16/08/2026
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ショフティム:社会の責任
今週のパラシャ『ショフティム(Shoftim:裁判人たち)』の結びにおいて、トーラーは「首を折られた雌牛」(Broken-necked Heifer)に関するユダヤの戒めを提示しています。殺害された人が野原に倒れているのが発見され、しかも殺人者の身元が分からない場合、現場から最も近い町の指導者や裁判人たちは公の儀式を行わなければなりません。彼らは若い雌牛を谷へ引き出し、こう宣言します。「私たちの手はこの血を流しておらず、私たちの目も見ていません」と。
この行為は償いとして機能すると同時に、未解決の犯罪に対する社会の関心を強く喚起し、正義の追求を確実なものにします。しかし一見すると、ここには明らかな疑問が生じます。なぜ密かに犯された殺人のために、町の長老や裁判人たちが償いを必要とするのでしょうか。凶悪な犯罪を犯したのは殺人者単独であり、完全な罰を受けるべきはその者だけのはずです。野原で起きた暴力行為と、地元の裁判所に一体何の関係があるのでしょうか。
その答えは、全人類に適用される根本的な原則、すなわち「相互責任」を明らかにしています。長老たちが犯罪で告発されているわけではありません。しかし、指導者であり教育者である彼らには、コミュニティ全体に道徳的かつ倫理的な生き方を教える責任があるのです。コミュニティとその法廷が流血に対する責任を負うという、この戒めの根底にある原則は普遍的なものです。「ディーニーム(Dinim:法廷の設置)」はブネイ・ノアハの核心的な戒律であり、社会が7つの戒律を施行し、道徳的秩序を維持することを求めています。公正な裁判所を設立する義務とは、犯罪が起きた後に犯罪者を罰することだけではありません。それは、ネ‐申の正義に基づいた、公正で道徳的な社会を築くことを要求しているのです。
公式な指導者や社会は、自らの監視下で暴力が発生した際、その責任の一端を負います。真に健全なコミュニティとは、弱い立場にある人々に積極的に目を配り、彼らが倒れてしまう前に支援する社会です。すべての国は、教育に焦点を当て、ノアの7つの戒律が確実に守られるように導く、正義ある裁判人と指導者を任命すべく努めるべきです。
今日、普遍的なネ‐申の倫理を学び、それに従って生きることで、すべての人が「相互責任」に基づく公正な世界を築く手助けをしています。ノアの7つの戒律を学び、それを日常生活に適用することで、ブネイ・ノアハはネ‐申の正義によって統治される世界に直接的に貢献しているのです。真っ直ぐな指導体制を確立し、道徳教育を支援すること。それは、この世界を創造主の住まう場所とするための最も基礎的な歩みなのです。
【出典】
Deuteronomy(申命記) 21:1–9
Babylonian Talmud(バビロニア・タルムード), Sotah 45b–46b
Rambam(マイモニデス), Mishneh Torah, Laws of Kings and Wars, Chapter 9, Halacha 14
Likutei Sichot, Vol. 9 (Shoftim)
Ramban, Genesis(創世記) 13
ラビ・モシェ・バーンスタイン(Rabbi Moshe Bernstein)は、以下の本の著者です。
『Light Onto the Nation: A Guide to the Seven Noahide Laws』
『Light Onto the Torah Portions: Insights on the Torah Portions for Noahides』(全2巻)
『Stories of Faith for Noahides: Inspiring Stories for Noahides from the Righteous of all Generations』
『Questions and Answers for Noahides: Q&A about the Seven Noahide Laws』