日本基督教団長崎教会

日本基督教団長崎教会 改革長老派教会 プロテスタント 米国オランダ改革派教会 フルベッキ スタウト 全国連合長老会 瀬川浅 東山学院 梅香崎女学校 長崎キリスト教協議会

名称:日本基督教団 長崎教会
場所:〒850‐0918長崎県長崎市大浦町9-9
教会の設立年月日:1876年(明治9年)12月23日
現教会堂の建築年:1925年末(大正14年末)

【日本キリスト教団長崎教会の歴史】
1859年(安政6年)アメリカのオランダ改革派教会外国伝道局から日本へ最初に派遣されてきた宣教師三人のうちの一人フルベッキ(G.F.Verbeck)は夫人とともに長崎上陸。1869年春に東京へ去るまで、長崎において働きをされ、この間に、村田若狭守政矩(佐賀藩家老:1866年5月受洗:日本プロテスタント史上二人目)をはじめとして、その家族、他に数名の受洗者が与えられました。
  フルベッキの働きは、アメリカ改革教会宣教師ヘンリー・スタウトとその夫人によって引き継がれます。1869年スタウト夫妻が長崎に上陸した前年には、「浦上四番崩れ」(浦上キリシタンに対する明治政府による大迫害)が始まり、1869年12月には、老若男女関係なく3400人弱ものカトリック信徒が捕縛され、富山、金沢、名古屋、津などに送られます。彼はこれを長崎にて目撃します。迫害はカトリック信者にとどまらず、プロテスタント信者にも及び、フルベッキが洗礼を授けた肥後(熊本)の僧侶・清水宮内(1867年受洗)も長崎市内で捕らえられ、1872年(明治5年)まで牢獄にいました。
  この迫害期の1872年秋、スタウトは東山手四番の居留地内自宅において、青年たちを教え始めます。
  1873年、キリスト教禁制が廃止。しかし、市内においてはいまだ聖書の教えを語ることは難しく、居留地内での教えが続きます。1873年9月第一日曜日に、瀬川浅ら三人の洗礼式が行なわれます。これが、実質的な長崎教会の歩みの初めでありました。
  1874年、キリスト教伝道のために、居留地を出て、梅香崎五番地に教会堂を建て、その教会堂は1921年にここ大浦町に移るまで五十年近く、長崎以外にも九州伝道の拠点となり、中会も度々ここで開かれました。
  現在も、主日礼拝を中心に、キリストの福音を告げ広めています。

〔原爆投下後〕長崎教会は木造家屋ではありましたが、大変頑丈に出来ていたので倒壊はしませんでした。しかし、ガラス戸大破の他に屋根瓦が波を打ったり、壁に多数の亀裂、膨らみが生じ、特に玄関入口のセメントを巻いた大柱に大きな亀裂が生じました。

住所

大浦町9-9
Nagasaki, Nagasaki
850-0918

営業時間

木曜日 10:15 - 11:25
日曜日 10:15 - 11:25
19:30 - 20:15

電話番号

095-823-7359

ウェブサイト

アラート

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