天理教 柏豊布教所

天理教 柏豊布教所 天理教って、すばらしい!を知ってもらいたくて、設立させてもらいまし?

04/02/2019

今日、1年ぶりに天理の憩の家の眼科を受診してきた。
 着いて早々「今日はどうされました?」と、当直医の女医の先生。昨年、担当医の先生に「今後は地元の眼科で診察して頂いて、大丈夫ですよ。」と言われていたからだ。大阪から来るのも大変でしょう?と気を使ってくれているのは分かっていた。

 布教の家にいる頃だから、23歳の時に受診した際、その時の担当医の先生は「文能さんの症例(先天性緑内障)は10万人に1人あるかないかなので、同じ病気の子供らのためにもデータを取らせてほしいから、面倒やろうけれども、年に一回、定期検診を受けてほしい。」と。だから、私は今も定期的に受診を続けていた。
 本来なら、もう大丈夫ですよ、と医師の先生からお墨付きを頂いたのだから、素直に喜べばよかったのだが、なぜか素直に喜べない自分がいた。

 そして、一年後の今日、検査の前に先生から「昨年、地元の眼科を受診して頂いたら…とお伝えさせて頂いているようですが…」と言われる女医の先生に20数年前に言われた事をお伝えした。分かりました、では、検査呼ばれるまで外でお待ち下さい、と。

 外待合で待つ間、色々と考えた。
 振り返れば、私も今年で47歳。昨年、45年経って、医師から、これだけ落ち着いていれば、もう大丈夫ですよ、と言うて頂いたのだ、と初めて受け入れる事が出来た。
 検査、診察が済み、先生から「地元ではなく、こちらでいいなら、また1年後いらして下さい。」と言われ、憩の家の眼科を後にした。

 その後、親神様、教祖(おやさま)のおられる天理教教会本部の神殿に参拝へ向かう。教祖殿に入り、おやさまの御前に座るなり、もう涙が溢れ出ていた。
 両親には産まれた頃から心配をかけ、45年経って、医師の先生からもう大丈夫と言うて頂いた。それが嬉しかった。
 私の病気は治ることはないが抑えることは出来る、と16歳で再手術して頂いた際に主治医の先生に教えてもらった。治ることはないけれど、今日、改めて、心配ないでしょう、と言うて頂いた。
 70歳を超える両親にようやく安心してもらえる、と思ったら涙が溢れ出た。
 本当に神様に救けて頂いた、と嬉しかった。
おやさまのおかげ、と敬慕の念で胸がいっぱいになった。
 おやさまが教えてくれていなければ、真柱様や先人先生方が教えを守ってくださらなかったら、祖父母の信仰がなかったら、両親が守ってくれていなかったら、私のこの目は見えてはいない。
 手術をしたから、見えているのではない。
 親神様が守って下さるおかげ。そう思うと、手を合わさずにはいられない。

10/07/2016

にをいがけ
今日は所属教会のにをいがけ日。
先月は日程が合わなくて、行かせてもらえてなかったので、少しドキドキします。
子供らもまだ小学生なので素直について来てくれます。
にをいがけと言っても、パンフレット配りで終わる日もあれば、外に出ておられる方と少しお話させてもらえる日もあり、様々ですが、少しでも天理教のいい香りを感じて頂けたらと、笑顔で廻らせてもらいたいと思います。
でわ、行ってきます!

あれから1週間…。教祖(おやさま)130年祭が盛大に行われ、喜びのうちに帰宅し、今日は1/31。聞けば、20万人もの人々が、遠くアフリカはコンゴなどの海外からも、教祖(おやさま)を慕って、帰られたとのこと。教祖(おやさま)御在世当時、信者の...
31/01/2016

あれから1週間…。
教祖(おやさま)130年祭が盛大に行われ、喜びのうちに帰宅し、今日は1/31。
聞けば、20万人もの人々が、遠くアフリカはコンゴなどの海外からも、教祖(おやさま)を慕って、帰られたとのこと。

教祖(おやさま)御在世当時、信者の方々が参拝すれば、警察がやって来て、参拝することならぬとお咎めを受けたと史実に。

当日の天理本通り。
警察が立ってはおられるが、交通整理のために道のあちこちに立って下さる姿を見て、その昔、ご苦労頂いた教祖(おやさま)、そして熱心に信仰を続けられた先生方のおかげ、と胸熱くなりました。

教祖(おやさま)がお姿をお隠しになられて、130年。

今も、おぢばで我々の帰りを待っておられる教祖(おやさま)。
1人でも多くの方に帰って頂き、教祖(おやさま)にお会い頂けるよう、歩を進めさせてもらわねば、と改めて思う次第です。

02/06/2015

「お前は神さんに目をたすけてもろてるんやで」
小さい頃、母は何度も私に教えてくれました。

私は生後5ヶ月頃に突然、目が真っ白になったのだそうです。
慌てた両親は赤児の私を抱いて、市内の眼科に駆け込みました。しかし、ウチでは手に負えません、とのコト。1972年当時、すでに天理には憩の家(いわゆる病院)があり、眼科は有名だったので、紹介状を書いてもらい、診察。先天性緑内障と診断され、手術をしてもらいました。

こう書けば、手術してもらって助かったんでしょ?神様は関係ないんじゃ?そう思われる方もおられるでしょう。けれども、本当にそうでしょうか?
生後5ヶ月ほどの私の目がおかしい、と両親が気付かせてもらえたのは、私の目が真っ白になったから。
昼寝をしていた私が泣いているだけではオッパイかな?オムツかな?で終わっていたはずだと思うと、そこに神意を感じずにはおれないのです。それが神様の親心なんだ、と。
もしかすると、本当は盲目の人生であったかもしれない私が救けてもらえたのは曾祖母、祖父母、両親の信仰のおかげなんだと思わずにはおれないのです。

当時、目が真っ白になった私を抱いて、法善寺の天理教の泉河分教会に参拝させてもらった帰り道、車の中で、母が父に向かって
「この子の目、片方だけでも見せてもらえたらなあ…」
と話しかけると、父が
「アホンダラ!片方だけて、この子が大きなった時に、なんで僕、片目しか見えへんの?て言われたら、お前どない言うて説明すんねん!両目とも見せてもらわなアカンのんじゃ!」
と母を怒鳴ったそうです。
母の「片目だけでも…」という思いも、父の「両目とも…」という思いも、等しく親の切なる思いだと思うのです。その思いが神様に通じて、私の目は今も見せて頂けるのだと、そう信じるのです。

生まれて間もない頃から、両親に心配のかけ通しの私。
小さいわが子の真っ白になった目を見て、両親はどれだけ自分を責めただろうと考えると、今も涙が止まりません。

私は生まれつき親不孝な人間です。
だから、この両親に喜んでもらえることは一体何だろう?と考えた時に
「私が天理教を信仰させてもらうことだ」
と自然に思えたのです。
それが、何時だったかは覚えていませんが、そこが私の出発点。
そして、知れば知るほど、この信仰は間違いないと思えるようになりました。

信じられないかもしれませんが、神様はおられます。

嘘だ?
嘘じゃないです。

私の目、右目は普通に視力があります。おかげで今は車の運転もさせてもらえます。
左目はというと、0.3ぐらい。ボーっとですが見えています。
何が言いたいか。
そう「両目とも…」という父の言葉。
本当は片方しか見えなかったかもしれない目を多少なりとも両目で見せてもらっているのです。

不思議だと思いませんか?

13/05/2015

「出直し」
天理教では「死ぬ」とは言わない。
この身体は神様からお借りしているもの。そして、心だけが自分のもの、と教えて頂いている。

神様は、人間が神様を親と仰ぎ、助け合い喜び合う姿を見て、共に楽しみたいと思われて、人間を作られた。作られた、と一言で言うけれども、そこには人間には到底計り知れない大変な時間とご苦心(もっとも、神様は苦労とは思っておられないだろうが)がかけられている。
そして、人間を産み出されただけでなく、今も変わらず、人間のためにこの世を、そして、我々をお見守り下さっている。

人間には哀しいかな、寿命がある。いくら生きていたいと願っても、このお借りしている身体を神様にお返しして、心は神様の元へ戻らねばならない。

神様のお言葉に
「三歳も一生」
とある。寿命が長い者も短い者も色々あるけれど、その人の一生には変わりはない、という。

そして、神様の元でおらせて頂いて、また、新しい身体をお借りして、この世に帰ってくる。
そう、言葉通り「出直し」てくるのだ、この世に。

しかし、現実から逃げてはいけない。「出直す」ことを目的にしてはいけないと思う。
この世に生かして頂いている限り、どんな辛い事があっても、一所懸命に「喜ぶ」努力をしないといけないと思う。

喜ぶ事が出来ないのであれば、喜べるようになるまで「待つ」努力をしてほしい。
人間、生きている限り、喜べる事ばかりではない。時には哀しい事、辛い事が起こってくる。
しかし、それは、人間の親である神様が、我々に間違いを教えて下さっているのだ。
そこに親心を感じられる心を養わねばならない。

辛い事、哀しい事が起こった時、無理矢理に「結構やなあ、有難いなあ」と声に出してみることだ。
結構と思えない、そんな時こそ、言葉として、口から吐き出してみることで、見える世界が変わるように私は思う。

自分にとっての不都合を「結構」と言葉にして、(たとえ、無理矢理であれ)口に出してみることで、運命を切り替えて頂けると私は信じる。
そして、短いはずの寿命をも、神様のお力で伸ばして頂けるものと私は信じる。

嗚呼、今日も結構やなあ。

01/01/2014

皆様、明けましておめでとうございます。

昨年より、少しでも天理教を知って頂ければと思い、Facebookページを始めさせて頂きました。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

19/12/2013

あしきをはらうてたすけたまへ
(悪しきを払うて救けたまえ)
てんりわうのみこと
(天理王命)

悪しき心のほこりを払って、
神様、たすけて下さい
と願います。
天理教の人は毎朝、毎晩、これを繰り返します。
周りの人をたすけて下さいと願い、あの人をたすけて下さいと願う。

今日もお願いいたします。
今日もありがとうございました。
神様に毎朝お願いし、毎晩お礼申し上げるのです。

神様は人間をたすけてやりたいとおっしゃいます。
その心を分かってほしいと我々にお教え下さいます。
神様は人間をお作りになられた親です。
子供である人間が頼ってくれば、必ず救けて下さいます。

困ったことがあった時、
「神様、救けて下さい」
とお願いしてみて下さい。
きっと、何かが変わるはずです。

14/10/2013

月日にハせかいぢうゝハみなわが子
たすけたいとの心ばかりで

月日とは神様のこと。
その神様から見れば、世界中の人間はみなわが子であるから、皆等しく、たすけてやりたいと仰しゃいます。
病気やケガで悩み苦しんでいる人、いろんな事情があって、困っている人。
自分に好ましくないことが起こってくると、よく「バチがあたった」と言いますが、神様はバチをあてられることはありません。
なぜなら、可愛いわが子だからです。
人間も可愛いわが子が危ない道へ進もうとしていれば、叱ってでも止めるのと同じく、神様の目から見て、危ない道へ進もうとしているから、それを止めようと色んな事を見せておられるだけなのです。
そう考えることが出来れば、神様の親心が身に沁みて感じられるはず。そして、あなたの心は感謝の思いに満ち溢れてくるでしょう。

01/10/2013

いちれつにはやくたすけをいそぐから
せかいのこころもいさめかかりて
(おふでさき第一号 八)

神様は早く人間を救けてやりたいとおっしゃいます。

神様は、お互いが助け合って、喜びながら生きる姿を見て、共に楽しみたいと思われて、人間をお作り下さいました。

良い事をして、ありがとうとお礼を言われると照れくさいけれども非常に清々しい気分になるのは何故でしょうか。
困っている人を見ると、胸が苦しくなるのは何故でしょうか。
ボランティア活動に没頭する人がいるのは何故でしょうか。

それは神様が「お互いが助け合う」ように人間をお作りになられたからだと思います。

人間お互いが相手を思いやる助け合う世界となれば、自然と神様のお望み下さる世界となって、この世に争いなどなくなってしまうのではないでしょうか。

29/09/2013

ちよとはなし
かみのいふこときいてくれ
あしきのことはいはんでな
このよのぢいとてんとをかたどりて
ふうふをこしらへきたるでな
これハこのよのはじめだし
(みかぐらうた第二節)

その昔、神様は人間をお作り下さいました。

この世に表と裏があるように、人間にも男と女の性別があります。
また、火があれば、水があり、光があれば、影が出来る。
すなわち、二つ一つとお教えくださいます。

どちらか一方だけではいけない。
お互いがお互いを立て合い、たすけ合いして、この世は成り立っていることを悟ることが出来れば、あなたのこれからに潤いが出来てくるのではないでしょうか。

28/09/2013

よろつよのせかい一れつみはらせど
むねのハかりたものハないから
(おふでさき第一号 一)

そのはづやといてきかした事ハない
なにもしらんがむりでないそや
(おふでさき第一号 二)

神様はおられると思いますか?

宗教なんて…と思われるでしょうが「あなたが生きている」そのことが神様のおられる証拠。

人間は誰しも「自分で生きている」と思いがちですが、息をするのも、心臓が動いているのも、手足が動くのも、神様のお働きなしではかないません。

「神様がいつも自分を守って下さっている」と思えたなら、あなたのこれからは変わると思います。

住所

大阪府
Kashiwara-shi, Osaka
582-0008

ウェブサイト

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