カトリック高円寺教会

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カトリック高円寺教会 2026.5.10         復活説第6主日兄弟姉妹の皆さん、おはようございます。今日は母の日ですね。すべてのお母さんたちに、「母の日おめでとうございます」とお祝いを申し上げます。 第一朗読では、フィリポがサマリ...
16/05/2026

カトリック高円寺教会 2026.5.10 
        復活説第6主日

兄弟姉妹の皆さん、おはようございます。今日は母の日ですね。すべてのお母さんたちに、「母の日おめでとうございます」とお祝いを申し上げます。

 第一朗読では、フィリポがサマリアへ行く様子が描かれています。当時の人々にとって、サマリアは神に見捨てられた場所であり、宗教的なエリートたちから拒絶された人々が住む場所だと考えられていました。しかし、聖霊は人間のルールに従いません。聖霊はその場所で働き、癒しと「大きな喜び」をもたらしました。

 今日の福音の中で、イエス様は「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る」と言われました。最初、わたしたちはこう思うかもしれません。「もし掟を守らなければ、神様はわたしを愛してくれないのではないか」と。しかし、それは違います。たとえ子供が怒りにまかせて乱暴に振る舞ったとしても、母親がその子を愛し続けるように、神様の愛は不変なのです。
わたしたちが掟を守ろうと守るまいと、神様の愛は常にそこにあります。しかし、今日の福音が問いかけているのは、「わたしたちはどうやってその愛に応えるか」ということです。今日の福音によると、神の愛に答えるのは神の掟を守りながらです。神の掟は、神を愛し、隣人を自分のように愛することです。
 飛行機に乗ったときのことを思い出してください。わたしたちは乗客であり、神様はパイロットです。わたしたちは飛行機そのもの以上に、パイロットを信頼します。なぜなら、何か問題が起きたとき、わたしたちを救ってくれるのはパイロットの技術だからです。しかし、この飛行機に乗っているのはわたしたちだけではありません。共に旅をする仲間がいます。
 安全のための説明を思い出してください。「他の人を助ける前に、まず自分の酸素マスクを着用してください」と言われますね。これこそが第二の掟です! まず、わたしたちが神様に愛されることを自分に許さなければなりません。神様の恵みを「吸い込む」ことで、自分が愛されていることを実感し、そこで初めて他人のために愛を「吐き出す」強さが生まれるのです。

もし今日、他のすべてを忘れてしまったとしても、これだけは覚えておいてください。あなたはみなしごではありません。信仰の旅路において、あなたは一人ではないのです。理由もなく突然喜びを感じたり、祈りたい、誰かを助けたいとふと感じたりするなら、それは聖霊が働いている証拠です。

聖霊が今日、わたしたちを動かし、家庭、学校、職場、そしてわたしたちが行く先々で、神の愛の証人としてくださるよう祈りましょう。アーメン。ニティン・コエーリョ助祭(イエズス会)ミサ説教より

晴天の一日、ボーイスカウトフェスタが行われました。
ボーイの組み上げる櫓?いつ見てもほれぼれしますね。
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ミサ説教はカトリック高円寺教会ホームページの「ミサ説教」のページにも掲載されています。

カトリック高円寺教会  2026.5.3復活説第5主日「わたしの父の家には住む所がたくさんある。 もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたし...
03/05/2026

カトリック高円寺教会 2026.5.3
復活説第5主日

「わたしの父の家には住む所がたくさんある。 もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える」。イエスさまの言葉だけを聞くと、遠い所に「父の家」っていう別の場所かあるというイメージです。しかし今日の福音では「父の家」っていうのは、イエスを愛し、イエスの言葉を守る人そのものなんだ、とあります。どこか別の場所にイエス様が場所を整えてくださり、そしてわたしたちが死んだ後にそこに住む、迎え入れていただけるっていうようなイメージではないのだということです。神の業っていうのを、自分たちとは関係なくどっか外にあるもの、いつの間にか信じる人そのものの中にあるんだっていうふうに展開していくというのが、ヨハネの福音書の一つの特徴であると言ってもいいと思うます。
 わたしたちは、その恵みが自分の中に働いているっていう実感を持つことがなかなか難しい。それは「父の家」である、あるいはイエス様を迎え入れる自分自身がどのように変わりたいのかっていう具体的なイメージを持っていない、目標がないからなんではないかと思います。習い事でも何でも、目標がなくてただ漠然とでは、変わらないわけなんで、ただそこに集まってる人と出会うっていうことだけが喜びっていうことになれば、いろんな上達がない。それは実は信仰生活も同じかもしれません。
 わたしたち自身が具体的に「父の家」として変えられていくとはどうなることだろうか。たとえばイエス様に似た者になっていく、全部が、っていうよりは、この部分は――周りの人や出来事に振り回されない、
どっしりとした平和な心を得るということだったり、あるいは他の人を励まし、生かすことができるような者となる、あるいは多くの人を受け入れていくっていう心だったり――そういう意味で父の家には住む所がたくさんある。だからわたしたちが住む所というよりは、父が住む所がたくさんあるということなわけです。
 そのイメージを持ちながら、しかしわたしたちの力ではなくて、ご自身が働いてくださるイエス様に心を明け渡す、あるいはイエス様の場所を心の中にあけるということ、これはわたしたちがしなければならないことです。「神様、神様」と言っていれば自動的に動いていくのではない。そして神様の働かれる時を待つ忍耐、希望を持ち続けながら、一人ひとりが、わたしたちの共同体全体が、イエス様そして父である神様が宿られる「父の家」として変えられていくという希望を新たにしながら、今日、このごミサを通してお互いに願い合いたいと思います。
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ミサ説教はカトリック高円寺教会ホームページの「ミサ説教」のページにも掲載されています。

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カトリック高円寺教会2026.4.19復活節第3主日 この日、〔すなわち週の初めの日、〕二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始...
22/04/2026

カトリック高円寺教会2026.4.19
復活節第3主日

 この日、〔すなわち週の初めの日、〕二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。ルカ24-13・・

 わたしたちは、キリスト信者として、このように日曜日に教会に集まり、日常生活でもその信仰生活を、それぞれのやりかたで送っています。それは一人ひとりがイエス様に呼ばれたからだと信じているからです。表面的には色々な出会いやきっかけが別々にあるけれど、根本的には 一人ひとりが、それぞれイエス様によって呼ばれたのです。

 なぜイエス様がわたしたちをお呼びになったのか。それはイエス様がご自分がなさりたいことの手伝いをしてもらうためという以前に、一人ひとりが間違った道に迷い込むことを通して、傷ついて心を痛めている事を、イエスさまはご自分のこととして心を痛め、私たち一人ひとりが本当の恵みに出会うようにと、共に歩むために、わたしたちにご自分を現わし、そして呼んでくださったということです。

 今日の福音にはイエスに出会う道が上げられています。1つは聖書の御言葉を通して。もう1つが分かち合うパンによって(これをカトリック教会では特に秘跡あるいはご聖体と呼んでいます。) これは広い意味での分かち合い、信じる者たちの共同体を通して、イエスさまに出会います。わたしたちは聖書を読むときに、またご聖体や、またその他の分かち合いの機会に、そしてこの共同体、この教会に集まるときに、心の中で、「イエス様、どうぞわたしにご自分をお示しください」という祈りを持って願うということが大切なのではないかと思います。

 今日、わたしたちをここに集められたのはイエス様ご自身なんだ、という信仰を新たにしながら、復活の主を信じる者同士として、共に歩んでくださる方イエスをよりはっきり見ることができるように。心にともしびが灯されて、そしてまことの恵みに出会っていくことができますように。互いのために祈り合いながら、このごミサをお捧げしたいと思います。主任司祭 高木健次神父ミサ説教より
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ミサ説教はカトリック高円寺教会ホームページの「ミサ説教」のページにも掲載されています。

エマオへの道を二人の弟子がイエスと歩いている『エマオ』
ロバートツンドRobert Zündザンクト・ガレン美術館

カトリック高円寺教会 2026.4.12復活節第2主日 (神のいつくしみの主日)兄弟姉妹の皆さん、おはようございます。今日は復活節第2主日ですが、教会は「神のいつくしみの主日」としてお祝いします。「いつくしみ」について考えるとき、わたしはナ...
20/04/2026

カトリック高円寺教会 2026.4.12
復活節第2主日 
(神のいつくしみの主日)

兄弟姉妹の皆さん、おはようございます。今日は復活節第2主日ですが、教会は「神のいつくしみの主日」としてお祝いします。

「いつくしみ」について考えるとき、わたしはナポレオン・ボナパルトと、ある熱心な母親の物語を思い出します。ナポレオンの軍の一人の兵士が、重い罪を犯して死刑判決を受けました。その兵士の母親は、息子のためにナポレオンに何度も赦しを願いました。しかしナポレオンはそれを断り、こう言いました。「婦人よ、あなたの息子は赦しにふさわしい(値する)ことをしたのですか?」
それを聞いて母親は答えました。「陛下、もし息子が赦しにふさわしい人間なら、それは『いつくしみ』とは呼びません。ふさわしくないからこそ、わたしはいつくしみをお願いしているのです。」ナポレオンはこの母親の言葉の真理に心を打たれ、その兵士にいつくしみを与えました。
 「ふさわしくないからこそ、いつくしみである」という真理を、神様は忘れることはありません。しかし、わたしたち人間はそれを忘れてしまいがちです。時々、わたしたちは自分の罪深さのせいで「自分は神の愛を受けるに値しない」と感じ、神様から離れてしまうことがあります。しかし、忘れてはならないのは、わたしたちがふさわしくないからこそ、神様はいつくしみを与えてくださるということです。
 今日の福音の中に、その神のいつくしみが見えます。復活されたキリストは、受難のときに自分を捨てて逃げた弟子たちの前に現れました。怖がっている弟子たちに対し、キリストは責めることなく、「平和があるように」と言われました。
 いつくしみを受けたわたしたちは、それを自分の生活の中で生きていくことが大切です。もしナポレオンから赦された兵士が、また同じ罪に戻ってしまったら、それは母親の愛を無駄にすることになります。今日の第一朗読では、初期の教会の人々がどのようにいつくしみを生きていたかが紹介されています。共に祈り、ミサを捧げ、困っている人々を助け合っていました。わたしたちも同じです。大きな助けができなくても、隣人に笑顔で挨拶をしたり、相手の話を親身に聴いたりすること、そのような小さなことから「いつくしみ」を実践していきましょう。

神のいつくしみについて聖ファウスティナが受け取ったメッセージは、「神のいつくしみを超える罪はない」ということです。神のいつくしみを信じ、自分の弱さを恐れずに「ゆるしの秘跡」を受けながら、共に聖なる歩みを続けていきましょう。
父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。ニティン助祭(イエズス会)ミサ説教より

典礼の曲が新しくなりました。
今は楽譜を見ながらですが、
早く歌えるようになりますように。

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ミサ説教はカトリック高円寺教会ホームページの「ミサ説教」のページにも掲載されています。

ご復活の主日コロナ以降、久々にゆっくりと、ミサ後のご復活のお祝い会を楽しみました。
20/04/2026

ご復活の主日
コロナ以降、久々にゆっくりと、
ミサ後のご復活のお祝い会を楽しみました。

07/04/2026

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