23/08/2026
8月23日「義人は信仰によって生きる」
ローマ1:16~25
本日は、キリスト教の本質である「救い」、すなわち永遠のいのち、天国への道についてお話ししようと思います。私たちは、いつかは死んでいきます。それは肉体の死であって、私たちの本質である霊魂は生きていて、永遠の天国か地獄に行きます。永遠に比べれば、この世の出来事は一瞬に過ぎません。
神様は天地万物を造られたお方であり、全く罪のない義なる正しいお方です。したがって、罪を持ったままで天国に行くことができません。
ただ、ここで言う神の基準の罪とは、私たちの罪概念とは全く違います。それによると、私たちが普段してしまうような、憎んだり、裁いたり、争ったり、うそをついたり、神以外のものを拝み、礼拝したりなどのすべてが含まれています。
したがって、それらを全うできる人は誰一人いません。そのような人々のために、神ご自身が救いの道を開いて下さいました。それが本日の聖書メッセージです。
16節;ここで著者のパウロは、「私は福音を恥とは思いません。」と言っています。福音とは良き知らせのことで、簡潔に言うならば、私たちの身代りに救い主イエス・キリストが十字架に架かられたことによって、私たちの罪を清算して下さり、預言通りに3日目に復活されたことによって、信じる者に復活のいのち、天国のいのちを与えてくれるという事です。
つまり、人々は行いにおいて、神の律法を全うすることができません。それで、神ご自身が人となって、この世に来て下さって、人の犯したすべての罪を十字架で清算して下さったのです。そのイエスの身代りの死を信じる時、私たちの罪は赦され、救われるのです。それしか、私たちの救われる方法はなかったのです。
ただ、神のなさることを私たちの知識や常識で理解することはできません。人間とは次元が違う世界なのです。ですから、次元の違う時間と空間を超えて働かれる神様とつながることは、神様が言われることを信じること、すなわち信仰によることしかできません。
17節;福音は信仰により、信仰に進ませるからです。神の前に義とされる人は、神のみ言葉を信じる信仰によって生きるのです。
18~21節;私が、神がおられると分かったときに、神の創造の御業が分かってきました。この地球は、なんと美しい世界でしょう。例えば、月でも火星でも違うところに地球のような空気が注がれ、雨が降ったとしても、まったく何もない所に突然綺麗な花々が咲いたり、美味しい果物がなったり、お米や麦が生え出て、それが種をもって、毎年実を結んだりするという事は不可能なことです。
すなわち、創造主なる神がおられて、神がすべてを造り、すべてを支配していることは、神が造られた被造物を見たらわかることで、それを否定する人に弁解の余地はないと言っています。そして、彼らは神を知っているのに、神を神として崇めないで、このような素晴らしい環境を作ってくれた神に感謝もしないで、その思いは空しくなり無知な心は暗くなったと言っているのです。
22~25節;そして、神を認めない彼らは、自分は知者だと言いながら、愚かなことをするようになりました。不滅の神の代わりに、人間や、鳥や、獣や、はうものを作って、それを神として拝むようになったのです。
それで、神様は彼らをその欲望のままに放置して、汚れへの道を歩むように見放されました。それで、彼らはますます汚れに突き進んでいきました。
この世の知恵は、神の存在を否定します。しかし、神は信仰の愚かさによって、信じる者を救おうと定められたのです。どんな罪人でも、罪を悔い改めて救い主なるイエスを信じるならば、聖霊様が送られて救われるのです。人が、聖霊様の導きに従って生きるようになって、初めて清い生き方ができるように変えられるのです。