長保寺

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長保寺は長保2年(1000)、一条天皇の勅願をうけて性空上人により創建されたと伝えられています。一条天皇には定子様と彰子様のお二人の皇后がありましたが、定子皇后のお付きの女官が「枕草子」を書いた清少納言、彰子皇后のお付きの女官が「源氏物語」を書いた紫式部です。ですから、これらの文学作品は一条天皇の長保時代の宮廷生活を題材にして描かれています。長保時代は、平安貴族社会が頂点に達した時代であるのです。また、長保寺が創建された長保2年に藤原道長の長女の彰子様が中宮となったことで定子様と彰子様の二人皇后となり、12月には定子様が出産でお亡くなりになっています。長保という年号を名乗る寺の建立は、一条天皇にとって特別の意味があったに違いありません。
平安時代、長保寺周辺は藤原摂関領で、向かいの山の峠道が熊野街道です。平安時代、鎌倉時代を通じて多くの皇族がその峠道を熊野へと歩きました。熊野へ続く宗教的な

場所として選ばれて、長保という年号を戴いた寺が造営されたのです。
 本堂(1311)、多宝塔(1357)、大門(1388)、鎮守堂(1295)といった主要なお堂は鎌倉時代に至り皇室の力で再建されたものです。長保寺は天台宗として創建されましたが、その後、法相、天台と変わり、現在あるお堂が再建されたころは真言宗のお寺でした。仁和寺から印玄という僧が来て本堂の再建を指導しています。
 寛文六年(1666)に紀州徳川家初代藩主頼宣により菩提寺に定められました。その時に、頼宣と天海僧正の約束により天台宗に改められました。江戸時代に、本堂背後の山の斜面に広大な藩主廟所が造営されました。「周囲が山に囲まれ要害堅固である」という頼宣の言葉が残されおり、万が一の時の陣地として利用することを考えていた様です。
 八代将軍となった吉宗公は、紀州では五代藩主です。本来藩主になる順番ではなかったのですが、藩主であるお父上と二人の兄上が相次いでお亡くなりになり、藩主となることになりました。長保寺の本堂でお父上と兄上お二人の御三方の葬儀をしています。紀州で10年藩主をお勤めになり、それから将軍として江戸に行きました。吉宗公が藩主の時に、本堂の本尊を修理しています。


                        (HPより引用)

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住所

下津町上 689
Kainan-shi, Wakayama
649-0164

営業時間

月曜日 10:00 - 16:00
火曜日 10:00 - 16:00
水曜日 10:00 - 16:00
木曜日 10:00 - 16:00
金曜日 10:00 - 16:00
土曜日 10:00 - 16:00
日曜日 10:00 - 16:00

電話番号

073-492-1030

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