31/05/2026
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ルツ記 2章1~3節 『回復させる信仰』
今日の箇所には、神様を信じる二人の人について語られています。
神様を信じる家庭に生まれ育ったナオミという人です。もう一人は、ナオミの息子と結婚して、神様を信じるようになった、ルツという人です。
ナオミは、神様を信じていましたが、なぜか、のろわれているかのように、不幸に次ぐ不幸に見舞われました。
ルツ記 1章1-2節
さばきつかさが治めていたころ、この地に飢饉が起こった。そのため、ユダのベツレヘム出身のある人が妻と二人の息子を連れてモアブの野へ行き、そこに滞在することにした。
その人の名はエリメレク、妻の名はナオミ、二人の息子の名はマフロンとキルヨンで、ユダのベツレヘム出身のエフラテ人であった。彼らはモアブの野へ行き、そこにとどまった。
ナオミと家族は、この地に飢饉が起こったので、食べ物があるモアブに引っ越すことにしました。つまり、環境があまりにも悪くなったので、環境を変えることによって、幸せになろうとしました。
しかし、そのように、約束の地を手放すことは、神様の祝福を手放すことを意味していました。
神様が彼らと共に住むと約束された地から離れることは、神様と共に生きることから、離れることを意味していました。
彼らは、苦しい環境の中でも、共にいてくださる神様に助けを求めるよりも、苦しい環境から離れて、幸せになろうとしました。その結果、彼らは幸せになることができたでしょうか。
ルツ記 1章3-5節
するとナオミの夫エリメレクは死に、彼女と二人の息子が後に残された。
二人の息子はモアブの女を妻に迎えた。一人の名はオルパで、もう一人の名はルツであった。彼らは約十年の間そこに住んだ。
するとマフロンとキルヨンの二人もまた死に、ナオミは二人の息子と夫に先立たれて、後に残された。
環境が変わり、さぁ、これから、みんなで幸せに生きようと、思った矢先に、夫エリメレクが死にます。それでも諦めずに、二人の息子を幸せにしようと、モアブの女を妻として迎えました・・・しかし、何と、二人の息子に先立たれて、ナオミだけが残される・・・もう絶望でした・・・環境を変えれば、幸せになると思って、モアブまで来ましたが、この環境でもダメでした。・・・そんな時に、ナオミは、あるニュースを聞きました。
ルツ記 1章6節
ナオミは嫁たちと連れ立って、モアブの野から帰ることにした。主がご自分の民を顧みて、彼らにパンを下さった、とモアブの地で聞いたからである。
主がご自分の民を顧みて彼らにパンを下さった・・・すなわち、経済的にも祝福された良い環境に回復されたと聞いたので、ナオミは、帰ることにしました。
ナオミには、環境に影響されて、転々と動く性質があります。
物事が上手く行っている間は良くても、問題や試練が来て、環境が難しくなると、環境を変えることによって祝福を得ようとします。・・・まるで、かつての私のようです。
環境のせいで、上手く行かなかった。環境を変えれば上手く行く・・・そのように問題の解決を環境に求めてしまう・・・しかし、本当の解決は、主だけにあります。
良くても、悪くても、最悪の環境であったとしても、私と、ともにいてくださる主に信頼するとき、主が、私を解決に導いてくださる・・・ですから、私に、必要だったのは、どんな環境に置かれたとしても、主に信頼して、主の導きに従う信仰でした。
しかし、かつての私は、その苦しい環境にとどまって、主に信頼して、試練に打ち勝つことよりも、その苦しい環境から逃げてばかりいたので、主に信頼して、主の導きに従う信仰が、ほとんど成長しませんでした。
このような誘惑は、人生の至るところにあります。
例えば、この会社に入れば上手く行くと思って、その会社で働き始めます。しかし、試練が来て、上司の圧力があまりも酷くなりました・・・その時こそ、主に信頼して、主のみことばの導きに従って、上司を敬うことによって、主からの解決を受け取ろうとするよりは、
環境を変えることによって、自分にひどいことをしない、自分によくしてくれる上司と同僚がいて、いい給料をくれる・・・そのような環境に変えることによって、解決しようとする誘惑です。
ナオミが、この時、故郷に帰ると決断したのも、主に信頼し、主の導きに従って決断したというよりは、良さそうな環境を見て、環境に解決を求めて、決断しました。
そして、故郷に帰って来たナオミの心からの言葉が、次の言葉です。
ルツ記 1章20-21節
ナオミは彼女たちに言った。「私をナオミと呼ばないで、マラと呼んでください。全能者が私を大きな苦しみにあわせたのですから。
私は出て行くときは満ち足りていましたが、主は私を素手で帰されました。どうして私をナオミと呼ぶのですか。主が私を卑しくし、全能者が私を辛い目にあわせられたというのに。」
ナオミは、「かつて私は満ち足りていたのに、神様が、私にすべてを失わせた。神様が私をこんなにも苦しく辛い目にあわせた。」というのです。
皆さん、ナオミは、神様を信じる人です。しかし、神様を信じていても、神様に信頼し、神様の導きに従う信仰によって生きるのでなければ、どんなに幸せになろうとして、環境を変えても、苦難に次ぐ、苦難に襲われることがあるということです。
何故でしょうか・・・神様が、ナオミを愛していなかったからでしょうか・・・むしろ、逆です。神様はナオミを愛していて、ナオミに、神様の使命を任せていました。ルツの息子オベデは、ダビデ王のお爺ちゃん、すなわち、その子孫から救い主イエス・キリストが生まれます。
後に、救い主を生み出すことになる、オベデを養い育てたのは、ナオミです。この使命を神様は、ナオミに任せていました・・・しかし、神様に任された使命を果たすためには、ナオミの信仰が成長する必要があった・・・ナオミが経験した苦しみは、神様が、ナオミを、ご自分の子どもとして愛しているからこその、愛の訓練でした。
へブル人への手紙 12章5-9・・11
そして、あなたがたに向かって子どもたちに対するように語られた、この励ましのことばを忘れています。「わが子よ、主の訓練を軽んじてはならない。主に叱られて気落ちしてはならない。
主はその愛する者を訓練し、受け入れるすべての子に、むちを加えられるのだから。」
訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が訓練しない子がいるでしょうか。
もしあなたがたが、すべての子が受けている訓練を受けていないとしたら、私生児であって、本当の子ではありません。
・・・すべての訓練は、そのときは喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われるものですが、後になると、これによって鍛えられた人々に、義という平安の実を結ばせます。
主イエスを信じた私たちは、神様の子どもです。そして、神様の子どもである以上、父なる神様は、必ず、私たちを訓練されます。そして、すべての訓練は、そのときは苦しく思われるものなのです・・・しかし、その訓練にとどまり、その苦しい環境にとどまり、主に信頼する信仰が成長するとき、義という平安の実が結ばれ、苦しみを遥かに超えた、圧倒的な喜びが与えられます。
しかし、ナオミのように、試練にとどまらず、その苦しい環境から離れるなら、環境を変えても、また、主の試練が与えられることになります。
神様は、ナオミの信仰と使命を回復するために、ルツを用いられました。
3節
ルツは出かけて行って、刈り入れをする人たちの後について畑で落ち穂を拾い集めた。それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑であった。
ルツが出かけて行った畑は、はからずも、ボアズの畑でした・・・このときから、のろわれたかのように不幸だったナオミとルツの人生が、一気に、祝福の人生に導かれて行きます。
ルツが、何かをすると、はからずも、すべてが働いて益となって行きました。
まさに、神のことばが実現する人生に導かれました。
ローマ人への手紙 8章28節
神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。
ルツには、ナオミの持っていなかった、ある信仰の性質がありました。・・・その信仰の性質を持っていたので、神様は、ルツを用いて、ナオミの信仰と使命を回復することができました。
しかし、神様は、そんなナオミを、祝福に導くために、ルツを用いました。
今日、みことばを悟る恵みを受け取り、神様に喜ばれる性質を持つ者となることを主イエスの御名によって、祝福します。
ルツ記 1章8-10節
ナオミは二人の嫁に言った。「あなたたちは、それぞれ自分の母の家に帰りなさい。あなたたちが、亡くなった者たちと私にしてくれたように、主があなたたちに恵みを施してくださいますように。
また、主が、あなたたちがそれぞれ、新しい夫の家で安らかに暮らせるようにしてくださいますように。」そして二人に口づけしたので、彼女たちは声をあげて泣いた。
二人はナオミに言った。「私たちは、あなたの民のところへ一緒に戻ります。」
ナオミは、これから、イスラエルに戻ります。しかし、二人の嫁、オルパとルツにとって、イスラエルは外国です。しかも、イスラエル人は、外国人とは結婚してはならないという、法律があります。
もし、二人の嫁が、イスラエルに行くなら、ほぼ、間違いなく、一生、未亡人のまま、貧しく、苦しい生活が強いられる・・・モアブに残った方が、再婚して、幸せになれる可能性は遥かに高い。
それで、ナオミは、二人を思って、実家に帰りなさいと言いました。しかし、二人は、ナオミと一緒に、ナオミの民のところに戻るというのです。
これは、二人が、自分の幸せを諦めて、一生、ナオミに仕えるという決心の言葉でした。
しかし、ナオミ、答えます。
ルツ記 1章11-14 節
ナオミは言った。「帰りなさい、娘たち。なぜ私と一緒に行こうとするのですか。私のお腹にまだ息子たちがいて、あなたたちの夫になるとでもいうのですか。
帰りなさい、娘たちよ。さあ行きなさい。私は年をとって、もう夫は持てません。たとえ私が自分に望みがあると思い、今晩にでも夫を持って、息子たちを産んだとしても、
だからといって、あなたたちは息子たちが大きくなるまで待つというのですか。だからといって、夫を持たないままでいるというのですか。娘たちよ、それはいけません。それは、あなたたちよりも、私にとってとても辛いことです。主の御手が私に下ったのですから。」
彼女たちはまた声をあげて泣いた。オルパは姑に別れの口づけをしたが、ルツは彼女にすがりついた。
ナオミは、二人が自分と一緒について来たとしても、どう考えても、二人が、幸せになれるとは思えませんでした。
再婚は、ほぼ不可能・・・経済的にも、非常に貧しく、食べて行くのがやっとの苦しい生活が待っていました。
それで、ナオミは、人間的な良い生活を考えて、人間的な優しさと思いやりによって、「モアブに帰りなさい。」と言いました。
皆さん、どちらが優しく感じるでしょうか。困難しか見えないのに、私について来なさいというのと、「帰って、良い人を見つけ、結婚して幸せな家庭を築いて欲しい。私には築けなかった幸せを、あなたがたには築いて欲しい。」と言うのでは、どちらが、愛情を感じるでしょうか。
明らかに、「モアブに帰りなさい」と言う方が、愛情だと感じるでしょう。
このとき、ナオミを始め、神様の計画が見えている人は、誰もいませんでした。
もし、ナオミについて行った先に、ボアズという大富豪と結婚する幸せな結婚生活が用意されており、さらには、救い主を生み出すという、神様の使命に生きることができるという、神様の計画が見えていたなら、みんなナオミについて行ったでしょう。
しかし、ほとんどの場合、神様の計画は、見えないものです。
ですから、オルパは、ナオミの愛情に涙し、感謝して、モアブに帰りました。
しかし、ルツは、帰りませんでした。ルツは、ナオミにすがりついたとあります。
この時、ルツにも、神様の計画は見えていません。それにもかかわらず、なぜ、ルツは帰らなかったのでしょうか。
神様の計画は見えなくても、ルツが目を留めたところに秘密があります。
ルツ記 1章15-18節
ナオミは言った。「ご覧なさい。あなたの弟嫁は、自分の民とその神々のところに帰って行きました。あなたも弟嫁の後について帰りなさい。」
ルツは言った。「お母様を捨て、別れて帰るように、仕向けないでください。お母様が行かれるところに私も行き、住まれるところに私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。
あなたが死なれるところで私も死に、そこに葬られます。もし、死によってでも、私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。」
ナオミは、ルツが自分と一緒に行こうと固く決心しているのを見て、もうそれ以上は言わなかった。
弟嫁は帰ったのに、ルツは自分から離れようとしない。愛する娘ルツの幸せを思うと、ナオミは胸が痛くなりました。できれば、帰って欲しい、親心です。
しかし、ルツは言いました。「お母様を捨てるように仕向けないでください。」
ルツは、お母さんが言うとおりにすることは、お母様を捨てることだと言いました。
ルツが目を留めたのは、自分の幸せではありませんでした。もちろん、ルツも自分の幸せを願っていなかったわけではありません。ルツも幸せな結婚生活を求めて、ナオミの息子と結婚したのです。
しかし、この時、ルツが目を留めたのは、自分の幸せ以上に、自分にイスラエルの神、主を教えてくれた、ナオミお母さんでした。
ルツは、言いました。別れて帰るように仕向けないでくさい。お母様が行かれるところに私も行き、住まれるところに私も住みます。あなたの民は私の民となり、お母さんの神は、私の神・・・あなたが死なれるところで私も死に、そこに葬られます。もし、死によってでも、私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。
ナオミも、ルツも、モアブからイスラエルに、移り住んだという点では同じでしたが、ナオミの心の動機と、ルツの心の動機は違いました。
移り住むという行動は同じように見えますが、心の動機は、全然違いました。
ナオミは環境を見ていました。 しかし、ルツは、自分に、主を教えてくれたナオミを見ていました。ルツは、ナオミに、主にあって忠実に仕えることを選びました。
ナオミは、完璧な信仰者ではありませんでした。主よりも、環境に解決を求めるところもありました。しかし、それでも、ルツは、主にあって、ナオミに忠実に仕えました。
ルツは、良さそうな環境、目先の幸せよりも、主にあって忠実に仕えることを選びました。その信仰の性質を、主は用いて、すべてを働かせて益とされたのです。
2-3節
モアブの女ルツはナオミに言った。「畑に行かせてください。そして、親切にしてくれる人のうしろで落ち穂を拾い集めさせてください。」ナオミは「娘よ、行っておいで」と言った。
ルツは出かけて行って、刈り入れをする人たちの後について畑で落ち穂を拾い集めた。それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑であった。
ここでも、ルツは、主にあって、ナオミに忠実に仕えています。
ルツは、ただ、自分の思いで、畑に出て行ったわけではありません。
ナオミに「畑に行かせてください。」と言い、ナオミが「娘よ、行っておいで」と言って、遣わされたので、ルツは出て行きました。
そのように主にあって忠実に仕える心で、出て行ったルツは、はからずも、ボアズの畑に導かれました。
ルツの、主にあって忠実に仕える心・・・この信仰の性質を、主は用いて、すべてのことを益とする人生に導いてくださいました。
主にあって忠実に仕える心・・・この信仰の性質を通して、主は、私たちの人生に力強く介入してくださいます。
ある婦人は、救われて間もなく、聖書もよく分からず、右も左も分からない状態でしたが、救いに導いてくださった先生に教わるまま、素直に、やってみていました。。
救われて半年ぐらい経った頃、三男の幼稚園を選ぶ時期が来ました。
教会の皆さんのお子さんのほとんどが近くのミッション系の幼稚園だったので、私も、一番下の三男は、クリスチャン系の幼稚園に入れる最後のチャンスだから、そこに入れようと思いました。
しかし、丁度、聖書の学びの中で、何をするにしても、祈って、神様に聞いてから、するようにと教えられていたので、それで、一応、お祈りして聞いたところ、神様は、長男も通っていた、地元の幼稚園に入れるようにと示されました。
それで、彼女は、クリスチャン系の幼稚園の方が絶対にいいという自分の思いを下ろして、神様が示された幼稚園に、三男を入れました。
しかし、3年間、特に何か実を結んだり、祝福があったわけでもなく、なぜ、自分は、ここに置かれているのだろうと思いました。神様に聞いても、ただ愛して、仕えなさい。受けるよりも与える方が幸いであるということが示されるだけ・・・それでも、彼女は、そこで、主にあって、忠実に仕え続けました。そのように、仕えながらも、なぜ、ここなんだろうという、思いが、ずっとありました。
しかし、三年間の最後の最後、卒園の間際になって、主は、何人かのママ友との出会いを与えてくださり、救いに導いてくださいました。
主は、ママだけではなく、家族も救いに導いてくださり、20年以上たった今、ママたちだけではなく、その娘さんたちとも一緒に、毎日のように、一緒に奉仕するようになっています。
もし、あの時、聖書から教えられた通り、祈って、神様に聞いていなかったら・・・もし、あの時、神様が示されたところよりも、自分の行かせたい方に行かせていたら、今のこの恵みはなかったと思います、と、証しされていました。
皆さん、大切なのは、主にあって忠実に仕える心です。主は、今も、私たちに、みことばによって、示してくださいます。
何をするにしても、祈って、神様に聞いてみる・・・そのとき、主が、みことばによって、私たちに示してくださいます。
祈らなければ、主は示してくださらないというのではありません。主は、いつも私たちに示してくださっていますが、私たちには、それが見えないときが多いのです。
私たちが、主にあって忠実に仕える心を持って、祈って、主に聞いてみるとき、私たちの霊の目が開かれて、主が示してくださっていることが、見えるようにされるのです。
主にあって忠実に仕える心を持って、何をするにしても祈って、神様に聞くことを選びましょう。
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