31/07/2026
毎日暑いですね。いかがお過ごしでしょうか。
早いものでもう8月!今月は、水前寺清子さんの歌の歌詞【一日一歩。三日で三歩。三歩進んで二歩下がる。】をお味わいしたいと思います。
今の社会は、どこか息苦しいスピードと成果主義の空気に包まれています。
「常に前を向いていなければならない」
「転けてはならない」
「いつも順調でなければならない」
世間では「無理しないで」「大丈夫だよ」という優しい言葉が交わされていますが、その裏では、よどみなく走り続けることや、弱音を見せない強さが暗黙のうちに求められているように感じませんか?
「現実を受け入れたい」と思いながらも、心身には確かな疲れが溜まっている。それは決して甘えなどではなく、それだけ真剣に、目の前の現実や大切な人たちと向き合ってきた証拠に他なりません。
しかし、私たちはいつも完璧に前進し続けなければならないのでしょうか。
世の中のスピードから取り残されたように感じたり、時には後ろ向きになってしまったりする時間は、本当に無駄なものなのでしょうか。
一日一歩。三日で三歩。三歩進んで二歩下がる。
この言葉は、人生がいつも一直線の右肩上がりではないことを教えてくれます。あえて「二歩下がる」日があったっていい。立ち止まり、時に転けそうになりながらも進んでいく。
この歌には「汗かき べそかき 歩こうよ」というフレーズがあります。 きれいに、淀みなくスマートに生きる必要などありません。涙を流し、戸惑い、疲れを隠しながらも、「今日一日を懸命に生きる」その姿こそが尊いのだと教えてくれます。
浄土真宗の安心(あんじん)とは、「どんな状態の私であっても、決して見捨てず、必ず救い包み込んでいてくださる存在(南無阿弥陀仏)が共にある」という温かい居場所です。
私たちがどんなに疲れ果て、立ち止まり、あるいは後退するように感じるときであっても、その歩みをまるごと受け止めてくれる確かな仏様の救いがそこにあります。
これまで自分が受けてきた数え切れないご恩や、見えないところで支えてくれた人たちの温もりがあるからこそ、私たちはここまで歩んでこられました。
そして、そのご恩があるからこそ、今日もまた、自分の足で一歩を踏み出すことができるのです。
効率や成果ばかりが持て囃される現代だからこそ、泥臭くても、立ち止まりながらでも、一歩一歩を大切に噛みしめて進む――そんな人間らしさをを、この言葉はそっと教えてくれているように感じます。
南無阿弥陀佛