浄土宗 紫雲山 歓喜院
(ジョウドシュウ シウンザン カンギイン)
福岡県久留米市善導寺町飯田564-1
歓喜院は承元二(1208)年、要阿(草野永種)が大檀那となり聖光上人が善導寺の塔中寺院三十六坊の一つとしてお開きになったと伝えられています。
山号には奇瑞・祥瑞に現れる紫色の雲を表す“紫雲山”が用いられています。
寺伝には、聖光上人が筑後における日常的な教化の拠点であった八女市馬場にある天福寺と山号を同じくし、聖光上人が塔中三十六坊の中でも法堂(説教所)として重きを置いたとされています。
また、ご本尊阿弥陀如来坐像並びに観音勢至菩薩像は、聖光上人お手彫りの御尊像と伝えられています。
歓喜院建立後376年目の安土桃山時代、栄華を誇った善導寺をはじめ塔中寺院史上最大の厄難が降りかかります。
天正十二(1584)年、筑前立花城主・戸次道雪
が、善導寺第十九世祖吟上人(鎮蓮社大譽祖吟上人)をはじめ所化の上座十二人、塔頭三十六人を放光寺に招き入れ殺害するという事件が起こったのです。
当時善導寺の大檀那であった草野氏は、もと大分・大友氏に属していましたが、天正十二年、大友宗麟の元を離れて、佐賀の竜造寺氏と提携し、その所属となりました。そのため大友氏配下の戸次道雪は、草野氏を恨み、この殺害となったのです。
祖吟上人は、最期の時に当たり、『打つ人も打たるる人ももろともに、おなじ蓮の身とぞなりける』と詠じられています。
道雪はその後も善導寺を攻め、火を放って堂塔伽藍をみな焼き払ってしまいました。修行僧たちは各寺の本尊阿弥陀如来坐像をはじめ善導寺所蔵の善導大師や聖光上人(共に国重要文化財)の像を抱え、筑後川を渡り避難。しかし追手の追及はきびしく、一時は尊像を現在の久留米市北野町大城あたりに隠して四散しました。やがて戦乱が鎮まると、僧たちは仮堂(現在の北野町大城字念佛田あたり)を建てて尊像を安置し、称名念佛の声を響かせました。そこでこの地を[念佛田]と呼ぶようになり、この名前は現在も残っています。
この事件は、まさに 〝天正の法難〟 ともいうべき善導寺並びに塔中寺院史上空前の災厄であって、什宝や古記録など多くのものを焼失してしまいました。
その後、幾度となく再建が試みられましたが、慶長五(1600)年黒田官兵衛孝高(如水圓清)の来襲にあい、またもや堂塔伽藍が破壊されてしまいます。
戦乱の後、歓喜院が本格的に再建されたのは、慶長十三(1608)年から延宝九(1681)年にかけてと考えられています。
悲しいかな古文書等が残っていないため、歓喜院再建年代は善導寺の資料から予測されるところの、あくまでも推察の域でしかありません。
ただ…歓喜院の旧山門の建築様式{破風板の下に装飾を目的として付けられている懸魚(げぎょ)の彫刻等}が大本山善導寺大門{慶安4(1651)年建立。2013年現在、築362年。}のものと酷似していること、また境内に植えられているラカンマキやツツジ古木の樹齢が300年超ということから推察すると、大本山善導寺大門が建立された慶安4(1651)年より後に再建されたとする説が濃厚と思われます。
いずれにしても再建後、再び教化活動を行えるようになり、江戸末期までは、とても安定していたようです。
しかしながら、明治の廃仏毀釈のためか、明治期の歓喜院は再び荒廃してしまいます。
それを嘆き悲しんだ、歓喜院中興第三十世住職松本量冏上人(後に博多・善導寺住職となり、有田姓になられます。)は、当時の善導寺町大地主 久保山虎吉氏を大檀那として、本堂を明治四十三年八月、現在のものに再建されました。
本堂は、最高の技術を持つ大工を集め、久保山氏所有の山林から大木を切り出し、江戸期のものをそっくり復元したそうです。
また、本堂内内陣荘厳(仏様の飾りつけ)
・・・これは、西方極楽浄土を現すものですが、京都より仏師を呼び寄せ、草野の専念寺様の荘厳を模して1年がかりで、あつらえたものだそうです。
この荘厳は、他を圧倒する程に群を抜いており、大檀那久保山虎吉氏の信仰心を伺い知ることができます。
久保山氏は、歓喜院ばかりでなく、善導寺の参道石畳整備事業(久保山氏が寄進された旧参道石畳は、現在の新しい石畳の下にそのまま保存埋没されています。)や御内仏本尊阿弥陀佛修復等にも寄進し、多大なる貢献をされました。
このすばらしい佛教芸術ともいうべき本堂内荘厳、堂内壁画には、来迎の阿弥陀佛に従って来る二十五菩薩来迎図や極楽の蓮華池が描かれ、さらには、念仏弘通の守護神とされる龍の夫婦画が彫り込まれています。
この龍は、龍女を王譽妙龍といい、龍男を龍譽高天といいます。
古来、寺院に清らかな清水を出すことと守護することを約束した故事により、特に火災からお寺を護る守護神とされています。
この龍の夫婦画彫りは、九州地方では他に類を見ず大変めずらしいものだそうです。
お堂自体は小ぶりながらも、観れば観るほど拝めば拝むほど、京仏師達の匠の技によりバランスの取れた秀逸で荘厳な世界に、我を忘れ時間を忘れさせられます。
信仰としては、地蔵尊の寺として有名で、延命地蔵尊や京都・化野念仏寺の地蔵尊分身・水子地蔵尊、そして悪しき心を焼き尽くすという不動明王尊が祀られており、久留米をはじめ筑後一円より信者様がお参りになります。
延命地蔵尊のお陰か、ここのお檀家様は、数えの108歳(満106歳)で天寿を全うされた方を最高に90歳を超えるご長寿の方々が数多くいらっしゃいます。
どうぞ、ごゆっくりお参り下さいませ。