04/05/2026
2026年5月3日 主日礼拝
聖書:マタイ福音書6章5~9節
宣教題:「祈りへの招き」坂本 献 牧師
▲つばめの巣について、一度つばめが来て巣の中の草わらを出したあと来なかったのですが、27日から再びやってきてとりあえず、巣の改修工事を始めたようです。▲我が牧師室から巣が見えるのですが、今日もやってきては工事をしているようです。▲一方、坂本牧師も教会のトイレの照明を変えたり工事を時々しております。環境を整えるのはツバメも人間も大事ですね。▲さて、5月に入りました。5月24日はペンテコステ礼拝ですが、その日を除いて主イエスさまが我らに教えてくださった「主の祈り」をしばらく礼拝で学んでいきたいと思います。▲日本バプテスト連盟の「新生讃美歌」に「主の祈り」(文語訳)が掲載されていますが、初版でルビの間違えがあり「救い出し給え」が「だしたまえ」とルビされていますが、「出す」は「いだす」と読むのだとの指摘があり、その後は「いだす」となっております。▲文語の「主の祈り」は馴染んでおりますが、時に呪文のように、あるいは「すらすら」と祈る場合もありますが、時々立ち止まって主イエスさまが教えてくださったその意味を考えたいものです。▲3日はマタイ福音書5章6節から主イエスさまが「主の祈り」を押してくださる前の導入のところから学びます。▲ここでまず当時の人々の祈りの姿勢から「祈り」ということを教えておられます。ひとつは「偽善者」の祈り、「偽善者」は「仮面をかぶっている」ような意味です。祈りが誰に向けられているのかと主イエスは尋ねます。▲「奥の部屋の祈り」、「奥の部屋」とは心の「納戸・物置」から祈るということ。それは「普段人には見せられないような心」を開いて祈る招き。▲「くどくどした祈り」は祈る長さが祈りの深さにつながるものではないことを知らされます。もちろん、長い時間祈ることもあることもお伝えいたします。▲さいごに不思議な言葉がでてきます。「主なる神さまは祈る前から、あなたがたの必要はご存じなんだ」ということ。では「祈る必要はない」と考える人がありましょう。でもね、主イエスさまはあなたの祈りを待っておられるのです。▲日々の祈りがあなたの生活、いのちの環境を整え、良き日々へと導かれていくのです。(献)