21/08/2026
カトリック高円寺教会2026.8.15
聖母マリアの被昇天
今日、わたしたちは聖母被昇天の祭日のごミサをお捧げしています。マリア様が地上の生涯を終えられた後(のち)に、直通で(体の腐敗を経験することなく)魂も体も天に迎え入れられたという、昔から信じられていたことで、教義として宣言されたのは20世紀になってからですけども、ずっと昔から、その前から8月15日にそのことを記念する、そういう習慣が教会にありました。
マリア様が天国に迎え入れられた。これはゴールに到達して「お疲れ様でした。あとはゆっくり休んでください」というようなものではありません。今日の福音では、親類のエリサベトが神様の特別な力によって身ごもっているところへ、マリアが出かけていって神様を賛美する場面が朗読されました。マリアさまは地上の生涯の間も、自分のことよりイエス様のように出会う周りの人々のために心を向ける、そういう生涯だったと信じられていますが、むしろ天国は時間と空間を超えてすべての人、あるいは神様によって造られたすべての被造物に対して心を向け、神様とともに働く、そういう状態に入られたという意味です。そういう意味では、マリア様は地上の時よりももっと忙しいと言ってもいいのかもしれないんです。
天の栄光にわたしたちも招かれているっていうのが、今日のごミサの趣旨です。それは「やがて死んだ後に」っていうことだけではなく、人生の瞬間瞬間、祈る瞬間に自分のことではない他(た)の人、自分が直接知らなくても、世界中の困難の中にある人のために祈る、身近な人のために働くということ。他の人のために心を向け自分の働きを惜しまない、その時こそ――瞬間的にかもしれませんけども――わたしたちが天の栄光に、神様への一致に受け入れられていると言っていいわけです。そしてその栄光にもっともっと完全に迎え入れられるということを望み続けるのが信仰生活なわけです。たとえば、毎回のミサの中で共同祈願――世界中のいろんな人たちに心を向けてお祈りをする。まさにそれは、自分ということではなくて、神様の視点で全教会とともに誰かのために祈る、ある意味では天の栄光の経験と言ってもいいわけです。
今日8月15日は、日本の教会にとっては「平和旬間」の最後の日になっていて、平和について祈り、そして考えて行動するのが平和旬間です。その十日間だけということではなくて、特にそのことを思い起こし戦争に関して日本の社会とともにこの時期を過ごすわけです。今更ですけど、今年の平和旬間にあたって、日本カトリック司教協議会の会長でいらっしゃる菊地枢機卿様がメッセージを出されています。その中で枢機卿様はこういうことをおっしゃっています。「すべてのいのちは神からの尊いたまものです。国籍も民族も宗教も問わず、すべての人が神から尊厳を与えられています。その尊厳を守ることが、平和の出発点です」。
わたしたちは、人と人を区切り、仲間とそうじゃない人を位置づけてしまう。しかし、そういうものを乗り越えて、「神様によって造られた」その一点においてすべての人が尊い。そのことを守る、そのことを本当に尊重する、大切にしていくということからしか平和は来ないんだと枢機卿様はおっしゃるわけです。区別をしてしまう人間の本質を乗り越えて、本当に神様に造られた者同士というその繋がりだけによってお互いのその尊厳を大切にし合う。それは神の恵み、天の栄光によって導き入れられなければできない、そういうことなんだと思います。神様の恵みによってわたしたちはその隔てを乗り越えることができるのだ、少しずつかもしれないけど、っていうのがわたしたちの信仰です。
今日、聖母被昇天の祭日に当たって、マリア様の取り次ぎに支えられ、そしてマリア様のみ跡に従うという希望を新たにしながら、神様に造られたものとして互いに繋がっていくことができますように。天の栄光を味うことができますように恵みを願いしたいと思います。
高木健次神父ミサ説教より
ミサの中で長崎で原爆に遭われ、東京に来られた女性のご家族の洗礼式がありました。おばあさまの寄付されたステンドグラスに見守られての洗礼式、ご家族にとって、また私たち信徒にとっても大きな喜びでした。
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ミサ説教はカトリック高円寺教会ホームページの「ミサ説教」のページにも掲載されています。