日本基督教団 永福町教会

日本基督教団 永福町教会 日本基督教団に属する教会です

主 日 礼 拝 日曜日10:00
聖書と祈りの会 金曜日13:30

09/08/2026

【聖霊降臨節第12主日】《家族》

「家族」と聞くと、温かい食卓や安心できる居場所を思い浮かべる人がいる一方で、緊張や孤独、痛みを思い出す人もいます。家族は身近だからこそ支えにもなり、深く傷つけ合う関係にもなります。

エフェソ書は「互いに仕え合いなさい」と語ります。大切なのは、一方が他方を支配することではなく、互いを一人の人間として尊重することです。配偶者も子どもも、自分の所有物ではありません。愛とは、相手を自分の望む姿に変えることではなく、その人の声に耳を傾け、その命と尊厳を守ることです。

人々が子どもたちをイエスのもとへ連れて来たとき、弟子たちはそれを妨げました。しかしイエスは憤り、「子どもたちをわたしのところに来させなさい」と言って、子どもたちを抱き上げ、祝福されました。

弟子たちは遠ざけ、イエスは抱き寄せました。神の国は、力のある人だけのものではありません。小さくされ、声を聞かれずにいる人が迎えられるところです。

家族の良さは、外から整って見えるかどうかでは決まりません。最も弱い人が安心して「悲しい」「つらい」「嫌だ」と言えるかどうかが大切です。血のつながりだけで家族が完成するのではありません。互いの声を聞き、傷つけたときには謝り、何度でも関係を結び直す。その歩みの中で、私たちは少しずつ家族になっていくのです。

教会もまた、理想的な家庭を持つ人だけの場所ではありません。家族を失った人、家庭で傷ついた人、孤独を抱える人が妨げられず、安心して迎えられる共同体でありたいと願います。

09/08/2026
2026年8月9日 聖霊降臨節第12主日(10:00より)
08/08/2026

2026年8月9日 聖霊降臨節第12主日(10:00より)

03/08/2026

【聖霊降臨節第11主日】《主に従う道》

人生には、疲れて立ち止まる時があります。信じてきたことが分からなくなり、もう前へ進めないと感じることもあります。ヘブライ人への手紙は、「弱った手と衰えた膝をまっすぐにしなさい」と語ります。これは、弱っている本人に「もっと頑張りなさい」と命じる言葉ではありません。疲れている人を支え、その人が再び歩ける道を、共同体みんなで整えようという呼びかけです。

マルコ福音書では、イエスが「小さな者の一人をつまずかせてはならない」と語ります。弟子たちは、誰が一番偉いかを争い、自分たちの仲間ではない人を排除しようとしていました。その弟子たちに向かって、イエスはまず自分自身を問い直すよう求めたのです。

「手を切り落とせ、足を切り落とせ、目をえぐり出せ」という厳しい言葉は、身体を傷つけよという意味ではありません。自分の内にある思い上がり、支配欲、偏見、無関心を、徹底して手放しなさいという強い呼びかけです。

主に従う道とは、苦しみを黙って我慢する道ではありません。自分と他者を傷つけるものを見極め、それを断ち切る道です。そして、弱った人を責めるのではなく、その人が再び歩けるように支える道です。

私たちの言葉が、誰かをつまずかせる石ではなく、倒れそうな人を支える杖となりますように。互いに平和をつくりながら、共に歩んでいきたいと思います。

2026年8月2日 聖霊降臨節第11主日(10:00より)
01/08/2026

2026年8月2日 聖霊降臨節第11主日(10:00より)

26/07/2026

【聖霊降臨節第10主日】《キリストの体》

人はつい、誰がよく働くか、誰が役に立つか、誰が中心にいるかで、互いを比べてしまいます。教会も例外ではありません。けれどもパウロは、「体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです」と語ります。弱いと見られる人は、助けられるだけの存在ではありません。その人がいなければ、教会そのものが欠けた体になるのです。

マルコ福音書では、弟子たちが「誰が一番偉いか」を議論していました。そこでイエスは、地位も発言力も持たない一人の子どもを真ん中に立たせます。教会の信仰は、誰を中心に置いているかによって明らかになります。よく働ける人だけでなく、病気の人、高齢の人、礼拝に来られなくなった人、声を聞いてもらいにくい人が、本当に大切にされているでしょうか。

また弟子たちは、自分たちに従わない人の働きをやめさせようとしました。しかしイエスは、「やめさせてはならない」と言われます。神の善い働きは、教会の内側だけにあるのではありません。教会の外で人を支え、孤独や差別から解放し、命と尊厳を守る働きを、私たちは喜び、学び、協力することができます。

「キリストの体」とは、全員が同じになることではなく、違う者同士が互いを必要とし、一人の苦しみを皆の苦しみとして担うことです。誰にも「あなたはいらない」と言わず、自分にも「私は必要ではない」と言わない。今日出会う一人に、一杯の水を差し出す。そこから、キリストの体は私たちの間に現れます。

2026年7月26日 聖霊降臨節第10主日(10:00より)
25/07/2026

2026年7月26日 聖霊降臨節第10主日(10:00より)

19/07/2026

【聖霊降臨節第9主日】《神による完全な武器》

パウロは「左右の手に持った義の武器によって」と語ります。武器と聞くと、相手を倒す力を思い浮かべます。しかし、神が与える武器は、真実、忍耐、親切、偽りのない愛です。それは人を傷つけるためではなく、苦しみの中でも人間らしさを失わないための力です。侮辱されても侮辱で返さず、弱い立場に置かれても、さらに弱い人を踏みつけないための力です。

マルコ福音書には、苦しむ子どもを助けられなかった弟子たちと、「信じます。信仰のない私をお助けください」と叫ぶ父親が登場します。この父親は、迷いのない立派な信仰者ではありません。何度も失望し、疑いながら、それでも助けを求めました。イエスは、その不完全な祈りを退けませんでした。

信仰とは、疑いがなくなることではありません。先が見えなくても、絶望だけを最後の言葉にせず、もう一度助けを求めることです。祈りとは、奇跡を起こす技術ではなく、自分にはすべてを解決できないと認め、それでも苦しむ人のそばを離れないことです。

私たちは、すべての病気を治すことも、すべての問題に答えることもできません。しかし、孤独な人の声を聞き、見放された人の手を取り、一人にしないことはできます。正しさを振りかざすのではなく、相手の痛みに耳を傾けることができます。

神による完全な武器とは、強い確信や特別な能力ではありません。自分の弱さを認めながら、真実と愛をもって共に生きる力なのです。

2026年7月19日 聖霊降臨節第9主日(10:00より)
19/07/2026

2026年7月19日 聖霊降臨節第9主日(10:00より)

12/07/2026

【聖霊降臨節第8主日】《神からの真理》

「真理」という言葉は大切な言葉です。しかし人間が「自分たちこそ真理を持っている」と思い込むとき、それは人を生かすものではなく、人を裁き、排除する道具になってしまうことがあります。

聖書は、教会を「真理の柱また土台」と呼びます。教会は神の真理を証しする共同体です。しかし教会が真理そのものなのではありません。教会は真理を所有するのではなく、真理に仕える場所です。

マルコ福音書には、イエスが盲人の目を開かれる物語があります。その人は最初、「人が見えます。木のようですが、歩いているのが分かります」と言いました。見えるようになったけれど、まだはっきりとは見えていない。これは私たちの姿でもあります。

私たちも、見えているつもりで見えていないことがあります。人を人として見ず、自分の都合や思い込みで見てしまうことがあります。

けれどもイエスは、その人を見捨てず、もう一度手を置かれました。神からの真理とは、私たちが誇るためのものではなく、見えない私たちの心の目を少しずつ開く光です。

「主よ、私たちの心の目を開いてください」。その祈りとともに、真理に仕える教会として歩みたいと思います。

住所

永福2-55/15
Suginami-ku, Tokyo
1680064

営業時間

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