02/06/2026
今月(6月)の言葉
「春は花、夏ほととぎす秋は月、冬雪さえて冷しかりけり」
道元禅師
この歌は、道元禅師が、日本の四季を永平寺の夜空を眺め、詠われたものです。
自然の美をありのまま、素直に賞でる気持ちが、そのまま、仏の御いのちに通じる事を表したものでその言葉自体が禅を説いております。
禅では、これを「不立文字(ふりゅうもんじ)
教外別伝(きょうげべつでん)、以心伝心(いしんでんしん)、直指人心(じきしじんしん)、見性成仏(けんしょうじょうぶつ)」等と要約され、言葉を超越し、教義体系にしばられず、自分の胸中をじかにつかむ事かによって、
その中に仏の御いのちが見出されると説き、禅の世界に解け込んで行く事を指しています。その境地に成り切る事が、坐禅の姿であります。
現代人は、本当に有るべき自己を見失い、我が身を飾り、言葉をも持ち遊んで、あたかもそれに実体があるかの様に考えている所に、自己疎外や断絶の要因がある様に思えます。
最近、游心庵に別離の悲しみの中、お参りに来ていた方から、又 少しお墓が荒れて来た様に思えますと言われました。
游心庵を管理をお願いしている業者さんにその旨をお伝えした時に返って来た言葉を思い出し綴った歌であります。
管理費を負担されている游心庵の利用者の方々の想いを、胸の片隅に何時も持ち
お寺に携わり働かせて頂く事の意味を取り違えたり、見失うこと無い様に気をつけなければと、改めて自分を見つめるご縁を頂いたと思った次第で有りました。
もう少し、自分を見つめ良く考える事に、この禅の言葉の意味が有るのであろうと感じさせられました。
道元禅師は、眼前のすべての現象のありのままの姿を仏法の現れとし、「正法眼蔵」を著し、人は、名利を捨て、俗塵(ぞくじん)を離れ、理想とした禅の生活を勧められた方であります。
親鸞聖人とは考え方が少し異なるところが有りますが、私共がお寺で生活をする上で、名利を先にするのでは無く、お参りする方の立場、思いに心をよせ、その代償としての対価が働く(自分が仕事させて頂く事は、他人様が喜び、楽しく思ってくれ事で有る)との認識を持つ事を忘れてならないと改めて心に留めた事でありました。
お寺の法務や作務に当たる事は、人間の生死に関わる仕事をさせて頂いていると云う事実をわすれてはいけないと、坊守とお互いに確認させて頂いたことでした。
南無阿弥陀
南無阿弥陀
合 掌