01/06/2026
今月の掲示板
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みまかりぬる、幼子のむすめ御前の十三年に、丈六の卒塔婆をたてて、其面に、南無妙法蓮華経の七字を顕しておわしませば、北風吹ば南海の魚族、其風にあたりて大海の苦をはなれ、東風きたれば西山の鳥鹿、其風を身にふれて、畜生道をまぬかれて、都卒の内院に生れん。況や、かの卒塔婆に随喜をなし、手をふれ、眼に見まいらせ候う人類をや。『中興入道御消息』
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5月14日に水子供養会を行いました。
本来は旧境内地の水子観音像前で五月晴れの中での法要、となるべき所なのですが、前日からの雨と風で屋外法要を断念し、本堂内での法要といたしました。
記録を見てみますと、これで3年連続天候に恵まれていません。来年こそ水子観音様の前で法要をと願うばかりです。
さて、「水子」とは「流産、死産、または人工妊娠中絶によって、この世に生を受けることなく亡くなった胎児、また生まれて間もなく息を引き取ってしまった赤ちゃんを指す」と解説されています。かつてはこのような子供に法号を付けて弔うことが多くありましたが、近年は水子さんの葬儀や法号授与といったことはあまりなされなくなりました。
しかし現代でもおおむね乳児は250人に一人、新生児は500人に一人が亡くなるのだそうです。この中には中絶の数は入っていませんので、私たちが想像するよりも水子さんは多いのかも知れません。
日蓮聖人は「恨みの至って恨めしきは、幼くして親に先立つ子」(松野殿御返事)という言葉を残しています。
いずれ死産・流産はもちろんのこと、子供の死というのは本当に辛いもの。日蓮聖人は更に続けて「歎きの至って歎かしきは、老いて子を先立つる親なり」といいます。幼くても長じても、我が子との別れというのは何よりも辛い。これは人類が始まって以来、きっと変わってはいないはずです。
冒頭の一文は、日蓮聖人が佐渡に流された際に夫婦で信仰者となった近藤信重へあてたものです。
彼は日蓮聖人が佐渡におられた際に過ごされた一谷の近郷、中興村に住しており、後に剃髪したため中興入道と呼ばれます。
彼は幼くして亡くなった娘の第十三回忌追善のために、佐渡から遠く身延山におられた日蓮聖人のもとに参じます。その際に入道の妻は供養の品を託し、日蓮聖人がその返礼として認められたものです。
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幼くして亡くなった娘さんのために、大きな塔婆を立ててその表面にはお題目の七字を書いて供養しました。
その塔婆に北風が吹けば南の海の魚がそのお題目の風に吹かれて大海の苦しみを逃れ、東からの風が吹けば西の山にいる鳥や鹿がその風に身を触れて畜生道を免れて天上界に生まれることが出来ます。
ましてその塔婆に手を触れて眼に見る人たちの功徳は計り知れないものでしょう。(取意)
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幼くして亡くなった子供のために、佐渡から遠く身延山まで出向いて供養をする、その親心は鎌倉時代も今も変わることはないでしょう。その思いは、我が子だけでなく、広く命あるもの全てに届く、そんな風に読めます。
近年では、よく子供が出来る、子供を作る、という風に言われることが多くなりました。
かつて医療が今ほど発展していない時代、出産は今より一層死と隣り合わせの一大事でした。また不妊治療などが広く行われるようになった現在でも、新しい命が母胎に宿るかどうかは約束されているものではありません。
だからこそ、子供、命は「宿る」もの、「授かる」ものなのだと思うのです。
大人になると今自分が生きていることが当たり前のように思います。それでも私たちがこの世に生まれたときに、如何に歓びに溢れたのかと思うことがあります。
そういえば5月には母の日、6月には父の日があります。親と子、命の繋がりを思うにはいい季節かも知れません。