金光教小田原教会

金光教小田原教会 教派神道金光教。明治28年に布教の認可を得て小田原に、神と人、人と神とを結ぶ取次をはじめる。

教派神道金光教。明治28年に布教の認可を得て、神と人、人と神を結ぶ取次の業(とりつぎのわざ)が始まる。今年布教128年目。
金光教祖御教やコラム、小田原教会の行事情報等をお知らせいたします。
Twitterでは、金光教祖様のみ教えやふとしたことをを呟いてます。
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ねこどこ。
26/03/2023

ねこどこ。

新年あけましておめでとうございます。コロナウイルス感染の流行も落ち着いたように思われますが、まだ油断はできません。私達の生活は一変してしまいました。人の世は苦難の世です。天災、戦争、疫病、貧困など大変な中に生を授かり、願われて生まれてきたに...
01/01/2022

新年あけましておめでとうございます。
コロナウイルス感染の流行も落ち着いたように思われますが、まだ油断はできません。
私達の生活は一変してしまいました。人の世は苦難の世です。天災、戦争、疫病、貧困など大変な中に生を授かり、願われて生まれてきたにもかかわらず大変な思いをします。最初から命がなければ大変な思いはしません。わざわざ大変な思いをするために生まれてきたのでしょうか。
この世には苦難と共に生命の持つ素晴らしさ、ありがたさ、美しさがあります。どんなに困難な人生でも、たった一瞬のありがたさ、感動の為に生を授かったという確信が生きる原動力であると私たちは本能的に知っているのです。神様に出会った瞬間、全ての難儀が解けて消えてしまうのです。神様はわざわざ大変な目にあわせようとはされません。神様が困難の中、本当に伝えたいことは何なのかを自分でつかみ取ることが信心です。神様を信じ、すがるのが信心であり、信じてすがる神様に出会うのが人生です。

#生まれてきた意味
#教会長教話
#新年あいさつ

弱いなら、弱いまま進めば、勇気が出てくる優鬱感や不安のない人間なんていやしない。自分を大事にして、かばう、うまくやろう、傷つきたくない、そう思うから不安になるんだ。もし自分がヘマだったら、“ああ、おれはヘマだな”と思えばいい。もし弱い人間だ...
07/12/2021

弱いなら、弱いまま進めば、勇気が出てくる

優鬱感や不安のない人間なんていやしない。
自分を大事にして、かばう、うまくやろう、傷つきたくない、そう思うから不安になるんだ。
もし自分がヘマだったら、“ああ、おれはヘマだな”と思えばいい。
もし弱い人間だったら“弱いんだな”でいいじゃないか。
弱いからダメだとか、どうしてこう、弱いんだろうと嘆いて、自分自身を責めることで慰め、ごまかしている奴が多いんだ。
そういうのは甘えだよ。
もっと平気で、自分自身と対決するんだ。
こんなに弱い、なら弱いまま、ありのまま進めば、逆に勇気が出てくるじゃないか。

岡本太郎師より

「バカな自分を堂々と押し出すのがプライドだ。」プライドとは絶対感だと思う。バカであろうと、非力であろうと、それが自分だ、そういう自分全体に責任を持って、堂々と押し出す。ところが自尊心だとかプライドだとかいいながら、まるで反対のことを考えてい...
01/11/2021

「バカな自分を堂々と押し出すのがプライドだ。」

プライドとは絶対感だと思う。
バカであろうと、非力であろうと、それが自分だ、そういう自分全体に責任を持って、堂々と押し出す。ところが自尊心だとかプライドだとかいいながら、まるで反対のことを考えている人間が多い。
他人に対して自分がどうであるか、つまり、他人は自分のことをどう見ているかなんてことをきにしていたら、絶対的な自分は無くなってしまう。
プライドがあれば、他人の前で自分をよく見せようと思ってしまうのは、そういう人間にコンプレックスがあるからだ。
自分はなんでバカな奴だといいながら、内心では、こっそり、いや、そんなことはないかもしれない、なかなかどうして、なんて思っている。
そういう複雑に絡みあったものがコンプレックスだ。

岡本太郎師「孤独がきみを強くする」より

『金光大神』終章 金光大神の教えより信心について金光様は、「信心とはわが心が神に向かうのを信心という。神徳の中にいても、人間に信がなければ、おかげはない」「神の前に参って自分の思うことを頼むばかりが信心ではない。神へ参らない時に信心すること...
23/09/2021

『金光大神』終章 金光大神の教えより

信心について金光様は、
「信心とはわが心が神に向かうのを信心という。神徳の中にいても、人間に信がなければ、おかげはない」
「神の前に参って自分の思うことを頼むばかりが信心ではない。神へ参らない時に信心することがたくさんある」
と、神のはたらきの中に生かされていることを悟り、いつでもどこでも心を神に向けていくのが信心だと説いた。信心における心のあり方の大切さについて、金光大神は、
「おかげを受けられるか受けられないかは、わが心にある。わが心さえ改めれば、いくらでもおかげはいただける」
「天地の親神様を信心するのであるから、天地のような広い心にならなければならない」「『今月今日で一心に頼めい おかげは和賀心にあり』という見識を落としたら世が乱れる。神のひれいもない。親のひれいもない」と説いた。また、物事の真実を悟る心の目について、金光大神は、
「信心するという心におかげはない。信心させていただくという心におかげがある」
「神を信じるものは、何をするにしても遊ばせていただくのである。広前の奉仕で遊ばせていただき、商売でも農業でも遊ばせていただいているのである。みな天地の間にうれしく、ありがたく遊ばせていただいているのである」と語っている。つまるところ、金光大神にとって、信心は「信心する」というよりは「信心になる」というべきものだった。
 心を神に向けての生き方を貫く信心が至りつくところについて、金光大神は、
「しんじんとは、信の心ではない。金光大神は、しんじんを神人と書く」と教えた。信心して「神人」と呼ばれるような人間になることが、金光大神の信心の目指すところだった。
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【所感】
金光様は、産まれながらに神の申し子であったわけでも、神の化身であったわけでも、突然神が体に宿った訳でもなく、あくまでも自分はただの人間であるという自覚を最後までお持ちでした。
そして、金光様自身が人間離れした神秘的な存在であることが、私たち氏子の難儀を救い助けてくださる救済の決め手になるものではないと教えてくださいました。信心は、一度神様に拝んでしまえば終わりではなく、自らが行うものであると度々仰られています。
ではなぜ、農家の家に生まれ、養子に出てから農業へ生きた一農民の教祖様が神様に出会い、神様と繋がり後の「金光教」という助かりの道が生まれてきたのでしょうか。
それは、教祖様が人生をかけてただ一つのこと、「神様を信じ抜く」という事を貫いたからです。そこから、神様との関係が生まれ、共に育っていき、一つのことを決めてそれを信じ貫く姿にの先に、神人双方助かりの道を切り拓いたのではないでしょうか。

#信心とは
#金光大神
#御教え

佐藤光俊師 2009年金光新聞より『金光教教典には、教祖様が、その生涯の間に百日修行を二度なさったことがうかがえるものの、具体的な行の内容など、詳しいことは分からない。 教祖様は、「立教神伝」を受けられる以前から、神様からのお知らせのままに...
17/09/2021

佐藤光俊師 2009年金光新聞より

『金光教教典には、教祖様が、その生涯の間に百日修行を二度なさったことがうかがえるものの、具体的な行の内容など、詳しいことは分からない。
 教祖様は、「立教神伝」を受けられる以前から、神様からのお知らせのままに蚊帳をつらずに夜を過ごすなど、多くのお試しを受けられた。それも行の一つだとすれば、神様と出会って以来、ずっと行をなさったともいえる。
 教祖様の行の内容を想像し、言葉にしようとしても、なかなか表現しきれないものがある。自分がそういう立場に立ってみて、初めて分かることなのかもしれないが、行の内容だけを推し量ることにあまり意味はない。
 本来、行は人間と神様との関係の上に成り立つものであり、人に見せるものでも、強要されるものでもない。また、神様の命を受けるということはあっても、自分で取り組む意志がなければ行にはならない。
 行には、「させられてする修行」「望んでする修行」「せざるを得なくてする修行」と、三種類があるように思う。「せざるを得なくてする修行」が最も重要な気がする。
 教祖様が最晩年になさった百日修行は、これまでの半生を振り返った時、「自分はどう在りたいのか」「神様は何を求められているのか」という思いの中で生まれてきたのではないだろうか。それは、「形がのうなったら、来てくれてと言う所へ行ってやる」と言われるような、永遠の取次者として自らが転化、昇華していくための「せざるを得なくてする修行」だったのではないかと思う。
 山本定次郎師の教えの中に「人を不足に思わず、物事に不自由を行とし、家業を働き、身分相応を過ごさぬよう倹約をし、だれにも言わずに行えば、これ心行なり」とあるが、人を不足に思わないということだけでも、一生かけてもできるかどうかは分からない。
 そんな行を、何のためにするのか、してどうなるのか、ということを考えがちだが、「せざるを得ない修行」とは、神様に用いられるような器に至るためには不可欠なものであると思う。そうした氏子が生まれていくことが、「神が助かる」氏子の在り方というものに、自らをつくり上げていくのではないだろうか。

#修行
#行
#三種類の修行
#氏子の在り方

 #ゆずり葉   #河井酔茗(かわいすいめい)子供たちよ。これはゆずり葉の木です。このゆずり葉は 新しい芽が出来ると入れ代わってふるい葉が落ちてしまうのです。こんなに厚い葉こんなに大きい葉でも新しい芽が出来ると無造作に落ちる新しい葉にいのち...
09/09/2021

#ゆずり葉   #河井酔茗(かわいすいめい)

子供たちよ。
これはゆずり葉の木です。
このゆずり葉は 新しい芽が出来ると
入れ代わってふるい葉が落ちてしまうのです。

こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい芽が出来ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちをゆずって。

子供たちよ
お前たちは何を欲しがらないでも
すべてのものがお前たちにゆずられるのです。
太陽の廻るかぎり
ゆずられるものは絶えません。

輝ける大都会も
そっくりお前たちがゆずり受けるのです。
読みきれないほどの書物も
みんなお前たちの手に受けるのです。
幸福たる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれど。

世のお父さん、お母さんたちは
何一つ持ってゆかない。
みんなお前たちにゆずってゆくために
いのちあるもの、よいもの、美しいものを
一生懸命に造っています。

今、お前たちは気が付かないけれど
ひとりでにいのちは延びる。
鳥のようにうたい、花のように笑っている間に
気が付いてきます。

そしたら子供たちよ。
もう一度ゆずり葉の木の下に立って
ゆずり葉を見る時が来るでしょう。

しんぼうがたいせつ『金光様』より昭和11年8月5日、金光様は56回目のお誕生日をむかえられました。その翌日のことです。盛岡教会でご用していた田辺三郎先生は、教義講究所で勤務しておられた、初代教会長の藤彦五郎先生によばれて本部へ、おまいりをさ...
01/09/2021

しんぼうがたいせつ『金光様』より

昭和11年8月5日、金光様は56回目のお誕生日をむかえられました。その翌日のことです。盛岡教会でご用していた田辺三郎先生は、教義講究所で勤務しておられた、初代教会長の藤彦五郎先生によばれて本部へ、おまいりをされました。田辺先生は感激し、本部のお広前へ参拝して、切々たる思いで自分のご無礼・不行届をおわびし、立ちなおりをお願いされたのです。すると金光様は、
「天地のことは、人の力におよびませんでなあ。
 神信心には、なにごともしんぼうすることが、一ばんたいせつでございます。
 教祖様がなあ、欲をはないて、神様のお取次をお受けなされ、四神様が、おあとを十年、夜に日に欲をはなれておすわりなされ、早うおくにがえされてなあ。
 それから、なにも知らぬわたくしが、すわりさえすればらくじゃ言うて、すわらしてもらいました。
 はじめのうちは、つろうてつろうて、よう泣きましたがなあ。親神様の教えを守らしてもろうて、泣く泣くしんぼうしいしいに、すわっとりましたら、ほしいもの、考えることも、いつの間にか無くなりましてなあ。ありがとうてありがとうてならぬようになり、なんぼうお礼を申してもたりませんのじゃ。
 お礼のたりませぬおわびばかりしておりますが、もったいないことであります」
とおっしゃいました。このみさとしをうけた田辺先生は、こころの眼がひらけました。みさとしを胸のおくに深くきざみこみ、あつくお礼を申しあげたのでした。しかし、これは自分にくださったものと思われたのでしょう、藤先生には伝えずに、そのままよろこんで盛岡へ帰っていったのでした。
 金光から教会に帰り、田辺先生からこのみさとしのことをきかれた藤先生は、心をうたれました。しばらくして、講究所に帰任された先生は、このみさとしを浄書して金光様に見ていただかれました。しばらく、これをごらんになっていた金光様は、なかの一字をなおされて、
 「このとおりです」
とおっしゃいました。それから藤先生は、全教へこれを伝えたいとお願いされ、お許しをいただいたのであります。

#辛抱がたいせつ
#三代金光様

住所

浜町1-10/37
Odawara-shi, Kanagawa
250-0004

営業時間

月曜日 07:00 - 18:00
火曜日 07:00 - 18:00
水曜日 07:00 - 18:00
木曜日 07:00 - 18:00
金曜日 07:00 - 18:00
土曜日 07:00 - 18:00
日曜日 07:00 - 18:00

電話番号

+81465223721

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