・稲毛門中朗師講(川崎市北部にある大本山池上本門寺の直末六箇寺の一。柳嶋法縁)
・稲毛庚申堂 伝稲毛重成所持 青面金剛 奉安
・武州稲毛七福神 毘沙門天 奉安
・准西国稲毛三十三観音霊場 第九番札所
【法言山 安立寺】
鎌倉時代初期、源頼朝から稲毛領を拝領した稲毛重成は枡形山頂に枡形城を築き居城とした。その際、重臣・佐伯民部吉春は枡形山の隣山一帯を与えられて居館を構え、邸内に持仏堂たる釈迦堂を建立した。寺伝では、‟飯室の釈迦堂”と呼ばれたこの持仏堂を以ってその淵源としている。時が下り弘治2年(1556年)に、佐伯隼人吉行が法華宗に改宗し釈迦堂を法華信仰の道場とした。その後、天正6年(1578年)10月13日に佐伯六左衛門吉連が釈迦堂を改めて伽藍と成し、摩訶院日等を開山に迎えて淨言山安立寺と称した。なお、山号は元禄4年(1691年)以降に淨言山から法言山に改められている。天正12年(1584年)に本堂を修繕、安永7年(1778年)に再建され今日に至る。
江戸時代後期の文化・文政年間(1810~1830年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』によれば、当時当山には、間口7間・奥行6間の現本堂の他に、2間四面の七面堂と番神堂があったとされている。現在両堂は無く、御尊像は庚申堂にて奉安されている。なお寺伝によれば、庚申堂の主尊として奉安されている青面金剛像は、鎌倉時代初期の建久年間(1190~1198年)に、佐伯民部吉春が主君の稲毛重成(源頼朝の義兄弟)より授かり釈迦堂に奉安したものとされている。
また、開基檀越・佐伯家の敷地内に勧請されている長森稲荷社は、当山が別當寺である。『新編武蔵風土記稿』及び『江戸名所図会』には、次のような縁起が記されている。伊予国宇和島出身の相馬左仲という浪人が、元禄10年(1697年)に京の鳥羽縄手で一人の美女に出逢った。この美女は自らを「伏見藤森長森明神の眷属・渡一銀狐神である」と名乗ったという。翌11年(1698年)4月20日に再び神告を得た左仲は江戸に赴き、麻布日ヶ窪(現在の六本木ヒルズ辺り)の住人・中原与兵衛(文化文政年間に佐伯家の当主であった善蔵吉久の外祖父と目される)宅でこの神を勧請する事になった。この時、神体を彫刻したのが中原与兵衛であったと伝えられている。その後、正徳5年(1715年)に左仲が没すると一子・相馬加藤次に神体が譲られたが、元文5年(1740年)11月に安立寺の僧・日現によって現在の地に遷座されたという。以来、歴代住持が当社の別當職を兼務し現在に至っている。なお現在、社殿は地元の有志による長森稲荷講によって護持されている。