、両手を上げ、子どもが親に抱きつこうと、迎えているような印象である。イエス・キリストを信じ、やがて生涯を終えて、神の元に帰る。これは[わかってます]と冷たく理解するよりも、熱く、抱きしめたくなるほど、歓迎したくなるほど、神と私がお会いすることである。13節~16節、人は故郷に戻ると安心する。それがどんなところでも。だが、地上のことは、永遠ではない。
 ●[すべてが満たされる天の故郷を慕い求める]。旅を続ていく力と希望の源である主イエスから目を離さないように。先に帰って行った人々にならい、天の故郷に向かう日々を、大切に過ごしていこう。

2025年4月20日 主日復活祭礼拝(イースター)聖書 マタイの福音書28章1節~8節説教『恐れつつ、喜んでいるか』〈聖書のことば〉6)ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。さあ、納められていた場所を見なさ...
23/04/2025

2025年4月20日 主日復活祭礼拝(イースター)
聖書 マタイの福音書28章1節~8節
説教『恐れつつ、喜んでいるか』

〈聖書のことば〉
6)ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。さあ、納められていた場所を見なさい。
7)そして、急いで行って弟子たちに伝えなさい。『イエスは死人の中からよみがえられました。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれます。そこでお会いできます』と。いいですか、私は確かにあなたがたに伝えました。」
8)彼女たちは恐ろしくはあったが大いに喜んで、急いで墓から立ち去り、弟子たちに知らせようと走って行った。
(マタイの福音書28章)(新改訳2017)

〈まめマメ小説教〉
 御使い(天使)が、イエスを慕い墓に来た女たちに姿を顕わし語りかけた。5節、確かに恐ろしい光景だったからこそ、励ましつつ真実が彼女たちに伝えられた。ここに聞く女たちの信仰、今ここで聴く私たちの信仰が試される。6節●[ここにはいない、主イエスはよみがえられた]。本日の復活祭に、また日曜日ごとに、この事実、真実を受け止める信仰が集う者たちに求められている。信じているから、信じたいから、もっと知りたいから、復活の日曜日に、私たちはキリストの名の下に集まっている。世界中で、この日本で、起きている神の御業(みわざ)である。この世の墓にはあなたが探しているものはない。世の偉人たちの名誉と功績が埋もれている墓に、キリストはいない。イエス・キリストは罪の裁き、滅び、死を代りに受け取り、そのすべてを打ち破ったから「ここにはいない」。…さらに御使いは告げた。7節、伝えなさい、伝えましたよ、と念を押して女たちに命じた。●[キリストの十字架の死、死からのよみがえりの良き知らせは、信じ従う者に託される]。私にとってすばらしいこの出来事を、私は誰に伝えに行けばよいだろうか。[いいですか、私は確かにあなたがたに伝えました]。誰に聞かせたらよいか。神に尋ね、祈ろう。最後に、イエスのよみがえりの事実を受け取る私たちの信仰の状態を確かめたい。5節、罪ある人間の現状を表している。死んだように硬直してしまった。復活の御業は、信じない者にとっては[恐怖のみ]である。一方、女たちはどうだったか。8節、恐れつつも喜びがあった。神への恐れを持ちつつも、復活の主イエスを迎えられる喜びに満たされていた。8節●[あなたはイエスの復活を喜んでいるか。それとも恐れて見ないようにしているか]。どう受け止めるかで私たちのクリスチャンとしての生き方が変わってくる。恐れ、死んだようになる者。恐れつつも喜び走り出す者。イエス・キリストはよみがえり、あなたの神、救い主として、本日もご自身を隠していない。信仰の目で見上げ、礼拝者として歩んでいこう。

2025年4月13日 主日受難週礼拝(教会祈り日)聖書 ヨハネの福音書13章31節~35節説教『神の愛の内に生きる』〈聖書のことば〉34)わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あな...
16/04/2025

2025年4月13日 主日受難週礼拝(教会祈り日)
聖書 ヨハネの福音書13章31節~35節
説教『神の愛の内に生きる』

〈聖書のことば〉
34)わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
35)互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります。
(ヨハネの福音書13章)(新改訳2017)

〈まめマメ小説教〉
31節、イエスは最悪の事態の中に神の救いのみわざを見ていたので神をほめたたえた。ユダに裏切られ十字架刑に追い込まれる。今ここで聞く私たちの救いとなっていく。身代りの十字架刑、私たちへの罪の赦し、愛、救いとなる神の栄光として、讃美できた。●[あなたはイエス・キリストに、十字架と復活の救いの栄光・輝きを認めているか]。イエスは善きお友だち、先生、偉い人。確かにそうだが、それだけに留まっているなら、イエスがこの地上に人として生まれた理由、本当の栄光を見ていない。 受難週、イエスが私のために何をしてくれたか、考えよう。キリスト教は、考えないでただ信じる、人が作る信仰とは違う。立ち止まり、祈ろう。誰かに祈ってもらうのでなく、私自身が祈ろう。それが意味あることだ。34,35節、どんな思いで受け止めているか。…分かっているが、できないと諦めていること。少し想像力を働かせてほしい。今、愛する弟子の一人ユダが裏切り出ていった。愛し合っているはずの群れが疑いと陰口で満ちていく。最悪の状態である。その時に[愛し合う]ことが弟子たちに告げられた。具体的には、これまで13章前半でイエスが弟子たちに仕え足を洗ったように、互いを認め、慰め、励まし合う愛を分かち合うことが命じられた。
34節、●[愛は簡単なところでなく、難しいところで求められている]。むしろ、大変だと思うところだからこそ、互いを労わる愛が、神の愛、本当の愛として、私たちを生かす。弟子同士に言われているように、まず私たち神の教会で実現していくことを求めていくように命じられている。十字架の赦し、復活の勝利、救いの恵みの中で愛を育ませる。このことが、結果として外で生きていく時の私たちの盾、剣となって守り、また前進させる証しとなる。35節、●[神の愛の内に日々生きる、そのことがキリストを証しし、あなたの人生そのものが神の良い知らせとなる]。神の栄光である、十字架に向かって行ったキリストを見上げ、この受難週に、神の愛の内にますます進んでいこう。

2025年4月6日 主日聖餐礼拝聖書 ヨハネの福音書13章21節~31節説教『人の子による栄光とは』〈聖書のことば〉21)イエスは、これらのことを話されたとき、心が騒いだ。そして証しされた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。あなた...
07/04/2025

2025年4月6日 主日聖餐礼拝
聖書 ヨハネの福音書13章21節~31節
説教『人の子による栄光とは』

〈聖書のことば〉
21)イエスは、これらのことを話されたとき、心が騒いだ。そして証しされた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。あなたがたのうちの一人が、わたしを裏切ります」。
30)ユダはパン切れを受けると、すぐに出て行った。時は夜であった。
31)ユダが出て行ったとき、イエスは言われた。「今、人の子は栄光を受け、神も人の子によって栄光をお受けになりました」。 
(ヨハネの福音書13章)(新改訳2017)

〈まめマメ小説教〉
すべてお見通しで泰然自若、ではなかった。21節「心が騒いだ」寝食共にした弟子の一人が裏切ることへの悲しみと動揺の感情を抱いた。神の子キリストはすべてを背負う方として、人としての心の痛みを味わった。●[不安や恐れがあっていい]。むしろ鈍感のほうが危ない。知らずに人の気持ちを踏みにじってるかもしれない。イエスは心痛め、事が痛いまま進むことを誰よりも承知していた。だが、22-25節では弟子たちは全く悟れない。それほどにイエスと弟子たちは親密だった。我らはイエスを中心とする「神の教会」で、真実に信頼し合う愛がある、最も聖なる家族のはず。だからこそ気づけなかった。本日箇所は「なぜ」とため息つく場面である。だが、悪魔がなぜ、神に反逆し、人を誘惑する「悪魔」なのかをよく物語っている。イエスを信じ慕う者たちの群れが壊されていく。最も聖なるもの、愛が実現する関わりを壊し、失望させ、憎しみ合い、神に背を向けて生きることを良しとさせる…それが悪魔である。神の群れで最悪なことが起きた。26節、弟子たちの疑問にイエスは何も隠さずに答える。27節、ユダの企みを承知の上、受入れた。この時、弟子たちが悟れなかったのは神の守りだった。28,29節、ユダの罪の深みに巻き込まれないようにする為だったのだろう。30節の[夜]が象徴的に物語る。聖書はイエス・キリストを信じ従う人々を「光の子ども」と呼ぶ(Ⅰテサ5:5)。反面教師として、イエスと距離を置く決心が、何に導かれているかを教えている。●[夜に向かったユダは光の子として帰って来ることはなかった]。夜の子、イエスを売り渡す者として、戻って来る。人の思惑や自分のこだわりにふりまわされず、主イエスへの信頼、神への献身を純粋に求める者でありたい。イエスは心騒ぎつつも、人の思いに囚われず、心を神に向けた。31節、「人の子」はイエス・キリストのこと。今、イエスと弟子たちの愛の共同体が壊されようとしている。何が「栄光」なのか。なぜ、イエスは天を仰ぎ讃美できるのか。弟子たちや私たちは気づけない。いつも、人ばかり見ているから。神は、最悪をも用いて、最善を成す。31節、讃美する「神の栄光」は、十字架刑に追い込まれることを意味する。●[イエス・キリストが十字架刑に処されることで、赦しと救いと勝利の御業が実現するから]。群れが揺れる最悪の現場で、キリストは十字架による神の栄光を歌った。裏切り、悲しみ、不安。今、あなたの現場に、救いはあるか。…もだえつつも、「ある」と言える者でありたい。私の罪、悲しみ、不安を、背負われたイエス・キリストの十字架の栄光が、私の上に、輝いているから。

2025年3月30日 主日礼拝聖書 創世記7章17節~24節説教『消え去る者、残された者』〈聖書のことば〉23)こうして、主は地の上の生けるものすべてを、人をはじめ、動物、這うもの、空の鳥に至るまで消し去られた。それらは地から消し去られ、た...
01/04/2025

2025年3月30日 主日礼拝
聖書 創世記7章17節~24節
説教『消え去る者、残された者』

〈聖書のことば〉
23)こうして、主は地の上の生けるものすべてを、人をはじめ、動物、這うもの、空の鳥に至るまで消し去られた。それらは地から消し去られ、ただノアと、彼とともに箱舟にいたものたちだけが残った。 (創世記7章23節)(新改訳2017)

〈まめマメ小説教〉
空からの大雨、地中からの大水が40日間続き、舟は浮き上がった。20節、さらに15キュビト(約6m)ほど水かさが増したとある。箱舟の高さが30キュビト(約13m)ほどだったので、水に浸り始めてから水深を測っていたのだろう。人々が嘲り相手にしなかった箱舟は、その存在の正しさを証しすることになった。聖書[詩1篇]には[幸いなことよ。悪しき者の謀り事に歩まず、罪人の道に立たず、嘲る者の座に着かない人。…その人は流れのほとりに植えられた木。時が来ると実を結ぶ]と言っている。まさに時が来て、証しされた。●[キリストを信じ、従う者の歩み(教会の歩み)は、時が来ると証しされる]。日曜日ごとに、主イエスを慕い礼拝を献げる。そのために用事を早く済ませたり、うまく断ったりする。時には信仰のために損しているような気持ちになる。日々誘惑と試練と闘いながら、育んでいる。それらは無駄に終わることはない。神は主イエスにつながった者を決して捨てない(ロマ8:39[引き離すことはできません])。あなたが献げてきた神への祈り、信じて守ったこと、委ねて進んだことは、忘れられていない。神の御前にある。私たちが今の時代、イエス・キリストこそまことの神の救いと信じ、集うことも、箱舟に似ている。Ⅰペテロ3:20,21でも語られている。似ているが、ノアの箱舟は人の[罪と死]に、完全に決着をつけていない。信仰深いノア家族から、人類は再出発した。ふつうに考えれば、悪い者らは消え去り、神が認めた家族が残されたのだから、少しはマシな社会を築いたと思いたい。が、どうだろう。やはりどの人も罪と死を引きずっている。もしかしたら、かつてよりも増々悪を増大させ、罪深くなっているのかもしれない。それでも、Ⅰペテロ3:21a,主イエスが私たちに代わり、十字架の裁きで死に、三日目によみがえったことは、人類の罪と死に決着をつけた神の救いである。箱舟の裁きと救いではできなかったことが実現した。●[キリストにある恵みは、箱舟の救いに勝る、揺るがない救いである]。主イエスから離れない。神も[決して離さない]愛の手で握っている。新しい学年、学校、役目、関わり等が、始まる時期である。不安がある。恐れがある。だからこそ、助けを求め、神が喜び祝福し、残したものは何か、しっかりと心に留めたい。23節、●[主を待ち望む者、その人が地を受け継ぐ]。本年聖句の詩37篇の9節でも言っている。助けられ、守られることを受け取る者でありたい。

2025年3月23日 主日礼拝聖書 創世記7章7節~16節説教『主はうしろの戸を閉ざされた』〈聖書のことば〉16)入ったものは、すべての肉なるものの雄と雌であった。それらは、神がノアに命じられたとおりに入った。それから、主は彼のうしろの戸を...
25/03/2025

2025年3月23日 主日礼拝
聖書 創世記7章7節~16節
説教『主はうしろの戸を閉ざされた』

〈聖書のことば〉
16)入ったものは、すべての肉なるものの雄と雌であった。それらは、神がノアに命じられたとおりに入った。それから、主は彼のうしろの戸を閉ざされた。(創世記7章16節)(新改訳2017)

〈まめマメ小説教〉
 ノアも家族も神の言に従い箱舟に入った。7節,13節●[神のことばに聞き従う者によって神のみわざは世に明らかにされる]。神は人を用いて神のなさろうとすることを進める。100年近く木材運び組み立て、舟を作った。人生と捧げる労苦を用いる。
キリストが今もこの地で歩き、手を指し伸ばしみことばを届ける。信仰をもって捧げることが神の手、神のわざとなっていく。
 もう一つの真実が語られている。神は人の労苦を用いながらも、8節、9節、14節-16節、動物たちがやって来たのは、ノアが探し捕獲し引っ張り連れてきたのではない。●[救いは、神によるみわざである]。箱舟作りに人生を捧げるみわざがあり、神が選び呼び集める神ご自身のわざがある。神ご自身が進める力わざを、ノアは見た。動物たちが神のことばの通り二匹ずつやって来た。我らの献身と信仰の捧げものに、この地に、神の教会に送る人々、主が呼ばれる魂がある。信じ求め祈ろう。妨げ除かれ、主の元に帰って来られるように。
 全ての働きを終え、ノアは箱舟の扉を閉めた。16節、神が[閉ざされた]とあるのは神がノアとともにいて、確かに救いの箱舟に入れて送り出したことを意味している。16節●[神は私たちの一番弱い部分を支え救い出す]。聖書[イザヤ52:12]は神が一番弱い部分を守る[しんがり:最後尾の防御]と表される。同じく、主イエスがその体を裂いて十字架上で捧げられた献身が、滅びに落ちていかないように、しんがりの門となって、私たちを支える。神を求める人々の一番弱い部分を支える。今の時代、私たちのどんな信仰と献身が、証しとなっていくのだろう。求めよう。あなたはそのために神に呼ばれ、ここにいるのだから。

 信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。(ヘブル人への手紙12章2節)(新改訳2017)

2025年3月16日 主日礼拝聖書 ヨハネの福音書13章20節説教『遣わし、受け入れ、遣わされる』〈聖書のことば〉20)まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしが遣わす者を受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。そして、わたしを受...
21/03/2025

2025年3月16日 主日礼拝
聖書 ヨハネの福音書13章20節
説教『遣わし、受け入れ、遣わされる』

〈聖書のことば〉
20)まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしが遣わす者を受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。そして、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わされた方を受け入れるのです。」
 (ヨハネの福音書13章20節)(新改訳2017)

〈まめマメ小説教〉
イエスがこの地上でなさったことを受け止め、信じ、人は誰でも救われる。だが、その[信じる・受け入れる]という意志、決断は、神に遣わされた目の前の者を[受入れる]というとても人格的で、対人関係のような出会いを通して成っていく。これは、少し面倒なことだ。今は平らな画面を指先で操作し眺めながら自分にとって良いと思われる情報を受け取って満足する。[平面的な信仰]、[都合のよい信仰]を求める時代だから。だが、昔の人々も同じだった。信じたいように信じる、イイトコ取りで信じたいのは昔も今も同じ。20節、[信じる]とは、まるで人と人との出会いのように受け入れる[みわざ]である。●[イエス・キリストを受入れる・信じるとは、出会うこと]。なぜこんな面倒な方法を取るのか。イエスの活動は2千年前に終わっていないから。[遣わす]という方法で、今も続いている。20節、●[遣わすことで、神は、時と場所の制限を超えて今も呼びかけている]。今日も、明日も、呼びかけている。
それでは、受け入れた人はどんな存在なのか。この世に対してどんな意味があるのか。20節、出会い、神のものとなった。もう昔話を慕う者でない。●[信じるあなたが、今の時代、今を生きる世に、遣わされる]。神の教会とそこに集う一人ひとりの驚くべき真実である。イエスが[まことにまことに〈アーメンアーメン〉]と言った先にある真実である。同じ内容がマタイの福音書10章40節-42節で詳しく語られている。一人ひとりは小さく力がない。が、神の者として、神のみわざのただ中で用いられる。遣わされたあなたと関わる人に[祝福・報い]があるほどの存在である。ぜひキリスト者として生きることを楽しんでいただきたい。隠しながら隠れながら生きるためでなく、顕わすために私たちは主イエスと出会い、赦され、救われた。

住所

臥竜4丁目4番地11号
Suzaka-shi, Nagano
382-0028

アラート

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