13/04/2014
観音様の御開帳に寄せて、と題して参拝される皆様へメッセージを書いてみました。
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観音様の御開帳に寄せて
合掌 桜花舞い散る生田の山寺へようこそ御参り下さいました。十二年に一度午年の御開帳。このような形で皆様の御眼に掛かれます事を、本当に嬉しくまた有り難く感じております。
さて、私ども法言山安立寺は日蓮宗という宗派ですが、宗祖・日蓮聖人がある女性檀信徒に宛てて書かれた御手紙に、次のような御言葉がございます。
〝そもそも、地獄や仏というものが一体どこにあるのかと云うと、それは私達のこの体の中にこそあると思うのです。私達が仏と成って振舞えば私達の居る場所が浄土に成り、悪鬼羅刹のように振舞えばそこが地獄に成るのです。〟
皆さん、甲子園や大学駅伝を思い出して下さい。野球やマラソンはスポーツですから、ルールという基準の下に勝ち負けが決まります。では、負けた方のチームは、1位になれなかった人は、無様でしょうか。私はそんな事は無いと思うのです。勝った人には勝った人にしかないドラマが、負けた人には負けた人にしかないドラマが、それぞれあります。そしてそのドラマが、私達を感動させるのです。
今、己が為さなければならない事を一意専心に取り組む。
その時人は、仏に成る。
甲子園が、東海道が、選手の姿によって浄土に成る。応援する人々の姿によって浄土に成る。ブラウン管…ではなく、今では液晶画面でしょうか、それを通して私達が感動するのは、そんな仏様方が、仏様方のまします浄土が、美しいからです。勝っても負けても、なお、美しい。私達が成仏し、この世を浄土にする。それが、宗派を超えた私達仏教徒の目標なのです。
皆さん、もう一度よく御自分の周りを確かめられて下さい。皆さんの周りに仏様はいらっしゃいませんか? 子育てに懸命な親御さん。クラブ活動に汗を流すお子さん。赤ん坊や、御年を召された方や、身体が御不自由な方。その生き様をとくと御覧下さい。そこにきっと、仏としての姿があるはずです。そしてその姿に少しでも美しいと感じる事があれば、その時は是非、
両の手を合わせて下さい。
生きる仏に手を合わせられない者が仏像を拝んだところで、一体、何の御利益があるのでしょうか。人に手を合わせる人は、人から手を合わせられます。それこそが、仏様の、観音様の御利益だと思うのです。皆様にとりまして、この巡拝が、生きる人に手を合わせる為の旅路となる事を、心より御祈念申し上げます。
法言山安立寺 住持敬白