愛ランド・キリスト教会

愛ランド・キリスト教会 神戸市東灘区の六甲アイランドにあるキリスト教会です。愛ランドは神様?

2026年8月2日愛ランドキリスト教会宣教宣教者:平野嘉春師宣 教:「天からのパンを食べる」イザヤ55:1~5ローマ9:1~5マタイ 14:13~21♪讃美歌21 4 世にあるかぎりの56 主よ、いのちのパンをさき、58 み言葉をください7...
02/08/2026

2026年8月2日
愛ランドキリスト教会宣教

宣教者:平野嘉春師
宣 教:「天からのパンを食べる」


イザヤ55:1~5
ローマ9:1~5
マタイ 14:13~21

♪讃美歌21 
4 世にあるかぎりの
56 主よ、いのちのパンをさき、
58 み言葉をください
78 わが主よ、ここに集い、

♪リビングプレイズ 
72 いのちの水

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はじめに
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皆さんおはようございます。主イエス・キリストから恵みと平安がありますように。厳しい酷暑が続いています。毎日主がこの猛暑を治めてくださるようにお祈りしていました。神様が創造された地球環境です。人類の罪、欲望が積み重なりこのような地球の破壊的な状況がもたらされているのではないかと恐れるものです。熊本を中心に地震が起こりました。猛暑の中、襲われた震災被害者の救援、復興のために祈りましょう。

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祈祷
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天地創造主である父なる神様、あなたの溢れるばかりの恵みを感謝いたします。あなたの恵みなしでは生きることが出来ません。

猛暑の中で世界中が苦しんでいます。またロシアとウクライナの間で、イスラエル・アメリカとイランの間で戦争が続いています。世界が苦しみの中に置かれています。

あなたによって創造された私たちです。しかし、あなたの御心に背いてきました。罪は破壊と死をもたらします。どうか私たちの罪をお赦しください。私たちを憐れんでください。

28日に熊本地方が再度の震災に見舞われました。被災者を助けてください。震災からの復興を助けてください。どうかこの地球環境を整えてください。世界の指導者をはじめ、私たちにあなたの知恵と導きを与えてください。

主イエス様、あなたが私たちの罪を贖い、永遠の命を与えるために人となってきてくださったことを感謝します。今日も私たちのためにとりなしてくださいますことを感謝します。今日の礼拝を聖霊によって導いてください。あなたの生けるみ言葉によって私たちを新しくし、強めてください。父と子と聖霊のみ名によって祈ります。

アーメン。

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Ⅰ.天から与えられるパン
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今年は7月10日ごろから猛烈に暑くなってきました。誰もが熱中症にかかる危険があります。水分補給などを務め、外出時には日傘、凍った水のボトルを保持など予防に努めましょう。私たちの身体にとって水分補給は命を守るために欠かせません。今日のイザヤ書では、霊的な栄養を取ることを、水分補給と食物を得ることに譬えて語られています。

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📖 【イザヤ55:1】

渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。
銀を持たない者も来るがよい。
穀物を求めて、食べよ。
来て、銀を払うことなく穀物を求め
価を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ。
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霊的な命を保つために、霊的な水と穀物を求めて神様のもとにきなさい。金銀、お金を払うことなく与えられると語っています。それは、神様自身が霊的な水と食べ物を用意し、その代金は神様が支払ってくださるというのです。

私たちは永遠の命を受けるために洗礼を受けます。洗礼を受けるのに、代金を払うことはありません。罪の赦しを受けるために聖餐のパンと葡萄酒を受けます。聖餐をうけるために代金を払うことはありません。新しく生まれるためにお金は必要ありません。イエス様が十字架の死と復活によって私たちの罪の赦しのための代価を支払ってくださったのです。

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【ジョージ―・ミュラーの証し】
ジョージ―・ミュラーの孤児院では、神様の働き「奇跡」が日常茶飯事でした。その中でも最も有名なエピソードがあります。ある日の早朝、孤児院の職員が青ざめた顔でミュラーのもとに駆け込んできました。「先生、大変です! 子供たちの朝食に出すパンも、ミルクも、何もありません。お皿は空っぽです!」300人の子供たちが食堂で待っています。食料庫は空、財布の中身もゼロ。普通のリーダーならパニックに陥るところです。しかし、ミュラーは穏やかに言いました。「子供たちを食堂に座らせなさい」子供たちがテーブルに着くと、目の前には空っぽの皿とカップがあるだけ。ミュラーは静かに祈り始めました。

「愛する天のお父様。食べるものを何も持っていませんが、あなたがこれを与えてくださることを信じて感謝します。アーメン」

「アーメン」と言った直後、玄関のドアがノックされました。立っていたのは、地元のパン屋さんでした。「ミュラー先生、昨夜なかなか寝付けなくてね。神様が『孤児院のためにパンを焼きなさい』と言われている気がして、朝の2時に起きて焼いてきました。焼きたてのパンです、どうぞ」パン屋が帰った数分後、再びノックの音がしました。今度は牛乳配達の男でした。「いやあ困った。孤児院の目の前で馬車の車軸が折れてしまいましてね。修理の間、積んでいるミルクが悪くなってしまう。子供たちに飲んでもらえませんか?」祈った直後に、300人全員分の焼きたてのパンと新鮮なミルクが与えられたのです。ミュラーにとって、「偶然」ではありませんでした。天の父が、子供たちの必要を知っておられた結果でした。
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ジョージ・ミュラーにとってこの事は奇跡ではなく、日常の事であったようです。なぜなら、彼は自分がゆだねられていることだけではなく神の働き、世界の宣教のために祈り、ささげていたからです。

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Ⅱ.命のパンを与えるイエス・キリスト
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イスラエルの民はエジプトの奴隷から解放されるために、神のことばに従って過ぎ越しの食べ物を食べました。羊が殺され血が流されました。民は羊の肉を焼いて食べました。種入れぬパンを食べました。それによって死から救われ、エジプトから解放されました。神様は海の水を二つに分けてイスラエルの民をエジプト軍から救出されました。その後には荒野の生活が40年続きました。神戸市の人口ほどの民が荒野で40年過ごさなければならなかったのです。神様は天からマナを降らせました。岩から水があふれだしました。神様が奇跡によって民を養われたのです。

列王記下4章で預言者エリシャのもとにひとりの男が大麦パン20個をもってやってきました。エリシャは召使に100人の人にパンを与えなさいというと、召使は100人の人にどうして与えることが出来るでしょうか、と答えます。エリシャは「人々に与えて食べさせなさい。主は言われる。」と主の言葉を告げて人々に与えると、100人の人は満腹するまで食べ、彼らは食べきれずに残した。と書かれています。

マタイによる福音書14章13~21節の今日の聖書のみ言葉から、イエス様が少年が持っていた5つのパンと2匹を祝福して祈られた後、男の数で5千人、女性と子供を含めると、一万人をはるかに超えていたでしょう。彼らに十分に与えて食べさせた奇跡が書かれています。

バプテスマのヨハネが殉教した後、イエス様は舟に乗って静かなところへと退かれました。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追ってきました。 その出来事を読みましょう。

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📖 【マタイ14:14~21】
イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされました。夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」 弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」 イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。
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イエス様は5つのパンと2匹の魚を手に取り、祈られました。そして群衆が満腹するほどに与えました。また言葉によって病を癒されました。このパンと魚の奇跡は4つの福音書すべてに書かれています。

ヨハネによる福音書6章では、パンの奇跡の翌日イエス様は弟子たちを舟に乗せて先にカファルナウムに向かわせ、イエス様は湖の荒波の上を歩いて弟子たちの舟に近づいて行かれました。舟に乗りこまれると目的地に着きました。翌日、パンの奇跡で満足した群衆はイエス様を求めて集まってきました。また何かが得られると期待したのでしょう。イエス様は群衆に「食べてもすぐになくなる食べ物ではなく、永遠の命にいたる食べ物のために働きなさい。」と語っています。その食べ物こそ、神の御子イエス様が与える食べ物です。荒野でマナを与え、預言者エリシャを通してパンを与えられ、そして5千人にパンと魚を与えられたのは天の父なる神であることを示されました。そして、イエス様こそ天からこの世界に降って来て、信じる人に永遠の命を与えるパンである。と語られました。

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📖 【ヨハネ6:35、48~51】
イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。
わたしは命のパンである。あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」
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聖餐式にあたり
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今日はこの礼拝において聖餐式を行います。この聖餐式はイエス様が十字架につけられる前の過ぎ越しの祭りの時に、弟子たちと食事を共にし、その時に約束された真の食べ物です。私たちの罪の贖いのために、十字架につけられた身体と流された血をパンと葡萄酒という形で与えられました。イエス様が定められた聖餐の食事です。私たちが実際に口で味わうことを通して、キリストの贖い、救いを受けるようにしてくださいました。聖餐は目に見え、口で味わうことが出来る神のことばです。このパンと共に主イエスはおられます。この葡萄酒と共に主イエス様はおられます。パンと葡萄酒を私たちは一緒に受けます。それは私たちがキリストに結ばれて一つの交わりにあることを示しています。洗礼と聖餐が神様の恵みとして与えられています。信仰をもってパンと葡萄酒、聖餐を受けましょう。そして罪の赦しと永遠の命の約束を確かめましょう。

2026年7月12日 愛ランドキリスト教会宣教宣教者:平野嘉春師宣 教:「天より注がれる命の糧」イザヤ55:10~13ローマ8:1~11マタイ 13:1~9、18~23♪讃美歌21 3 扉を開きて51 愛するイエスよ54 聖霊みちびく神のこ...
14/07/2026

2026年7月12日 愛ランドキリスト教会宣教
宣教者:平野嘉春師
宣 教:「天より注がれる命の糧」


イザヤ55:10~13
ローマ8:1~11
マタイ 13:1~9、18~23

♪讃美歌21 
3 扉を開きて
51 愛するイエスよ
54 聖霊みちびく神のことばは
55 人となりたる神のことば

♪リビングプレイズ 
17 主はぶどうの木
 

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はじめに
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皆さんおはようございます。先週はひとりの姉妹が洗礼を受けられました。私たちは本当に喜び、神様に感謝しました。神様は私たちが生まれる前から私たちを知っておられます。そして探してくださいました。救い主イエス様と出会い、永遠の命を得るためです。この神様の計画は何千年も前から、4000年前に神様がアブラハムを選んだ時からすでに始まっていました。神様の深い恵みを感謝しましょう。祈ります。
 

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祈祷
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全能の神さま、あなたは、いのちの言であるみ子によって、私たちの目と耳を開いてくださいました。聖書の宣べ伝えていることを私たちが喜んで信じ、父と子と聖霊の神を信じて受け入れます。神の言葉を受け入れます。み言葉に従って生きることが出来ますように助けてください。み子イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。
 

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Ⅰ 天から降ってきた神の言葉
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創世記の最初の言葉は、

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📖【創世記1:1~5】
初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
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ヨハネによる福音書の最初の言葉は、

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📖【ヨハネによる福音書1:1~5】
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
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宇宙、数えることが不可能な星雲と惑星の数、神は創造されました。宇宙の中では小さな惑星である地球を神は創造されました。

そして私たちは神の言葉によって創造されました。神の生ける言葉は今も働き続けています。旧約聖書において、神は預言者の口を通して神の言葉を与えました。神様ご自身をみ言葉によってあらわし、神のことばの力を示されました。

今日与えられているイザヤ書55章の中で、神の言葉を聴きなさい。そして受け入れなさいと語られています。神の言葉には力があります。神の言葉を天から降ってくる雨や雪にたとえています。

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📖【イザヤ55:10~11】
雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ種蒔く人には種を与え、食べる人には糧を与える。そのように、わたしの口から出るわたしの言葉もむなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす。
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地球における自然現象の壮大なパノラマを見ます。私たちは雨水の豊かな恵みを受けています。しかし、台風の到来を豪雨災害と共に恐れます。私たちはこの現象に喜び、また杞憂しています。

水はすべての生きとし、生けるものに欠かすことのできないものです。まことに大きな力を持っています。預言者は神の言葉を雨水に例えているのです。私たちは神の言葉を信じて、イエス・キリストを救い主と信じました。そして洗礼を受け、永遠の命を受け、新しく生まれました。
 

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Ⅱ 神の言葉が実を結ぶ
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神様は今日も私たちに神の言葉を与えてくださっています。それは実を結ぶためです。

マタイ13章でイエス様は近づいてきた群衆に種まきのたとえで語られました。種まきが種をまくために出かけて行きました。種をまく人は神様ご自身です。今も神のことばを与え続けておられます。

種は4種類の土地にまかれました。ある種は道端に落ちました。鳥が飛んできて種を食べてしまいました。ある種は石だらけの土地に落ちました。土が少ないのですぐ芽を出しましたが、日中の太陽の暑さですぐに枯れてしまいました。他の種は茨の間に落ちました。茨が強く伸びて種の成長を妨げてしまいました。ところがほかの種はよく耕され肥料も良くきいた土地にまかれましたので、のびのびと成長し、百倍、60倍、30倍の実を結んだのです。

群衆にはこのたとえによって何が語られているのか、意味が理解できませんでした。イエス様は弟子達には、このたとえの意味を解説されました。

種とは、御国の福音の事をたとえられました。撒かれた土地とは、神の言葉を聴いた人の心です。4種類の人は皆、同じ神の言葉を聴いています。

🌾道端にまかれた種とは
み言葉を聞いても受け入れないのでサタンがみ言葉を奪っていくのです。心にみ言葉は残りません。

🌾石だらけの土地にまかれた種とは
み言葉を聞いて、すぐに喜んで受け入れるが、しばらくは続いても、艱難や迫害が起こると、すぐに躓いてしまう人です。

🌾茨の中にまかれた者とは
み言葉をきくが、世の中の思い煩い、富の誘惑に煩わされて、み言葉を捨ててしまう人です。

🌾良い土地にまかれた種とは
み言葉を聞いて悟る人です。み言葉はその人の内でしっかりと根づいて百倍、60倍、30倍の実を結びます。み言葉は神の口から出た言葉ですから、私たちの心に受け入れられるなら実を結ぶのです。

イエス様は荒野で断食し空腹になっているところで、「神の子ならこの石がパンになるように命じたらどうだ。」とサタンの試みを受けました。イエス様は悪魔に答えました。

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📖『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」
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と答えました。サタンの声ではなく神の言葉で答えました。神の言葉にはサタンの誘惑を退ける力があります。
 

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Ⅲ 聖霊がみ言葉により実を結ばせる
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先週はローマ信徒への手紙7章で、人間の罪の本質についてパウロが語りました。自分の力ではどうすることもできない、私たちの内にある罪について語りました。私たちは自分自身を知れば知るほど罪に縛られていることを知ります。それは聖霊が私たちの本質を知らせてくださるからです。

大切な事は自らの罪を認め、神様の前に告白することです。かたくなな心ではなく砕かれた心です。自分に頼るのではなく神の恵みに頼ることです。それが、耕された良い土地です。

罪の赦しのため聖餐式は私たちに与えられています。聖餐式を受ける人は自分の罪を自覚している人、赦しを必要としています。神様の救いは私たちの努力や私たちの業にあるのではありません。神の言葉に救いの確信があります。キリストの十字架の贖いによって罪の赦しがあります。

ローマ信徒への手紙8章に神様の救いの約束が書かれています。

イエス・キリストを救い主と信じて信仰を告白した私たちは、キリストと一つに結ばれました。すべての罪と重荷はイエス様が負ってくださいました。あなたは罪に定められることはありません。

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📖【ローマ8:1~2】
従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです。
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私たちはの肉の性質は罪から自由になってはいません。自分の力で罪に打ち勝つことはできません。神様はそのことを知っておられます。そこで、私たちの罪を取り除くために、イエス様が私たちと同じ肉体を持つ人間になってこられました。イエス様は十字架で私たちの罪の裁きを受け、罪を取り除いてくださいました。イエス様によってしか罪は取り除かれることがありません。

毎月聖餐式が行われなければならない意味もそこにあります。イエス様は洗礼を受けた私たちに聖霊を送ってくださいました。私たちの内には聖霊が内住しておられます。そして弱い私たちを助けてくださいます。

罪を犯すとき、聖霊は悲しまれます。そして神のことばを与えて私たちを悔い改めに導いてくださいます。聖霊は私たちに神の言葉を悟らせてくださいます。罪が何であるかを示してくださいます。

サタンは反対の事をします。これは誰でもしていることだから大丈夫と罪に誘惑します。そうして私たちの心を知らず知らずの間に神様から引き離そうとしているのです。

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📖【ローマ8:5~11】
肉に従って歩む者は、肉に属することを考え、霊に従って歩む者は、霊に属することを考えます。肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります。なぜなら、肉の思いに従う者は、神に敵対しており、神の律法に従っていないからです。従いえないのです。肉の支配下にある者は、神に喜ばれるはずがありません。神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。キリストがあなたがたの内におられるならば、体は罪によって死んでいても、“霊”は義によって命となっています。もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。
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このみ言葉で語られている霊とは聖霊の事です。神様は罪によって死んでいた私たちを新たに生まれさせてくださいました。霊的に生きるものとされました。聖霊が私たちと共におられます。そこで新しく生まれた私たちは神のことばを聞きます。神のことばと共に聖霊は助けてくださいます。み言葉を聴いて生きる人は助け主、慰め主である聖霊と共に生きるのです。

2026年7月5日 愛ランドキリスト教会宣教宣教者:平野嘉春師宣 教:「バプテスマ、キリストと一つになる」ゼカリヤ9:9~12ローマ7:15~25aマタイ11:16~19、25~30♪讃美歌21 11 感謝に満ちて♪リビングプレイズ 33 ...
06/07/2026

2026年7月5日 愛ランドキリスト教会宣教
宣教者:平野嘉春師
宣 教:「バプテスマ、キリストと一つになる」


ゼカリヤ9:9~12
ローマ7:15~25a
マタイ11:16~19、25~30

♪讃美歌21 
11 感謝に満ちて

♪リビングプレイズ 
33 私が悩むときも
56 主よ、いのちのパンをさき
67 貴きイエスよ
78 わが主よ、ここに集い

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はじめに
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皆さんおはようございます。主イエスから恵みと平安がありますように。
今日は礼拝の中で洗礼式を行いました。ひとりの姉妹が洗礼を受け、神の子として新たに生まれました。
天においても天使たちの間で喜びがあると言われています。私達にとっても大きな喜びです。教会の大切な使命は父と子と聖霊の名によって洗礼を授けることです。祈りましょう。

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祈祷
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全能の神様、あなたは権威をもって、天の御国が来たことを告げ、教えるために。み子イエス・キリストを遣わされました。悩む人に良い知らせを、悲しむ人に慰めを、とらわれている人に自由を伝えるために、み霊の力を注いでください。今日はこの礼拝において一人の姉妹に洗礼を授けます。あなたが姉妹を洗礼によって新しく生まれさせてくださることを感謝いたします。洗礼式を祝福してください。私たちを聖霊に満たし、主イエスと共に生きるものとしてください。御子イエス・キリストによって祈ります。

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Ⅰ.新しく生まれる
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私たちは皆、肉親である両親を通して生まれてきました。この生命も天地創造者である神様によって与えられたものです。しかし、生まれながらの私たちは永遠に生きる命を受けてはいません。それは神様との親子の交わりが断絶されているからです。

聖書は生まれながらの私たちは霊的には死んだ状態であると語っています。アダムとエバが神に背いた結果、罪と死が人間を支配するようになったからです。人は今日にいたるまで罪と死の問題に苦しんでいます。「誰でもキリストにあるならばその人は新しく作られたものである。古いものは過ぎ去ったすべては新しくなった。」とみ言葉にある通り、新しく生まれなければなりません。洗礼は新しく生まれることです。

イエスキリストが誕生してこの世界に来られるまで、旧約聖書の時代には、救い主(メシア)が来られることを預言者によって約束されていました。メシアが来られるときに、神との平和が来ます。戦争もなくなります。神様と顔と顔を合わせて交わるようになります。

旧約聖書において、神様は救い主が来られることを約束し、そのためにアブラハムは選ばれました。イスラエルの民が選ばれました。救い主がアブラハムの子孫から、ダビデの子孫から生まれてこられることが約束されたのです。しかしながらイスラエルの民は神に背く歴史を歩んできました。メシアが来た時に民の指導者と民は受け入れなかったのです。十字架につけてしまったのです。しかし、人を罪と死から解放するためにイエス様の十字架の死は神の御心でした。

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📖【ゼカリヤ9:9~10】娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者、高ぶることなく、ろばに乗って来る。雌ろばの子であるろばに乗って。わたしはエフライムから戦車をエルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ大河から地の果てにまで及ぶ。
+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+

この預言の言葉はイエス様が十字架につけられる前にエルサレムに入城された時に成就されました。ロバの子に乗ってエルサレムに入られました。これは救い主(メシア)のしるしです。

神の救い、永遠の命はメシア、イエス・キリストの内にあり、私たちの心に入ってきてくださいます。

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Ⅱ.罪を抱えている人間の本質
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使徒パウロは私たちの抱えている問題、その原因が

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📖『わたしの中に住んでいる罪である』
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と言っています。パウロは神の律法を大切にして生きていました。人に誇れるほどでした。人から尊敬されていました。人一倍正義感に富んでいました。今日も多くの立派な人は自分の力に頼り、誇りとしているのではないでしょうか。しかし、パウロは復活のキリストに出会った時、自分の正義感も、自分の力に対する過信、それらの全てが誤っていた事に気づかされたのです。そしてイエス・キリストを信じるようになりました。

信じてからのパウロは自分自身についてもっと深く知るようになりました。そしてついに自分自身については絶望するほかなかったのです。それは神と断絶された罪の力の恐ろしさを本当に知るようになったからです。

本当の自分自身の状態を知ると絶望します。疲れ果ててしまいます。パウロはここで自分自身の中にある人間の本質を見たのです。自分の心の中に二人いるようです。一方は神の律法を喜んでおり、良い事をしようと心から思っているのですが、それを完全に行うことが出来ないのです。もう一方の自分がいます。古い私は、してはいけないとわかっていることを行ってしまうのです。

あなたは自分自身を振り返ってみる時、パウロと同じような叫びをあげるのではないでしょうか。

+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+
📖【ローマ7:24~25】『7:24 わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。このように、わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。』
+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+

パウロがクリスチャンになってから気づかされた人間の本質です。人は誰もがこの苦しみを持っています。そして人間の努力や力ではどうしても乗り越えることができないのです。あなたも自分の罪に気づき悩んでいるのではないでしょうか。罪の重荷を持つものだからこそ、キリストと聖霊の導き助けに頼るのです。

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Ⅲ.罪と死と悪魔の力からの救い。
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旧約聖書の時代からの預言の成就としてイエス様はマリアを母として生まれてこられました。イエス様が救い主であることは預言の言葉の通りのことが起こり明らかに現れました。しかしイスラエルの指導者と民は受け入れませんでした。救い主誕生の前にエリヤが現れること、すなわちバプテスマのヨハネが現れて道備えすることが預言されていました。しかし、ヨハネを受け入れませんでした。ヨハネは処刑されました。その出来事を、子どもの遊びに例えて歌っています。

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📖【マタイ11:16~17】今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。『笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、悲しんでくれなかった。』
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ヨハネの働きを悪魔の業にしてしまいました。イエス様のしるしと奇跡を受け入れず、罪人の仲間としました。またイエス様のしるしを悪魔の業とまで言っているのです。そしてユダヤの指導者たちはイエス様を十字架につけて殺したのです。

ユダヤの世界は救い主を受け入れませんでした。そしてユダヤの世界だけでなく、今日の世界も救い主を受け入れていません。それではいったい誰が、救い主を受け入れるのでしょうか。

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📖【マタイ11:25~26】イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。
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幼子のように、父や母の言葉を素直に受け入れる幼子のように、神の言葉をそのまま信じる人は幸いです。その人は神によって導かれています。

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📖【Ⅰコリント12:3】ここであなたがたに言っておきたい。神の霊によって語る人は、だれも「イエスは神から見捨てられよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。
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幼子のような心、聖霊に導かれることによってのみ、救い主を受け入れることが出来るのです。これは神の恵みです。今日、洗礼を受ける姉妹はそのように神の言葉を受け入れ信仰を告白しました。洗礼を受けられるのは聖霊の導きによるのです。イエス様は今日も私たちを招いておられます。

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📖【マタイ11:28~29】疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」
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この言葉は教会の看板に掲げられているみ言葉です。

私たちは、自分の人生の中で疲れを覚える事があります。どんな事で疲れを覚えるのでしょうか。これまで努力して力を注いでいたことが挫折してしまう時、急に力がなくなってしまいます。家族が病気や事故など思わぬ災いに遭う時、愛する家族との死別、悲しみと共に疲れがどっと出てきます。また何か、人との関係がギクシャクしたり、力を注いできたことが評価されなかったり、人からの非難の中に置かれ、疎外されていると感じた時に疲れが出てきます。人生には理解できないような苦しみに遭遇することがあるのです。

今日あなたが疲れを覚えているとしたら何が原因で疲れを覚えているのでしょうか。もし、肉体的な疲れであるなら、少し休養と睡眠が必要でしょう。精神的な疲れであればカウンセリングも助けになります。イエス様も一日中忙しく働いた弟子たちに

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📖「あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」
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と言って休ませられました。霊的な飢えと渇きを覚える事もあるでしょう。私たちの抱えている疲れと重荷のすべてをイエス様のところに持っていく以外にありません。自分の無力さを認めて祈ることです。
信頼する祈りの友に祈ってもらうこと。祈りの交わりの中で癒されることも起こるでしょう。

旧約聖書のヨブ記の中で、ヨブは三重苦に苦しみました。友達も助けになるどころか苦しみを加えました。ヨブはその苦しみを神様に訴えることしかできませんでした。あらゆる葛藤を神に訴えたのです。
私たちのために苦難を受け、十字架で命を捨ててくださったイエス様が招いておられます。

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📖「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」
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続いてイエス様は語っています。

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📖【マタイ11:29~30)わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」
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言葉を変えるならば洗礼を受けなさいと招いておられます。

洗礼はキリストと一つになることです。助け主聖霊を受け入れることです。

イエス様を心に迎えることです。イエス様があなたの重荷を負ってくださいます。あなたを罪と死の力から、そして悪魔(サタン)の誘惑から解放してくださいます。

軛くびきとは、2頭の牛の首に固定させて車やすきを引かせたものです。「くびき」は苦難、(飢えと、渇き、等人生の苦しみ)を一つになって担うことを意味しています。キリストとくびきを共にする時、私の罪を始めとして、全ての疲れ、重荷をキリストが引き受けて下さるのです。変わってキリストの義・聖さ、すべての恵みはわたしの中に入ります。洗礼を受けることによって、キリストと一つの交わりの中に入ります。

多くの人に知られて励まされている一つの詩を紹介します。

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『あしあと(Footprints)』

ある夜、わたしは夢を見た。

わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。

これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。

このことがいつもわたしの心を乱していたので、
わたしはその悩みについて主にお尋ねした。

「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、
あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、
わたしと語り合ってくださると約束されました。

それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、
ひとりのあしあとしかなかったのです。
いちばんあなたを必要としたときに、
あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、
わたしにはわかりません。」

主は、ささやかれた。
「わたしの大切な子よ。
わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。
ましてや、苦しみや試みの時に。
あしあとがひとつだったとき、
わたしはあなたを背負って歩いていた。」 マーガレット・F・パワーズ

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2026年6月21日愛ランドキリスト教会宣教宣教者:平野嘉春師宣 教:「洗礼によって新しく生まれる」レミヤ20:7~13ローマ6:1b~11マタイ10:24~39♪讃美歌21 11 感謝にみちて67 尊きイエスよ54 聖霊みちびく神のことば...
25/06/2026

2026年6月21日
愛ランドキリスト教会宣教

宣教者:平野嘉春師
宣 教:「洗礼によって新しく生まれる」


レミヤ20:7~13
ローマ6:1b~11
マタイ10:24~39

♪讃美歌21 
11 感謝にみちて
67 尊きイエスよ
54 聖霊みちびく神のことばは
522 キリストにはかえられません

♪リビングプレイズ 
33 わたしが悩むときも

おはようございます。主イエスの恵みと平和がありますように。

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祈祷
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父なる神様、あなたの恵みと導きを感謝いたします。イエス様の十字架による罪の赦し、新しい命の恵みを感謝いたします。7月5日に洗礼を受ける姉妹を祝福してください。洗礼の恵みを感謝いたします。心と体と魂の弱さを持つ私たちを憐れみ、聖霊の助けと導きを与えてください。日々の生活の中であなたのみ言葉を通して主なる神様を知るものとならせてください。父と子と聖霊にみ名によって祈ります。アーメン。

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Ⅰ.イエスの弟子となる道
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マタイ10章の中でイエス様は12人の弟子を神様の御心を行うために選ばれました。彼らによって全世界に神様の御心を伝えるためでした。弟子たちはイエス様と3年間一緒に生活し、働きを共にしました。そして世に派遣されていきました。弟子は先生であるイエス様に見習って生き、働くように召されました。その働きとは病人を癒し、死人を生かし、神の言葉であるイエス様の救いを宣べ伝えました。イエス様は「ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」と語っています。イエス様と一緒であれば乏しいことはありません。主が必要を備えてくださるのです。スズメは毎日近くで飛び回っている小鳥です。オウム、文鳥等、色々な鳥が高価で売られていますが、スズメは一羽で当時の価格で300円程の価値で売られていました。価値のない鳥として扱われるでしょう。しかし、神様はすずめを養ってくださっているのです。「あなた方はたくさんのスズメよりもはるかにまさっている。」といわれるのです。

弟子たちは派遣される時、お金を持っていくな、余分な着替えも杖も持っていくなと言われました。イエス様に従うことは心地良くて、何の苦労もない生活を意味してはいません。しかし主がすべての必要を満たしてくださいます。イエス様と同じようになることが弟子であることのしるしです。

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📖【マタイ10:24~25】弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない。弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分である。家の主人がベルゼブルと言われるのなら、その家族の者はもっとひどく言われることだろう。」
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 イエス様はユダヤの指導者たちに辱められました。彼らはイエス様の行った奇跡についてベルゼベル(悪魔)の力で行っていると非難したのです。そして迫害され、最後は十字架につけられて殺されたのです。弟子たちも世から受け入れられるとは限りません。かえって迫害されるのです。弟子は神様だけを恐れ、世の権力や神以外の何物も恐れてはなりません。イエス様を信じると告白し洗礼を受ける人は、今の世界で評価されないかもしれません。しかし神様にとって宝の民、天国に国籍を持つ人です。神の子としての力を受けています。イエス様は天の父なる神様の前でわたしの仲間であると言われるのです。

イエス様が父なる神から送られ、この世界に来られた目的は、この世界に平和をもたらすために来たのではないと語っています。この世に平和をもたらすためではなく、罪に満ちた世界に神との平和をもたらすためです。

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📖【マタイ10:34~35】「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。
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イエス様が語っておられる平和とは現在アメリカ・イスラエルとイランの間での停戦を結ぶというような平和ではありません。ロシアとウクライナの間に平和をもたらすというような平和ではありません。もちろん私たちは世界において平和が来ることを願い、歓迎しますが、イエス様が与える平和とは神と人の間の平和です。罪に満ちた世界は神との間で断絶しています。神様は世界と妥協による平和を求めてはいません。イエス様は肉親の兄弟たち(ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダ、)からさえ受け入れられていませんでした。十字架につけられ復活されてから兄弟たちはイエス様を救い主として信じるようになりました。主イエス様を信じて従って生きようとするとき、世の人々から嫌われ、迫害されることがあるのです。同じ家族の中からさえも拒否されるのです。

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【家族の証し】
私の兄が家族の中で最初にクリスチャンになりました。兄がクリスチャンになったことを知った時、受け入れることが出来ませんでした。しかし、兄はわたしを教会に無理やり連れて行きました。その結果救われました。私の二人の姉も救われました。兄弟で両親もクリスチャンになることを願いました。しかし父とは議論になり、もう聖書の話はするなと言われてしまい、対立していました。しかし、十数年後父は自ら教会に求めていくようになり、洗礼を受けました。家族の間に平和が来ました。それはキリストを中心とした交わりでした。主のみ言葉に従う結果、迫害や対立を恐れてはならないのです。日本の歴史の中でもキリシタンの迫害の時代を通ってきました。

今も世界中で、異教の信仰を持つ民族の中において、ひとりがクリスチャンになると激しい迫害が起こることがあります、命まで奪われてしまう社会が今も存在するのです。そのような地域でクリスチャンになることは命がけであり家族と断絶します。信仰が平和ではなく戦いとなる事があるのです。今日本では信仰によって命まで取られる心配はありませんが、心理的に非難されることや受け入れられない事はあります。
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Ⅱ.旧約聖書の時代に預言者の受けた迫害
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預言者エレミヤが預言者として活動した時、その社会では正しい信仰を持つことは命がけになっていました。エレミヤの時代とはBC627年から50年間で、ヨシヤ王からヨアハズ、ヨヤキム、ヨヤキン、ゼデキヤ王の時までです。北イスラエル王国はアッシリアに滅ぼされており、南ユダ王国もエジプトと北のバビロニア帝国の脅威にさらされていました。北イスラエルが、罪の結果、アッシリアに滅ばされるという悲惨な出来事を見ても、南ユダの民は悔い改めませんでした。

エレミヤは強い人ではありませんでした。主の召しを受けた時、

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📖「ああ、わが主なる神よ、わたし は語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから。」
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と自分の弱さを認めて断ろうとしました。しかし主はわたしはあなたと共にいる、恐れずに遣わす所で神の言葉を語れといわれました。

預言者は神の言葉を受けて語ります。イエス様が共におられるのです。預言者はイエス様と同じ苦しみを受けています。エレミヤはユダの王と国民の罪を告発し、罪の結果として神の裁きを語ります。祭司パシュフルはエレミヤを黙らせようとムチ打ち監禁します。エレミヤは迫害の中でも神の厳しい裁きの言葉を語ります。エレミヤはあまりの厳しい迫害の中でつい弱音を吐いています。

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📖【エレミヤ 20:8~9】 「わたしが語ろうとすれば、それは嘆きとなり、「不法だ、暴力だ」と叫ばずにはいられません。主の言葉のゆえに、わたしは一日中、恥とそしりを受けねばなりません。主の名を口にすまい、もうその名によって語るまい、と思っても主の言葉は、わたしの心の中、骨の中に閉じ込められて、火のように燃え上がります。押さえつけておこうとして、わたしは疲れ果てました。わたしの負けです。」
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と語っています。

エレミヤは、主が言われた通りにイスラエルの民と神の都エルサレムが神の裁きを受けること、そしてバビロンに滅ぼされ捕囚となることを語ります。

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📖【エレミヤ 19:15】 「イスラエルの神、 万軍の主はこう言われる。見よ、わたしはこの都と、それに属するすべての町々に、わたしが告げたすべての災いをもたらす。彼らはうなじを固くしわたしの言葉に聞き従おうとしなかったからだ。」
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エレミヤは厳しい迫害を受けますが、その中でも主に信頼し、主に讃美をささげています。この世は悪魔と罪の支配の中にあります。私たちも罪の力、悪魔の力に脅かされます。この力からの解放はイエス様の十字架と復活によってのみ与えられます。

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Ⅲ.洗礼によって罪の赦しと新しいいのちを受ける
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イエス様は悪魔の誘惑に打ち勝ちました。そして、すべての人の罪を贖うために自ら十字架にかかりいのちを捨ててくださいました。そして弟子達を全世界へと派遣されました。

復活のキリストに出会い、弟子となったパウロはローマ信徒への手紙6章の中で罪と死に対する勝利について語っています。それはイエス様を信じて洗礼を受けることによって与えられるめぐみです。洗礼によって私たちはイエス様と一つになります。父と子と聖霊の神様と一つの交わりに結ばれるのです。それは神様との平和です。悪魔は私たちを誘惑し脅しますが、その力はイエス様によって既に縛られ、砕かれています。私たちは罪の力に対して無力です。自分の力で打ち勝つことはできません。キリストの十字架が私たちを罪から解放します。罪に支配された私たちはキリストの十字架によってキリストと共に死んだのです。死んだ人に対して罪は力を持っていません。キリストは三日目に復活されました。私たちも今は信仰によってキリストと共に新しい命に生きるのです。その事実が次のように書かれています。

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📖【ローマ6:3~11】キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。死んだ者は、罪から解放されています。わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。そして、死者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬことがない、と知っています。死は、もはやキリストを支配しません。キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、生きておられるのは、神に対して生きておられるのです。このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。
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 キリストの十字架と復活に力があります。イエス様は弟子に語りました。

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📖【マタイ10:37~39】わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」
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自分中心の生き方ではありません。自我の欲望によって生きるのでもありません。キリストを受け入れてキリストと共に生きるのです。聖書のみ言葉を豊かに心の内に蓄えて、日々の祈りの生活によって神と交わり、神の御声を聴き、日常の生活と働きをするのです。あなたもイエス様の弟子となっています。あなたは既に聖霊の宮となっており、神が共に働いておられます。イエス様の弟子たちは三年間イエス様と一緒に生活し、約束の聖霊を受ました。私たちもイエス様への信仰を告白し洗礼を受けました。聖霊を受けました。新しく生まれ神の力を受けました。自分の十字架を負う生活のあらわれる一番の現場は私たちの家族の中ではないでしょうか。

2026年6月14日愛ランドキリスト教会宣教宣教者:Ⅼ.シグルソン師宣 教:「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」出エジプト記 19章2~8a節(旧124)ローマの信徒への手紙 5章1~8節(新279)マタイによる福音書 9章35~10...
16/06/2026

2026年6月14日
愛ランドキリスト教会宣教

宣教者:Ⅼ.シグルソン師
宣 教:「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」


出エジプト記 19章2~8a節(旧124)
ローマの信徒への手紙 5章1~8節(新279)
マタイによる福音書 9章35~10章8節(新17)

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「お返し」の義務に縛られる私たち
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日本では、贈り物を受け取るとき、何かが始まります。お土産をいただいたとき、心の中でそっと計算が始まりませんか。「いくらのものだろう。次に会うとき、同じくらいのものを持っていかなければ。」その計算は、失礼なことではありません。それが礼儀であり、関係を保つ方法です。受けたら返す。返すことで、関係が続く。

贈り物を手にした瞬間、喜びと同時に、義務が生まれます。返しても、また新しい贈り物が来て、また義務が生まれます。この繰り返しの中で生きていると、「まだ十分に返せていない」という感覚が、自分の一部になっていきます。隣人に対して、地域に対して、職場に対して、そして、もしかしたら、神様に対しても。いのちをいただきました。この世界をいただきました。毎日の食べ物、家族、健康。でも、それを誰に返せばいいのでしょうか。どうすれば、十分に返したことになるのでしょうか。

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群衆を深く憐れまれたイエス様
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マタイによる福音書9章35節に、こう書いてあります。「イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え…」そして次の節に、こうあります。「また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。

ここで描かれているのは、ただ疲れている人たちではありません。羊は、牧者なしには生きられない動物です。草を探すことができません。敵から身を守ることができません。方向を見失います。では、その羊たちの牧者はどこにいたのでしょうか。いるべき場所にいませんでした。教えるべき人が教えず、守るべき人が守らず、導くべき人が導いていませんでした。宗教の指導者たちは、民の重荷を軽くするためではなく、自分たちの立場を守るために動いていました。群衆は放置されていました。弱り果てていました。

その群衆を、イエス様が見られました。返し続けても返しきれない重さを背負った人たちが、目の前にいます。荷物を下ろす場所が見つからない人たちです。イエス様は、どうされたでしょうか。立ち去られませんでした。背を向けられませんでした。「自分でなんとかしなさい」とも言われませんでした。マタイはこう書いています。「深く憐れまれた。」その重さが、イエス様の心まで届いたのです。そして、その憐れみが、弟子たちを送り出す力になりました。

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お返しが必要のない贈り物
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その憐れみから、10章8節の言葉が生まれました。イエス様は弟子たちにこうおっしゃいました。「ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」弟子たちが受け取ったのは、言葉だけではありませんでした。病を癒す力、悪霊を追い出す権威。これらはすべて、自分で得たものではありませんでした。イエス様から、贈り物として受け取ったのです。「ただで」とは、代価なしに、という意味です。お返しが必要のない贈り物。

神様は、あなたに借りを作らせません。イエス様が十字架であなたのために払ってくださったから、あなたはすでに自由です。

では、その「ただで」の中身は何でしょうか。神様ご自身が、人となって、この世界に来られました。メッセージを送られたのではありません。代わりの人を送られたのでもありません。ご自身が来られたのです。贈り物を受け取ったら返さなければならない、という計算が当たり前のように動いている世界に、神様は入ってこられました。誰が誰に何を借りているかが、常に心の中で動いている世界です。イエス様は、その世界の外からではなく、その世界の中に入ってこられたのです。私たちが知っている重さを、ご自身で背負われました。

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イエス様の十字架と復活によって終わる「借りの計算」
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裏切られました。見捨てられました。処刑されました。この三つの言葉を、急いで通り過ぎないでください。「見捨てられた」とは、関係が切られることです。孤立すること。誰もそばにいなくなることです。10章でイエス様が遣わした弟子たちは、ゲッセマネの夜、逃げました。イエス様は一人で十字架への道を歩まれました。最も近くにいるはずだった人たちに、見捨てられたのです。これは借りの清算ではありませんでした。神様があなたのところへ来られたのは、あなたを愛しておられるからです。その愛の宣言が、十字架です。

この説教の最初に、お話ししたことを思い出してください。返し続けても、まだ足りない、という感覚。誰に返せばいいのかわからない、という感覚。心の中でずっと動き続けている、あの計算です。聖書は、その重さを罪と呼びます。神様との間を引き離してきた、すべてのものです。その罪を、イエス様が十字架に持っていかれました。あなたの重さです。それが、すべて引き受けられました。借りの計算は、そこで終わりました。

三日目に、イエス様は復活されました。これは付け加えではありません。復活は、新しい現実の始まりです。「どうすれば、十分に返したことになるのでしょうか。」この問いへの、神様の答えです。もう十分だ。あなたの重さは、すでに引き受けられた。復活されたイエス様は今日も生きておられます。あなたのために、神の前でとりなしていてくださいます。もう返す必要はありません。

でも、こう聞いても、心の中でまだ計算が動いているかもしれません。「本当にそうだろうか。自分には、まだ返していないものがあるのではないか。」その感覚は、嘘をついていません。でも、その感覚が事実を決めるのではありません。事実が先にあります。あなたが信じる前に、すでに起こっていたことです。感じるかどうかに関係なく、贈り物はすでにあなたのものです。

あなたに届いた言葉は、「もっと返しなさい」ではありません。「あなたはすでに自由です」という言葉です。あなたの名前は、その十字架に刻まれています。神様があなたに言われることは、一つです。借りはない。

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受け取った恵みをもって出ていく
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その「ただで受けたもの」は、主の祈りの中に方向として示されています。「我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ。」この祈りは条件ではありません。地図です。神様から受けた赦しがどこへ向かうかを示す、地図です。神様はすでに、十字架の上で、あなたのためにすべてを引き受けてくださいました。

あなたを傷つけた人のことが、まだ心に残っているかもしれません。その重みは本物です。悪いことは、悪いことです。人はとても重いものを長い間運び続けると、あるとき、その重さを感じなくなることがあります。重さが自分の一部になってしまうのです。神様が、その荷物をすでに引き受けてくださいました。だから、あなたの手は空になっています。長い間、何かを握っていた手が、空になる。その空いた手は、ようやく開くことができます。神様の赦しはすでにあなたのものです。受け取ったものによって、赦された者として生きることができます。

弟子たちが持って出かけたのは、この贈り物でした。溜め込むためではなく、受け取ったままに与えるために、出かけていったのです。復活されたイエス様が、今日もあなたを遣わしておられます。神様の恵みは、あなたが作り出すものではありません。あなたはただ、受け取ったものを持って出ていけばいい。ただで。

2026年6月7日 愛ランドキリスト教会宣教宣教者:平野嘉春師宣 教:「信仰によって与えられる恵み」ホセア5:15~6:6ローマ4:13~25マタイ9:9~13、18~26♪讃美歌21 457 神はわが力56 主よ、いのちのパンをさき、 4...
09/06/2026

2026年6月7日 愛ランドキリスト教会宣教
宣教者:平野嘉春師
宣 教:「信仰によって与えられる恵み」


ホセア5:15~6:6
ローマ4:13~25
マタイ9:9~13、18~26

♪讃美歌21 
457 神はわが力
56 主よ、いのちのパンをさき、 
458 信仰こそ旅路を
78 わが主よ。ここに集い

♪リビングプレイズ 
118 威光・尊厳・栄誉

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はじめに
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主イエスキリストから恵みと平安がありますように。5月24日ペンテコステの礼拝、そして先週は三位一体主日礼拝を行いました。今日も父と子と聖霊の三位一体の神との交わりの礼拝に招かれました。主のみ名をほめたたえ感謝しましょう。5月22日貴島桂月兄が主のもとに召されました。奥様の律子姉とご家族のために祈りましょう。

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祈祷
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天地万物の創造主である神様、私たちの罪を取り除くために人となってきてくださったイエス様、そして今日も私たちを助けてくださる聖霊の神様、あなたのみ名を称えます。あなたのあふれるばかりの恵みを感謝します。毎週あなたを礼拝し、キリスト者の交わりに導いて私たちの信仰を守り、成長させてくださることを感謝します。私たちを天のみ国に迎えてくださることを感謝します。貴島桂月兄が天に召され、残された律子姉に天のみ国の希望を与え慰めを与え、心身の健康をお守りください。ご遺族の上に主の支えと導きを与えてください。私たちに永遠の命を与え、日々神様との深い交わりを与えてください。父と子と聖霊のみ名によって祈ります。アーメン。
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Ⅰ.神に背を向けた結果・信仰のない世界
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神様が宇宙を創造し、私たちの生きる地球を創造されました。宇宙では新しい天体が生まれ、また消滅する天体があることが観測されています。

先日は台風に見舞われ、各地で線状降水帯で水害に襲われました。

地球は水の惑星と言われています。こんなに豊富な水に覆われた惑星はいまだに発見されていません。創世記1章では、最初混とんとしていた惑星の地球、水に覆われていました。神様はこの惑星に海と陸地を分けられ、海には魚、空には鳥、陸地には爬虫類、哺乳類を創造されました。最後に人間、アダムとエバを創造されました。天国のように素晴らしく美しい惑星、宇宙のオアシスと呼びたいほど輝いている地球です。エデンの園に最初の人は住まわせられました。しかし問題が起こりました。問題をもたらしたのは悪魔(サタン)です。神様から禁じられていた善悪を知る木の実を食べるようにそそのかしたのです。エバは誘惑に負けました。エバからすすめられてアダムも誘惑に負けました。結果、死が人類に入ってきました。そしてエデンの楽園を追放されました。人類は神と断絶した世界、罪に支配される結果となりました。

今も私たちはサタンの誘惑にさらされています。私たちの心と肢体(目と耳と口と手足)を神様の御心に従わないように誘惑するのです。神のみ心に背くことを聖書は罪、ギリシャ語でハマルティアといいます。罪とは何かを明らかにするため、モーセを通して十戒を与えました。サタンの力、罪の力は強大で私たちの力ではどうすることもできません。罪は人と滅ぼします。また国家を滅ぼします。

預言者ホセアはユダの王、ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代
北イスラエルの王ヤロブアム、ゼカリア、シャルム、メナヘム、ペカフヤ、ペカ、の時代(BC764~724頃)預言活動をしました。

ホセアは神の裁きの厳しさを預言しています。神様とイスラエルの関係は、夫と妻の関係で表しています。神様が夫で人間が妻です。

クリスチャンの結婚についてエフェソ5章の言葉が語っています。

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📖【エフェソ5;23~25】キリストが教会の頭であり、自らその体の救い主であるように、夫は妻の頭だからです。また、教会がキリストに仕えるように、妻もすべての面で夫に仕えるべきです。夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。「あなたがたも、それぞれ、妻を自分のように愛しなさい。妻は夫を敬いなさい。」
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神様はホセアにとても普通には理解できないことを命令します。

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📖【ホセア1:2~9】主はホセアに言われた。「行け、淫行の女をめとり、淫行による子らを受け入れよ。この国は主から離れ、淫行にふけっているからだ。」彼は行って、ディブライムの娘ゴメルをめとった。
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ホセアの妻は男の子を産みその子の名をイズレエル(イスラエルの王イエフがアハブ王の子供を皆殺しにした土地の名)次に生まれた子にはロ・ルハマ(憐れまれぬ者)、さらに続いて生まれた子にはロ・アンミ(わが民でない者)と名付け、これらの名はすべて裁きにかかわる言葉です。

北イスラエルの民が神から離れて偶像崇拝に陥り、国に悪が蔓延していくのを神は見ておられました。神は北イスラエルを裁かれることをホセアの結婚を通してイスラエルの民に警告しておられるのです。北イスラエルは40年の間に6人の王が次々と即位していますが、そのうちの4人は暗殺されて政権を交代しています。

北イスラエルではまともな王は現れませんでした。北イスラエルの民は表面上は悔い改めたように見せかけるのですが、預言者は見せかけを明らかにし、神の言葉によって厳しくその罪を警告するのです。そしてその罪の結果、BC722年北イスラエルはアッシリアに滅ぼされてしまいます。そのように厳しい神の裁きが歴史の中で行われたのです。神は罪を裁かれますが、イスラエルを回復してくださることも預言者の口を通して語っておられるのです。

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Ⅱ.信仰による罪からの解放と癒し
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イエス様は神のひとり子、世の罪を取り除く神の小羊をしてきてこの世界にくださいました。イスラエルの民だけでなく全世界の人の罪を取り除くために来てくださいました。北イスラエルはなぜ滅ぼされたのですか。神への信仰を失ってしまったのです。そこにはあらゆる悪が蔓延していきました。イエス様が来られた時のイスラエル状態も変わる事はありませんでした。イエス様は罪により失われている人を回復するため来られたのです。

マタイによる福音書9章で中風の人をイエス様のもとへ運んできた4人の人の信仰を見て、中風の人の罪を赦し、病を癒されました。その後でイエス様は収税所に座って税金を集めているマタイに出会いました。当時徴税人はユダヤ人を支配するローマのためにユダヤ人から税金を集め、その一部は懐に入れるようなことをしていました。社会で嫌われていました。神から離れていた人でした。イエス様はマタイを招かれたのです。マタイはイエス様を家に招き徴税人仲間や人々から罪人と呼ばれていた人を招いて食事を共にしました。ファリサイ派の人々は自分たちは正しい人と自負していましたので、罪人と食事を共にするイエス様を非難しました。イエス様はこれに対して語っています。

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📖【マタイ9:12~13】イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。 13『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
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ひとりの指導者がイエス様の所に来て、言いました。

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📖「私の娘がたった今死にました。でも、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、生き返るでしょう。」
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そこでイエス様は彼の家へと向かいました。そこへ12年間出血が続いている女が近づいてきて後ろからイエス様の服の房に触れました。彼女はイエス様の服に触れたなら自分の病気は癒されるという信仰を持ったのです。イエス様は振り向いて彼女に言いました。

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📖「娘よ、元気になりなさい。あなたの信仰があなたを救った。」
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その時女の病気は癒されました。イエス様はこの癒しが行われた後、指導者の家に行きました。少女の死で騒いでいる群衆に、イエス様は「少女は死んだのではない。眠っているのだ。」と語りますが、群衆はイエスをあざけりました。群衆を家の外に追い出すと、イエスは家の中に入り、死んだ少女の手を取り、少女は起き上がったのです。指導者の信じたとおりに生き返ったのです。

マタイはイエス様を信じて弟子となりました。マタイはこの福音書を記すことになりました。信仰によって女は癒されました。信仰によって指導者の娘は生き返りました。信仰とはイエス様を心に受け入れることです。神との関係が回復されます。神様が生きてその人の内に働いてくださいます。

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Ⅲ.信仰によって義と認められる
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ローマ信徒への手紙4章には信仰による義について語られています。アブラハムはイスラエルの祖先です。イスラエルの父と呼ばれる人です。そして信仰の父と呼ばれる人です。イスラエルの民だけでなく神を信じるすべての人の父とも呼ばれる人です。

アブラハムは神様の召命を受けた時、行く先を知らないで信仰を持って、新しい土地へと旅立ちました。次のように書かれています。

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📖アブラハムは神を信じた。それが彼の義と認められた。
死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ、その御前でわたしたちの父となったのです。
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アブラハムが100歳、不妊の妻と言われたサラ90歳の時、子どもが生まれると告げられ、初めはそんなことがあり得るでしょうかと否定的であった二人でしたが、神の言葉を信じてイサクが誕生したのです。

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📖【ローマ4:23~25】「それが彼の義と認められた」という言葉は、アブラハムのためだけに記されているのでなく、わたしたちのためにも記されているのです。わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と認められます。イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。
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信仰とは天地の創造者、父なる神、イエス・キリスト・聖霊の神を信頼すること、心の中に受け入れることです。

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📖【ヘブライ11:1~3、6】信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。
信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。
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信仰によって神の恵み、神の力が私たちの内に働いてくださいます。イエス様への信仰をもって礼拝し、神に近づきましょう。

2026年5月31日 三位一体愛ランドキリスト教会宣教宣教者:Ⅼ.シグルソン師宣 教:「あなたには、名前がある」詩編 8篇 (旧840)コリントの信徒への手紙二 13章11~13(新341)マタイによる福音書 28章16~20節(新60)━...
02/06/2026

2026年5月31日 三位一体
愛ランドキリスト教会宣教

宣教者:Ⅼ.シグルソン師
宣 教:「あなたには、名前がある」


詩編 8篇 (旧840)
コリントの信徒への手紙二 13章11~13(新341)
マタイによる福音書 28章16~20節(新60)

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洗礼:天の戸籍に入る
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今日の箇所は、洗礼についてです。洗礼とは何でしょうか。

日本では、名前は所属を表します。姓が先に来て、名前はその後です。そして、すべての日本人は戸籍に登録されています。市役所に保管されている、家族の公式な記録です。

生まれたとき、名前は戸籍に書き込まれます。そこに書かれることは、認められることです。どこに属しているかが決まることです。戸籍に入っている人は、居場所があります。

今日の箇所から、こう言えます。

洗礼は、儀式ではありません。洗礼は、神様の家族の名簿に名前を書き込まれる瞬間です。父と子と聖霊の名前の中に入れられる瞬間です。今日は、そのことを一緒に見ていきたいと思います。

マタイによる福音書28章16節から17節をお読みします。

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📖 「さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。」
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弟子たちはガリラヤへ行きました。イエス様が指示された山に登りました。そしてイエス様に会いました。ひれ伏した人もいました。でも、疑った人もいました。礼拝した人と疑った人が、同じ場所にいました。

そして、イエス様はすべての人のそばに来られました。疑っている人たちが答えを見つけるまで、待たれませんでした。イエス様は、完全な信仰を条件にされませんでした。それは、頑張って手に入れるものではありません。与えられるものです。

これは、洗礼について大切なことを教えています。最初から最後まで、洗礼は神様の恵みです。

次に、19節を見ましょう。

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📖 「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け」
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これが今日のメッセージの中心です。

一つ、言葉に注目してください。

イエス様は「父と子と聖霊の名前たち(複数)によって」とはおっしゃいませんでした。「名前(単数)によって」とおっしゃいました。父なる神様と、子なるイエス様と、聖霊様。この三つのお方が、一つの名前の中におられます。三つの別々の場所に入るのではありません。一つの家族に入るのです。一つの名前、一つの所属です。

戸籍のことを考えてみてください。子どもが生まれると、その名前は家族の戸籍に書き込まれます。公式に。法的に。ずっと変わらずに。その子どもは家族に属しています。

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テーブルに用意された「あなたの居場所」
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洗礼は、神様の戸籍です。

洗礼のとき、あなたの名前が、父と子と聖霊の家族の名簿に書き込まれます。しばらくの間だけではありません。ずっと、変わらずに。

ルカによる福音書10章20節で、イエス様はこうおっしゃいました。「あなたがたの名は天に書き記されている。」これが洗礼です。名前が書き込まれること。天の戸籍に入ることです。

では、父と子と聖霊という三つのお方について、少し見てみましょう。

15世紀のロシアに、アンドレイ・ルブリョフという修道士がいました。彼が描いた一枚の絵が、600年以上にわたってキリスト教の世界で語り継がれてきました。三つの人物がテーブルを囲んで座っています。それぞれがお互いを向いています。テーブルの手前には、一つの空いている場所があります。見る人への招待です。

この場所は、ただで用意されたのではありません。なぜ、あの場所に座ることができるのでしょうか。パウロはこう書いています。「わたしたちは、キリストの死にあずかるために洗礼を受けた。」暗い話ではありません。私たちの代わりに死なれたイエス様と、同じ場所に立つということです。イエス様がその場所を離れて、十字架に行かれました。復活されたから、その場所は今もそこにあります。

洗礼は、あなたがそのテーブルに招かれ、座る瞬間です。

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ケニアの人も、神戸の人も、同じ名簿に
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少し、遠い場所の話をさせてください。私が2000年から2001年にかけて、ケニアのカラポコットという地域で働いていたときのことです。6人のポコット人の伝道者たちと一緒でした。その地域の人々が、イエス様のことを聞かせてほしいと、伝道者たちを招いてくれました。伝道者たちは、丁寧に、時間をかけてみことばを教えました。

ある日、数百人の人々が洗礼を受けました。私はそこに立って、その様子を見ていました。一人ひとり、この名前の中に入れられていくのを見ました。イエス様を信じたいと願っていた人々です。

今、一人の姉妹が準備しています。一つひとつのレッスンを通して。6月に、同じこの名前の中に入れられます。ケニアと神戸。言葉も、文化も、規模も、すべてが違います。でも、同じ名前です。同じ家族の名簿です。

この名前は、受けるためだけにあるのではありません。持って歩くための名前です。その名前を背負って、日常の中へ出ていくということです。

最後に、20節の後半を見ましょう。

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📖 「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
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マタイの福音書は、1章23節から始まります。イエス様の名前、「インマヌエル」。「神は我々と共におられる」という意味です。そして、この福音書の最後はここで終わります。「いつもあなたがたと共にいる。」この福音書は、この約束から始まり、この約束で終わります。それらは同じ約束です。

「いつも」とはどういう意味でしょうか。たまにではありません。信仰が強いときだけではありません。毎日です。どの日も。

すでに洗礼を受けている方々に、言いたいことがあります。

皆さんの中には、何十年も前にこの名前の中に入れられた方々がいます。この国では、クリスチャンは100人に1人もいません。その中で、この名前を静かに持ち続けてきた方々がいます。仕事の中で。病気の中で。悲しみの中で。ただ過ぎていく、普通の毎日の中で。皆さんの名前を持っておられる方は、そのすべての日、一緒にいてくださいました。

そして、一人で持ち続けてきたのではありません。今日ここにいる方々を見てください。同じ名前の中に入れられた、家族です。

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99歳の生涯。完全にかなえられた約束
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今週の金曜日、私たちの教会に長く連なってこられた方が、99年の生涯を終えられました。桂月兄といいます。洗礼を受けたとき、「神様のもとに行ける」と喜んでいたと聞きました。そして今週の金曜日、その言葉の通りになりました。洗礼のときにいただいた約束は、ずっと、有効でした。そして最後に、完全にかなえられました。

今日、こんなことを思っている方がいるかもしれません。

「洗礼を受けたのはずっと昔のことです。今でも有効でしょうか。」約束は過去形ではありません。現在形です。「いつもあなたがたと共にいる。」「毎日」の中に、今日も入っています。

「洗礼の後で罪を犯しました。名前を失ってしまったでしょうか。」17節の弟子たちを見てください。使命を与えられた、まさにその日に疑いました。それでも、イエス様は名前を取り消されませんでした。神様の家族の名簿に属していることは、あなたの行いにかかっていません。そして、この名前はあなたを呼んでいます。罪の中に留まるためではありません。もう一度、イエス様に従うためです。

「自分が属しているという感覚がありません。」戸籍は、その日の気持ちで変わるものではありません。名簿はそのままです。感覚は来たり去ったりします。でも、名前は変わりません。

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愛する人の名を、神様の前に持っていく
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もう一つだけ言わせてください。

皆さんの中には、愛する人がまだこの名簿に入っていないと知っている方がいます。それは本当の痛みです。今日のメッセージはその痛みを解決しません。でも、こう言えます。その名簿を持っておられる方は、すべての民のところへ行くようにと命じてくださった方です。カラポコットに伝道者を送った方です。一人の姉妹を洗礼盤へと引き寄せている方です。その名前は、私たちが見えるよりも遠くまで届きます。その届き方の一つは、あなたの祈りです。愛する人の名前を、毎日、神様の前に持っていくことです。もう一つは、あなたの言葉です。この名前について話す機会を、恐れずに持つことです。「行って、すべての民を弟子にしなさい」という言葉は、遠い国への命令だけではありません。あなたの隣にいる人への招きでもあります。

今日のタイトルに戻りましょう。

「あなたには、名前がある。」

6月に、一人の姉妹はこの名前の中に入れられます。

あなたには、名前がある。

それが洗礼です。

── 祈り ──

神様、今日のみことばをありがとうございます。洗礼によって、私たちの名前があなたの家族の名簿に書き込まれたこと、改めて感謝します。父と子と聖霊の名前の中に入れていただいた恵みを、今日も覚えて歩んでいくことができますように。まだあなたを知らない、私たちの大切な人たちのためにも祈ります。あなたの名前が、その人たちにも届きますように。イエス様の名前によってお祈りします。
アーメン。

住所

東灘区向洋町中1-4-124-B/014
Kobe-shi, Hyogo
658-0032

アラート

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