百合丘キリスト教会

百合丘キリスト教会 小田急百合ヶ丘・新百合ヶ丘駅近くにある日本バプテスト連盟百合丘キリスト教会です。 どなたでも大歓迎です。

◾教会学校:毎週日曜日
幼児から大人まで年齢層のクラスに分かれて、みんなで一緒に楽しく、やさしく聖書を学びます。
◾礼拝式:毎週日曜日 ➀9:30-10:25 ②11:00-11:55 (ライブ配信あり)
(2023年4月より礼拝式・ライブ配信は10:45開始となります)
喜びと感謝の礼拝を神様へささげます。聖書から日々の生活に当てはまるメ
ッセージを聴き、祈りと讃美に満ち溢れる時が経験できます。

「その自信、どこから?」ミデアン軍はギデオン軍と比べると圧倒的に強力だった。それでも、神はギデオンたちが自分たちの力で勝利したと勘違いしないように兵士を減らさせた。その夜、神は300人のギデオン軍に13万5千人のミデアン軍を攻めるように命じ...
09/08/2026

「その自信、どこから?」

ミデアン軍はギデオン軍と比べると圧倒的に強力だった。それでも、神はギデオンたちが自分たちの力で勝利したと勘違いしないように兵士を減らさせた。その夜、神は300人のギデオン軍に13万5千人のミデアン軍を攻めるように命じた。それは無謀とも言える命令だったが、神による勝利の約束あっての命令だった。それでもギデオンには恐れが残っていた。そこで神はギデオンを敵の偵察に行かせ、敵の兵士が見た夢と解釈を通して、神がギデオンに勝利を与えていることを確信させた(士師記7:1-15)。その後、ギデオンたちは手に角笛とたいまつの入った壺を持ってミデアン軍を囲み、神がミデアン連合軍にもたらした不思議な恐れによって勝利した(16-25)。神は恵みのうちにギデオンを励まし、兵力ではなく、御自身を信頼することから自信を持つことを教えた。過信は私たちの足を誤った方向へ向かわせ、不安は私たちの足をすくませる。しかし、主への信頼から生まれる自信は私たちの足を前進させる。自分の知識に頼らず、イエスにあって神を信頼して共に歩もう。真の平和は、全ての人が武力ではなく主に信頼する時に生まれる。(川井信雄)

神奈川県川崎市麻生区にある日本バプテスト連盟百合丘キリスト教会です。毎週日曜日 10:45より礼拝式のライブ配信を行います。教会ホ...

「旗印を明白に掲げる」主はギデオンに父ヨアシュの家にあるバアルの祭壇とアシュラ像を壊し、主のために祭壇を築いて、アシュラ像の木を薪にして犠牲を捧げるよう命じた。それはギデオンにとって、父との関係を破壊し、町の人々の怒りを招く可能性を含んだ。...
02/08/2026

「旗印を明白に掲げる」

主はギデオンに父ヨアシュの家にあるバアルの祭壇とアシュラ像を壊し、主のために祭壇を築いて、アシュラ像の木を薪にして犠牲を捧げるよう命じた。それはギデオンにとって、父との関係を破壊し、町の人々の怒りを招く可能性を含んだ。そこでギデオンは昼間ではなく夜にそれを実行した。翌朝、人々はギデオンが犯人であることを知ると、彼を引っ張り出して殺すようにギデオンの父に詰め寄った。しかし、ヨアシュは、バアルが神なら、自分の祭壇が壊されたのだから、自分でギデオンと争えば良いと言った。そのため、ギデオンはエルバアル(「バアルは争え」の意)と呼ばれた。こうして主は恵みのうちにヨアシュを通してギデオンを守った(士師記6:25-32)。この出来事の中心ポイントは、単に偶像や祭壇を破壊しろというようなことではなく、むしろ、主への信仰の旗印を明白に掲げること。聖書は、十字架と復活によって死と罪に勝利したイエスにあって、信仰の旗印を明確に掲げるよう勧める(2コリント2:14-15)。偶像に溢れる社会文化の中で、あやふやにではなく、信仰の旗印を明白に掲げて歩みたい。(川井信雄)

神奈川県川崎市麻生区にある日本バプテスト連盟百合丘キリスト教会です。毎週日曜日 10:45より礼拝式のライブ配信を行います。教会ホ...

「神の招きに応えるにあたって」ギデオンはミディアン人から隠れるためにぶどうの踏み場で小麦を打っていた。すると、主の使いがギデオンに現れて、「力ある勇士よ、主があなたとともにおられる」と、イスラエルの民を救うために彼を招いた。ところが、ギデオ...
26/07/2026

「神の招きに応えるにあたって」

ギデオンはミディアン人から隠れるためにぶどうの踏み場で小麦を打っていた。すると、主の使いがギデオンに現れて、「力ある勇士よ、主があなたとともにおられる」と、イスラエルの民を救うために彼を招いた。ところが、ギデオンは、自分は氏族や家族の中で最も弱く、最も小さいので無理と恐れた。そのため、神はギデオンと共にいると再び励まし、ミディアン人を倒すようになると約束した。それでもギデオンが目の前にいる人が神であるという確証を求めるので、神は恵みのうちに、ギデオンが持ってきた料理を岩の上に置き、肉汁を注ぐように彼に命じた後、杖でそれに触れて、犠牲を受けいれるかのように火でそれを焼き尽くした。今度は、神を見た自分は死ぬと心配したギデオンに、神は平安を与えた。そこで、ギデオンはそこに祭壇を築き、「アドナイ・シャロム(「主は平安」)」と名付けた(士師記6:11-24)。神は、ごく普通の生活の中で私たちをも招いてくれる。ギデオンのように不安や恐れを抱くこともあるかもしれない。しかし、主が私たちと共にいて、私たちの力となり、私たちを通して目的を成し遂げてくれることを覚えたい。(川井信雄)

神奈川県川崎市麻生区にある日本バプテスト連盟百合丘キリスト教会です。毎週日曜日 10:45より礼拝式のライブ配信を行います。教会ホ...

「喜びからはじまる奉仕」欠乏状態にあるエルサレムの教会のために、パウロは献金を成し遂げるようにコリントの教会を励ました。コリントの教会には支援を快く思わない人々がいた(8:11-14)。豊かに献げるなら、豊かに祝福を受けとる。パウロは喜んで...
19/07/2026

「喜びからはじまる奉仕」

欠乏状態にあるエルサレムの教会のために、パウロは献金を成し遂げるようにコリントの教会を励ました。コリントの教会には支援を快く思わない人々がいた(8:11-14)。豊かに献げるなら、豊かに祝福を受けとる。パウロは喜んで与えるよう勧めた。3つの祝福。①神が必要を満たす。神は喜んで与える人の必要をぎりぎりに満たすのではなく、様々な恵みを溢れるばかりに満ち足らせ、全ての良いわざに富ませる。②神に感謝と賛美が捧げられる。コリントの教会の支援は、エルサレムの教会を感謝へ導き、彼らの必要を満たすだけでなく、支援を益々豊かにする。更にはコリントの教会が支援によってイエスへの信仰告白を具体的に表すため、エルサレムの教会は神を賛美するようになる。③互いの絆が深められる。エルサレムの教会とコリントの教会の絆が愛と祈りによって強められる。喜んで奉仕する時の喜びの源とは何か?それはイエスの十字架と復活に表された神の恵み(2コリント8:9)。今朝は青年リードで共に礼拝を献げる。喜びの奉仕によって、共に恵みに満たされ、神に感謝と賛美を献げ、互いの絆を深められたい。  (川井信雄)

神奈川県川崎市麻生区にある日本バプテスト連盟百合丘キリスト教会です。毎週日曜日 10:45より礼拝式のライブ配信を行います。教会ホ...

「人に従うより神に従う」復活したイエスに会った使徒たちは、新しく生まれ変わって主の福音を述べ伝えました。しかし復活を信じないサドカイ派や大祭司は使徒たちを捕えて死刑にしようとします。そこでパリサイ派の重鎮であるガマリエルが仲介し、使徒たちは...
12/07/2026

「人に従うより神に従う」

復活したイエスに会った使徒たちは、新しく生まれ変わって主の福音を述べ伝えました。しかし復活を信じないサドカイ派や大祭司は使徒たちを捕えて死刑にしようとします。そこでパリサイ派の重鎮であるガマリエルが仲介し、使徒たちは鞭打ちの刑の後釈放されました。ガマリエルは主を信じていたために使徒たちを救ったのでしょうか。決してそうではありませんでした。ガマリエルは使徒たちを信じる民衆と、使徒たちを死刑にしようとするサドカイ派の間を取り持っただけでした。主を信じるとは世間での評価を気にして生きることではありません。主を信じるとは古いものを脱ぎ捨てて新しく生まれ変わることです。そこには人に従う妥協は存在しません。イエスが十字架にかけられた時には逃げ去った使徒たちでしたが、生まれ変わった彼らは喜んで鞭打ちの刑を受けました。イエスキリストのために苦難を耐え忍ぶことは人に従うことではなく神に従うことでした。さらに使徒たちは①毎日、②どこでも、③ずっと、④主を教え述べ伝えました。私たちは教会と他の場所を分けて考えてしまうことがあります。しかし使徒たちのように人に従うのではなく神に従い、常にどこでも福音を宣べ伝えていくことができるように祈り求めていきたいと思います。 (氷川英俊)

神奈川県川崎市麻生区にある日本バプテスト連盟百合丘キリスト教会です。毎週日曜日 10:45より礼拝式のライブ配信を行います。教会ホ...

「復活の信仰」コリントの教会には死人の復活はないと考える人たちがいた(1コリント15:12)。パウロはイエスが復活したので、死人の復活も起こると教えた。①神がイエスの復活によって死人のプロセスを覆し、命のプロセスを発動したから(20-22)...
05/07/2026

「復活の信仰」

コリントの教会には死人の復活はないと考える人たちがいた(1コリント15:12)。パウロはイエスが復活したので、死人の復活も起こると教えた。①神がイエスの復活によって死人のプロセスを覆し、命のプロセスを発動したから(20-22)。その意味で、イエスは復活の初穂。人はアダムを通して罪を受けているので死を経験し、死んでいるが、イエスを通して復活に与り、生かされる。②神がイエスの復活を通して死を含む全ての敵を御自身に従わせるから(23-28)。パウロは、2つの詩篇を基として(110:1;8:6)、神がイエスにある人を復活させ、死を最終的に完全に御自身に従わせる時、神が全てにおいて全てとなる。これを必然とさせたのもイエスの復活。私たちが復活しないなら、イエスも復活しなかったことになるが、イエスが復活したからには、私たちは復活に必ず与る。神がイエスの復活によって命のプロセスを発動し、イエスの復活を通して完成させる。イエスの復活を信じる私たちは、イエスにある復活を覚えて、今をどのように生きたいか?主の十字架に感謝し、主の再臨を待望し、今を主と共に歩もう。   (川井信雄)

神奈川県川崎市麻生区にある日本バプテスト連盟百合丘キリスト教会です。毎週日曜日 10:45より礼拝式のライブ配信を行います。教会ホ...

「今がその時です」2023年ホームグループでヨハネ5:1-9の分かち合いをした時、38年間ベテスダの池の傍らにたたずんでいたこの男が、私だということに気づかされました。私がバプテスマを受けて38年目でした。それまで仕事の多忙を言い訳に、教会...
28/06/2026

「今がその時です」

2023年ホームグループでヨハネ5:1-9の分かち合いをした時、38年間ベテスダの池の傍らにたたずんでいたこの男が、私だということに気づかされました。私がバプテスマを受けて38年目でした。それまで仕事の多忙を言い訳に、教会の奉仕も活動もほとんど参加していなかった自分と重なり、イエスの「起きて床を取り上げ、歩きなさい」は私への命令と聞こえ、神学校への入学を決心しました。
その後この箇所を読み返すと、気づくことがありました。この男はイエスから癒しを受けたにもかかわらず、ユダヤ人たちに告げ口をし、安息日論争を引き起こし、彼らに殺意を起こさせるきっかけとなります。果たしてこの男はイエスを主と信じたのかと疑問がわいてきました。神学校での学びは「問い」と「発見」に満ちています。
主イエスはこの男のような者も、律法の権威主義にいる者たちも、永遠のいのちへと招いてくださっています。イエスのことばを聞き、遣わされた神を信じるものであれば、永遠のいのちを得、神との親しい交わりの中で生かされる者となります。み声を聴いたとき、「今がその時です」(ヨハネ5:24-26)と、主は招いてくださっています。 (松本みどり)

神奈川県川崎市麻生区にある日本バプテスト連盟百合丘キリスト教会です。毎週日曜日 10:45より礼拝式のライブ配信を行います。教会ホ...

「父の日の2つの励まし」コリントはギリシア地方の主要都市だった。陸路と海路が集結するこの町は、旅行者や商人で溢れ、物流の拠点であり、文化や宗教が混在し、「コリント化」と言われる程に不道徳が蔓延していた。そのような町の教会でも様々な課題があっ...
21/06/2026

「父の日の2つの励まし」

コリントはギリシア地方の主要都市だった。陸路と海路が集結するこの町は、旅行者や商人で溢れ、物流の拠点であり、文化や宗教が混在し、「コリント化」と言われる程に不道徳が蔓延していた。そのような町の教会でも様々な課題があったため、パウロは手紙を送って牧会し、2つの励ましをもって結んだ(1コリント16:13-14)。①福音に忠実に歩みなさい。「コリント化」の影響に流されずに、自分が伝えた福音にしっかりと留まって生きなさい。②神の愛をもって行いなさい。教会の様々な課題も、神の愛があれば生じなかったはず。神の愛は全ての道徳的な教えの隠し味。パウロの励ましの根底には、十字架で死に、三日目に甦り、迫害者だった自分にも御自身を現したイエスが、恵みによって自分を今の自分としてくれたという感謝がある(15:1-10)。私たちの社会もコリントの町の状況とあまり変わらないのではないか。父の日の今朝、そのような社会で生きる父親たちはじめ私たちにも、同じ励ましが与えられている。共に福音に忠実に歩み続けよう。家庭や仕事場などで課題は尽きないだろうが、どんな時でも神の愛をもって行おう。(川井信雄)

神奈川県川崎市麻生区にある日本バプテスト連盟百合丘キリスト教会です。毎週日曜日 10:45より礼拝式のライブ配信を行います。教会ホ...

「主の守りとは」詩篇121篇は「都上りの歌」という題名が付けられています。これはこの歌が書かれた当時にユダヤ人たちが年に3回、お祭りの時にエルサレムに巡礼した時の歌であると解釈されています。エルサレムへの巡礼は決して簡単なものではありません...
14/06/2026

「主の守りとは」

詩篇121篇は「都上りの歌」という題名が付けられています。これはこの歌が書かれた当時にユダヤ人たちが年に3回、お祭りの時にエルサレムに巡礼した時の歌であると解釈されています。エルサレムへの巡礼は決して簡単なものではありませんでした。エルサレムへの道は砂漠を通り、山を登って行く必要があります。怪我や盗賊にあう危険も小さくありませんでした。しかし当時のユダヤ人たちは、律法で定められている通りにエルサレムへの巡礼を行っていました。「都上りの歌」とは、巡礼者が神への助けと守りを祈った歌であります。
私たちも当時の巡礼者たちと同じように、砂漠の世の中を歩んでいます。様々な困難や災難が次から次へと襲いかかってきます。神は祈りを聞いてくださっているのだろうかという疑問を持つことも少なくありません。しかしイエスはこう言われました。「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」(マタイ6:33)。「神の国と神の義を求める」とは、神の正義を信じて、神との関係の中に生きるということです。周りの状況を見るのではなく、常に共にいてくださる神を見つめ、そして神の御心にかなうように生きることです。「これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました」(ヨハネ16:33)。
周りの問題がなくなるから平安が与えられるのではなく、イエスのうちにあることによって平安が与えられます。十字架と復活によって世に勝利を収めたイエスキリストに従い行きましょう。
(氷川英俊)

神奈川県川崎市麻生区にある日本バプテスト連盟百合丘キリスト教会です。毎週日曜日 10:45より礼拝式のライブ配信を行います。教会ホ...

律法学者とパリサイ人によって姦淫の現場を捕えられた女性が主イエスのもとに連れて来られた。律法でその女性は石打の刑に値すると、彼らは主の判断を求めた。主は言った。「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい。」すると、年長者から...
07/06/2026

律法学者とパリサイ人によって姦淫の現場を捕えられた女性が主イエスのもとに連れて来られた。律法でその女性は石打の刑に値すると、彼らは主の判断を求めた。主は言った。「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい。」すると、年長者から順に去っていった。二人だけになると主はその女性に言った。「わたしもあなたにさばきを下さない。行きなさい。これからは、決して罪を犯してはなりません。」(ヨハネ7:53-8:11)この出来事には2つのポイントがある。①罪のない人は一人もいないのだから、自分の正しさを根拠に人を裁く権利や資格を持つ人は誰もいない。②罪を容認して良いということではなく、主は憐れみをもって悔い改めへ招く。その後、この女性がどうしたか聖書は記していない。読者が主の憐れみを知り、どう応答するかが大切と言うことだろう。私たちの誰も罪のない人はいない。しかし、唯一罪なく最初に石を投げる資格を持つ主は、憐れみによって悔い改めへ招く。主に喜ばれるよう歩みたい。誰かに対して石を握っていないか?それを投げる資格が本当にあるか?神の憐れみをもって共に歩みたい。(川井信雄)

神奈川県川崎市麻生区にある日本バプテスト連盟百合丘キリスト教会です。毎週日曜日 10:45より礼拝式のライブ配信を行います。教会ホ...

住所

麻生区百合丘1/12
Kawasaki-shi, Kanagawa
215-0011

電話番号

+81449660052

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