14/07/2019
ビショップリックメッセージ
とても考え深い短編アニメーションの動画をご紹介します。
地面に空いた大きな穴の中央にスープがあり、6人の人が穴の際にいて長いスプーンでそれをすくおうとします。しかしスプーンが長すぎて自分の口まで運べません(スプーンの柄を手繰り寄せれば良いのでは?と思うかもしれませんが、それは置いておいて)。人々は何とかしてそれを食べようとして必死ですが、うまくいかず、イラだった一人が他の1人のスプーンをたたき折ってしまいます。折られた人はがっかりしてうなだれてしまいます。
すると別のある人が自分のスプーンですくったスープをそのがっかりした人に与えようとします。ところがスープの乗った長いスプーンを手で持つのが大変になり震えてこぼしそうになります。ところが周りの人々がそれを支えはじめ、ついには相手にスープを与えることが出来き、飲んだ人は満たされました。すると皆が次第に他の人と互いに飲ませ合うようになり、皆が満たされる事となりました。
(https://www.youtube.com/watch?v=qhU5JEd-XRo&feature=youtu.be)
各国で同じような逸話があるようで、日本でも長い箸で食事をしようとする天国と地獄の人々のお話があります。
ある悩みを抱えた方のご相談にのっている中で、人に愛を示しているが、果たして自分は愛を示されるのだろうかと言った心配をなさっていました。
その事を考えていた時に思い出したのが、ご紹介した内容の動画でした。
私たちは、自分自身が幸せになろうと頑張りますが、もしかしたら自分自身を幸せにすることがある意味出来ないのかもしれません。他人にしかスープを与えられないこの動画の世界と同じように、私たちは他人の幸せにしか関与できないのかもしれません。神権やあらゆる賜物が他人の益になる為に与えられているのと同じように。
自分を幸せにしようとする行為は、悪くはないと思います。しかし、どの手段や方法より、何よりも幸せになれるのは、自分の事をいったん忘れて他の人の幸せを考えて行動した時です。
「わたしは、あなたがたもこのように働いて、弱い者を助けなければならないこと、また『受けるよりは与える方が、さいわいである』と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを、万事について教え示したのである」。使徒行伝20:35
Based on an ancient story about hunger and sharing, this animated video is part of Caritas’ “One Human Family, Food for All” campaign. The “allegory of the s...