28/09/2025
大変申し訳ありません。
本日、礼拝動画が途中で切れてしまいました。
そのためメッセージ原稿をUPします。
【原稿】人の齢(よわい)は(詩篇90:7-12)
人は自分の死と向き合う時に、今を生きることの意義を見出すのです。そのことは今朝の詩篇90篇のテーマでもあるのです。
・人の生涯は野の草花のようにはかないのです(1-6節)
3₋4あなたは人をちりに帰らせます。「人の子らよ帰れ」と言われます。まことにあなたの目には千年も昨日のように過ぎ去り夜回りのひと時ほどです。
神が「人の子らよ帰れ」と言えば人は塵に帰る、それくらいに永遠に存在する神の前で人の生涯ははかないものなのだよ!ということをこの詩人は謳っています。6節では…朝花を咲かせても移ろい夕べにはしおれて枯れています。
イスラエルでは乾燥と太陽の熱のために、朝には生き生きしていた草花が、夕方にはしおれて枯れてしまうことがあります。人の生涯もそれと同じ、どれだけ健康であって、若さがみなぎっていても、それは一時の間、咲く花の様なのだよ!というのです。続く10節「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。そのほとんどは労苦とわざわいです。瞬く間に時は過ぎ私たちは飛び去ります。」
「そのほとんどは労苦とわざわい」体の衰えがあり、将来に対する不安、世の中の変化に対応できない生きづらさ。さらには大切な人との死別もある。信仰でさえも分からなくなってしまうこともあるのかも…。多くの方が、そのような労苦とわざわいを抱えて日々を過ごしているのだと思うのです。
・人は本来神の怒りによって消え失せる存在なのです(7-9節)
7₋9私たちはあなたの御怒りによって消え失せあなたの憤りにおじ惑います。あなたは私たちの咎を御前に私たちの秘め事を御顔の光の中に置かれます。私たちのすべての日はあなたの激しい怒りの中に消え去り私たちは自分の齢を一息のように終わらせます。
神様は愛の神です。神様は愛ゆえに物事を正しく取り扱うのです。誤った事に対して、また悪に対して正しく取り扱われるのです。それを神の義と言います。
神様に決して顔向けできないような生き方しかできない、ただ神の怒りを受けるような生き方しかできない、そんな私たちなのではないでしょうか?
「あなたは私たちの咎を御前に私たちの秘め事を御顔の光の中に置かれます。」
人はごまかせるかもしれない。ばれないように取り繕い、言い逃れることは可能かもしれない。しかし神様はそうではないのです。心の深い部分に隠している問題、また罪をもすべて神様の御顔の光の中では隠し通すことはできないのです。本来なら人は誰もが神の怒りの中で、ただおびえつつ死を迎えることしかできなったのです。
・今、神と共に生きる喜びを求めるのです(12-17節)
では人は死を見つめあきらめにいきるのか?さらには神の怒りに恐怖を覚えて生きるのか?「そうではない!」とこの詩人は語ります。だからこそ今、永遠の神様により頼み、神と共に生きる喜びを持ちなさい!と勧めているのです。
12どうか教えて下さい。自分の日を数えることを。そうして私たちに知恵の心を得させてください。
自分が残りどれだけ生きるのか?有限の人間にはわかりません。人にいのちを与え、いのちをコントロールできるのは神お一人です。自分のいのちは自分のものではなく、神様の確かな御手の中にあるのです。だからこそこの詩人は「どうか教えて下さい。」「知恵の心を得させて下さい」と永遠の神に祈るのです。13節、「帰ってきてください。」離れないで、そばにいて下さい!ということでしょう。また14節「朝ごとに」日々神様と共に生きる中で喜び、憩い、そして心安らぐことをこの詩人は求めているのです。
17.…私たちのために私たちの手のわざを確かなものにしてください。どうか私たちの手のわざを確かなものにしてください。
「手のわざ」とは言い換えるなら、日々の生活と言えます。残された日々、その営みを確かなものとするのは神だと言うのです。日々の生活に満足を与え、今日を生き抜いた!と言える確かさを与えるのは神なのです。その様な神を求めて、そのような神と共に生きることに喜びと楽しみを見出しなさい!とこの詩人は伝えています。
なぜこの詩人は神を求めたのでしょうか?この詩人は知っていたのです。神に立ち帰り、神に信頼を置き生きようとする人を神は決して見捨てない!それくらいに神は憐れみ深いお方であることを知っていたのです。
1節「主よ代々にわたってあなたは私たちの住まいです。」
どれだけ人生が短く、神の怒りを受けるだけのような人生でも、神は憐れみ深く、神に信頼を置く人を神は見捨てない、必ず住まいを備えて下さっている、そのことを詩人は知っていました。
人の生涯は時に楽しいことがあるでしょう。喜びもあるでしょう、しかし多くの苦難とわざわいも経験します。そして誰もが経験する死、それはすべてを奪い、別れをもたらし、痛みと悲しみをもたらします。
しかしイエスを信じる人々には帰る場所がある、永遠の住まいがある。よく頑張った!そう言われる温かく迎えて下さる方がおられる、涙を拭いてくださる、そんなホッとする場を神様がすでに用意しておられるのです。
だからこそ、自分の死を見つめつつ、それでも今と言う時を懸命に生きることができるのではないでしょうか?死を見つめつつ、それでも一歩一歩神と共に生きる喜びを求めて生きることができるのだと思うのです。
12どうか教えて下さい。自分の日を数えることを。そうして私たちに知恵の心を得させてください。
人の生涯は草花の様です。しかし永遠の神はそのような人間に関心を示し、人の歩みを確かな物にしようとされているのですね。そのことを覚えたいと思います。だからこそそれぞれに自分のことばとしてこの祈りを神にささげようではありませんか。