02/06/2026
第194回 月例坐禅会(参加者:13名)
6月に入り、境内の木々もいっそう緑を深め、朝の光が心地よく感じられる季節となりました。
本日は、お葬式を控えていたため、本堂には祭壇やお花が並び、いつもとは少し異なる雰囲気の中での一坐となりました。
また、初めてご参加くださった方もお迎えし、ご一緒に静かな朝の時間を過ごすことができました。
🌱
坐禅後の法話では、先日静岡市の青葉シンボルロードで開催されていた「術 -JUTSU- 2026」というイベントのお話をいたしました。
庭師や木こり、大工など自然と向き合う職人たちをはじめ、画家や音楽家、演出家など多彩な表現者が集結し、ガーデン演出やアート展示、ライブ、マルシェ、ワークショップなどが展開されたそうです。
残念ながら私は伺うことができませんでしたが、後輩の満瑛くんから、
「会場に、お祖父様(鐵山老師)の書が飾られていましたよ」
とご連絡をいただきました。
🖼️
そこに掲げられていた言葉は、
『耕雲種月(こううんしゅげつ)』
という禅語でした。
雲の下で畑を耕し、
月明かりのもとで種をまく。
すぐに結果を求めることなく、
その時その時になすべきことを丁寧に積み重ねていく。
そんな意味が込められています。
種をまいても、
翌日に芽が出るわけではありません。
水をやり、
草を取り、
時を重ねながら育てていく。
人とのご縁も、
仕事も、
家庭も、
そして自分自身の成長もまた同じなのだと思います。
🌿
曹洞宗では、
「行持(ぎょうじ)」
という言葉を大切にします。
「行」とは実践すること。
どれほど立派な教えを聞いても、
どれほど多くの知識を得ても、
実際に行じなければ、
それは自分の身にはなりません。
挨拶をすること、
人を思いやること、
与えられた務めを丁寧に果たすこと。
そうした日々の実践の積み重ねこそが、
仏道の歩みです。
しかし、行持の大切さは、
ただ一度行うことだけではありません。
「持」とは、たもち続けること。
調子の良い時だけではなく、
思うようにいかない時も、
結果が見えない時も、
それでも歩みを止めず、
続けていくことを意味します。
種をまいて終わりではなく、
水をやり、草を取り、育て続けるように。
坐禅もまた、一度坐れば十分というものではなく、
何度も坐り、
何度も自分を見つめ、
その歩みを続けていくところに意味があります。
まさに「耕雲種月」の言葉は、
行じることと、行をたもち続けることの大切さを教えてくれているように感じます。
🧘
今年の秋で、祖父(洞慶院前住職 丹羽鐵山和尚)は十三回忌を迎えます。
亡くなった今もなお、
こうして言葉を通じて教えられていることに、不思議なご縁を感じています。
坐禅もまた、
特別なことではありません。
日々の暮らしの中で、
心を整え、
目の前のことに丁寧に向き合うための時間です。
忙しい日々の中ではありますが、
ほんの少し立ち止まり、
心を整え、
目の前のことに丁寧に向き合う。
坐禅の時間が、そんなひとときとなれば幸いです。
「耕雲種月」
今日、自分にできることをひとつひとつ丁寧に。
私自身もまた、「耕雲種月」の言葉を胸に、一歩ずつ歩んでまいりたいと思います🌱
一乗寺住職
合掌
☀️次回の「月例坐禅会」
日時:6月15日(月) 朝5時半〜
場所:一乗寺 本堂(または坐禅堂)
※予約不要/参加無料
※足を組むのが不安な方は「イス坐禅」も可能です。
初めての方も、どうぞお気軽にご参加ください