31/08/2026
寺報「糸ぐるま」9月号より
この「糸ぐるま」を読んでくださっている皆さんの中には、薄々お気づきの方もおられるかも知れません……。
実は……私、オタク気質なんです!
え? なに今さら? と言われるかもしれませんね。(笑)
ということで今回は、浄土真宗の教えの基本である「他力本願」を、オタク趣味の中でも王道と呼ばれる「鉄道オタク」の立場から、少し例えてみようという試みです。
皆さんは、普段の生活で鉄道を利用されていますか?
覚円寺は大阪環状線の野田駅の近くにありますが、大阪環状線には、少し前までオレンジ色の四角い車両が走っていました。
八両編成で、一番前と一番後ろの車両は運転台があるので、すぐに見分けがつきます。しかし、その間に挟まっている六両は、みんなほぼ同じような形をしていますので、ぱっと見ただけでは違いが分かりません。
ところが、車両側面をよく見てみると、「モハ」と書かれている車両と、「サハ」と書かれている車両があります。ちなみにこれは、その車種や用途などを記号で表したものです。
では、この「モハ」「サハ」とは具体的に何なのか。
この「モ」はモーター付き、「サ」はモーターなしを表しています。そして「ハ」は、普通車を表しています。
つまり、同じような形をしている車両でも、モーターがついている車両と、ついていない車両があるということです。
モーターのついていない車両、「サハ」は、当然ながら自分で車輪を動かすことができません。どれだけ頑張っても、自分の力だけでは一ミリも進むことができません。
しかし、そこにモーターのついた「モハ」が連結されたら、どうでしょう。
「モハ」のはたらきによって、「サハ」は引かれ、押され、何十キロ、何百キロという道のりを走っていくことができます。
「サハ」が頑張ったから走れるのではありません。「モハ」の力によって運ばれているのです。
この姿は、私たちによく似ています。
私たちもまた、自分の力だけで迷いの世界を離れ、さとりに至ることのできる存在ではありません。煩悩に振り回され、思うように生きることもできず、自分の力だけでは仏になることはできません。
だからこそ阿弥陀さまは、
「そのままでよい、必ず救う」
と、本願を立ててくださいました。
私たちは、その本願に身を任せ、お念仏をいただくことによって、浄土へと運ばれていくのです。
ここで、私たちが一つ間違えやすいことがあります。
「念仏をしたら救われる」
という考え方です。
親鸞聖人がお示しくださったのは、そうではありません。
救われるために念仏を称えるのではありません。阿弥陀さまの救いを受け取ったからこそ、お念仏が口から出てくるのです。
これが、浄土真宗のお念仏です。
ですから、お念仏とは、私が阿弥陀さまに救っていただくための手段ではありません。
むしろ、「南無阿弥陀仏」というお念仏そのものが、阿弥陀さまが私を救うために与えてくださったはたらきなのです。
電車の話に戻しますと、モーターのついていない「サハ」は、自分の力では動くことができません。
しかし、「モハ」と連結されることで、その「モハ」のはたらきによって、目的地まで運ばれていきます。
「モハ」の力を受けながら走る「サハ」の姿は、阿弥陀さまのはたらきによって、お念仏をいただき、お浄土へ向かわせていただいている私たちのようです。
自分の力では走ることのできない「サハ」のような私を、阿弥陀さまは本願の力によって、念仏道というレールの上を必ず浄土まで運んでくださる。
お念仏したから救われるのではない。
救いを受け取らせていただいたからこそ、お念仏が出てくる。
これこそが、親鸞聖人がお示しくださった「他力本願」のお心ではないでしょうか。
今回は「他力本願」というものを、一見何の繋がりもなさそうな「鉄道」で例えてみましたが、いかがでしょうか。