14/10/2025
<聖書> マタイの福音書6章19節~21節
『自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。
そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。
自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、
盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。』
「天に宝を積む人生」
「天に宝を積む人生」とは、私にとって人生のモットーのようなものです。
イエス様は30歳になり公の生涯に入られてから、ガリラヤ全土を巡り会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気あらゆる煩いを直されました。
そのためにイエス様のうわさはその地域全体に広がり、様々な病気で苦しむ人々、悪霊につかれている人が身元に連れてこられました。
この群衆を見て、イエス様は山に登りおすわりになると、弟子たちがみもとに来たので、彼らに教え始められます。
これがイエス様の説教の中で最も有名な「山上の垂訓」と呼ばれるものです。
マタイの福音書5章~7章にこの教えは記されていますが、
今回はそのちょうど真ん中に位置する内容に焦点を合わせてみ言葉を分かち合いたいと思います。
① あなたにとって宝とはなんですか?
私は、保育園や学童保育の子どもたちに、毎日の礼拝の中で、「宝箱もってる?」と聞くことがあります。
宝の箱には何が入っているの?
君にとって宝は何?・・・と。
21節を見ると心がある所、心を向けているもの、いつも心を支配しているもの、
それが宝だと表現されています。
② それはあなたの心を本当に満たすものですか? その宝は永遠につながるものでしょうか?
人は心が満たされているときに幸せを感じ、心が乾き空っぽで虚しいときに、耐えられなくなります。
その為に人は誰でも幸せを求めて、必死に自分の心を満たすものを探しながら生きているのです。
その心の中をザアカイはお金で埋めようとし、サマリヤの女は異性によって、ニコデモは地位や名誉、人からの評価で埋めようとしました。
しかし、それらのものでは彼らの心を決して満たすことができませんでした。
そこで、イエス様との出会いにより、彼らの根本的な考え方に変革がおこり、人生が変えられていったのです。
③ 天の父(天におられる父なる神様)からの報いについて。
マタイの福音書6章の始めは、パリサイ人の三つの敬虔について書かれています。 施しについて、祈りについて、断食についてですが、
これらはキリスト者にとって、とても大切な徳とされているものです。
しかし、人に見せるために、見られたくて、また人からの評価を求めてしないように気をつけなさい、とイエス様は語られます。
『彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。』2節、5節、16節と、
『そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。』4節、6節、18節の、全く同じ言葉が3度も繰り返されています。
「天の父からの報い」これこそ私たちが心を向け、宝としなければならない、永遠につながる大切なものなのです。
④ 自分の宝は天に蓄える。
では具体的にどのように生きることが、天に宝を積むことになるのでしょうか?
それはこの山上の説教でイエス様が結論として語った内容であり、「父の御心を行う」(天におられる父なる神様の願っておられる事を行う)ことです。
マタイの福音書7章21節~
そのためには、聖霊によって書かれた聖書の御言葉を、聖霊の助けによって読み、聖霊の導きに従って自分に適用し、聖霊の満たしによって実行することです。
「御言葉に生きること」、これこそが岩の上に家を建てる賢いキリスト者であり、どのような人生の嵐、または困難な時代の洪水が来ても、倒れることのない、永遠につながる天に宝を積む人生となるのです。
* 毎日少しづつでも聖書そのものを読む習慣を身に着け、ベレヤの教会の聖徒のように、御言葉に基準を置く歩みをしていきましょう。
(使徒の働き 17 章 10,11 節)
* また自分を欺いてただ聞くだけのものにならずに御言葉を実行するものとなりましょう。
(ヤコブの手紙 1 章 21 節~25 節)
* そのために聖霊の助けを求めて熱心に祈るものとさせていただきましょう