公益財団法人 二見ヶ浦公園聖地

公益財団法人 二見ヶ浦公園聖地 二見ヶ浦公園聖地。霊園。  当聖地は、国定公園に隣接していますので景色も最高です。明るく、お参りのしやすいところです。ドライブ気分で是非いらしてください。
荒木又右衛門を尋ねてください。責任を持って案内させて頂きます。

26/07/2025

皆々様こんにちは。
糸島は晴れ。海がきれいです。

仏教の教歌
堪へ忍べ まことはつひに あらわれん
  知られず通る 悪はなき世に

「歴史は、生き残った者の都合がいいように創ることができる。」などと勝手なことをいう人もいるが、仏教では上記のお歌の下の句にあるように「知られず通る 悪はなき世に」で、悪いことは必ず知られるようになっている。というわけですから、過去をどんなに飾ったり、嘘の歴史を創って人を洗脳したり、人を貶めたり、人と人との良いつながりを断とうとしても、いつか真実は明らかになる。うそがまかり通るような、そんなにこの世は甘くない。だからこそ、上の句の「耐へ忍べ まことはつひに あらわれん」で、うそをつかれて歴史を塗り替えられたり、思いもしないことで悪い噂を立てられたりしたとしても、耐え忍んでいれば真実は必ず現れるから心配無用である。と示されるのです。
 個人においても、国においても、今生人界における宇宙の法、仏法はごまかしがきかない、その時はごまかすことができても、いつか真実は現れる。そんな世であるから、自分の利益の為に悪いことをたくらむ人間は、とりかえしがつかなくなるまえに、そろそろいいかげんにして、自分の利益よりも世のため人の為になる人生転換をすべき時がきているのではないでしょうか。
ありがたい。すばらしい。合掌 あらきん

皆々様こんにちは。糸島は、晴れ。風も心地よく気持ちいいです。あっという間に咲きました。^^ありがたい。すばらしい。
29/03/2025

皆々様こんにちは。
糸島は、晴れ。風も心地よく気持ちいいです。
あっという間に咲きました。^^
ありがたい。すばらしい。

26/01/2025

皆々様こんにちは。
糸島は晴れ。風が強いです。
今、緊急ヘリコプターが霊園の芝生広場にきています。助かることをお祈りするしかありません。

「阿吽の呼吸」(あうんのこきゅう)

神社仏閣の門前を守る狛犬、風神雷神や金剛力などの表情を拝見しますと、片方は口を開け(阿)、もう片方は口を閉じて(吽)います。口を開けている状態の「阿」は、計り知れない大きな物、万物の根源、物質(肉体)を表し、閉じている状態の「吽」は、仏智、到達する知恵の究極、精神の源(魂)を表すといわれます。

したがいまして、「阿吽の呼吸」とは、物質(肉体)と精神(魂)の互いの関係バランスがぴったりと合っている状態、その在り様、安定した状態、安心できる状態、統合した状態、を言っているのです。

神社仏閣は、人の魂と肉体の関係バランスを整える場所であると言えるでしょう。
ありがたい。すばらしい。
合掌 松葉の源(まつばのみなもと) あらきんより

11/01/2025

皆々様こんにちわ。
糸島は、雨。寒いです。
三が日は、たくさんのお参りをいただきましてありがとうございます。毎年、初参りの多さにありがたく感激させていただきます。今年も皆様にとって良き年でありますようお祈り申し上げます。合掌

爾二不二(ににふに)

 爾二不二の説明を調べますと、紙には裏表の二種ありますが同じ紙である。という内容で分かりやすく説明されています。

 爾二不二をもう少し深く考察いたしますと、二つであるけれども二つにあらずというわけは、物質的と精神的は全く違う二つのものであるけれども、今の次元界では二つではない。と悟られた言葉ともいえましょう。
 精神的魂と物質的肉体は全く別のものですが、物質世界では一つのものとして、一人の人間として、一匹の動物として、虫として、樹木としてそれを捉えます。このことを仏さまは爾二不二と悟られたのです。
ありがたい。すばらしい。
松葉の源 あらきんより

08/11/2024

皆々様こんにちわ。
糸島は晴れ曇り。少し暑いです。

光り輝く心
 大切な人に裏切られたり、陥れられたり、辱めを受けたりしますと心は不安、迷い、失望などでおおわれて、自分でどうすることもできない状態になってしまいます。その時点ではこのままずっと立ち直れないのではないだろうかと毎日悩み、夜も眠れず病気になったりするかもしれません。冷静さを失い、周りからのアドバイスも耳に入らず、マイナスなことばかりが頭をよぎるでしょう。友人を失うこともあるかもしれません。
しかしながらそんな時だからこそ、素晴らしいご縁をいただいて助けられる言葉をいただいたり、後押ししてくださる人がいたり、じっと見守ってそばにいてくれたり、自分のことのように一緒に悩んでくれたり、仲間を集め励ましてくれたりしてくれる素晴らしいご縁を感じるのではないでしょうか。そして、人の本性を知り、自分の未熟さを知り、見えていなかった物事の本質が今まで以上に広く見えてくるでしょう。それはちょうど太陽や月が雲から顔を出すようにすべての暗闇から解放されるようなものでしょう。

苦しみを乗り越えるとは、その本質に気づき、ご縁に感謝し、心は明るく喜びに満たされ、ただただありがとうございます。ありがとうございます。という感謝の心になることです。本質に目を背け、ありがたいご縁をいただきながら断ち切って、恨み辛み嫉み妬みが残ったり、いつまでも人のせいにしようとしたり、周りの人を傷つけ自分を繕ったり、それでは苦しみを乗り越えたのではなく、さらに苦しみを大きくしているにすぎません。太陽や月が雲に隠れて輝きを失うように、その心は罪障(ざいしょう)という雲が心を覆い真っ暗の中にいるようなものです。たとえ、明るくふるまってもどことなく暗く、いつもビクビクしながら取り繕って生活しなければならないでしょう。逆に、苦しみを乗り越えて感謝に満たされている人は、心輝き、自信にあふれますます活気ある人生を歩んでいかれるでしょう。
しかしながら、自力では中々解決しない物事や悩みは多いものです。ましてや感謝に満ち溢れる心境に至るまでにはかなりの時間がかかるでしょう。

仏様の教えに、すべての人の心には「仏心という真心」を袋に入れて授けていると説かれます。仏心とは、すべての経典、諸天善神、諸菩薩、諸仏の心をいいます。袋にしまわれていますから呼び覚ますには、呼びかけなければなりません。つまり、経を唱えるということは、仏心を呼び覚ますために唱える一つの手段と言えるでしょう。仏心が呼び起こされますと、その人の心は太陽や月のように光輝き、心の奥底に潜む過去世からの罪も照らし消滅させ、雲が晴れるように心の迷いを払い、奥底から輝かせるのだと説きます。そして、その輝きをもって縁ある人と接すると、喜びや感謝の心が伝染し人として生きていながら仏国土の世界となって行くでしょう。であるならば、悩み苦しむとき経を唱え仏心を呼び覚ますことが心救われる一番の近道であり、どろどろに汚れてしまったこの娑婆世界を光り輝く仏国土にする大きな力となってゆくのです。

経を唱えることで仏心が顕れ、光り輝く心になることは分かりましたが、ここでいう唱える経とは、どんな経でしょうか?全ての経典が含まれ、諸天善神、諸菩薩、諸仏が含まれる経はあるのでしょうか?
釈迦牟尼仏だけ、阿弥陀仏だけ、大日如来だけ、キリストだけ、アラーだけ、大黒天だけ、毘沙門天だけ、竜神だけ、八幡神だけ・・・、ではなく、全ての諸天善神諸菩薩諸仏を呼び覚ます経とはいったいどんな経だろうか?
それについてはそれぞれに探してほしい。そして、巡り会ってほしい。求めることで必ず巡り会えるはずです。
どうかもう一度、大切にしなければならないご縁を感じ改めることから初めてみてはいかがでしょうか。
ありがたい。すばらしい。
※豆知識・・・外見から心の輝きが見えるわけではありませんが、心輝く人と一緒にいますと、心が落ち着き安心したり、喜びに満たされたり、ありがたい気持ちになったりします。仏教でいう「和光同塵」とはこのことをいいます。

03/10/2024

皆々様、こんにちわ。糸島は曇り。涼しくなりました。風はありませんが、波はあれてます。

縁起の中の菩薩行

朝、通学路の横断歩道で黄色の旗を振る姿が見えた。車を止め歩行者を優先する。子供たちは手を上げ「ありがとうございます。」と駆け足で渡る。旗を振っていた子供会の親も「ありがとうございます。」と会釈する。それまで、ぼ~っとしながら運転していた私は「ありがたいな~。」と急に心が明るくなる。当たり前に車を止めただけなのに、特別良いことをしたわけでもないのに、心はすごくうれしく喜びに満たされる。「ありがとうございます。」と言われただけなのに。私の心は救われた気持ち「ありがたい」で一杯になる。
 
 人を救うことは大切で、仏教では菩薩行と言って大切な修行とされています。しかしながら、捉え方がなかなか難しく自分に人は救えないと思う人が多いのではないでしょうか。けれども、仏様はそんな難しい人助けを菩薩行と言っているのではありません。あなたの日常生活の自然な言動で知らないうちに人の心を救っているからです。先にお話しした横断歩道を渡る子供達や、旗を振る子供会のご両親の言葉に私の心が救われたように、あなたの自然な行動が見る人が見れば感動や感謝を与えている。これこそが人の心を救う菩薩行であると仏様は説くのです。

 人と人とのご縁は、計り知れないものがあります。日常の些細な行動が、周りの縁ある人にとっては大きな影響を及ぼしているものです。ですから、一人で生きているつもりでも人とすれ違うだけで影響しあえるご縁をいただいているのです。横断歩道を渡る子供たちを見送るのも、その時間、そのタイミングに車を運転していなければ出会えない出来事です。
「ありがたいなあ。」と思っていただくような日常の行動ができるのであれば、あなたはいつのまにか徳を積んでいることになります。また、「ありがたいなあ。」と自分が思える出来事に遭遇するのであればそのご縁はすばらしいご縁だということに気づかなければもったいない。

故に、菩薩行とは、人を助けるために滝に打たれたり、座禅を組んだり、長時間経を読んだり、断食したり、何日も行脚したり、そのような難しい事をするのではなく日常生活の中にこそあると仏様は説くわけです。つまり、他の人に感動、感謝を自然に感じさせる言動が生活の中でできているかいないかが徳を積めるかいないかに大きくかかわるということなのです。

 特技がある、学歴があるから人を魅了できる。自分には何もないから人は振り向きもしない。だから、自分なんか人を助けるような徳を積めないし感動させるなんてありえない。そんな考えの人はもったいないです。あなたの行動を何気に見た人が感動、感謝することはあなたにしかできないことです。あなたがいただいたご縁はあなたのもので同じご縁は一つもないのです。あなたと触れ合う方の心を救えるのはあなたにしかできません。もちろん、あなた自身も救われる出来事に遭遇するかもしれません。
あっという間の人生です。一人でも多くの方と触れ合って何気に感動していただく行動を楽しみたいと思いませんか?今からでも遅くはありません。今日はどんな人に出会えるかなあ、どんな感動が待っているかなあと、毎日ワクワクドキドキする人生を歩んでみるのもいいと思いませんか?世界の出来事や政治や経済やありとあらゆる出来事に振り回される人生、もちろん、あなたに必要な情報は大切なことです。しかし、もっと大切なことは日常のあなたにしかできない出会いや行動にもっともっと興味をもつことではないでしょうか?共々に、たくさんたくさん徳を積める日常生活であり、お互いに感動しあえる世になることを強く願います。ありがたい。すばらしい。

松葉乃源より

01/08/2024

皆々様こんにちわ。
糸島は晴れ。暑いです。

真の喜び
 あなたは、テニス部に入部しました。球拾いから始まります。グランドを走ったり、素振りしたり、なかなかボールを打たせてもらえません。先輩の試合の応援では、かばんの見張り留守番や交代で応援。先輩が必死にボールを追う姿、勝って喜んでいる姿、負けて悔しがる姿を目の当たりにしながら、自分も先輩達のように上手にボールが打てるようになるのかな~。と心配になりつつひたすら言われた通り練習を積み重ねます。あるとき、そろそろボールを打ってみるかと先輩から声をかけられラケットをもってコートに。初めてラケットでボールを打つ。空振りするけど、快心の一球をラケットがとらえる。「すごい!」と、先輩と周りで見ている同級生の声。あなたは、心の奥底から込みあげてくる喜びに体中が熱くなり、テニスが大好きになるでしょう。

一つの物事を達成するのに、先生、師匠や先輩に随って鍛錬、練習や勉強をして物事を達成した時に感じる喜びは、その物事を極めるきっかけとなる大切な心と仏様は説かれます。テニスに限らず、様々なスポーツ、アート、技術、学問等森羅万象すべての事象にあなたがトライするとき、初めに感じる喜びこそ、あなたの魂の奥底に潜む極みの素質を呼び覚ます大事大切な真心なのです。

逆に、何かしらを極めた人というのは、初めて感じた喜びを忘れることなく、師匠、先生や先輩の教えを信じコツコツと努力を積み重ねてこられた人で、終わりなく鍛錬練習をし続ける人と言えるでしょう。

あなたが一番力を発揮する強い心とは、先にお伝えした心の奥底からこみ上げてくる喜びのほかありません。なぜならば、極めるまで信じて努力を惜しまず目標に向かって進む大きな力となるからです。そして、その心はすべての人と生きる喜び、自然と生きる喜び、あらゆるすべての生命と生きる喜びとなってあなたを支えてくれるでしょう。喜びは自分だけではなく共に生きる人々へ伝えることを惜しまないでしょう。そして、他の人もその喜びを感じる様を見るときさらに自分も大きな喜びを感じる事でしょう。本来、人間が持つ素晴らしい心と心のつながりです。しかしながら、現在は物質の世、決められた箱のような社会。箱から飛び出すことが許されないような社会。心を説く宗教でさえ、さまざまな宗派という箱の中に閉じ込められている物質の世。ですから、トライする時間と余裕もなく、感じようとする行動すらおこせないのかもしれません。であるならば、あなたが幼い頃、学生の頃に少し感じた真心をなんとか呼び覚まそうとする努力が今一番大切なことと言えるのではないでしょうか?
幼い頃、学生の頃やりたいことにトライして、少し真心を感じたあなたは、いつか時間ができたらまたやりたいな~と心のどこかで思っていませんか?それをやることがあなたの本当の姿なのかもしれません。^^
ありがたい。すばらしい。
松葉乃源 源松より

18/07/2024

皆々様こんいちわ。
糸島は曇り。風があって涼しいです。

仏教小話
あるなし
 今あなたは、大切にしている眼鏡を探しています。机やタンス、ありとあらゆる場所を探しています。探しているものは眼鏡ですからその他のものは気にとどめず視界に入っても認識していません。眼鏡以外のものは無の状態です。
 テレビのリモコンがいつもの場所にありません。眼鏡同様あなたは探します。リモコンを探していたにもかかわらず、探していた眼鏡が視界に入ってきました。「あれっ!こんなところにあった。よかった。」と安堵します。リモコン以外は無の状態のはずが、眼鏡は無から有(色)に変化しました。認識次第で無であり、有(色)であることが分かります。このように人間は、認識、心の状態によってすべてのものに対し無であり有(色)であることを感じるのです。ありがたい。すばらしい。^^

05/06/2024
28/04/2024

皆々様こんにちは。
二見ヶ浦公園聖地は、晴れ。穏やかな一日です。

お題 娑婆即寂光

 娑婆とは、今この世界のこと。寂光とは、仏様の世界のこと。つまり、娑婆とは物質世界、寂光とは精神世界のことを言います。お経文に、「娑婆即寂光」とありますのは、物質世界は即ち精神世界である。ということであり、物質世界は即刻精神世界である。と説かれるのです。

 あなたは、気の合う人と食事をしながらとても話がはずみ、時間を忘れるくらい友人と楽しんでいる。そこに偶然、日ごろから苦手にしている人がやってきて、同席になり話に加わってきました。今まで楽しかった食事とお話の時間は一気に変化し、あなたは「せっかく楽しかったのに」と心で思いながら気分は悪くなり、「早く帰りたいなあ」というような気持ちになるかもしれません。しばらくして、そこにもう一人知り合いが来て仲間に加わります。その知人は話を聞くばかりで、何かを話すわけではありません。しかし、「早く帰りたい」というあなたの気持ちは変化し、何かしらなごんでゆきます。なぜでしょう。

 人とのお付き合いで、気が合う人と合わない人ははっきりしていますが、最後に来た知人のように何かしら人を和ませるといいますか、一緒にいると落ち着くといいますか、今まで揺らいでいた心(怒り、悲しみ、憎しみなどの辛い心)に静寂心をもたらしてくれる人がまれにいらっしゃいます。

いずれにせよ、我々は物質の世界で生活しているのですが、そこには多くの精神的な影響を受けながら、あるいは及ぼしながら生活をしているのです。学校、会社、家庭などあなたのあらゆる環境、家族、友人、学校の先生、生徒、会社の仲間などあなたとかかわる一切の人々、あなたはそれぞれのかかわりにおいて影響され影響しているのです。
つまり、物質世界で生活しているにもかかわらず、精神世界の影響を大きく受けていることが分かります。このことを仏様は娑婆即寂光と表現されているのです。

もしもあなたが、最後に来た知人のように、他の人にいい影響を及ぼすことのできる人であったとしたらどうでしょうか?そのような人になれたとしたらどうでしょうか?
もしそうであれば、あなたの影響力はあなた自身のよりよい生活環境と人とのより良い関係につながっていくにちがいありません。

佛教は、最後に来た人のような精神力の持ち主になるためにはどうすればいいのかを説く教えでもあります。単純には、経を唱える。ということになるのですが、次回はそのことについて詳しくお話しさせていただきます。

すばらしい。ありがたい。^^

22/04/2023

皆々様こんにちは。
糸島は晴れビュンビュン風が吹いています。
今必要とされる宗教家を考える⑭

 私は、恵まれた環境で教務(坊主)というご奉公(お仕事)をさせていただいた。初めは、何をしていいのかわからずボ~ッとしていると先輩の教務(坊主)さんから「暇なら信徒に連絡してお参りさせてくださるところを探しなさい。」と言われた。すぐに電話をかけさせていただきお助行(教務が信徒の悩みを聞き御布施なくお参りする教務自身の修行)に出向いた。毎日毎日、訳も分からず繰り返しやっていると問題解決された信徒さんからお礼の連絡が入るようになった。自分のやっていることは喜びに変わると知った。
 いじめ、ひきこもり、躁鬱病、人間関係、商売、借金、、、、。お助行というご奉公を通じ悩み苦しみがこんなにあるという事実も知った。
ある日、先輩教務(坊主)さんが編み笠をかぶり経を唱えながら近所を歩いておられた。先輩は何されていたのかを部屋へ尋ねに行った。「お寺の外を歩いていると、いろいろな人に声をかけられ仏教のお話ができる。朝は、小学校の正門前に立っているが、登校する小学生と触れ合うとすごくうれしくなる。子供たちも安心するのか学校でいじめが無くなった。だから、ありがたくて楽しくてうれしくてやめられない。20年くらいになるかな~」と言って奥から大量のハガキやお手紙を持ってこられた。「成人しました。」「結婚しました。」「就職しました。」「子供生まれました。」「あの時、お坊さんがいたからいじめられなくなった。」「お坊さんのおかげで楽しかった。」「お坊さんと握手したら試合に勝てた。」・・・・・。すべて卒業生からのお手紙だった。先輩は、「どう?ありがたいやろ。」と満面に笑みで話してくださった。自分の行動が他の人の喜びに変わる事の感動と、何とも言えない心地よさ、安心というか、あったか~いものは、他では味わえない最高の心のありかであり、本当の幸せなのではないか。私は先輩教務さんがお話ししている姿を見ながらなぜか目は涙で一杯になっていた。
それから、私はお助行と編み笠をかぶってお寺の外を歩く不軽活動(フキョウカツドウ 人の心を軽んぜず重んじる修行)に没頭した。毎日が感動だったし、喜びあふれる環境のお寺ができた。
環境で人は変わる。職場や学校、家庭、地域、それぞれ与えられた環境は人それぞれ違うものである。その人にとって良き環境とはなかなか自分では決められないし選べない。
宗教家は、その環境を良き方向へ導くものであり、宗教家の行動や言動、経典、聖典、修行によって人に喜びや感動をもたらせるものでなければならないのではないか。お寺にいるだけでは誰も喜ばないし感動しない。と私は思う。あらきん拝
ありがたい。すばらしい。

24/02/2023

皆々様こんにちは。
大変ご無沙汰しております。
糸島は曇り。暖かいです。
今必要とされる宗教家を考える⑬
 先日コンビニエンスストアでレジの順番待ちをしていたところ、並んでいることに気づいていながら横入りするおじいちゃんがいらっしゃった。私は、「しょうがないなあ。」と思いながらあきらめていると、店員さんがおじいちゃんに「少々お待ちください。」と言って私を先にレジへ招いてくださった。私は「良かった。」と心で思いおじいちゃんに待ってもらってレジを済ませた。その時は、当然だと思っていた自分は、経を唱えながら車の中で出来事を振り返り考えていると、なぜ自分は店員さんに招かれたときにおじいちゃんの気持ちになれなかったのだろうかと反省の念で一杯になった。店員さんに先にどうぞと招かれて、おじいちゃんの気持ちになれれば「大丈夫ですよ。お先にどうぞ。」とおじいちゃんに譲れたはずだ。と、当たり前のように先にレジを済ませた自分が恥ずかしくなった。順番待ちのしるしは、コロナの影響で間隔が離れていて高齢者にとっては並んでいるのかいないのか分からない。そこに気づけない私の小さな正義感はまったく浅はかで、おじいちゃんに「ごめんなさい。」と謝りたい心境に陥った。
佛教では、今生では菩薩の修行の実践こそが魂の成仏できる唯一の修行だと説く。菩薩の修行の根本は「自ら経を唱え、縁ある人へも経を勧める。」ということをキーワードにして、その応用実践が娑婆世界での修行となる。つまり、どうすれば自分の行動言動で目の前の人に喜んでもらえるか、ありがたいと思っていただけるかを考え自ら実践し、そのことを縁ある人に勧めることが修行となるということである。私がとった行動は、自分はいいけれどもおじいちゃんは恥ずかしい思いをしたに違いないし、誰も喜んでいないし、感謝もなく、自分だけがよかったと思う。それでは、菩薩の修行ではなく二乗根性丸出しの心になってしまう。もしも、順番を譲っていたのであれば、おじいちゃんは喜ぶだろうし店員さんもありがたいと思うし、自分もうれしくなったはずである。
私たちは、このように常に行動言動を試されている。正義はあってないようなもので、常に中道であり選択肢は様々である。時と場合に応じて自分の行動言動選択が変わらなければならない。一瞬一瞬を大切に菩薩の修行が成就できるように精進させていただくことを自分も実践し他の人へもそのことを進めるとき、そこには争いは無くなり思いやりで満たされるのである。自分の行動言動選択が人に迷惑をかけたり、不愉快にさせたり、悲しませたりしていては、一生魂は磨かれず汚れる一方で、抜け出すことすらできなくなり、常にだれかと戦っていなければならない人生に陥るのではないだろうか。ありがたい。すばらしい。合掌

住所

志摩桜井3810
Itoshima-shi, Fukuoka
819-1304

営業時間

火曜日 08:00 - 17:00
水曜日 08:00 - 17:00
木曜日 08:00 - 17:00
金曜日 08:00 - 17:00
土曜日 08:00 - 17:00
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電話番号

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