26/07/2026
暑い中、坐禅会参加者5名。
エアコンも無い中、お堂で静かなひと時を過ごしました。
坐禅をするとは、この自己の真実のありようを見届けることでもあります。
人は自分自身の本来の様子、自分自身が存在しているだけで元々安楽なる様子、救われている様子、大寂静なる様子をみたことが無い。みたことが無いから、見届ける必要があるのです。
見届ける為に住職はご案内、ガイドをします。
住職も見届けたので、見届けるための最良の、最短のコース、ショートカット、誰にでもできる方法を伝授します。
鐘が鳴って何もしないままだと、人は坐禅をしているようでも坐禅をしたことにはならない。
それは修行道場でもそうでした。
坐禅の指導、禅の指導とは、本当に見届けた人でないと、その静寂安楽大自在なるところへとご案内できないものだとつくづく思います。
人間の内なる大安楽、宝のありか、安らぎの所在地。
それは他方にはない。
求めるにしても求めると求めるという動きによってそこを見失う。