25/04/2024
できないことが増える
人は年をとると「若い時は、一日は短く一年は長い。年をとると、一年は短く一日は長い」(フランシス・ベーコン)と書かれているとおり、一日が長く感じられることがあります。
また年を取るごとに動作が遅くなったり、「できないこと」が増えて、メソジスト派のジョン・ウェスレー牧師は晩年に「私は今や年老いた者だ。頭からつまさきまで衰えている。私の目もかすみ、私の右の手もひどくふるえる…私の動きも弱く、のろい」と『日記』(1790年1月1日)で記しています。
『病の床(とこ)にて』
さらに病気になれば「できないこと」がますます増え、行動も動作もゆっくりとなって、やることなすことが半日作業になっていき、忍耐しなければならない日々が増えるのではないでしょうか。
メアリ・ウルスィー・ハウランが『病の床(とこ)にて』という詩で次のように記しているからです。
「私は静かに身を横たえる 朝 私の目が開くとき この身がここにあっても この身がかしこにあっても 少しも思い悩むことはない 重き荷を背負い 旅路に疲れ果てた私は むしろ憩いの時を求める 私を愛すると言われる方の胸に 私は顔をうずめたい 健やかだった右の手も 今はかつての日のようには動かない 私はひとりで行かなければならない 今まで歩いたことのない遠い道を 黙って行かなければならない 私の熱意も 勇敢さも 誇りであった力の強さも すべては過去のもの 私はとうとう来てしまった 何もしたくない無気力なところに 私の半日の仕事は終わった なすべきことは もうなし終えた 私はいまささげたい 私の忍耐の心を 私の忍耐の神に」
「夕べがあり、朝がある」
重度の障害を負いながら、神の光を仰ぎつつ生活をされている方は「私の生活には夕べがあり、朝があるのです」と語っています。
そこから木村知己牧師は、「聖書は神の天地創造の記述から始まります。混沌と闇が深淵を覆っているとき、『光あれ』と光を創造されました。そして昼と夜とを分けられ、『夕べがあり、朝があった』と。…神は私たちに夕べを与え、朝を与えておられるのです」と述べています。
老いる日まで 背負って行こう
私たちは年々「できないこと」が増えて、肉体的にも気力的にも衰えて、落胆したとしても、恵み深い神様は「あなたたちは生まれた時から負われ 胎を出た時から担われてきた。同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで 白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す」(イザヤ46:4)と語ってくださっていますので、私たちは希望をもって生きていきたいと思います(倉敷聖クリストファー教会 管理司祭 マルコ平野一郎)。