07/05/2026
大型連休も終わり、街にはいつもの日常が戻ってまいりました。長野では山々の新緑がまぶしく、りんごの白い花が可憐に咲き誇るさわやかな季節を迎えております。
連休中、ご家族やご友人と賑やかに過ごされた方も、静かにお休みを楽しまれた方も、今日からまた「いつもの生活」が始まることに、少しホッとされているのではないでしょうか。あるいは、連休明けで少し足取りが重く感じておられる方もいらっしゃるかもしれませんね。
「いつもの生活」——私たちは普段、朝起きて食事をし、仕事や家事に向かう日々を当たり前のように感じてしまいます。しかし、お釈迦さまは、この世はすべて移り変わっていく「諸行無常(しょぎょうむじょう)」であるとお示しになりました。昨日と同じ今日があるわけではなく、今日と同じ明日が約束されているわけでもありません。日々の忙しさに追われていると、その事実に目を背け、自分の力だけで「いつもの毎日」を保っているように錯覚してしまうのが、私たち人間の悲しい姿です。
そのような、いつどうなるかわからない、うつろいゆく日々を生きる私だからこそ、「決して変わることのない、確かなもの」が支えとなります。
親鸞聖人は、『正信偈(しょうしんげ)』の中に
「大悲無倦常照我(だいひむけんじょうしょうが)」と記されています。
これは「私のまなこは煩悩にさえぎられていて、仏さまの光を見ることはできないけれども、阿弥陀如来の大いなるお慈悲は、決して休むことなく、常にこの私を照らし続けてくださっている」というお示しです。私の心が揺れ動こうとも、阿弥陀如来の方から、私を見守り、抱きとめてくださっているのです。
晴れの日もあれば、雨の日もあります。心が晴れやかな時も、連休明けで少し憂鬱な時もあるでしょう。しかし、私の状態がどうであれ、阿弥陀如来は「そのままのあなたでいい、決して見捨てない」と、常に光を注ぎ、呼びかけ続けてくださっています。その変わらぬお慈悲の光に気づかせていただくとき、何気ない「いつもの生活」が、阿弥陀如来に支えられたかけがえのない尊い一日として輝きはじめます。
今日も、願われて。