サレプタ・ミニストリー

サレプタ・ミニストリー イエス・キリストを伝えるミニストリー あらゆるメディアを通して、主イエス・キリストの福音メッセージを宣べ伝えます。
主宰:清野隆二

04/09/2026

9月5日 №565

「私たちは農地といっしょにパロの奴隷となりましょう。どうか種をください。そうすれば私たちは生きて、死なないでしょう。」

創世記47章19節

 ヨセフの政策の結果、人々は「パロの奴隷になります」と告白しました。神が罪人に達成したいことは、「イエスを主と告白」させ、さらに「イエスを主として生きる」ように導くため、「奴隷となります」と告白させることです。
 
私たちもエジプトの民と同じく、最初に銀(お金)を、次に家畜(労働・奉仕)を、さらに追い詰められると土地(家や不動産)を手離します。しかし神は、「全焼のいけにえや、その他のいけにえ」(Ⅰサム15章22節)でなく「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい」(ロマ12章1節)と、「あなた自身」を求めます。

 神が人に初めに望むことは、「イエスを神」とすること、次は「イエスを主」とすることです。「神」には「自分を助けてくれる神」の思いが濃く、主体は自分ですが、「主」には、「主の奴隷としての私」の意味合いが濃く、主体はイエス御自身です。

 友よ。「主の奴隷(イエスを主とする)」にこそ、本当の自由があります。「子があなたがたを自由にするなら、あなたがたはほんとうに自由なのです」(ヨハネ8章36節)。

03/09/2026

9月4日 №564

次の年、人々はヨセフのところに来て言った。「わたしたちの銀も…家畜の群れも…残っていません。…食物と引き替えに…農地とを買い取ってください。」

創世記47章18・19節

 民は、お金と家畜を食料に代えますが、飢饉はなお続き、とうとう農地を差し出しました。富む者はさらに富み、持たない者は持っている物まで失う現実に直面しています。農地を手放すまで追い詰められると、生産手段を完全に失う本当の死活問題です。
神の御心は、ヨセフが飢饉を通して執っている政策と似ています。目的は、エジプトの民(罪人)を御自分の民(神の子)にすることです。そのためには、困難な出来事を用い、人の力の限界に直面させます。

 神は「現実を変えよ(飢饉を乗り越えよ・愛する者になれ・性格を変えよ)」と言っているのでなく、「あなたを私に委ねよ」と言っています。

 友よ。神が望む悔い改めとは、現実の問題を対処できる人になることでなく、父の御手に自分を委ねる神の子になることです(Ⅱコリ7章9・10節参照)。一日も早く、お金でも家畜でも農地でもなく、あなた自身を神に差し出してください。自分で責任を取ろうとするのではなく、放蕩息子のように、そのままで父の御胸に飛び込んでください。

02/09/2026

9月3日 №563

「あなたがたの家畜をよこしなさい。銀が尽きたのなら、家畜と引き替えに与えよう。」

創世記47章16節

 力と富と栄光と知恵に満ちたお方は、それらを用いて1人ひとりの魂を自分に明け渡させようとします。ヨセフは、食料と引き換えにお金、次に家畜を求めます。家畜は、生産手段と食糧でもあり、さらに大切な財産です。

 人にとって大事なものは、周囲の物(お金・財産・地位)よりも身近な人、身近な人よりも自分(存在)です。ヨブが財産、家族、健康を失ったとき、「皮の代わりには皮…。人は自分のいのちの代わりには、全ての持ち物を与える」(ヨブ2章4節)と言いました。

 それは、ヨブが奪われ失ったものは、彼の本当の財産ではありませんでした。彼の本当の財産(いのち)は、「私の信仰=自分の行いで作る信仰」になっていました。ついに神は、「自分を義とするために私を罪に定めるのか」(同40章8節)とヨブの罪を指摘し、悔い改めに導き、後に「二倍の祝福」を与えました。

 エジプト人は、自分の財産を失う量だけ、ヨセフから食糧を受け取りました。

 友よ。私たちも自分の命を失う分だけ、ヨセフ(主イエス)の食物を得て生きることができます。そして、人を本当に祝福するのは、自分で作ったものでなく、主イエスから受け取る「二倍の祝福」と言われる霊のものです。

01/09/2026

9月2日 №562

ヨセフはエジプトの地とカナンの地にあった全ての銀を集めた。それは…穀物の代金であるが、ヨセフはその銀をパロの家に収めた。

創世記47章14節

 カナンとエジプトの激しい飢饉は続きます。1年目は蓄えでしのぎ、2年目からは穀物の種まで食べ、その後は持てる物全てを差し出して食糧に代えねばなりません。 

 人が試練に直面するときも、まず自分の知恵で解決を計り、次にお金や家畜や土地などの財産を用い、それでもだめだとわかると誰かに助けを求めます。ヨセフの計画は、エジプトの民を王のものとすることです。同じく、主が人に試練を与えるのも、人が神以外に頼るものから手を離し、主に身を委ねさせるためです。

 「金持ちが天の御国に入るのは難しい」(マタイ19章23節)とある「金持ち」とは、資産家のことではなく神以外のものを「財産(生存)」とする人のことです。

 友よ。何かが奪われ、あるいは愛していた人が離れて行く時、恐れないでください。それは、あなたに本当の宝「ほふられた小羊…力と富…」(黙5章12節)が与えられるときです。神は、あなたが持つものを差し出すように働きます。それが、試練でもあります。その時、惜しまずに差し出してください。その代価として与えられるのは、「主イエス・キリスト」です。

31/08/2026

9月1日 №561

ききんが非常に激しかったので、全地に食物がなく、エジプトの地もカナンの地もききんのために衰え果てた。

創世記47章13節

 今日では、飢饉に備えて食料を備蓄し、さらに他国からの輸入や援助も期待できますが、当時の長い飢饉は国を滅ぼしました。 

 霊的飢饉(アモス8章11節)については、霊の食物を備蓄することも、輸入(他者から)もできません。荒野の「マナ」も、朝ごとに受け取り、日が昇ると溶け、2日分は与えられませんでした(安息日前は例外)。

 霊のマナは、自ら、御言葉を読み、祈りの中で日々得る以外ありません。ある人は、聖書知識や教会、牧師、献金、奉仕などを「代用マナ」として用います。それらは薄めたミルクになり、飲む人を徐々に弱らせます霊的飢饉は、毎日食事(みことば)を取らない怠慢の結果です。

 「しかし、ヨセフは豊作の時に食糧を蓄えたのでは?」それは、自分の中に蓄えたのでなく、天の倉庫からの取り出し方を身に付けた(蓄えた)のです。神から直接、より多く恵みを引き出せるか否かが、信仰の質、と言えます。

 霊のマナは蓄えられませんが、マナの取り出し方(信仰)は訓練され、熟練するものです。人は自分の身に何も持ちませんが、天の倉庫のカギ(信仰)を持つことはできます。友よ。人生を豊かにするのは信仰です。

30/08/2026

8月31日 №558

ヨセフは父や兄弟たちや父の全家族、幼い子どもに至るまで、食物を与えて養った。

創世記47章12節

 ヤコブの家族全員がヨセフの養いを受け、周りが飢饉でも過不足なく暮せました。皆がこの恵みに招かれていますが、受け取る年齢は人によってそれぞれ違います。 

 ヤコブ…胎内から神の祝福を受けていたのに、「光を知りつつ、暗闇の中」を歩み、神の霊の食卓に着いたのはペヌエル経験後でした(28章以降)。

 兄たち…親の罪の中に生まれ育ち「光を知らず、暗闇の中」を歩み、飢饉からエジプトに引き寄せられて神の食卓に着きました。
ヨセフ…小さい時に「光を知って、光の中」を歩み、17歳の時以来、主の食卓で食事をしてきました。どの年齢からでも、「霊の食事」が始まることは良いことですが、「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ」(伝12章1節)は、重い意味を持ちます。

 神は、家族全員を霊の食卓に招きますが、最初は、父ヤコブの悔い改めと献身からでした。そして、20年後に家族全員が食卓に揃いました。

 友よ。あなたから神の祝福は始まっています。まず、あなたが霊の食事をしてください。すると、必ずあなたの家族はあなたの霊の食卓に招き寄せられてきます。

29/08/2026

8月30日 №557

「私のたどった年月は百三十年です。私の齢の年月はわずかで、ふしあわせで…。」

創世記47章9節

 ヤコブが言う「ふしあわせ」について、ヤコブ自身に答えてもらいましょう。

 …私は信仰深い家に生まれ、幼い時から神を教えられて育ちました。しかし、私は神の御心がわからず、自我のままに行動し、兄と父をだまして怒らせました。

 そして、父を悲しませたまま、叔父の所に逃げました。その途中で、神と出会いましたが、すぐまた元の自己中心な自分に戻り、20年を過ごしました。

 妻たちと子ども同士の争いが絶えず、ハランの義父から夜逃げしました。その途上で、神が再び出会ってくださいました。でも、その時点で、子どもたちは私を憎み、兄弟同士で殺し合うほど心が荒(すさ)んでいました。

 私の自我で家族を支配せず、もっと早く神に明け渡して家族を愛せたら、神の栄光を現せたのに…、私は本当に「ふしあわせな者」です。

 「ふしあわせ」と思う友よ。その思いこそ、聖霊による謙遜の恵みです。その者には神が、「私の民は、恥を受けることはない」(ヨエル2章26・27節)と繰り返し、保障してくださっています。「主に感謝せよ。慈しみはとこしえに」(詩136)と叫びましょう。

28/08/2026

8月29日 №556

「百三十年です。私の齢の年月はわずかで、ふしあわせで、私の先祖のたどった齢の年月には及びません。」

創世記47章9節

 パロを祝福したヤコブなのに、「私の齢はわずかで、ふしあわせで、先祖に及びません」と弱気になっています。彼は、「もっと長生きしないと不幸だ」と言ったのでしょうか。

 いいえ、彼は今までの人生を神に心から感謝しているが、振り返るとなお不満がある、と「聖なる不満」を口にしたのです。
聖なる不満は、神の基準に照らした自己評価です。先人曰く、「人の年齢は1年、1年を積み重ねる数字の単位では決まらない。なぜなら、浪費した時間を差し引かねばならないから」と。

 ヤコブは、神に家族が一つとされたことを感謝していますが、130年の中の多くの年月が罪に支配されたことを思い返し、「私の齢は…ふしあわせ」と言いました。

 友よ。自分の年に満足ですか。過去の人生に「食い荒らすいなご(罪の結果)」(ヨエル1章4節)の傷跡を見る度に悔みます。しかし、聖なる不満を持つ者(感謝しつつ罪を悲しむ者)に対して、「食い荒らすいなご…。食いつくした年々を、私はあなたに償おう」(同2章25節)と主が言われます。

27/08/2026

8月28日 №555

パロはヤコブに尋ねた。「あなたの年は、幾つになりますか。」ヤコブはパロに答えた。「私のたどった年月は百三十年です。」

創世記47章8・9節

 ヤコブがパロを祝福したのは、彼にエジプト王をも祝福する威厳が備わっていたからです。彼が、ただ年を重ねた羊飼いなら、身のほど知らずの田舎者になります。

 多くの老人たちを見ても、年齢が威厳を増すとは言えません。ヤコブの威厳は、130年間の人生経験にありますが、その歩みの核は「神との係わり」でした。

 特に、この数10年間は、家族の中に自分の罪の実を刈り取る辛い年月でした。その刈り取りを通して、本当の悔い改めに導かれ、神の前に低く低くされました。神の前に低くされた量だけ、彼の人格の威厳は増したのです。「主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます」(ヤコブ4章10節)。
 
威厳は、神に低くされた人が受ける冠です。低くされた人は、過去の罪の結果を受け取り、主に自分を差し出した人です。神の導きによって辿った年月とは、高慢を砕かれ、主に依存する訓練の年月です。その年月が長く深いほど威厳を増し加えます。

 悩みの友よ。今の悩みと苦しみと涙にも、冠があります。

26/08/2026

8月27日 №554

そこでヨセフは父ヤコブを導いてパロの前に立たせた。ヤコブはパロを祝福した。

創世記47章7節(口語訳)

 ヨセフは、世界で最も大きな国の王の前に羊飼いの父を伴いました。こんな時、パロがヤコブに祝福を与えるべきなのに、ヤコブがパロを祝福する逆転がおこりました。

 世界の政治経済界のリーダー達は、「人々を祝福するために」と言いますが、彼らこそ覇権主義、資源や経済の利権争い、投機、浪費を加速させ、世界の破滅を早める立役者になります。

 罪人が与える「祝福」の言葉の裏には、「自分の利益のため」が張り付いています。自己中心から出る祝福は、本当の祝福にはなりません。本当の祝福を授ける人は、ヤコブ(神の子)であってパロではありません。なぜなら、神の子が与える祝福は、「自分の祝福」でなく「神の祝福」だからです。
「地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される」(28章14節)。

 「全ての人…王…高い地位にある人々に神の祝福を祈れ」と神は言われます(Ⅰテモテ2章1節参照)。

 友よ。あなたこそパロを祝福するヤコブです。その祝福は、神を与えることであり、神の御業が行われるように、祈ることです。私たちの祈りが世界を変えます。

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鵜の木3-12-2 キリスト教東京鵜の木教会 内
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