中野パークサイドチャーチ

中野パークサイドチャーチ プロテスタント教会 キリスト同信会の中野集会
住所 東京都中野区中野1丁目45-12
電話 03-3361-1744
1889年(明治22年)にH.Gブランド宣教師によって始められたキリスト集会です。

6月6日子ども食堂に、ニューフェイス赤ちゃんが、二人も来てくれました。4月生まれと、5月生まれ、まだ1ヶ月の小さな可愛い赤ちゃん👶です。💕スタッフ一同代わる代わる抱っこで盛り上がりました。孫はすぐ大きくなっていまいますが、次々と赤ちゃんが来...
06/06/2026

6月6日子ども食堂に、ニューフェイス赤ちゃんが、二人も来てくれました。
4月生まれと、5月生まれ、まだ1ヶ月の小さな可愛い赤ちゃん👶です。💕
スタッフ一同代わる代わる抱っこで盛り上がりました。
孫はすぐ大きくなっていまいますが、次々と赤ちゃんが来てくれて嬉しいです。🎵😍🎵

06/06/2026

ヨセフの夢 -36-

⭐ヤコブは、息子たちに命じ終えると、寝床の上に足をそろえ、息を引き取り、先祖の列に加えられた。✨(創世記49章33節)

臨終の直前、ヤコブは「先祖の墓に葬ってほしい」と遺言しました。聖書の時代は土葬が普通で、火葬は例外でした。先祖の列に加えられるためにも、エジプトではなくカナンの地に埋葬してほしいと願ったのです。ヤコブの最期は大往生と呼べるもので、子や孫らを一人ひとり祝福し、遺言しています。しかし、エジプトに来るまでの130年の生涯は、苦しみと悲しみに満ちていました。父を欺き、兄の祝福を奪ったため、夜逃げする羽目に陥りました。母の実家に身を寄せましたが、おじラバンに欺かれ、都合よく扱われます。更には、自分の息子たちに欺かれ、ヨセフのことで悲しみ続けました。ヤコブはイスラエルと改名されましたが、肉的な側面を強く持つヤコブと、神に勝利した信仰的なイスラエルという名が前後に交錯して記されています。最後まで霊と肉との葛藤の強かったことが、暗示されています。しかし、ヨセフとの涙の再会を経て、エジプトに移住してからのヤコブの晩年は、幸せそのものでした。神への祈りと瞑想、人生の回顧と反省とに日々を過ごしました。そして、その死は崇高で高貴であった、と思われます。死の時を自覚すると、自ら衣服と姿勢を整え、寝床の中に真っ直ぐ足を収めています。彼の両目はもはや視力はありませんでしたが、その表情は天を仰ぎ、今まさに人生の終幕の報告を、自らの創造主に告げようとしていました。死の直前まで、彼の意識は明瞭でした。

⭐ヨセフは父の顔に伏して泣き、口づけした。✨(創世記50章1節)

これより17年前、ヨセフの住むエジプトに、一家を挙げて移住すべきか逡巡していた時、神は、ヤコブよと呼びかけ「エジプトへ下ることを恐れてはならない。わたしがあなたを大いなる国民にする。わたしはあなたと共にエジプトへ下り、わたしがあなたを必ず連れ戻す。ヨセフがあなたのまぶたを閉じてくれるであろう」と約束されていました(46章3,4節)その通りに、ヨセフが父ヤコブのまぶたを閉じました。そしてヨセフは父ヤコブの顔に伏して泣き、口づけます。この時、ヨセフには様々な思いがあったでしょう。それについては何も記さず、読者の想像に委ねています。(浜田記)⛪

30/05/2026

ヨセフの夢 -35-

ヤコブは、ヨセフの子らの祝福を、次のように祈りました。

⭐私の先祖アブラハムとイサクが、その御前に歩んだ神よ。
私の生涯を今日まで 導かれた牧者なる神よ、
私をあらゆる苦しみから 贖われた御使いよ。
どうか、この子供たちの上に 祝福をお与え下さい。
どうか、私の名と、私の先祖アブラハム、イサクの名が 彼らによって覚えられるように。
どうか、彼らがこの地上に 数多く増え続けますように。」✨   (創世記46章15、16節)

この祈りには、ヤコブが137年の生涯を振り返って、心に湧き上がる思いが込められています。祖父アブラハムと父イサクは、主の御前を意識して人生を歩みました。私はそれに及ばないが、そんな自我の強い、失敗だらけで肉的(人間的)な私の生涯をすら、今日まで導いてくれた羊飼い(牧者)である神に向かって、語りかけています。ここには「贖い」の語を用いて、孫たちの祝福を祈っています。旧約における祝福は、もっぱら地上の現世的な祝福が考えられています。
その祝福の後、ヤコブは「間もなく、わたしは死ぬ。だが、神がお前たちと共にいてくださり、きっとお前たちを先祖の国に導き帰らせてくださる」と、ヨセフに言っています。死ぬ前に、子や孫たちを祝福する。人生最後の仕事は、一人ひとりの祝福を祈ること。それを、ヤコブは孫だけではなく、12人の子ら全員に語っています。それが創世記49章1-28節です。同じことをしたのは、モーセだけです(申命記33章)。子らの中で、ユダとヨセフへの言葉が最も長い。

⭐王笏はユダから離れず、統治の杖は足の間から離れない。
ついにシロが来て、諸国の民は彼に従う。✨  (創世記49章10節)

これはキリスト(メシア)預言になっています。ヤコブは、そこまで見ています。創世記の著者は次のように記す。「父(ヤコブ)は彼ら(12人の息子ら)を、おのおのにふさわしい祝福をもって祝福したのである」(49章28節)と。最期に示す信仰は、神の祝福を子や孫に届けること。私たちもそれに倣いたいものです。

信仰者列伝を記した新約聖書ヘブライ11章の、ヤコブへの言葉。
信仰によって、ヤコブは死に臨んで、ヨセフの息子たちの一人一人のために祝福を祈り、杖の先に寄りかかって神を礼拝しました。(ヘブライ11章21節)(浜田記)⛪

23/05/2026

ヨセフの夢 -34-

⭐これらのことの後で、ヨセフに、「お父上が御病気です」との知らせが入ったので、ヨセフは二人の息子マナセとエフライムを連れて行った。✨(創世記48章1節)

ヤコブたちの住んでいるゴセンの地は、ヨセフが国政を執務していた場所から50キロも離れていました。父の最期が近いことを知らされたヨセフは、二人の息子を連れて父を見舞った。ヨセフ到着の知らせを聞くと、イスラエルは力を奮い起こして、寝台の上に座った。渾身の力を振り絞って、床の上に座わりました。父親であるから寝たままでも構わないであろうに、ヤコブは正座したのです。それは人生のけじめを迎える者の態度でした。何か心迫る思いになります。息子であったとしても、ヨセフは別格でした。ヨセフは救い主のような存在に、今はなっていたのです。死んだと思っていた息子ヨセフとの涙の抱擁をした17年前のことが、今も脳裏にはあったに違いありません。今、ヨセフは二人の息子を父の許に連れて行きます。死ぬ前に、祝福してもらうためでした。その時、ヤコブは二人を産んだ妻リベカのことを思い出し、ヨセフに向かって、次のように言いました。

⭐「わたしはパダンから帰る途中、ラケルに死なれてしまった。あれはカナン地方で、エフラトまで行くには、まだかなりの道のりがある途中でのことだった。わたしはラケルを、エフラト、つまり今のベツレヘムへ向かう道のほとりで葬った」✨(48章7節)と。

ヤコブにはラケルという正妻と側女ビルハ、姉レアと側女ジルパの4人から生まれた12人の息子がいました。長男は姉レアから生まれ、ラケルがヤコブに産んだヨセフは11番目でした。その時、ラケルは、「神が私の恥をすすいでくださった」と言いました。それからいろいろな出来事があり、ヤコブ念願の帰郷の途中で妻ラケルはベニヤミンを出産します。その喜びは、妻ラケルの死という悲しみで覆われてしまう。ラケルは最後の息を引き取ろうとするとき、その子をベン・オニ(私の苦しみの子)と名付けたが、父はこれをベニヤミン(幸いの子)と呼んだ。ラケルは死んで、エフラタ、すなわち今日のベツレヘムへ向かう道の傍らに葬られた。ヤコブは、彼女の葬られた所に記念碑を立てた。それは、ラケルの葬りの碑として今でも残っている。(35章18~20節)最愛の妻を喪った悲しみは、何年経とうとも忘れることはできない。(浜田記)⛪

16/05/2026

ヨセフの夢 -33-

⭐イスラエルは死ぬ日が近づいたとき、息子ヨセフを呼び寄せて言った。「もし、お前がわたしの願いを聞いてくれるなら・・・実行すると、誓ってほしい。どうか、わたしをこのエジプトには葬らないでくれ。わたしが先祖たちと共に眠りに就いたなら、わたしをエジプトから運び出して、先祖たちの墓に葬ってほしい」✨(創世記47章29、30節)

私にはまだ死ぬと言う仕事がある、と三浦綾子姉は夫によく言っていました。死ぬ前に人として、しておくべきことがある、と。自分の葬儀への指示と、後に遺される者たちへの配慮の2つがそれです。それをヤコブは理想的な形でしたことが創世記に記されています。上記の聖句は、自分の葬りのへの指示で、死期の近づいた147歳の父の頼みです。最も信頼するヨセフに自分の最期を託す父。その願いに、ヨセフが「必ず、おしゃるとおりにいたします」と答えると、「では、誓ってくれ」と言ったので、ヨセフは誓った。イスラエルは、寝台の枕元で感謝を表した」(31節)。ヨセフへの感謝であったし、神に感謝を表したとも受け取れます。この時のヤコブは、もう以前のヤコブではない。だから、イスラエルと明記されています。人を欺くヤコブではなく、神と戦って勝利したイスラエルとしての姿があります。147歳=100+40+7で、聖書的には完全数を3個重ねます。彼はもう十分過ぎる上にも十分なほどに、生き切ったことがこの数字に象徴されています。だから、もう生に執着することはなく、また死を恐れることもなかったのです。ここで、前述の三浦綾子姉に戻ります。

三浦綾子姉は晩年、パーキンソン病という難病と長く闘いながら、執筆も困難になるほどの状態にありました。その中で彼女は、「わたしにはまだ死ぬという仕事がある」と語りました。ここでの「仕事」とは、キリスト者としての使命感に根ざした言葉でした。生涯を通して、「神の愛を伝えるために書く」 という信仰を持っていました。“生き方そのもの、そして死にゆく姿を通して神の愛を証しする” という新しい使命を感じたと考えられます。「死」を通しても、なお語り続けられるという確信。彼女は、自分の死が、なお誰かを励まし、神の愛を伝える働きになる と信じていたのです。誰もが死を迎えます。それをどのように受け止めるか。そこに、使命を見い出したいものです。(浜田記)⛪

09/05/2026

ヨセフの夢 -32-

⭐ヨセフは民に言った。「よいか、おまえたちは今日、農地とともにファラオに買い取られた。さあ、ここに種があるから、畑に蒔きなさい。収穫の時には、五分の一をファラオに納め、五分の四はお前たちのものとするがよい。それを畑に蒔く種にしたり、お前たちの家族の者の食糧とし、子供たちの食料としなさい。」✨(創世記47章23、24節)

エジプトの記録に、第12代王朝時代のセン・ウスレント2世が、紀元前1870年頃に全国民の土地を国有化したとあります。それはヨセフがエジプト国民に対してしたことにつながります。
いつの時代にも、危機管理能力が国のトップには求められます。困難・機器の中でも、先の見通しを持つことが必要だからです。ヨセフはそれを有していました。ヨセフはエジプト国民に穀物の種を与え、収穫の五分の一(20%)を年貢として納めるよう定めました。国民はそれを重税とは思いませんでした。むしろ喜んで納めました。異常事態である飢饉が背景にあったとはいえ、国民のヨセフへの信頼と支持の大きさがうかがえます。内閣支持率が問題にされますが、総理大臣であるヨセフの支持率は非常に高かったに違いありません。それは、ヨセフが良き政治を行ったからです。

⭐民はヨセフに言った。「あなたさまはわたしどもの命の恩人です。御主君の御好意によって、わたしどもはファラオの奴隷にさせていただきます。」✨(25節)

江戸時代、農民は幕府に年貢を取り立てられた。その割合は、初期は4割(40%)だったのが、中期になると5割に増えています。ドラマとして映像化される悪代官は、更に重くして取り立てたのです。そのため、百姓たちによる一揆が各地で起きました。そうした現実は、わが国だけでなく世界中で見られました。ロシアには農奴と呼ばれる奴隷農民がいて、その暮らしは悲惨そのものでした。それらと比べると、ヨセフも国民を奴隷としていますが、前述のように、国民が自らそう望んだのです。それはまさにヨセフ=イエスで、私たちも上記の聖句と同じに、「イエスさま、あなたはわたしどもの命の恩人です。これまでは罪の奴隷、悪魔の支配下に置かれていましたが、神の奴隷にさせていただきます」と言い換えることができます。イエスさまの統治する国(新天新地)に、私たちもやがて住むようになり、最高の為政者を心から賛美します。(浜田記)

5月9日こども食堂が無事に終わりました。2月にも肉そぼろ弁当にしたのですが、美味しかったから、また食べたいとのリクエストにより、今回も作りました。🍱副菜は初めての、切り干し大根サラダと、キャベツのナムルです。子供はどうかな?と思っていたので...
09/05/2026

5月9日こども食堂が無事に終わりました。
2月にも肉そぼろ弁当にしたのですが、美味しかったから、また食べたいとのリクエストにより、今回も作りました。🍱
副菜は初めての、切り干し大根サラダと、キャベツのナムルです。
子供はどうかな?と思っていたのですが、小さい子も完食で、「美味しかった💓ごちそうさま」と。
みんなの笑顔が張り合いです!

02/05/2026

ヨセフの夢 -31-

⭐飢饉が極めて激しく、世界中に食料がなくなった。エジプトの国でも、カナン地方でも、人々は飢饉のために苦しみあえいだ。✨ (創世記47章13節)

指導者としてヨセフの真価が問われる現実を前にします。飢饉が極めて激しく加速していったからです。食料を求めて殺到する人々に、ヨセフはどう対応したかが、創世記47章13-26節に記されています。上記の聖句が示す飢饉の問題への対処です。ヨセフはエジプトの国とカナン地方の人々が穀物の代金として支払った銀をすべて集め、それをファラオの宮廷に納めました。注目すべきは、エジプト人からも代金を受け取った点です。
銀が尽きると、エジプト人は皆、ヨセフの所にやって来て、「食べる物をください。あなたさまは、わたしどもを見殺しになさるおつもりですか。銀はなくなってしまいました」と言った(15節)。

もう支払う銀が無い!しかし、生きるための食料は欠かせない、と泣きついたのです。するとヨセフは答えます。「家畜を連れて来なさい。もし銀河なくなったのなら、家畜と引き換えに与えよう」。人々は家畜を連れて来ました。家畜は田畑を耕すのに欠かせませんが、飢饉では無役です。ヨセフは穀物を、ただ(無料)では与えませんでした。銀が尽きると、所有する家畜を代価にしました。家畜が尽きると、土地とそこに住む国民(住民)を代価にしました。こう言うと、酷い搾取に思えるかもしれませんが、そうではありません。国民自らがそれを願ったからです。飢えに困窮し切っていたのと、ヨセフへの絶大な信頼の故でした。

⭐次の年になると、人々はまたヨセフのところに来て、言った。「食料と引き換えに、わたしどもと土地を買い上げてください。わたしどもは農地とともに、ファラオの奴隷になります。種をお与えください。そうすれば、わたしどもは死なずに生きることができ、農地も荒れ果てないでしょう。」 ✨(創世記47章18-19節)

もしヨセフが家畜を引き換えにしなかったなら、家畜はきっと食べられていました。そうすると、飢饉が終り農作業が始まれば、たちまち家畜の労働力が必要になり、困ったでしょう。多くの国民はそこまでの長期的な展望よりも、目先のことに終始しがちです。ヨセフが家畜を代価にしたのは、家畜を確保するためでした。種を求めたのは、飢饉が最終年に近づいていたからです。どんなに酷い中でも、将来を見据えたい。(浜田記)

25/04/2026

ヨセフの夢 -30-

⭐ヤコブは、「私のたどった年月は130年です。私の齢の年月はわずかで、ふしあわせで、私の先祖のたどった齢の年月には及びません」と、王に答えた。 ✨ (創世記47章9節)

ヤコブは130年の生涯を思い返し、「短い生涯であり、苦しみばかりだった」と話しています。不幸せが実感だったのです。母リベカの勧めもあって、兄の祝福を騙し取ったため、母の実家に逃亡。そこでラケルと出会うのですが、彼女の兄ラバンの策略に遭い、苦労します。最愛の妻ラケルを、弟ベニヤミンの出産直後に喪います。更に、特別に愛した17歳のヨセフと生き別れになってしまう。そうした辛く、苦しい日々が「ふしあわせ」と言わせています。

幸せな記憶はすぐに忘れてしまう。むしろ、不幸な記憶ばかりが、いつまでも心の襞(ひだ)に染みついて消えない。だけど、そうではないはず。神が共にいて祝福されたことなど、感謝すべきことが沢山あるはず。もし失ったものばかり数えれば、ヤコブのように「ふしあわせ」になります。そんなヤコブでしたが、エジプトで、この後17年生きます。子や孫らに看取られる幸いな147年で最期を迎えています。間違いなくヨセフとの再会によって、ヤコブは生き返り、喜びの人生へと変えられたのです。エジプトで過ごした17年が人生最後の年月でしたが、これほど幸いな時はなかったでしょう。その意味でも、ヨセフは主イエスの型でした。父ヤコブだけでなく、兄たちをも救ったからです。ヨセフの物語がどの族長よりも多く記されているのは、主イエスを指し示しているからなのです。

騙し、騙されてきたヤコブの人生は不幸でした。こんな思いのままで死を迎えてはいけない。だから神はヤコブに、更に17年の余生を恵まれました。この17年は、これまでの生涯で最も幸いな月日でした。ヨセフとの再会は、夢のよう。ヨセフは父たちに住まいとして与えた地は、「ラメセス地方の最も良い土地であったヨセフはまた、父と兄弟たちと父の家族の者すべてを養い、扶養すべき者の数に従って食糧を与えた」(11-12節)。同じ恵みを、私たちも受けています。ヨセフ=キリストだからです。私たちも主イエスに迎えられ、神に養われる最上の人生を恵まれています。そして、悔いなく、満ち足りて、その生涯を終えることが許されています。何と感謝すべきことでしょう。(浜田記)⛪

18/04/2026

ヨセフの夢 -29-

⭐ヨセフは父を見るやいなや、父の首に抱きつき、その首にすがったまま、しばらく泣き続けた。イスラエルはヨセフに言った。「わたしはもう死んでも良い。お前がまだ生きていて、お前の顔を見ることができたのだから。」 ✨(創世記46章29,30節)

ここを読むと、胸が熱くなります。泣いたのは父と息子だけではなく、その場に居た全員が涙したのではないか。こんな日が来ようとは、誰が想像できたでしょうか。兄たちは自分たちが犯した過去の罪を思いつつも、救われる思いになった。ヨセフは老いた父を見て、歳月を感じ、申し訳ないことをしたと涙が止まらない。父はただうれしくて泣いている。北朝鮮に拉致された人々が、年老いた親兄弟と再会できたら…。親はどれほど、その日の来ることを願い、夢見たことでしょうか。

⭐ヨセフはファラオのところへ行き、「わたしの父と兄弟たちが、羊や牛をはじめ、すべての財産を携えて、カナン地方からやって来て、今、ゴシェンの地におります」と報告した。✨   (創世記47章1節)

涙の対面の後、ヨセフはすぐに直面する具体的な問題についてファラオに報告します。父や兄たち一族が安心して暮らせるには、ゴシェンの地が適していると判断していたからです。しかし、それには王の許可が必要でした。そこでヨセフは王のもとに行き、報告します。宗教的な理由で、エジプトでは羊飼いが忌み嫌われていたからです。それで、エジプト本土から離れたゴシェンの地が相応しかったのです。宗教的な理由とは、多神教のエジプト人にとって家畜をいけにえにすることは忌むべきことだったからです。
父や兄たちが王の前に出た時、「お前たちの仕事は何か」と王が尋ね、それに対して、「あなたの僕であるわたしどもは、先祖代々、羊飼いでございます」と答えています。だが王は不快に思わず、受け入れています。余程、王はヨセフに心服していたのでしょう。それから、ヨセフは父ヤコブを王の前に立たせます。ヤコブは王に祝福の言葉を述べます。王が「あなたは何歳におなりですか」とヤコブに語りかけると⭐「私の旅路の年月は130年です。私の生涯は短く、苦しみは多く、私の先祖たちの生涯や旅路の年月には及びません」✨と答えています。 (創世記47章9節)浜田記⛪

住所

東京都中野区中野1-45/12
Nakano-ku, Tokyo
164-0001

ウェブサイト

アラート

中野パークサイドチャーチがニュースとプロモを投稿した時に最初に知って当社にメールを送信する最初の人になりましょう。あなたのメールアドレスはその他の目的には使用されず、いつでもサブスクリプションを解除することができます。

共有する

カテゴリー