中野パークサイドチャーチ

中野パークサイドチャーチ プロテスタント教会 キリスト同信会の中野集会
住所 東京都中野区中野1丁目45-12
電話 03-3361-1744
1889年(明治22年)にH.Gブランド宣教師によって始められたキリスト集会です。

08/08/2026

祈りの人 -2-

イエス・キリスト⑵:「ゲッセマネと十字架上の祈り」

⭐少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯を私から過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに」 ✨   (マタイ26章39節)

イエスは残虐な十字架刑を恐れる余り、こう祈られたのではありません。十字架の死という杯は、罪人としての死を私たちに代わって受けられることで、罪の無いお方が罪人とされて死ぬことです。それが如何に過酷な使命であったか、私たちの理解を超えます。極度の恐怖によって血の混じった汗を流して祈られるイエスさまは、罪と死の源である悪魔サタンとの壮絶な闘いをしておられました。そして、「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい」と弟子たちに祈りによる援護を求められたのです。それがゲッセマネの祈りです。その祈りの中で、「わたしの願いどおりではなく、御心のままに」と祈られました。私たちはまずこのようには祈れません。自分の思いを通したいからです。何とかして自分の思い通りにしたいからです。しかしその思いよりも、神の御心を優先する祈りをされたのです。上記聖句下線部の、しかし…と祈れるかどうか。自分の正しさや願いに固執するのをやめ、神の御心という、もっと大きな視点に立って祈りたいものです。

⭐イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」✨(ルカ23章34節)

十字架の苦しい息を吐きながら、最初に祈られたのが、この祈りです。自分を十字架にかけた者らを呪うのではなく、赦しを祈られました。自分で何をしているのか知らないのが罪人です。私も、その罪人の一人です。イエスは今も同じ執り成しを、私たちのために祈られています。「私の身代わりの死をもって、この者たちの罪をすべて赦してください」との祈りが、耳元に響きます。その十字架の死は、私たち人間の恐るべき罪と、それをも贖い救う神の愛を示しています。そこにイエスの祈りが貫かれています。主イエスにとって祈りは、ひと時も欠かせない呼吸と同じでした。祈りなくしては何事もできないことを、主は知っておられたのです。そうならば、私たちには更にそうであるはずなのに、何と祈りの少ない事でしょうか。(浜田記)⛪

01/08/2026

祈りの人 -1-

イエス・キリスト:主イエスは神でありつつ、私たちと同じ人間になられました。だから,最初は主イエスです。

⭐朝早く、まだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。 ✨ (マルコ 1章35節)

イエスさまは、早朝の祈りを欠かしませんでした。余りに忙しい日中は、食事する暇もないことがしばしばでした。それだけに、人に邪魔されない朝早い時間を聖別して祈っておられました。これは私たちの模範です。一日の原動力を、朝の祈りによって与えられる習慣を、私たちも持ちたいものです。
荒野で天からパンとして与えられたマナは、日が高くなると溶けてしまいました。(出エジプト16章21節)
そのことから、マナは朝早いうちに取るべきことを示されます。とはいえ、体調などの関係で、朝早く起きられないこともあるでしょう。それでも、神の前に静まる時間としては、朝一番が最適です。枕元に聖書を置いて、目覚めたら「天の父神様、おはようございます」と語りかけます。寝る前も同じように、主イエスさまを目の前に見るようにして、眠りに就きたいものです。「朝一番に目にするのは聖書であり、一番に口にするのは祈り」と先輩兄弟は教えてくれました。

⭐そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた。✨ (ルカ6章12節)

主イエスさまは重要な事の前には、しばしば徹夜で祈られました。祈って夜を明かされたのです。ここは12弟子を選ぶ時でした。後に裏切ることになるユダをも選ぶべきかどうかを、父神と語り合われました。問題を抱えた時、主イエスのように祈って夜を明かしたことがあっただろうか、と自問します。適当な所で祈りを止めているからです。それだけに、夜を徹して祈られる主イエスのお姿を、思い浮かべたい。
夜は、静かに祈るのに最適の時間です。テレビなどを止めて、祈るための時間を聖別したいものです。

⭐床に就くときにも御名を唱え、あなたへの祈りを口ずさんで夜を過ごします。✨ (詩編63編7節)

眠れない夜は、祈り抜くためにある、と考えたいものです。真夜中、50人を超える甥姪の名を一人一人呼びながら、神に話しかけるように祈った人がいます。(浜田記)

7月25日音楽とおやつのイベントを行いました。ボランティアで各地のこども食堂や被災地で演奏をしているunir サウンドさんの子ども向けの音楽会。楽器を持って来てくださり、楽器体験もありました。子ども食堂では、榮太樓總本鋪さんからアンコを提供...
25/07/2026

7月25日音楽とおやつのイベントを行いました。
ボランティアで各地のこども食堂や被災地で演奏をしているunir サウンドさんの子ども向けの音楽会。楽器を持って来てくださり、楽器体験もありました。
子ども食堂では、榮太樓總本鋪さんからアンコを提供していただいたので、どら焼き作り体験!
アンコだけでなく、イチゴやバナナを用意して、オリジナルどら焼きを作りました。
みんな、満足、ニコニコ😃💕のイベントでした。

18/07/2026

ヨセフの夢 -42-(最終回)

これまで族長ヨセフについて、創世記37~50章を読んできました。その最後に、マタイ1章に登場する同名のヨセフとの関連を見ます。旧約最初の書のヨセフと新約最初の書のヨセフは、夢を通して神の導きを受けました。この二人は、どちらも神の救いの計画を担います。夢は、救いの計画を実現する手段でした。

⑴創世記のヨセフはイスラエル一族を飢饉から救います。他方、マタイのヨセフは、幼子イエスと母マリアを命の危機から守ります。夢で、マリアを妻に迎えなさい、エジプトへ逃げなさいと命じられ、従います。
⑵更に両者とも、エジプトと深く関わります。17歳の時に見た夢のせいで、創世記のヨセフはエジプトに売られます。その結果、ヤコブ一族全部がエジプトへ移住します。他方、マタイのヨセフは夢によってヘロデ王の刺客からエジプトへ逃れ、母子の命を守ります。
⑶どちらも正しい人で、神に従う義人でした。

創世記のヨセフは家族を飢饉から救い、イスラエル民族が存続する道を開くため、神に用いられました。マタイのヨセフは救い主イエスを守り育て、神が救い主として御子を世に遣わすため、神に用いられます。さらに興味深いのは、「ヨセフ」と言う名前には、主が加えてくださる、増し加えてくださる、との意味があることです(創世記30:24)。旧新のヨセフを通して、神が救いを増し加えてくださったからです。そうしたことを考えると、二人のヨセフは救済史全体から深いつながりがあると読めます。マタイは旧約聖書の引用や暗示を多く用いる書ですから、読者が創世記のヨセフを思い起こすように福音書を構成したとも考えられます。すべては神の導きに依るのですが、旧約と新約は聖書として一つにつながっているのです。

二人に共通する見た夢についてですが、使徒2章17節に「終りの時に、神の霊がすべての人に注がれると、息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る」とあります。老人が見る夢とは何でしょうか。聖霊降臨によって、すべての人に聖霊が注がれます。その結果、教会が福音を全世界に宣べ伝える時代が始まることを告げています。神から与えられる夢は神の救いの計画を前進させ、増し加えるために与えられます。老人はそうした福音宣教の夢を見ます。その夢の中心は二人のヨセフが指し示したイエス・キリストです。これまでの『ヨセフの夢』を振り返りつつ記しました。(浜田記)⛪

11/07/2026

ヨセフの夢 -41-

⭐やがて、兄たち自身もやって来て、ヨセフの前にひれ伏して「このとおり、私どもはあなたの僕です」と言うと、ヨセフは兄たちに言った。「恐れることはありません。わたしが神に代わることができましょうか。あなたがたはわたしに悪を企みましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。どうか恐れないでください。…」ヨセフはこのように、兄たちを慰め、優しく語りかけた。✨    (創世記50章18~21節)

ヨセフ物語の中心は、上記聖句に見られる「私たち人間の罪と愚かさを償って余りある神の救いと赦し」にあります。兄たちはヨセフに悪を企み実行しましたが、神はそれを善(救い)に変えられました。仕返しを恐れる兄たちに、ヨセフは優しく語りかけています。この時、17歳のときの夢が、文字通り実現します。兄たちは心からヨセフを拝し、ひれ伏したからです。この感動的な場面は、更に17年前にもありました。ヨセフが兄たちに、自分は弟のヨセフだと明かし、涙ながらに、⭐「私はあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。しかし、今は、そうしたことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神が私をここにあなたたちより先にお遣わしになったのです。私をここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。神が私を今の地位に就けてくださったのです」✨と語ります。(創世記45章4~8節)

神は人間の犯す罪さえも、救いに変えてしまう。しかし、ヨセフと同じように言える人がいるでしょうか。むしろ反対に恨みを抱いたまま、決して許さない場合が多いのではないか。それに値する酷いことを、ヨセフはされたのだから、仕返しされても不思議ではない。兄たちはそう考え、ヨセフを恐れました。そんな兄たちに向かって、ヨセフは赦していることを伝えようとしました。その姿は、イエス・キリストを指し示しています。十字架の上でイエスは7つの言葉を口にしていますが、その最初が「父よ、彼らをお赦しください」でした(ルカ23章34節)。何の罪もないお方、神の子であるイエスを十字架で殺す罪は、決して赦されないものでした。だから、イエスは十字架の上で、真っ先に、その罪の赦しを祈りました。そして、人間の犯す最大の罪悪さえ、人を救う善に変えられることを示しました。それが、十字架による救いです。(浜田記)⛪

04/07/2026

ヨセフの夢 -40-

⭐兄たちは相談した。「おい、向こうから例の夢見るお方がやって来る。さあ、今だ。あれを殺して、穴の一つに投げ込もう。後は、野獣に食われたと言えばよい。あれの夢がどうなるか、見てやろう。」✨      (創世記37章19,20節)

17歳のヨセフが語った夢が、物語の始まり。兄たちにとってヨセフは生意気で忌々しい弟。我々も父も家族全員がヨセフの前にひれ伏し、拝む夢。一体、何様の積りだ。兄たちは皆そう思いヨセフを憎んだ。殺意を抱くほどでした。ヨセフの夢は、どうなったのか。その結末を私たちは知っています。兄たちは平身低頭心からヨセフにひれ伏します。最初は、ヨセフだとは知らずだったが、知った後も、ヨセフの前でそうしました。17歳のヨセフが見せられた夢は、人間的には有り得ないように思えたとしても、神が与えた夢は必ずその通りになります。冒頭の聖句は、ヨセフが語った夢を聞いて憎んだ兄たちの言葉。本当に殺すつもりであったから、殺されずに済んだことは主の守りの故だが、見知らぬ外国に奴隷として売られたヨセフには、夢も希望も全く見えません。だが神は彼を離れず、傍らに居ました。その神が、夢を実現へと導かれた。どのようにしてかを、これまで記して来ました。そして、最後に今、これまでの全てを振り返っています。

「アメリカン・ドリーム」とは、成功者が抱いた夢の総称。どん底からいかに這い上がり、頂点に達したことが語られます。その背景には、インドに見られる階級社会(生まれつき身分が定まっている)ではなく、新しい自由な社会のアメリカでのこと。丸太小屋で育った極貧の少年リンカーンが、大統領となって奴隷解放と言う大きな仕事をした例がその一つ。夢の実現だけではなくて、最下層から一番上にまで、一代のうちに駆け上がることを言う。ヨセフが奴隷から国のトップにまで駆け上がったのは、長いエジプトの歴史において特別な時期、ヒクソスと呼ばれるエジプト人ではない外国人が王になった時代だったから、可能になったこと。そうした中にも神の摂理が働いている。人間的な努力だけでは実現はしない。かといって運が良かったというレベルでもない。いずれにしろ、神が与えた夢は必ず実現します。そのことをヨセフは示しているのです。聖書は私たちにも夢と幻を与えます。幻=ヴィジョン。私たちも大きな夢と幻を持ちたい。幻がなければ民は堕落する(箴言29章18節)のです。(浜田記)⛪

27/06/2026

ヨセフの夢 -39-

⭐ヨセフは兄弟たちに言った。「わたしは間もなく死にます。しかし、神は必ずあなたたちを顧みてくださりこの国からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた土地に導き上ってくださいます。」 ✨ (創世記50章24節)

ヨセフは自分の死期を悟り、「私は間もなく死ぬ」兄たちに告げています。弟である自分の方が先に死ぬと。いかにヨセフの歩んだ人生が過酷であったか。だから兄たちよりも短命だった、と思われます。もし、ヨセフが死んだら、今までのような恵まれ安定した生活が異国のエジプトで営めるのだろうか、と兄たちは一抹の不安を抱いていました。それを知っていた弟ヨセフ。それで2回にわたって「神は、必ずあなたたちを顧みてくださいます」と繰り返しています。何と思いやり深いことでしょうか。

ヨセフは110歳まで生き、息子エフライムの孫(ヨセフのひ孫)を見ることができました。長男マナセの孫は、生まれるとヨセフの膝に抱かれます。そして、冒頭の聖句のように、「死んだら、私の骨をここから携え上ってほしいと」と頼んでいます。17歳でエジプトに無理やり連れ去られたヨセフ。20年後、兄弟たちに再会した時には、イスラエル人というよりエジプト人でした。言葉も顔つきも、そうでした。しかし、ヨセフの中に流れていたのは、別のもの(先祖たちからの信仰)でした。創世記はヨセフの死で閉じられていますが、自分の死を超え、後に続く子孫の歴史にまで思いを馳せていたのです。ユダヤ人は苦難の連続の中でいよいよ自分たちの民族の独自性と価値を、神の前で自覚していったのです。約300年間、ヤコブの子孫はエジプトで増え拡がり、イスラエル民族へと発展します。そして苦難に遭う。そこに救い手としてモーセが生まれ、同胞を奴隷の苦しみから解放し、約束の地へと導き上ります。それを記したのが、『出エジプト記』です。その13章19節に、次のようにあります。

⭐エジプトを出る時、モーセはヨセフの骨を携えていた。ヨセフが「神は必ずあなたたちを顧みられる。その時、私の骨をここから一緒に携え上るように」と言って、イスラエルの子らに固く誓わせたからである。✨

つい2,3年前の話ではありません。ヨセフとモーセの間には300年の隔たりがあります。しかし、ヨセフの遺言は忠実に守られました。驚きです。かつて、ヨセフの曾祖父アブラハムに神は、「あなたたちの子孫は異邦の国で寄留者となり、四百年間奴隷として仕え、苦しめられる」(創15:13)と語られました。その予告の通りに実現しています。(浜田記)⛪

20/06/2026

ヨセフの夢 -38-

⭐ヨセフの兄弟たちは、父が死んでしまったので、ヨセフがことによると自分たちをまだ恨み、昔ヨセフにしたすべての悪に仕返しをするのではないかと思った。✨(創世記50章15節)

父を葬った帰り道、ヨセフは昔、兄たちに投げ込まれた溜め井戸の側を通りかかりました。ヨセフは車を止めさせ、穴のふちに佇みました。この穴のお蔭で、人生が大きく祝福に転じたのだ、と今では思える。兄たちを恨むより、感謝の思いでさえあった。そして、「ここで私のために奇跡を起こされた神よ、あなたを讃えます」と祈りました。しかし、それを見た兄たちは、てっきり自分たちへの復讐をヨセフが誓っているのだと早合点します。皆真っ青になり、人(ヨセフの乳母ビルハ)を仲介に立てます。そして、伝言を頼みます。

⭐「お父さんは亡くなる前に、こう言っていました。『お前たちはヨセフにこう言いなさい。確かに、兄たちはお前に悪いことをしたが、どうか兄たちの咎と罪を赦してやってほしい』。お願いです。どうか、あなたの父の神に仕える僕たちの咎を赦してください」と。✨  (創世記50章16~18節)

これを聞いて、ヨセフは涙を流します。その涙の意味は何?自分が信じられていないことの哀しさから、思わず涙が落ちた。兄たちは自分たちのした卑劣な行為の責めを、今も持ち続けています。
やがて兄たち自身もやって来て、ヨセフの前にひれ伏して「このとおり、私どもはあなたの僕です」と言うと、ヨセフは兄たちに言った。「恐れることはありません。わたしが神に代わることができましょうか。あなたがたはわたしに悪を企みましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。どうか恐れないでください」(50章18~21節)。

人間の企んだ悪さえも神の手に握られると、善に変えられ、救いへと繋がって行くのです。これは驚くべき奇跡。恩讐を超えて、憎しみや恨みが愛と赦しに変えられる。ヨセフ物語は、このことを一番伝えたかったのに違いありません。赦されるからどんな悪をしても構わない、というのではありません。弱さから悪を犯してしまう私たちに、限りない希望を与えるために神は介入されます。これは今も真実です。赦しの言葉を聞いた兄たちは、真に悔い改め、心からヨセフの前に深くひれ伏したと思われます。
(浜田記)⛪

13/06/2026

ヨセフの夢 -37-

⭐ヨセフは自分の侍医たちに、父のなきがらに薬を塗り、防腐処置をするよう命じたので、医者はイスラエルにその処置をした。そのために40日を費やした。この処置をするにはそれだけの日数が必要であった。✨(創世記50章2,3節)

暑い国だから、遺体はすぐ腐敗する。ヨセフは悲しみに沈む間もなく必要な実際的な処置に移った。そして、70日の喪が明けると、ヨセフはファラオに父の埋葬について願い出ます。「カナンの土地に用意してある先祖の墓に葬ってくれ」と父は私に誓わせました。

⭐一行はヨルダン川の東側にあるゴレン・アタドに着きそこで非常に荘厳な葬儀を行った。父の追悼の儀式は七日間にわたって行われた。✨(50章10節)

テレビで見る国葬が思い出されます。戦車や騎兵も共に上って行く光景は、まことに盛大な行列。ヤコブの子や孫だけでなく、エジプト人の重臣たちや長老たちすべてが参列しています。エジプトからヨルダン川の東側までの道を進みます。ヨセフにとっては、40年ぶりの帰国でした。17歳のとき故郷から連れ去られ、それから40年。ヨセフが故郷に滞在したのは7日間で、その儀式の間にあちらこちら見て回り、子供時代に見た光景を思い出していた。過ぎ去った歳月を懐かしく思ったに違いない。そして、先祖の眠る墓に父を葬った後、一緒に来たすべての人々と共にエジプトへと帰っていくヨセフ。自分もここに葬られたい、先祖の列に加えられたいと願った。どんなにエジプトで成功したとしても、エジプト人にはなり切れなかった。故郷のことはすべて忘れよう、と決めたヨセフでしたが、体の中を流れる血はヘブライ人の血でした。

葬りと墓の問題。どこに葬られたいか。人によっては、散骨して墓などなくて良いと言う。が聖書の民は墓を重んじ、先祖の列に加えられるのを求めます。ダビデ王朝にヨラム王がいます。彼は内臓の病に苦しみ喘ぎながら死にました。32歳で王となり、8年間エルサレムで王位にありましたが、その死を惜しまれることもなく、世を去っています。その遺体はダビデの町に葬られましたが、王の墓には納められませんでした(歴代誌下21:20)。ここを読んで、衝撃を受けました。
人は生きてきたように死んでいく、と言われます。そうなったのは、彼の行いの故だと聖書は告げています。(浜田記)

6月6日子ども食堂に、ニューフェイス赤ちゃんが、二人も来てくれました。4月生まれと、5月生まれ、まだ1ヶ月の小さな可愛い赤ちゃん👶です。💕スタッフ一同代わる代わる抱っこで盛り上がりました。孫はすぐ大きくなっていまいますが、次々と赤ちゃんが来...
06/06/2026

6月6日子ども食堂に、ニューフェイス赤ちゃんが、二人も来てくれました。
4月生まれと、5月生まれ、まだ1ヶ月の小さな可愛い赤ちゃん👶です。💕
スタッフ一同代わる代わる抱っこで盛り上がりました。
孫はすぐ大きくなっていまいますが、次々と赤ちゃんが来てくれて嬉しいです。🎵😍🎵

住所

東京都中野区中野1-45/12
Nakano-ku, Tokyo
164-0001

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