志村キリスト教会 Shimura Chirst Church

志村キリスト教会 Shimura Chirst Church 東京都板橋区にあるキリスト教会。 日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団所属。

「愛する者たちよ。わたしたちは互に愛し合おうではないか。愛は、神から出たものなのである。」(ヨハネ第一4:7)愛は、御霊の実の第一に挙げられるものです。いつまでも存続するものの中でも、「最も大いなるものは、愛である」(コリント第一13:13...
31/05/2026

「愛する者たちよ。わたしたちは互に愛し合おうではないか。愛は、神から出たものなのである。」(ヨハネ第一4:7)

愛は、御霊の実の第一に挙げられるものです。いつまでも存続するものの中でも、「最も大いなるものは、愛である」(コリント第一13:13)と言われています。 キリストは愛について多く教えています。「敵を愛し、迫害する者のために祈れ。」(マタイ5:44)「求める者には与え、借りようとする者を断るな。」(マタイ5:42)天から注がれる神の愛は、自分の利益を求めず、敵をも愛し、他者に与える愛です(コリント第一13:5)。 私たち人間の愛は長続きしません(黙示録2:4)。「ボアネルゲ、すなわち、雷の子」(マルコ3:17)と呼ばれた使徒ヨハネも、師であるキリストのみ胸に近くにとどまり(ヨハネ13:23)、愛することについて学びました。「ここに愛がある。」(ヨハネ第一4:10)私たちも神の愛にならう者となりましょう。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

「愛する者たちよ。わたしたちは互に愛し合おうではないか。愛は、神から出たものなのである。」(ヨハネ第一4:7)  愛は、御霊の実の第一に挙げられるものです。いつまでも存続するものの中でも、「最も大いな.....

「御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。」(ガラテヤ5:22-23)イエス・キリストは、彼に従う弟子たちが実を結ぶようになると約束しました(ヨハネ15:5)。その実のうちには「御...
30/04/2026

「御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。」(ガラテヤ5:22-23)

イエス・キリストは、彼に従う弟子たちが実を結ぶようになると約束しました(ヨハネ15:5)。その実のうちには「御霊の実」(ガラテヤ5:22-23)も含まれます。また、キリストは人が実によって見分けられることを示し、「良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ」(マタイ7:17)と言いました。良い実を結ぶためにも、人は良いものによって養われる必要があります。キリストは人を養うため「わたしにつながっていなさい」(ヨハネ15:4)と命じました。キリストは御霊を与えてくださり(ヨハネ15:26)、私たちは「霊から永遠のいのちを刈り取る」(ガラテヤ6:8)ことができます。御霊の実は人の手で作り出すことができません。それは天の恵みであり、キリストという良い幹に接ぎ木されてこそ得られる実りです(ローマ11:17)。ですから、私たちは良い実を得ることができるために、「御霊によって進もう」(ガラテヤ5:25)ではありませんか。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

「御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。」(ガラテヤ5:22-23)  イエス・キリストは、彼に従う弟子たちが実を結ぶようになると約束しま.....

2026年のイースター礼拝を終え、日を変えて久しぶりに教会合同墓参を行いました。関東教区墓地に埋葬されているご家族であり、いつもの顔なじみの方々が集まりましたが、改めて考えてみると、お互いに顔を合わせるのが数年ぶりであることがわかりました。...
15/04/2026

2026年のイースター礼拝を終え、日を変えて久しぶりに教会合同墓参を行いました。関東教区墓地に埋葬されているご家族であり、いつもの顔なじみの方々が集まりましたが、改めて考えてみると、お互いに顔を合わせるのが数年ぶりであることがわかりました。ご家族のことだけでなく、昔の教会の思い出話に花が咲きました。

 2026年のイースター礼拝を終え、日を変えて久しぶりに教会合同墓参を行いました。関東教区墓地に埋葬されているご家族であり、いつもの顔なじみの方々が集まりましたが、改めて考えてみると、お互いに顔を合わせる.....

あたたかい教会 渡辺正晴コンクリート造りの小中学校の校舎が、木造の校舎に造り直されている。コンクリートは人工的に作り出されたもので、冷たく無機質で心を和ませることが出来ないからである。木は神の創造されたものである。創世記によれば、全てのもの...
04/04/2026

あたたかい教会 渡辺正晴

コンクリート造りの小中学校の校舎が、木造の校舎に造り直されている。コンクリートは人工的に作り出されたもので、冷たく無機質で心を和ませることが出来ないからである。木は神の創造されたものである。創世記によれば、全てのものは人間が登場するために必要なものとして創造されている。だから木には温もりがあり、人の気持ちを和ませる要素があり、木には癒す力が備わっている。

私がはじめて志村教会に行ったのは高校二年の六月であった。聖書は開けない、聖歌は歌えず、祈りもできずに教会の片隅に座っていた。今日のように様々な楽器はなく、皆はひたすら声を張り上げて歌い、大きな声で祈り、説教を食い入るようにして聴いていた。

礼拝が終わって帰る時に、不思議な事に「この次も教会に来てみよう」という決意が与えられた。それは礼拝の中に心を和ませるあたたかい雰囲気があり、それが強く心に残ったからである。あたたかい雰囲気は人工的に作り出されたものではなく、神の御霊が志村の群れに豊かに注がれ、キリストの恵みを皆が熱い心をもって讃えていたからであると思う。

志村教会のあたたかさは、私が伝道第一線に出てから三十五年以上を経ているが、志村教会から毎年出身献身者への励ましの手紙と心のこもるプレゼントという形で存続している。皆さんからの手紙とプレゼントをいただく度ごとに、初めて教会へ行った日のように心があたためられ、志村教会が私の母教会であることを心から感謝している。

志村教会は創立五十年を迎え、ビジョンを張り広げて五十一年目に踏み出そうとしているが、御霊に導かれ、主を喜び伝える教会として前進されますように心から祈り続けています。

私は志村教会の出身であることを感謝し、また誇りに思い、私も主の愛に満ち溢れるあたたかい教会を形成するために、主に仕える日々を歩みたいと祈り願うものである。

※志村キリスト教会五十周年記念誌(2004年6月27日発行)

あたたかい教会 渡辺正晴  コンクリート造りの小中学校の校舎が、木造の校舎に造り直されている。コンクリートは人工的に作り出されたもので、冷たく無機質で心を和ませることが出来ないからである。木は神の創造.....

イエス・キリストの復活を祝うイースター礼拝 4月5日(日) 10:30~※礼拝後、希望者による茶話会を予定
07/03/2026

イエス・キリストの復活を祝う

イースター礼拝

4月5日(日) 10:30~

※礼拝後、希望者による茶話会を予定

イエス・キリストの復活を祝う イースター礼拝 4月5日(日) 10:30~ ※礼拝後、希望者による茶話会を予定

今日まで守られ 長屋ふさゑ志村教会創立四十五周年記念に際して、四十五年前の私はどうだったのかと考えてみました。受洗後三年位たった時です。友人たちと夢中になってイエス様のことを語り合い、異言の聖霊を頂き、霊肉共に満たされ、家族に隠れても教会に...
28/02/2026

今日まで守られ 長屋ふさゑ

志村教会創立四十五周年記念に際して、四十五年前の私はどうだったのかと考えてみました。受洗後三年位たった時です。友人たちと夢中になってイエス様のことを語り合い、異言の聖霊を頂き、霊肉共に満たされ、家族に隠れても教会にいきました。「恐れるな、我なり」これは信仰の恩師、菊地隆之介先生が私に書いてくださった聖書の御言葉です。

四十五年前のアッセンブリー教団は今と同じように、聖霊の風が吹きまくっていたと思います。志村教会もそのすばらしい御霊の渦の中で建てられたのだと思うと嬉しくなります。

先回アッセンブリー教団創立五十周年聖会の折、私の友人が五十年間信仰を忠実に貫いた人として表彰されました。志村教会にも後二、三年でこの彰状がもらえる、山田イネ、金子なつ子姉などがおられます。とにかく四十五年以上も忠実な歩みが出来たと言うことは、人知では計り知ることの出来ない神の祝福があったからだと思います。私は牧師と共に彼女たちの信仰が守られるために陰ながら祈らせて頂きました。また、私たちのためにも彼女たちは良き祈り手です。私たちが喜ぶ以上に主は「忠実な僕」として喜ばれることでしょう。

「もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら主のために死ぬのです。ですから生きるにしても死ぬにしても、私たちは主のものです。」(ローマ十四・八)

「私は主のものです。」この御言葉は、最近の私の告白です。アーメン。私は主イエスの聖名によって救われました。ですから主の聖名によって何でもできます。霊の戦いの中に毎日主イエス・キリストへの信仰を告白し、あの若き献身に燃えた恐いものなしの時をなつかしく思うと同時に、今生かされている中で、主がどの様にさらに用いて下さるのだろうかと、胸おどらせつつ、毎日主のお働きを期待いたします。

年老いた今からどこ迄献身を続けさせて頂けるのか分かりませんが、召して下さったのは主ですから、なお現役で頑張らせて頂きたいと願っています。唯やがて、主の前に申しひらきする時がくるのは確かです。主より「我、汝を知らず」と言われないように地上の戦いを最後まで戦っていきたいものです。

今日まで守られしことと又いつも私のためにも祈りの手を上げてくださる信徒の皆様方に感謝しております。その中に私を主の道に誘って下さった小学校以来の竹馬のとも竹田みよ子姉妹が加えられていることの不思議な主のお取り計らいを深く主に感謝します。また多くの天国にある当教会故人の顔もなつかしく、やがて会い見る日を楽しみに、この世の旅路を全うしたいものです。

多くの方々の長年にわたる祈りのつまれた教会とその聖徒たちの上に主の祝福があるように祈ります

※献堂四五周年記念文集(1999年6月13日発行)

今日まで守られ 長屋ふさゑ  志村教会創立四十五周年記念に際して、四十五年前の私はどうだったのかと考えてみました。受洗後三年位たった時です。友人たちと夢中になってイエス様のことを語り合い、異言の聖霊を.....

わが国籍は天にあり 沢田なみえ私は一八九九年(明治三二)一月茨城県下のある門徒宗の寺に生れて本年九五歳になりました。少女時代鐘の音を聞きつつ仏のためにと朝夕拝み、経典を読まさせられたりの毎日を過して参りました。年頃となり結婚しましたが、酒ぐ...
31/01/2026

わが国籍は天にあり 沢田なみえ

私は一八九九年(明治三二)一月茨城県下のある門徒宗の寺に生れて本年九五歳になりました。少女時代鐘の音を聞きつつ仏のためにと朝夕拝み、経典を読まさせられたりの毎日を過して参りました。年頃となり結婚しましたが、酒ぐせの悪い夫とは知らず、そのため苦悩の多い日々を経験しました。三人の子供をかかえ、それは大変でした。自分の運命を呪ったこともありました。悔やまれる人生だと日夜悩み、心配の余り倒れることも度々ありました。寺に生れ、仏典を手にしたこともあるのに私の心には何らの救いもありませんでした。

「そうだ自殺する気なら何でもできる、どこか働く所を探そう」と思っている矢先に、北区の洋品問屋の者だがといって、年の頃六〇歳位の方が来訪され、衣料品を売りさばいてほしいとの、話が思いがけなくも飛び込んで参りました。突然の事でしたが今思えばこれが、主なる神様の助けだったのです。とにかく大喜びと感謝の気持ちで、自分に持てるだけの荷物を背負ってあちこちの家々に、行商で売り歩きました。不思議に順調に衣料品は売れ、会社でも喜ばれました。もちろん辛い時もありましたが、持ち前の積極さでぐんぐん売り上げも伸びてゆきました。

そうこうしている時に、現在の志村教会のあることを知ったのです。当時の牧師先生は山脇久治先生でした。先生から、この世の罪人たるこの「沢田」を救うために、天の御父上は愛する独子イエス・キリストを賜ったこと、そして十字架上で身代わりとなって死んで下さったこと。それ故に、全ての罪は赦され、神の子と造り変えられ、新生し、かつ永遠の命まで頂いて、この世の旅路を終えたのち、イエス様のおいでになる天国でずーっと、栄光の身体をもって生きてゆくことができるなど、色々と教えていただき本当に感謝いたしました。

ふり返れば長い人生様々ありましたが、大正十二年九月一日の関東大震災、二十四歳でもう三人の子供がありましたが、突然の事とて大あわて。浅草区は火の海となったので、上野の山に命からがら一端逃げだし、さらに茨城の実家に家族一同ようやくの事でたどりついた事。また戦時中は小石川区に住んでいましたがこれまた東京大空襲で家は丸焼け。けれども私の生命だけは助かりましたが、戦地の二人の息子は戦死する有様でした。昭和二〇年敗戦後、板橋区大和町に家を設けそこで生活するようになって、家庭集会や子供会も開き、近所の子供達にも聖書の話を語って聞かせ、大変喜ばれたこともありました。しかし、長男は終戦と共に外地から帰国しましたが、栄養失調で入院、肺結核を併発、病死してしまいました。そんな悲しみをも味わいましたが、その後主人はキリスト様を受け入れ、クリスチャンとなって天に召されていきました。

現在の都立老人ホームに入所してもう二〇年以上になりますが、私にとってここが神様から与えられた最後の伝道の場となりました。あの方この方に「日曜日は志村教会に一緒にゆきましょう。そこに真実なる神様が待っておられます。主イエス・キリスト様はあなたを愛しておられます」と声をかけ、お誘いしてもう何人の方々が洗礼の恵みにあずかられたことでしょうか。かれこれ三〇名になります。もちろんこのことは私一人の力ではなく、牧師先生を始め、志村教会諸兄姉たちの厚きお祈りとご協力によるものであります。(中略)

ハレルヤ!「わが国籍は天にあり」(ピリピ三章二〇節)ですから、もういつ神様からのお召しがあっても悔いる所はありません。

※献堂40周年記念文集(1994年7月10日発行)

わが国籍は天にあり 沢田なみえ  私は一八九九年(明治三二)一月茨城県下のある門徒宗の寺に生れて本年九五歳になりました。少女時代鐘の音を聞きつつ仏のためにと朝夕拝み、経典を読まさせられたりの毎日を過し.....

あかし 清水裕子私が初めて志村教会へ来たのは昭和三十六年七月でした。たずねて、たずねて、やっと捜しあてた頃には、帰り道が案じられるほどに遠く、家から二時間位離れていました。もっと近い教会があったのに志村教会へ来たのは――私はそれより二ヶ月前...
04/01/2026

あかし 清水裕子

私が初めて志村教会へ来たのは昭和三十六年七月でした。たずねて、たずねて、やっと捜しあてた頃には、帰り道が案じられるほどに遠く、家から二時間位離れていました。もっと近い教会があったのに志村教会へ来たのは――私はそれより二ヶ月前の全国聖会で救われたのですが、会場で松崎先生から名刺をいただきました――この日ふとたずねてみようと思いついたのです。神様の摂理でしょうか、私は先生の名刺によって志村教会へ導かれました。

しかし、最初から熱心に集会へ出席したわけではありません。聖会で著しい御霊の取扱いを受けながらも、教会生活の重要性を認識していませんでした。私に教会行きを促したのは先生からの定期郵便でした。義理を感じ感謝もあって又行きたいという思いにかられ、再び教会へ来ました。

その後、献身を決意し教会へ住み込みましたが、ある特別集会の翌日に高熱を出して倒れてしまいました。激しい痛みに身動きもできなかった数日間、道子先生に一方ならぬお世話になりました。忙しい夕方に小さかった福子ちゃんの泣声がひとしきり止まない時など私は心も痛みました。入院という最悪の事態がおとずれましたが、先生はじめ教会あげての祈りに支えられ、今は御国に在る老姉の枕辺で続けられた祈りもあって、召命感は守られました。

退院後、見ゆるところは望みの無い状態でしたが、外の声に沈黙し、ひたすら内に御旨をたしかめつつ、待望の日を過していました。その様なある日、先生に再び献身の問題をたずねられ、この道一筋に生きる意志を表明したのです。先生の御言葉の中に召しに従った者の心意気をうかがい、私の心は定まりました。

ギルガルからベテルへ、ベテルからエリコ、さらにヨルダンへ――救い、献身、戦いと、エリシャの如く師に次いで献身者の道程を進んで行きたく願っています。

※鷲志・松崎師記念号(1973年3月18日発行)

あかし 清水裕子  私が初めて志村教会へ来たのは昭和三十六年七月でした。たずねて、たずねて、やっと捜しあてた頃には、帰り道が案じられるほどに遠く、家から二時間位離れていました。もっと近い教会があったの.....

詩篇72:1-7 72:1 神よ、あなたの公平を王に与え、あなたの義を王の子に与えてください。 72:2 彼は義をもってあなたの民をさばき、公平をもってあなたの貧しい者をさばくように。 72:3 もろもろの山と丘とは義によって民に平和を与え...
27/12/2025

詩篇72:1-7

72:1 神よ、あなたの公平を王に与え、

あなたの義を王の子に与えてください。

72:2 彼は義をもってあなたの民をさばき、

公平をもってあなたの貧しい者をさばくように。

72:3 もろもろの山と丘とは義によって

民に平和を与えるように。

72:4 彼は民の貧しい者の訴えを弁護し、

乏しい者に救を与え、

しえたげる者を打ち砕くように。

72:5 彼は日と月とのあらんかぎり、

世々生きながらえるように。

72:6 彼は刈り取った牧草の上に降る雨のごとく、

地を潤す夕立ちのごとく臨むように。

72:7 彼の世に義は栄え、

平和は月のなくなるまで豊かであるように。

イエス・キリストはイスラエルの王ダビデの子(子孫)として生まれました(マタイ1:1)。「ダビデの子」(ルカ18:38)という呼び名は、「ダビデの王座についてイスラエルを支配する者」と等しい意味となります(ルカ1:32)。

イスラエルの王には、聖書により厳しい資質が求められています。第一に公平と義(正義)を保って民を正しくさばくべきこと(:2)、第二にそのさばきによって民に平和を与えるべきこと(:3)です。そのために、イスラエルの王は聖書(律法)から常に学ぶことが命じられました(申命記17:18-20)。ダビデの子ソロモンは、神に民を正しくさばく知恵を求めました(列王紀上3:5-14)

義と平和は神からの賜物(:7)です。詩篇72篇は、王のために義と平和を求める祈りの言葉です。今の時代にも必要な「義と平和」を、私たちも新しい年を迎えるにあたり求めてまいりましょう。「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。」(マタイ5:9)

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

詩篇72:1-7 72:1 神よ、あなたの公平を王に与え、 あなたの義を王の子に与えてください。 72:2 彼は義をもってあなたの民をさばき、 公平をもってあなたの貧しい者をさばくように。 72:3 もろもろの山と丘とは義によ....

サムエル上2:1-10 2:1 ハンナは祈って言った、「わたしの心は主によって喜び、わたしの力は主によって強められた、わたしの口は敵をあざ笑う、あなたの救によってわたしは楽しむからである。 2:2 主のように聖なるものはない、あなたのほかに...
20/12/2025

サムエル上2:1-10

2:1 ハンナは祈って言った、

「わたしの心は主によって喜び、

わたしの力は主によって強められた、

わたしの口は敵をあざ笑う、

あなたの救によってわたしは楽しむからである。

2:2 主のように聖なるものはない、

あなたのほかには、だれもない、

われわれの神のような岩はない。

2:3 あなたがたは重ねて高慢に語ってはならない、

たかぶりの言葉を口にすることをやめよ。

主はすべてを知る神であって、

もろもろのおこないは主によって量られる。

2:4 勇士の弓は折れ、

弱き者は力を帯びる。

2:5 飽き足りた者は食のために雇われ、

飢えたものは、もはや飢えることがない。

うまずめは七人の子を産み、

多くの子をもつ女は孤独となる。

2:6 主は殺し、また生かし、

陰府にくだし、また上げられる。

2:7 主は貧しくし、また富ませ、

低くし、また高くされる。

2:8 貧しい者を、ちりのなかから立ちあがらせ、

乏しい者を、あくたのなかから引き上げて、

王侯と共にすわらせ、

栄誉の位を継がせられる。

地の柱は主のものであって、

その柱の上に、世界をすえられたからである。

2:9 主はその聖徒たちの足を守られる、

しかし悪いものどもは暗黒のうちに滅びる。

人は力をもって勝つことができないからである。

2:10 主と争うものは粉々に砕かれるであろう、

主は彼らにむかって天から雷をとどろかし、

地のはてまでもさばき、王に力を与え、

油そそがれた者の力を強くされるであろう」。

クリスマスには教会でも毎年、クリスマスの賛美歌を歌います。それは、クリスマスにふさわしい賛美歌、すなわち、イエス・キリストのご降誕を祝う歌であるからです。その賛美歌の歌詞にも注目してみてください。

キリストの母マリヤは「わたしの魂は主をあがめ(マニフィカト)」と歌いました(ルカ1:46-55)。その歌詞は、預言者サムエルの母ハンナの賛美歌(:1-10)を元にしたものでした。彼女たちは神から祝福を受け、気落ちする心を強められた経験を歌に表しました。

「主は貧しくし、また富ませ…」(:7)と歌われています。それは、キリストも「貧しい人たちは、さいわいだ」(ルカ6:20)と言われたのに通じます。聖書の神は「貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために」(ルカ4:18)キリストを天より送られました。そのために、マリヤをキリストの母として選ばれ(ルカ1:30-31)、最初のクリスマスに貧しい羊飼たちを選ばれました(ルカ2:8-11)。

「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。」(ルカ2:10)今年もご一緒にクリスマスを喜びましょう。

(日本聖書協会『聖書 口語訳』1955年版)

サムエル上2:1-10 2:1 ハンナは祈って言った、 「わたしの心は主によって喜び、 わたしの力は主によって強められた、 わたしの口は敵をあざ笑う、 あなたの救によってわたしは楽しむからである。 2:2 主のように聖....

住所

舟渡2丁目7/10
Itabashi-ku, Tokyo
174-0041

営業時間

10:30 - 11:30

電話番号

+81339697040

ウェブサイト

アラート

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