カトリック太田教会

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主任司祭:谷 国定神父

2026年ミサ時間のご案内

日曜日ミサ 日本語 9:30 
国際ミサ  第3日曜日 9:30
ベトナム語 第2日曜日 11:30
タガログ語 第2日曜日 16:00
ポルトガル語 第1土曜日 19:00 第3日曜日17:30
スペイン語 第2・第3土曜日 19:00
英語 第4日曜日 15:00
平日ミサ
火曜日・金曜日 8:00 第1金曜日 19:00 https://www.youtube.com/watch?v=BRBJDn45ZA8

日本でも有数の外国人集住都市である群馬県太田市,大泉町が主要な市町である私たちの小教区カトリック太田教会は、ブラジル、フィリピン、ペルー、インドネシア、ベトナム、スリランカ、韓国をはじめとする20数カ国の人々が交わって、多文化共生をめざしてい

る多国籍共同体です。


ミサ時間

<日本語ミサ>
主日:日曜日 9:30
平日:火・・金曜日 8:00
初金曜日 10:00

<ベトナム語ミサ>
第1主日 11:30

<スペイン語ミサ>
第2・第3土曜日 19:00

<ポルトガル語ミサ>
第1土曜日 19:00
第3日曜日 15:30

<英語ミサ>
第4日曜日 15:30

<タガログ語ミサ>
第2日曜日 14:00

◎2026年5月31日「三位一体の主日」祭日ミサ 谷国定神父様<お説教より>……わたしたちは一日に何回、十字架のしるしを自分の体にしているでしょうか。少し振り返ってみましょう。わたしたちが教会に来てミサにあずかるとき、共同体とともに開式のと...
31/05/2026

◎2026年5月31日「三位一体の主日」祭日ミサ 谷国定神父様
<お説教より>

……わたしたちは一日に何回、十字架のしるしを自分の体にしているでしょうか。少し振り返ってみましょう。
わたしたちが教会に来てミサにあずかるとき、共同体とともに開式のとき、そしてミサが終わり派遣の祝福をいただいたときに、自分の体に十字架のしるしをしますね。日常生活ではどうでしょうか。朝目覚めた時、食事の前後、眠りにつく前など、少なくとも5回から8回は自分の体に十字架のしるしを刻んでいると思います。
わたしたちの体に十字架のしるしをすることには、どのような意味があるのでしょうか。第一に、三位一体なる神、すなわち父と子と聖霊に対する私たちの信仰を告白することです。第二に、十字架上のキリストの犠牲と救いを思い起こすことです。第三に、神のご保護を願い求めることです。わたしたちは、不安を感じたとき、自分の体に十字架のしるしをすることがあるでしょう。サッカーの試合などで、海外の選手たちが神の恵みと保護を求めて、自分の体に十字架のしるしをする姿を目にすることがありますよね。
先々週は主の昇天、先週は聖霊降臨を祝い、今週は三位一体の主日をお祝いしています。三位一体は、わたしたちのカトリック教理における中心的な神秘です。もしわたしたちが、イエス・キリストの現存や聖霊の現存を否定するならば、神を信じているとは言えません。しかし、三位一体の神秘は、非常に理解しがたいものです。わたしたちがこの地上の生涯のすべてを費やして、この三位一体の意味について徹底的に研究しようとしても、完全に理解することはできないでしょう。わたしたちの理性や知識には限界があるため、この神秘を理屈で受け入れることはできませんが、信仰としてなら受け入れることができます。
信仰とは、神がわたしたちに無償で与えてくださった賜物です。わたしたちの知識や労力によるものではなく、神のわたしたちに対する愛によるものです。神が先にわたしたちを愛してくださったのです。
とても有名な哲学者であり神学者である、聖アウグスティヌスに関する有名な逸話があります。
彼が海辺を歩いているとき、海水をすくって砂浜の小さな穴に注いでいる少年に出会いました。アウグスティヌスが少年になぜそんなことをしているのか尋ねると、少年は「この海水を全部、この小さな穴に入れようとしているのです」と答えました。アウグスティヌスが「そんなことはどれほど時間をかけても無理だ」と笑うと、その少年は「三位一体の神秘を人間の頭で理解するよりも、私がしていることのほうがまだ簡単ですよ」と返事をしたそうです。そして、その少年の言葉に聖アウグスティヌスは、はっと目を覚まされたと言われています。
 今週の第二朗読である「コリントの信徒への手紙」の中で、聖パウロは次のように祝福の言葉を通して神の現存を伝えています。ミサの中(開祭の挨拶)でも、私はみなさんにこうご挨拶してきました。
「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同とともにあるように」(二コリント13:13)
と、パウロは神の現存を伝えています。
今日、三位一体の主日を祝うにあたり、わたしたちは神が信仰の恵みを与えてくださったことに感謝しましょう。それと同時に、わたしたちは家族の中だけでなく、共同体や小教区の中でも、一致と平和の心を持って、互いに和やかに過ごせるように招かれています。わたしたちがそのように実践するとき、愛と平和の源である三位一体の神が、わたしたちとともにいてくださいます。そして、わたしたちが神の愛に満ちた福音の証人となることができるよう、神が導いてくださるでしょう。

神父さま、ありがとうございました。

◎2026年5月31日 おしらせ(No.2107)
30/05/2026

◎2026年5月31日 おしらせ(No.2107)

◎2026年5月24日「聖霊降臨の主日」 子どものミサ 谷国定神父様<お説教より>皆さんは、教会に来るたびにいつも誰を見ていますか?わたしたちはよく、十字架に架けられたイエス様を見つめていますね。その十字架の下にはご聖櫃があり、イエス様がパ...
24/05/2026

◎2026年5月24日「聖霊降臨の主日」 子どものミサ 谷国定神父様

<お説教より>

皆さんは、教会に来るたびにいつも誰を見ていますか?
わたしたちはよく、十字架に架けられたイエス様を見つめていますね。その十字架の下にはご聖櫃があり、イエス様がパンの形で現存されています。ミサの最後に司祭は「わたしたちの主イエス・キリストによって」と唱えます。わたしたちの祈りはイエス様によって神様に届けられます。
イエス様は皆さんと同じように、親に育てられ、食べ、遊び、勉強をしました。皆さんも同じでしょう?だからイエス様はとても身近な存在です。
しかし、今日お祝いする「聖霊」は見えません。聖書にも具体的な姿の定義はなく、鳩や炎のようなイメージが書かれているだけです。カテキズムでは、聖霊は「三位一体の神の第三位格」であり、「7つの知恵の賜物をくれる方」だと教えています。

聖霊は見えないので遠く感じるかもしれません。しかしミサで「父と子と聖霊のみ名によって」と十字架のしるしをしますね。聖霊はいつも教会や生活の中にいて、働いています。聖霊の姿が見えないのと同じように、空気もわたしたちの目には見えません。わたしたちは水や食べ物がなくても数日は生きられます。しかし「息(空気)」を止めたら何分生きられますか? 1分や2分でしょう。空気は見えませんが、わたしたちが生きるために一番大切なものです。
聖霊も全く同じです。目に見えないけれど、わたしたちの信仰に絶対に必要な「命の源」なのです。

今日の福音で、復活したイエス様は弟子たちに「息」を吹きかけ、「聖霊を受けなさい」と言われました。それまで弟子たちは恐れて家に鍵をかけていましたが、聖霊の息吹を受けて勇敢になりました。鍵を全部開けて外へ出て、イエス様の福音と平和と愛を人々に伝えました。聖霊によって新しい人に変わったのです。
わたしたちの信仰生活にも聖霊の息吹が必要です。祈らなければ、わたしたちの信仰は枯れてしまいます。「祈ること」によって、わたしたちは聖霊の息吹を受け入れることができます。

来月、この教会で「初聖体」と「堅信の秘跡」があります。ぜひ家庭で子どもにお祈りを教えてください。教会学校は月に数回だけです。家で祈らなければ、子どもは祈りと親しくなれません。
来週、初聖体を受ける子どもたちが「主の祈り」をしっかりと心に刻めているか、大切な準備としての確認をします。秘跡を迎えるために、基本のお祈りを覚えることはとても大切です。親御さんはこの一週間、毎日子どもと一緒に「主の祈り」を唱えてください。一緒にお祈りをしなければ、子どもは覚えられません。これは難しい宿題ではありません。
大人の皆さんも、もし毎日の祈りを忘れているなら、もう一度静かに待って、心の扉を開いてみましょう。聖霊の息吹を受ければ、わたしたちはイエス様のもたらされた福音の証人となることができます。共に、祈りの中で歩んでまいりましょう。

神父さま、ありがとうございました。

◎2026年5月24日 おしらせ(No.2106)
23/05/2026

◎2026年5月24日 おしらせ(No.2106)

◎2026年5月17日「主の昇天」ミサ  谷国定神父様<お説教より>…教会はイエスの時代から今日に至るまで、絶えず福音を宣べ伝えてきました。16世紀には宣教師たちが遠くアジアにまで赴き、福音の種を蒔きました。その実りは国や地域によって異なり...
17/05/2026

◎2026年5月17日「主の昇天」ミサ  谷国定神父様

<お説教より>
…教会はイエスの時代から今日に至るまで、絶えず福音を宣べ伝えてきました。16世紀には宣教師たちが遠くアジアにまで赴き、福音の種を蒔きました。その実りは国や地域によって異なり、また信仰の自由の度合いもそれぞれに違いがあります。自由に信仰を表すことができる国もあれば、そうでない国もあります。時には困難や試練の中で、信仰が守られてきた歴史もあります。
なぜ教会は、困難な場所であっても福音を宣べ伝えなければならないのでしょうか。それは、教会がイエスから直接、宣教の使命を受けているからです。今日の福音の中で、イエスはその使命をはっきりと述べておられます。

「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28・19–20)

つまり、福音宣教の原動力は、このイエスのみ言葉にあります。イエスは、ご自身が果たされた使命を教会が引き継ぎ、続けていくことを望んでおられます。この使命を継続していくにあたり、教会の中で絶えず働いておられる聖霊の力は、わたしたちにとって必要不可欠なものです。
今日の第一朗読の中で、イエスは使徒たちにこう語っておられます。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(使徒言行録1・8)

今日、わたしたちは全世界の教会とともに「主の昇天」をお祝いしています。この祝いの中で、わたしたちが受けた洗礼の恵みを思い起こし、聖霊の助けをあらためて心に留めましょう。そして、わたしたち一人ひとりに委ねられた福音宣教の使命を忘れることなく、日々の生活を送ることができますように、このミサの中でともに祈りましょう。

神父さま、ありがとうございました。

◎2026年5月17日 おしらせ(No.2105)
16/05/2026

◎2026年5月17日 おしらせ(No.2105)

◎2026年5月10日 復活節第6主日 国際ミサ母の日の今日、ミサの中でお母さんたちへの祝福がありました。<お説教より> ヨハネ (14:15-21) 最近、外国籍の方々とお話しする中で、日本での在留資格の更新に多くの不安があることを知りま...
10/05/2026

◎2026年5月10日 復活節第6主日 国際ミサ
母の日の今日、ミサの中でお母さんたちへの祝福がありました。

<お説教より> ヨハネ (14:15-21)
 最近、外国籍の方々とお話しする中で、日本での在留資格の更新に多くの不安があることを知りました。手続きが厳しくなり、本人だけでなく家族や勤務先の協力も必要となり、大きな負担となっています。このように、不安の中にある人にとって、支えてくれる存在は大きな力となります。自分の力だけでは乗り越えられないとき、そばにいて助けてくれる存在の大切さを感じさせられます。
このことは、今日の福音とも深く結びついています。

今日の福音では、イエスが弟子たちに別れを前にして語られる場面が読まれました。これまで苦楽を共にしてきた弟子たちのもとを離れるにあたり、イエスは彼らの将来を深く思い、配慮されます。弟子たちにとって、その別れは大きな不安と悲しみを伴うものでした。しかしイエスは、「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと共にいるようにしてくださる」と約束されます。

わたしたちは普段、祈りの中でイエスに心を向けますが、日々の生活の中で実際に働いておられるのは聖霊です。聖霊は目には見えませんが、教会の中で、またわたしたち一人ひとりのうちに確かに働いておられます。困難や苦しみの中にあっても、聖霊はわたしたちを支え、導いてくださいます。
イエスはご自身が去られる前に、弟子たちのために最善の備えをしてくださいました。それが「弁護者」である聖霊です。弁護者である聖霊は、イエスの愛に生きる弟子たちの絆を強め、教会内の分裂を退け、共同体の愛を貫く存在です。そして教会の中に留まり、教会全体、そしてそこに属するわたしたち一人ひとりを強めてくださいます。
このようなイエスの深い配慮に対して、わたしたちはどのように応えるべきでしょうか。三つの姿勢が大切だと思います。
第一に、イエスが与えてくださった聖霊を、自分の生活の中に受け入れること。第二に、日々の信仰の歩みの中で、聖霊とともに歩むことを願うこと。第三に、どのような困難や試練に直面しても、聖霊が共にいてくださることを固く信じることです。
ゆるぎない信仰があれば、どのようなときにも、弁護者である聖霊が寄り添い、ともに歩んでくださっていることを確信することができるでしょう。このミサを通して、その恵みをあらためて願い求めてまいりましょう。

神父さま、ありがとうございました。

◎2026年5月10日 おしらせ(No.2104)
09/05/2026

◎2026年5月10日 おしらせ(No.2104)

2026年5月3日 復活節第5主日  第1日曜日の今日のミサは、ミラノ外国宣教会士  マルコ・ヴィッラ神父様の司式ミサがささげられました。<お説教より> 「わたしは道であり、心理であり、命である」 ヨハネ 14・6今日の福音の中で、イエス様...
03/05/2026

2026年5月3日 復活節第5主日
第1日曜日の今日のミサは、ミラノ外国宣教会士 マルコ・ヴィッラ神父様の司式ミサがささげられました。

<お説教より> 
「わたしは道であり、心理であり、命である」 ヨハネ 14・6

今日の福音の中で、イエス様は「道」という言葉をお使いになりました。イエス様は、最後の晩餐の中で「わたしは道であり、真理であり、命である」と言われ、弟子たちが行き先の分からなさに戸惑う中で、イエス様ご自身が神様のもとへ行く道であることを示されました。また、「御父をお示しください」という弟子の願いに対して「わたしを見た者は父を見た」と言われ、イエス様を通して神様に出会うことができることを示されました。

神様を見たい――これは、人間のいちばん深いところにある願いではないでしょうか。いつか神様にお会いしたい、そのような望みです。
では、私たちはどこで神様に出会うのでしょうか。
教会に来て、神様のことばを丁寧に聞くとき、聖書を読むとき、ミサにあずかるとき、その中で私たちは神様に出会い、神様を見ているのです。しかし、神様のことばを聞くこと、ミサにあずかることはもちろん大切ですが、さらに大切なことがあります。
それは、イエス様の生き方、イエス様の歩み方を大切にすることです。イエス様が歩んでいた道。愛を失わないで生きる、愛を証する生き方。どんなつらいことがあっても、愛を失わないで歩んでいたこと。貫いた生き方。このイエス様の生き方が、イエス様の道であり、心理ではないでしょうか。

日本では「道」という言葉はとても大切な言葉です。
茶道や剣道、柔道のように、さまざまな道がありますが、これはただ技術を学ぶのではなく、技術を通して心を整え、成長していく歩みです。
同じように、私たちもキリストの道を歩む者です。
ただ知識として学ぶのではなく、日々の生活の中でイエス様とともに歩んでいくことが大切です。ミサのときだけでなく、祈りのときだけでもなく、いつも、どこにあっても、イエス様とともに歩む。聖霊が共にいてくださることに気づきながら生きていく。
その恵みを願いながら、今日、皆さんとともに祈りたいと思います。

マルコ神父さま、ありがとうございました。

◎2026年5月3日 おしらせ(No.2103)
02/05/2026

◎2026年5月3日 おしらせ(No.2103)

住所

HIGASHI HONCHO 46-20
Ota-shi, Gunma
3730026

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