02/06/2026
2026年5月31日 三位一体
愛ランドキリスト教会宣教
宣教者:Ⅼ.シグルソン師
宣 教:「あなたには、名前がある」
詩編 8篇 (旧840)
コリントの信徒への手紙二 13章11~13(新341)
マタイによる福音書 28章16~20節(新60)
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洗礼:天の戸籍に入る
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今日の箇所は、洗礼についてです。洗礼とは何でしょうか。
日本では、名前は所属を表します。姓が先に来て、名前はその後です。そして、すべての日本人は戸籍に登録されています。市役所に保管されている、家族の公式な記録です。
生まれたとき、名前は戸籍に書き込まれます。そこに書かれることは、認められることです。どこに属しているかが決まることです。戸籍に入っている人は、居場所があります。
今日の箇所から、こう言えます。
洗礼は、儀式ではありません。洗礼は、神様の家族の名簿に名前を書き込まれる瞬間です。父と子と聖霊の名前の中に入れられる瞬間です。今日は、そのことを一緒に見ていきたいと思います。
マタイによる福音書28章16節から17節をお読みします。
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📖 「さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。」
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弟子たちはガリラヤへ行きました。イエス様が指示された山に登りました。そしてイエス様に会いました。ひれ伏した人もいました。でも、疑った人もいました。礼拝した人と疑った人が、同じ場所にいました。
そして、イエス様はすべての人のそばに来られました。疑っている人たちが答えを見つけるまで、待たれませんでした。イエス様は、完全な信仰を条件にされませんでした。それは、頑張って手に入れるものではありません。与えられるものです。
これは、洗礼について大切なことを教えています。最初から最後まで、洗礼は神様の恵みです。
次に、19節を見ましょう。
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📖 「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け」
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これが今日のメッセージの中心です。
一つ、言葉に注目してください。
イエス様は「父と子と聖霊の名前たち(複数)によって」とはおっしゃいませんでした。「名前(単数)によって」とおっしゃいました。父なる神様と、子なるイエス様と、聖霊様。この三つのお方が、一つの名前の中におられます。三つの別々の場所に入るのではありません。一つの家族に入るのです。一つの名前、一つの所属です。
戸籍のことを考えてみてください。子どもが生まれると、その名前は家族の戸籍に書き込まれます。公式に。法的に。ずっと変わらずに。その子どもは家族に属しています。
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テーブルに用意された「あなたの居場所」
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洗礼は、神様の戸籍です。
洗礼のとき、あなたの名前が、父と子と聖霊の家族の名簿に書き込まれます。しばらくの間だけではありません。ずっと、変わらずに。
ルカによる福音書10章20節で、イエス様はこうおっしゃいました。「あなたがたの名は天に書き記されている。」これが洗礼です。名前が書き込まれること。天の戸籍に入ることです。
では、父と子と聖霊という三つのお方について、少し見てみましょう。
15世紀のロシアに、アンドレイ・ルブリョフという修道士がいました。彼が描いた一枚の絵が、600年以上にわたってキリスト教の世界で語り継がれてきました。三つの人物がテーブルを囲んで座っています。それぞれがお互いを向いています。テーブルの手前には、一つの空いている場所があります。見る人への招待です。
この場所は、ただで用意されたのではありません。なぜ、あの場所に座ることができるのでしょうか。パウロはこう書いています。「わたしたちは、キリストの死にあずかるために洗礼を受けた。」暗い話ではありません。私たちの代わりに死なれたイエス様と、同じ場所に立つということです。イエス様がその場所を離れて、十字架に行かれました。復活されたから、その場所は今もそこにあります。
洗礼は、あなたがそのテーブルに招かれ、座る瞬間です。
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ケニアの人も、神戸の人も、同じ名簿に
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少し、遠い場所の話をさせてください。私が2000年から2001年にかけて、ケニアのカラポコットという地域で働いていたときのことです。6人のポコット人の伝道者たちと一緒でした。その地域の人々が、イエス様のことを聞かせてほしいと、伝道者たちを招いてくれました。伝道者たちは、丁寧に、時間をかけてみことばを教えました。
ある日、数百人の人々が洗礼を受けました。私はそこに立って、その様子を見ていました。一人ひとり、この名前の中に入れられていくのを見ました。イエス様を信じたいと願っていた人々です。
今、猶さんが準備しています。一つひとつのレッスンを通して。6月に、同じこの名前の中に入れられます。ケニアと神戸。言葉も、文化も、規模も、すべてが違います。でも、同じ名前です。同じ家族の名簿です。
この名前は、受けるためだけにあるのではありません。持って歩くための名前です。その名前を背負って、日常の中へ出ていくということです。
最後に、20節の後半を見ましょう。
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📖 「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
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マタイの福音書は、1章23節から始まります。イエス様の名前、「インマヌエル」。「神は我々と共におられる」という意味です。そして、この福音書の最後はここで終わります。「いつもあなたがたと共にいる。」この福音書は、この約束から始まり、この約束で終わります。それらは同じ約束です。
「いつも」とはどういう意味でしょうか。たまにではありません。信仰が強いときだけではありません。毎日です。どの日も。
すでに洗礼を受けている方々に、言いたいことがあります。
皆さんの中には、何十年も前にこの名前の中に入れられた方々がいます。この国では、クリスチャンは100人に1人もいません。その中で、この名前を静かに持ち続けてきた方々がいます。仕事の中で。病気の中で。悲しみの中で。ただ過ぎていく、普通の毎日の中で。皆さんの名前を持っておられる方は、そのすべての日、一緒にいてくださいました。
そして、一人で持ち続けてきたのではありません。今日ここにいる方々を見てください。同じ名前の中に入れられた、家族です。
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99歳の生涯。完全にかなえられた約束
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今週の金曜日、私たちの教会に長く連なってこられた方が、99年の生涯を終えられました。桂月兄といいます。洗礼を受けたとき、「神様のもとに行ける」と喜んでいたと聞きました。そして今週の金曜日、その言葉の通りになりました。洗礼のときにいただいた約束は、ずっと、有効でした。そして最後に、完全にかなえられました。
今日、こんなことを思っている方がいるかもしれません。
「洗礼を受けたのはずっと昔のことです。今でも有効でしょうか。」約束は過去形ではありません。現在形です。「いつもあなたがたと共にいる。」「毎日」の中に、今日も入っています。
「洗礼の後で罪を犯しました。名前を失ってしまったでしょうか。」17節の弟子たちを見てください。使命を与えられた、まさにその日に疑いました。それでも、イエス様は名前を取り消されませんでした。神様の家族の名簿に属していることは、あなたの行いにかかっていません。そして、この名前はあなたを呼んでいます。罪の中に留まるためではありません。もう一度、イエス様に従うためです。
「自分が属しているという感覚がありません。」戸籍は、その日の気持ちで変わるものではありません。名簿はそのままです。感覚は来たり去ったりします。でも、名前は変わりません。
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愛する人の名を、神様の前に持っていく
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もう一つだけ言わせてください。
皆さんの中には、愛する人がまだこの名簿に入っていないと知っている方がいます。それは本当の痛みです。今日のメッセージはその痛みを解決しません。でも、こう言えます。その名簿を持っておられる方は、すべての民のところへ行くようにと命じてくださった方です。カラポコットに伝道者を送った方です。猶さんを洗礼盤へと引き寄せている方です。その名前は、私たちが見えるよりも遠くまで届きます。その届き方の一つは、あなたの祈りです。愛する人の名前を、毎日、神様の前に持っていくことです。もう一つは、あなたの言葉です。この名前について話す機会を、恐れずに持つことです。「行って、すべての民を弟子にしなさい」という言葉は、遠い国への命令だけではありません。あなたの隣にいる人への招きでもあります。
今日のタイトルに戻りましょう。
「あなたには、名前がある。」
6月に、猶さんはこの名前の中に入れられます。
あなたには、名前がある。
それが洗礼です。
── 祈り ──
神様、今日のみことばをありがとうございます。洗礼によって、私たちの名前があなたの家族の名簿に書き込まれたこと、改めて感謝します。父と子と聖霊の名前の中に入れていただいた恵みを、今日も覚えて歩んでいくことができますように。まだあなたを知らない、私たちの大切な人たちのためにも祈ります。あなたの名前が、その人たちにも届きますように。イエス様の名前によってお祈りします。
アーメン。