日本基督教団 千葉北総教会

日本基督教団 千葉北総教会 宗教法人 日本キリスト教団 千葉北総教会

千葉ニュータウンにある あなたの居場所

宗教法人 日本キリスト教団 千葉北総教会
牧師 山内慎也(やまうち しんや)

〒270-1337
千葉県印西市草深天王脇1139-7
(国道464号線と県道竜ヶ崎線の交差点北側セブンイレブン千葉ニュータウン東店さん、からやま千葉印西店さん向かい)

​駐車スペースも十分にございます。

電話・FAX:0476(37)8732
https://chibahokuso.wixsite.com/church

YouTubeチャンネルを開設しました。​
チャンネル登録をよろしくお願いします。
https://www.youtube.com/channel/UCMR7eckQnztFt4xXWtPRsHA

*毎週日曜日10:30-11:30、14:00-15:00、18:00-19:00に礼拝を行っています。
*午後2時からの「ワーシップ礼拝」は、「ワーシップソング(新しい賛美歌)」を用いた礼拝で、ギター、ピアノ、ドラム等による伴奏で賛美します。
*10:30からの礼拝を千葉北総教会のフェイスブックでライブ配信しています。

9月に入りました。特に夏休み明けの子どもたちは、お疲れのことでしょう。千葉北総教会では、午前10時半からの礼拝だけでなく、午後2時からと午後6時からも礼拝を行なっていますので、朝早く起きるのが苦手な方は、ぜひ午後の礼拝にお越しください。10...
05/09/2026

9月に入りました。

特に夏休み明けの子どもたちは、お疲れのことでしょう。

千葉北総教会では、午前10時半からの礼拝だけでなく、午後2時からと午後6時からも礼拝を行なっていますので、朝早く起きるのが苦手な方は、ぜひ午後の礼拝にお越しください。

10時半からYouTubeで礼拝をライブ配信いたします。
https://www.youtube.com/@%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E5%9B%A3%E5%8D%83%E8%91%89%E5%8C%97%E7%B7%8F/streams

2026年9月6日
聖餐礼拝



前  奏  

招きの言葉 詩篇97編1節

讃 美 歌  83

主の祈り  93-5A 

信仰告白  日本基督教団信仰告白

牧会祈祷 

讃 美 歌   494

聖書朗読 ガラテヤの信徒への手紙1章1-10節(新約聖書p.342)

説  教  「キリストの福音」

聖  餐

讃 美 歌  513

献  金 

祈  祷 

讃 美 歌  88

頌  栄  29

派遣・祝祷

後  奏

日常生活の中では、自然災害や病気など、父なる神様に愛され、守られ、生かされていると思えないような現実もありますが、今日から始まる一週間も、父なる神様に愛され、守られ、生かされていることを喜びながら歩むことができますように。2026年8月30...
30/08/2026

日常生活の中では、自然災害や病気など、父なる神様に愛され、守られ、生かされていると思えないような現実もありますが、今日から始まる一週間も、父なる神様に愛され、守られ、生かされていることを喜びながら歩むことができますように。

2026年8月30日 
主日礼拝
https://www.youtube.com/live/jUDpsuXtsjs?si=jhJ2mlmnR_whX4XR
使徒言行録13章44-52節 
「永遠の命を得る」



今日の聖書箇所は、使徒言行録13章44-52節ですが、6月14日の聖書箇所は、使徒言行録13章1-12節でした。そして、その翌週、6月21日の説教箇所は、その続きの使徒言行録13章13-25節でした。13章4-12節は、パウロのキプロス島での宣教の様子が記されています。それに続く、13章13-52節には、ピシディア州のアンティオキア(現在のトルコ)での宣教の様子が記されています。聖書には、パウロが活動した地名が記録されていますが、それを地図で確認しますと、船で長い距離を移動していることがわかりますので、本当に命がけで福音を伝えたことがわかります。



使徒言行録13章16-41節は、安息日にアンティオキアの会堂で行ったパウロの説教ですが、この長い説教(イスラエルの歴史で少し難しいのですが)で、パウロが伝えたかったこと、それを一言で言うならば、「神の恵みの下に生き続けるように」(43節)ということです(6月21日の礼拝説教のタイトルは「神の恵みの下に生き続ける」でした)。「神の恵みを知り、その恵みの下に生き続けてほしい」それが、神の恵みの下で生かされているパウロの願いでした。「神の恵みの下で生きる」というのは、私が毎週、礼拝の中で言っているように「父なる神様に愛され、守られ、生かされていることを喜びながら生きる」ということです。



「神の恵みの下で生き続けるように」とピシディアのアンティオキアで、人々を励ましたパウロでしたが、主イエスを信じる前のパウロは、「神の恵みの下」というよりも「律法の下」で生きていました。父なる神様に愛され、守られ、生かされていることを喜びながら生きていたのではなく、神の民として律法を守り、清く正しく生きることに励んでいました。神に選ばれた民として、清く正しく生きなければならない。それはパウロだけでなく、当時のすべてのユダヤ人がそのように教えられて来たことですし、先祖代々、そのように教えられ、そのように教えてきたことです。



父なる神様に愛され、受け入れられる「ために」律法に従って生きることよりも、父なる神様に愛され、守られ、生かされていることを喜びながら生きることを父なる神様は喜ばれる。そのことを知り、神の恵みの下で生きることのすばらしさを経験したパウロが、ピシディアのアンティオキアの人々に伝えたかったこと、それが「神の恵みの下で生き続けるように」ということです。

この説教を聞いた人々は、次の安息日にも、同じことを話してほしいとパウロに頼みます(他の人たちにも聴かせたいと思ったのかもしれません)。そして、集会が終わった後も、もっとパウロの話を聴きたいという人たちがパウロについて来ます。



 今日の聖書箇所は、それから1週間後の安息日の出来事です。1週間前と同じように、神様の救いのご計画と主イエス・キリストの福音を伝えていたパウロですが、それに対して、ユダヤ人が激しく反発します(45節)。その一週間前には、「次の安息日にも、同じことを話してほしい!」とパウロに頼む人や集会が終わった後も、もっとパウロの話を聴きたいという人たちがパウロについて来ました。そういう人たちがいた一方で、今日の聖書箇所では、パウロを口汚くののしって、パウロの話すことに反対したユダヤ人がいました(45節)。彼らは「群衆がパウロのもとに集まっているのを見て、ねたんだ」とありますが、ねたみだけでなく、自分に染み込んだ価値観や生活習慣を変えることへの拒否反応もあったのではないかと思います。今まで自分たち(自分の先祖たち)が大切にしてきた価値観や生き方が否定されるように思えたのではないでしょうか。「神の恵みの下で生きるなんて、信仰はそんな甘いもんじゃない!律法を守って、神の前に清く正しく生きることが信仰だ!イエス・キリストを信じるだけで救われるほど、永遠の命は簡単に得られる者ではない!」そういった思いが、ユダヤ人にあったのではないかと思います。



神学者で牧師であった渡辺信夫先生(1923-2020年)は、22歳の時に1945年8月15日の終戦の日を迎えられました。渡辺先生は、2011年に『戦争で死ぬための日々と、平和のために生きる日々』(いのちのことば社、2011年)という本を出版されています。22歳の終戦の日までは、日本が戦争で勝つために、命をささげておられた渡辺先生ですが、1945年8月15日以降は、平和のために生きる者へと変えられていきます。1945年8月16日から、それまで何もなかったかのように、生活できたかと言えば、そうではなかったと思います。国のために命をささげ、天皇のために死ぬ覚悟で生きてきた人たちが、「天皇は神ではなく人である」(1946年1月1日「人間宣言」)と言われても、「はい。わかりました。」とすんなりと受け入れるのは難しかったはずです。



 新約聖書に登場する神の民ユダヤ人たちも、「神の民として、先祖代々から今まで自分たちが努力してきたことは何だったんだ?!」という思いもあったのではないでしょうか。自分に染み込んだ価値観や生活習慣を変えることに、拒否反応を示すというのは、誰にでも経験のあることです(パウロ自身もかつては、クリスチャンを迫害していました)。パウロの話を一度聴いただけで、「はい。わかりました。」とすんなりと信じるのは難しかったはずです。



パウロの言葉に反発するユダヤ人たちに対して、パウロとバルナバも反論します。

46、47節 そこで、パウロとバルナバは勇敢に語った。「神の言葉は、まずあなたがたに語られるはずでした。だがあなたがたはそれを拒み、自分自身を永遠の命を得るに値しない者にしている。見なさい、わたしたちは異邦人の方に行く。主はわたしたちにこう命じておられるからです。『わたしは、あなたを異邦人の光と定めた、あなたが、地の果てにまでも 救いをもたらすために。』」



47節の「括弧」の言葉、「わたしは、あなたを異邦人の光と定めた、あなたが、地の果てにまでも 救いをもたらすために。」これは、旧約聖書 イザヤ書49章6節の言葉です。「わたしはあなたを国々の光とし わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする。」旧約の時代から神の民ユダヤ人に対して、繰り返し約束されてきた救いの計画、それが救い主イエス・キリストによって実現したという良い知らせ、「福音」をパウロは伝えたわけですが、彼らはそれを受け入れず、激しく反発しました。パウロは神の民ユダヤ人たちに対して、「異邦人(ユダヤ人ではない人々)の方へ行く」と宣言します。神の民ユダヤ人以外の人たちにも福音を伝える、それがパウロの使命でした。



今日の主日日課のテーマは「すべての人に対する教会の働き」です。今日の聖書箇所では、「神の民」から「異邦人」へと、福音を伝える相手が広がっていく様子が記されています。「地の果てにまでも救いを」伝える。「世界中の人々に救いを」伝える、それがパウロの働きであり、私たち教会の働きです。



パウロが伝えた「救い」そして、私たち教会が伝える「救い」ですが、その「救い」を別の言い方をすれば、46節と48節にある「永遠の命を得る」ということです。「永遠の命」は、救い主イエス・キリストを信じることによって、いただくことのできる新しい命です(ヨハネによる福音書3章16節、14章6節)。「永遠の命」と聞くと「死後の命」のような感じで、しばらく先のことのような気がしますが、主イエス・キリストを信じた時から、今日からでも始まる命、新しい生き方です。

新約聖書で、「永遠の命」というのは、とても重要な言葉ですが、使徒言行録の中で、「永遠の命」という言葉をあまり見ないような気がします。調べてみますと、「永遠の命」という言葉が使徒言行録で使われているのは、この46節と48節だけでした。

ヨハネによる福音書17章3節
永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。



 永遠の命とは、父なる神様と御子イエス・キリストを知ることです。「知る」というのは、聖書を読んで、単に「知識」として「知る」「理解する」ということではなく、深い交わりの中で生きるということです。「永遠の命」とは、父なる神様との交わりの中で生かしていただくことです。永遠の命とは、私たちが父なる神様のことを知ることですが、それ以前に父なる神様が私のことを知っていてくださっています。母の胎内にいる時から、それよりもはるか前、この世界が造られる前から父なる神様は私たちのことを知っておられ、私たちの存在を心から喜んでくださっています。そのことを私たちが信じ、そのことを喜びながら生きること、それが永遠の命です。



父なる神様は、私たちに永遠の命を与えたいと願っておられます(ヨハネによる福音書6章40節)。父なる神様は、私たちがご自身との交わりの中で生きることを願っておられます。そもそも、父なる神様が、私たち人間を造られた目的は、私たちが父なる神様との交わりの中で生きるためでした。私たちの生きる目的は、父なる神様を知り、神を喜ぶことです。人間の生きる目的、私たちが命をいただいている目的、私たちが父なる神様に造られた目的は、私たちが神様と共に生き、神様を喜ぶことです。父なる神様に命をいただいていること、生かしていただいていることを喜ぶ。父なる神様が愛してくださっていること、いつも共にいてくださること、守ってくださっていることを喜ぶ。父なる神様と共に生き、神様を喜ぶために、私たち人間は造られました。



父なる神様から命をいただいていること、生かしていただいていること、愛してくださっていること、いつも共にいてくださっていること、守ってくださっていること、そのことを伝えることが、今日の主日日課のテーマである「すべての人に対する教会の働き」です。父なる神様から命をいただいていること、生かしていただいていること、愛されていること、神様がいつも共におられ、守られていること、そのことをすべての人に知っていただきたい。そして、喜びに満ちた人生を送っていただきたい。それが、すべての人に対する私たち教会の願いであり、何よりも父なる神様が願っておられることです。

この度、石川県と富山県で発生した大雨の被害に遭われた皆様に心からお見舞い申し上げます。熊本地震から1ヶ月が経ちました。自然災害や病気など、父なる神様に愛され、守られ、生かされていると思えないような現実があるかもしれませんが、だからこそ、毎週...
29/08/2026

この度、石川県と富山県で発生した大雨の被害に遭われた皆様に心からお見舞い申し上げます。

熊本地震から1ヶ月が経ちました。

自然災害や病気など、父なる神様に愛され、守られ、生かされていると思えないような現実があるかもしれませんが、だからこそ、毎週教会に集い、父なる神様に愛され、守られ、生かされていることを思い起こし、礼拝をおささげします。

明日も通常通り、3回礼拝(10:30-11:30、14:00-15:00、18:00-19:00)を行います。

礼拝はクリスチャンでない方でも出席できますので、お気軽にお越しください。

10時半からの礼拝をYouTubeでライブ配信いたします。
https://www.youtube.com/@%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E5%9B%A3%E5%8D%83%E8%91%89%E5%8C%97%E7%B7%8F/streams

2026年8月30日
主日礼拝



前  奏  

招きの言葉 詩篇96編7−9節

讃 美 歌  4

主の祈り  93-5A 

信仰告白  使徒信条 93-4A

牧会祈祷 

讃 美 歌   579

聖書朗読 使徒言行録13章44−52節(新約聖書p.240)

説  教  「永遠の命を得る」

讃 美 歌  474

献  金 

祈  祷 

讃 美 歌  88

頌  栄  29

派遣・祝祷

後  奏

昨晩は震度5弱の地震があった千葉県印西市ですが、教会は特に被害はありませんでした⛪️ このところの豪雨や地震など、予期せぬ自然災害に遭うこともありますが、できる備えはしっかりとしたいですね👍 今週も私たちのためにへりくだり、仕えられたイエス...
23/08/2026

昨晩は震度5弱の地震があった千葉県印西市ですが、教会は特に被害はありませんでした⛪️

このところの豪雨や地震など、予期せぬ自然災害に遭うこともありますが、できる備えはしっかりとしたいですね👍

今週も私たちのためにへりくだり、仕えられたイエスさまを見続け、そのイエスさまの愛の眼差しをもって、お互いを父なる神様に愛されている尊い存在として見ることができますように。

2026年8月23日
主日礼拝
https://www.youtube.com/live/C956caHU0F4?si=gMZmrPTSv-uC0Jk3

マタイによる福音書23章1―12節
「仕える者になる」



毎月第一から第三主日(第五主日も)は日本基督教団の主日日課にそって御言葉を聴いていますが、第四主日は、新約聖書の福音書から御言葉を聴いています。先週の礼拝説教の聖書箇所は、エフェソの信徒への手紙5章21節「キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。」という使徒パウロの言葉でしたが、今日の聖書箇所は「仕える者になりなさい」という主イエスの言葉です。



マタイによる福音書23章2-7節は、「見倣ってはならない律法学者、ファリサイ派の人々の行い」について言われた主イエスの言葉です。言うだけで、実行しない(3節)。人には「ああしろ、こうしろ」と言うけれども自分では何もしない(4節)。何をするにも、すべて人に見せるためにする(5節)。 他の人よりも優遇され、尊敬されることを好む(6、7節)。自分のことを言われているように思えます・・・



続けて、主イエスは言われます。「だが、あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない。(8節)また、地上の者を『父』と呼んではならない。(9節)『教師』と呼ばれてもいけない。(10節)」

私は「先生」と呼ばれることもありますし、日本基督教団の正教師で、千葉北総教会の主任担任教師なので、それではどうすれば良いのだろうか?と思ってしまいます。「地上の者を『父』と呼んではならない」と主イエスは言われましたが、アブラハムは「信仰の父」と言われますし、バッハは「音楽の父」と呼ばれています。主イエスの時代の「父」というのは、今の日本と違って権威のある大きな存在です(私のように家では肩身の狭い父親もいます)。

「先生」や「教師」、また「父」と呼ばれることによって、高ぶってはならないということです。「先生」「父」「教師」を他の言葉(牧師、伝道師、パパ)に言い換えれば問題ないというわけではありません。呼び方の問題ではなく、高ぶってはならないということです。



 さらに主イエスは言われます。「あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。(11-12節)」「いちばん偉い人」というのは、「いちばん偉くなりたい人」のことです。2-7節は、「見倣ってはならない律法学者、ファリサイ派の人々の行い」について言われた主イエスの言葉ですが、それは律法学者、ファリサイ派の人たちに対して直接言われたのではなく、群衆と主イエスの弟子たちに言われた言葉でした(1節)。「弟子たちの中で、いちばん偉くなりたい人は、仕える者になりなさい。父なる神様は高ぶる者を低くされ、へりくだる者を高められる」と主イエスは言われます。



マタイによる福音書5章48節に「だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」という主イエスの教えがあります。「天の父なる神様が完全であられるように、あなたたちも完全な者となりなさい。」というのは、無茶な教えのように思えます。隣人を愛せない・・・人に仕えることができない・・・ 父なる神様のように完全な者となれない・・・ と真面目な人は完全とはほど遠い自分を責めてしまう人もいるかもしれません。「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」この言葉が語られた経緯を読むと、「ファリサイ派の人々、律法学者たちの実践(施し、祈り、断食)ではなく、父なる神様の子どもとして、天の父なる神様の完全な愛に倣いなさい。」と主イエスが教えられたことがわかります(エフェソの信徒への手紙5章1節「あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。」)。



 今日の聖書箇所は、マタイによる福音書の23章ですが、20章でも主イエスは弟子たちに対して、「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。」と教えておられます。

マタイによる福音書20章26,27節
あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。



主イエスは、ご自身が十字架につけられて殺され、三日目に復活することを弟子たちに伝えます(マタイ20章17-19節)。これから十字架につけられるために、エルサレムへ向かう途中の主イエスと弟子たち、そのような緊迫した場面で、主イエスの弟子のゼベダイの息子ヤコブとヨハネ、そして彼らの母親が主イエスのもとにやってきます。ヤコブとヨハネの母は、主イエスの前にひれ伏して、「主イエスが、神の国の王座につかれる時に、息子たちを重要なポストに就かせてください」(21節)とお願いします。他の十人の弟子たちは、そのことを聞いて腹を立てます(24節)。主イエスは、ヤコブとヨハネ以外の弟子たちも呼び寄せて言われます。「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。」主イエスの弟子たちは、他の弟子たちより偉くなりたい、いちばん上になりたいという思いがありました。



最近、出世を望まない若者が増えているということです(責任が重い、残業が増えるといった理由だそうです)。主イエスの弟子たちは、他の弟子たちより偉くなりたい、いちばん上になりたいという思いがありました。「先生」と呼ばれ、尊敬されたいという思いもあったかもしれません。先週、「支配欲」の話をしましたが、他の弟子たちよりも上に立ちたい、支配したいという思いもあったと思います。人からよく見られたい、尊敬されたい、自分の思うようにしたいという思いは誰にでもあります。



「サーバント・リーダーシップ」というリーダーシップのスタイルがあります。「サーバント」というのは「しもべ」という意味です。日本語にするのは難しいですが、「仕えるリーダーシップ(統率力・指導力)という感じです。「「サーバント・リーダーシップ」の反対は、「支配的リーダーシップ」です。日本サーバント・リーダーシップ協会というNPO法人があるようですが、そのホームページに、「サーバント・リーダーシップ」について、このように書かれていました。



「サーバントリーダーシップは、ロバート・グリーンリーフ(1904~1990)が1970年に提唱した「リーダーである人は、まず相手に奉仕し、その後相手を導くものである」というリーダーシップ哲学です。サーバントリーダーは、奉仕や支援を通じて、周囲から信頼を得て、主体的に協力してもらえる状況を作り出します。」



主イエスが弟子たちに教えられたのは、この「サーバント・リーダーシップ」でした。今日の聖書箇所は、主イエスが十字架に架かられるために、エルサレムに入られた後の出来事、主イエスが十字架に架かられる最後の一週間の間で、主イエスが弟子たちに教えられた言葉です。「あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」そして、これから十字架につけられるために、エルサレムへ向かう途中の主イエスが、弟子たちに語られた言葉が、マタイによる福音書20章26,27節の「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。」です。



 主イエスは弟子たちに、「へりくだって仕えること(サーバント・リーダーシップ)」を教えられましたが、主イエスご自身がサーバント・リーダーでした。マタイによる福音書20章26,27節で、「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。」と教えられた主イエスですが、続けて、このように言われました。

「人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」(28節)この後、弟子たちが目にするのは、弟子たちの足を洗われる主イエスの姿です。そして、その翌日には、罪人である私たちの代わりに、極悪人が架けられる十字架に架けられ、ご自身の命をささげられました。主イエスのご生涯の始まりから終わりまで、人々に仕えられたご生涯でした。家畜小屋の飼い葉桶でお生まれになり、汚れていると考えられていた人に触れられ、罪人と呼ばれていた人たちと親しく食事をされ、人々から蔑まれていた人たちと共に生きられたのが、聖なる神の御子イエス・キリストです(先ほど賛美しました『讃美歌21』443番「冠も天の座も」は、人となって、人々に仕えられた主イエスのご生涯を歌った讃美歌です)。



 主イエスご自身が「サーバント・リーダー(へりくだって仕えるリーダー)」でした。そう考えると、主イエスの弟子たちは、「サーバント・リーダーのサーバント(へりくだって仕えるリーダーのしもべ)」ということになります。さらには、サーバント・リーダーである主イエスを信じる私たちも、主イエスと弟子たちと同じように、サーバント・リーダーである主イエスのサーバントということになります。



「愛する生き方は、自然に身につくものではなく、愛することを決意し、選び取り、学習し、実践していかなければならない」というアメリカのサドルバック教会のリック・ウォレン牧師の言葉をこれまで何度も紹介してきましたが(リック・ウォレン『人生で一番大切なこと』p25)、「仕える」という生き方も同じように、自然に身につくものではなく、仕えることを決意し、選び取り、学習し、実践していかなければならないことです。「仕える生き方は大切だ」と理解することはできますが、それを実践することはなかなか難しいです。私たちのうちから「仕える」ための原動力を湧き上がらせることは難しいですが、主イエスの愛をエネルギーとする時に、人に仕えることができるようになります(ガラテヤ5章6、13節)。

たとえ小さなことであったとしても、私たちにできること、私たちだからこそできることがあります。主イエスの大きな愛をエネルギーとして、たとえ小さなことであったとしても自分にできることをさせていただきましょう。

千葉豪雨から一週間が経ちました。残暑が続く中で、後片付けや復旧作業を行なっている方々の健康が守られますように。23日も通常通り、3回礼拝(10:30-11:30、14:00-15:00、18:00-19:00)を行います。礼拝はクリスチャン...
21/08/2026

千葉豪雨から一週間が経ちました。
残暑が続く中で、後片付けや復旧作業を行なっている方々の健康が守られますように。

23日も通常通り、3回礼拝(10:30-11:30、14:00-15:00、18:00-19:00)を行います。

礼拝はクリスチャンでない方でも出席できますので、お気軽にお越しください。

10時半からの礼拝をライブ配信いたします。
https://www.youtube.com/@%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E5%9B%A3%E5%8D%83%E8%91%89%E5%8C%97%E7%B7%8F

2026年8月23日
主日礼拝

前  奏  

招きの言葉 詩篇96編1、2節

讃 美 歌  211

主の祈り  93-5A 

信仰告白  使徒信条 93-4A

牧会祈祷 

讃 美 歌   443

聖書朗読 マタイによる福音書23章1―12節(新約聖書p.45)

説  教  「仕える者になる」

讃 美 歌  510

献  金 

祈  祷 

讃 美 歌  88

頌  栄  29

派遣・祝祷

後  奏

今週も私たちを愛し、私たちのためにご自分の命をささげてくださったイエスさまに倣い、イエスさまに対してするように、互いに仕え合うことができますように。2026年8月16日 主日礼拝https://www.youtube.com/live/Ve...
16/08/2026

今週も私たちを愛し、私たちのためにご自分の命をささげてくださったイエスさまに倣い、イエスさまに対してするように、互いに仕え合うことができますように。

2026年8月16日 
主日礼拝
https://www.youtube.com/live/Ve_5ckaIW6s?si=7dpY4ICH2q0x6Acv
エフェソの信徒への手紙5章21節
「互いに仕え合う」 



今日の主日日課の聖書箇所は、エフェソの信徒への手紙5章21節―6章4節、テーマは「家族」です。先週の日曜日から木曜日までの5日間、夏休みをいただき、「家族」と一緒にいる時間が多かったのですが、今日の聖書箇所を心に留めながら過ごしました。

先週の日曜日は、妻がかつて伝道師をしていた埼玉県の教会の礼拝に出席しました。その教会は、16年前に私たち夫婦が結婚式を行っていただいた教会でもあります。そういったこともあり、ここ数年は毎年、その教会で礼拝をささげ、結婚式のことを思い出すようにしています。また、ちょうど今日の礼拝説教の箇所が、夫婦についての教えでしたので、16年前の結婚式を思い起こしながら礼拝をささげました。



 今日の主日日課の主題は「家族」ですが、「妻と夫」に対する教え(5章21-33節)、「子と親」に対する教え(6章1-4節)、そして、「奴隷と主人」に対する教え(6章5-9節)となっています。その中心にある教えが、21節の「キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。」です。



 エフェソの信徒への手紙の4章以降は、主イエス・キリストを信じて、新たにされた人の生き方について記されていますが、その新しい生き方の特徴の一つが「仕える」という生き方です。

今日は「家族」についてですが、円満な家庭を築くためには、「仕える」という姿勢が大切です。今日のテーマは「家族」ですが、そのほかの人間関係においても、それがうまくいかないのは、相手に「仕える」のではなく、「仕えさせようとする」からではないでしょうか。相手を自分の思いどおりにしようとする。相手を支配しようとする。それが、人間関係の根本的な問題であり、人間の罪の性質です。夫は妻を自分の思うように支配し、親は子どもを自分の思うように支配しようとする。反対に、妻は夫を自分の思うように、子どもは親を自分の思うように支配しようとするということもあります。



5章31節に、「それゆえ、人は父と母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。」 とありますが、これは創世記2章24節の言葉です。創世記の2章には、男女の創造の出来事が記されています。主なる神様は、男と女を創造されましたが、女は「彼に合う助ける者」(聖書協会共同訳「彼にふさわしい助け手」)として作られたました(創世記2章18節)。「助け手」と訳されているヘブライ語、「エーゼル」は、神様にも使われる言葉です(詩編70編6節「あなたはわたしの助け」)。

創世記の3章で、人は罪を犯し、その結果、人間関係に大きな歪みが生じてしまいます。神様は女(エバ)に対して、「あなたは男を求め、彼はあなたを支配する」(創世記3章16節)と言われました(創造の秩序ではなく、罪による呪いです)。男性を求める女性、一方、女性を支配する男性。「依存」と「支配」というのは、男女に関係なく起こります。夫婦の関係だけでなく、親子の関係でも、「依存」と「支配」という関係が起こります。昨日は81回目の終戦の日でしたが、「支配欲」が大きくなると戦争に発展するのだと思います。



自分の責任を果たさずに、相手に頼る関係を「共依存(co-dependency)」と言います。自分の責任を果たさずに、相手に頼ることが、だんだんエスカレートすると、相手を自分の思い通りに支配しようとすることがあります。夫婦の関係だけでなく、親子の関係でも、教会の牧師と信徒の関係でも、そういったことが起こります。罪ゆえの人間関係の歪みです。

「共依存」とは反対に、「相互依存(inter-dependency)」という関係があります。それは、お互いに支え合う関係です。自分でできることは責任をもってその人自身が行い、できないことは「助けてほしい」と健全にほかの人に頼ることのできる関係です。



 自分ができることを行わず、相手に頼り、自分の思い通りに支配し、仕えさせるのではなく、お互いに自分の責任を果たし、それでもできないことは互いに助け合い、支え合う。それが、「相互依存」の関係であり、聖書が教えている「互いに仕え合う」という関係です。



最近は、いろいろな「ハラスメント」があります。セクハラ、パワハラ、モラハラなどなど・・・キリスト教会では「みことばハラスメント」という言葉があります。ネットで調べるとこのように説明されていました。

「みことばハラスメント」とは、キリスト教会や信仰のコミュニティにおいて、聖書の言葉(みことば)や信仰的な教えを盾にして、指導者や信徒が個人の尊厳を傷つけたり、行動や考え方を無理に支配・強制したりする霊的・精神的なハラスメント(あるいはスピリチュアル・ハラスメント)の一種です。

【主な具体例】
一方的な自己正当化や批判への悪用:
指導者や声の大きい信徒が、自分の意見や命令に従わせるために「従順でありなさい」「上に立つ権威に従いなさい」といった聖句を引用し、反論を封じ込める。

苦難や悩みの否定:
病気や経済的な困窮、メンタルの不調を抱えている人に対して、「祈りが足りないからだ」「信仰が薄いからだ」「いつも喜んでいなさいというみことばに反している」と責め立て、罪悪感を植え付ける。

過度な自己犠牲の強要:
教会の奉仕や献金を断ろうとした際、「神に捧げることを惜しんではならない」「自分の十字架を背負って従いなさい」などの言葉を使い、心理的に追い詰めて無理をさせる。


「聖書は毒にも薬にもなる」というのは、私の口癖ですが、「愛しなさい」「赦しなさい」「喜びなさい」「感謝しなさい」という聖書の言葉も自分に語られた言葉として聴くのではなく、相手に対して強要する時に、相手を苦しめてハラスメントになることがあります。



7月12日の礼拝説教の箇所は、コリントの信徒への手紙一12章、テーマは「キリストの体」、説教題は「共に苦しみ 共に喜ぶ」、教会の人間関係についてでした。(今日の聖書箇所 5章30節でも「わたしたちは、キリストの体の一部なのです。 」とあります。)


体の各部分が互いに配慮し合っているように、キリストの体である教会も、互いに配慮し合い、互いにいたわり合い、共に苦しみ、共に喜びながら生きていきます(コリントの信徒への手紙一12章25,26節)。キリストの体である教会、神の「家族」である教会だけでなく、夫婦や親子といった家族も、それ以外の人間関係も同じように互いに助け合いながら共に生きていきます。



「互いに仕え合う」というのは、互いに配慮し合い、互いにいたわり合いながら、共に生きるということです。互いに弱さを補い合い、支え合い、共に苦しみ、共に喜びながら、共に生きて行くということです。



 そのために、今日の聖書箇所では、「主イエス・キリストに対してするように」(21-24節)、そして、「主イエス・キリストがされたようにするように」(24、29節、6章4節)と教えられています。

◯ 主イエス・キリストに対してするように。(21-24節)
21節「キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。」
22節「主に仕えるように」「仕えなさい。」
24節「教会がキリストに仕えるように」「仕えるべきです。」

 キリストに対して仕えるように、人に仕えるようにと教えられています。



◯ 主イエス・キリストがされたように (25、29節、6章4節)
25節「キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように」
29節「キリストが教会になさったように」
6章4節「主がしつけ諭されるように」



 主イエス・キリストが教会を愛されたように。主イエスの姿に倣うようにと勧められています。

「①主イエスに対して仕えるように、人にも同じように仕える。②主イエスが教会を愛されたように、その主イエスの姿に倣う。」家族という関係だけでなく、すべての人間関係において大切なことです。「エフェソの信徒への手紙の4章以降は、イエス・キリストを信じて、新たにされた人の生き方について記されている」ということをお話ししましたが、「主イエスに対して仕えるように、人にも仕える。主イエスが教会を愛されたように、その主イエスの姿に倣う。」というのが、新しい生き方の特徴です。



夫婦、親子、職場、学校、さらには教会の交わり、さまざまな人間関係がありますが、主イエスのお姿が見えなくなってしまったら、その関係は歪んでしまいます。互いに仕え合う関係ではなく、互いに仕えさせようとする関係、互いを支配しようとする関係になってしまいます。互いに仕えさせようとする関係、互いを支配しようとする関係は絶対にうまくいきません。どちらかが一方的に我慢しなければならない関係は、長続きしません。



「愛」は自発的で自由なものです。お互いを尊重し合うのが本当の愛です。「仕える」ということは、人から強要されてできるようなことでもありません。「仕える」ということは、自発的でなければ、たいへんな苦行です。25節に「キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになった」とありますが、その主イエスの愛を知っている者として、その愛によって互いに仕え合いましょう。

昨晩、千葉県内で発生した大雨の被害に遭われた皆様に心からお見舞い申し上げます。千葉県印西市は、昨晩、「レベル5 大雨特別警報」が発令されましたが、教会は被害がありませんでした。8月9日は「合同礼拝」でしたが、16日は通常通り、3回礼拝を行い...
14/08/2026

昨晩、千葉県内で発生した大雨の被害に遭われた皆様に心からお見舞い申し上げます。

千葉県印西市は、昨晩、「レベル5 大雨特別警報」が発令されましたが、教会は被害がありませんでした。

8月9日は「合同礼拝」でしたが、16日は通常通り、3回礼拝を行います(10:30-11:30、14:00-15:00、18:00-19:00)。

10時半からの礼拝をYouTubeでライブ配信いたします。
https://www.youtube.com/@%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E5%9B%A3%E5%8D%83%E8%91%89%E5%8C%97%E7%B7%8F/streams

2026年8月16日
主日礼拝



前  奏  

招きの言葉 詩篇95編1、2節

讃 美 歌  210

主の祈り  93-5A 

信仰告白  使徒信条 93-4A

牧会祈祷 

讃 美 歌   390

聖書朗読 エフェソの信徒への手紙5章21節(新約聖書p.358)

説  教  「互いに仕え合う」

讃 美 歌  456

献  金 

祈  祷 

讃 美 歌  88

頌  栄  29

派遣・祝祷

後  奏

8月9日は山内慎也牧師が夏季休暇のため、「合同礼拝」(10:30-11:30)です。ワーシップ礼拝と夕拝、オンラインでの礼拝の配信は行いませんので、ご注意ください。当日は伊藤明生先生(東京基督教大学特任教授)が礼拝説教の奉仕をしてください...
04/08/2026

8月9日は山内慎也牧師が夏季休暇のため、「合同礼拝」(10:30-11:30)です。

ワーシップ礼拝と夕拝、オンラインでの礼拝の配信は行いませんので、ご注意ください。

当日は伊藤明生先生(東京基督教大学特任教授)が礼拝説教の奉仕をしてくださいます。

https://www.tci.ac.jp/theology_department/faculty/itoakio.html

2026年8月9日 
合同礼拝



前  奏  

招きの言葉 詩篇81編2、3節

讃 美 歌  208「主なる神よ、夜は去りぬ」

主の祈り  93-5A 

信仰告白  使徒信条 93-4A

牧会祈祷 

讃 美 歌   451「くすしきみ恵み」

聖書朗読 ヨハネによる福音書2章1―11節

説  教  「しるしと栄光」

伊藤明生先生(東京基督教大学特任教授)

讃 美 歌  436「十字架の血に」

献  金 

祈  祷 

讃 美 歌  88

頌  栄  29

派遣・祝祷

後  奏

伊藤明生 伊藤明生 Akio Ito 特任教授 教  会:日本バプテスト教会連合 市川北バプテスト教会主な学歴:東京大学文学部西洋古典学科、東京基督神学校、The Council for National Academic Awards(英国オックスフォード,Wycliffe Hall)...

今日は平和聖日礼拝をささげました。平和の実現のために祈りつつ、自分にできることを父なる神様に教えていただきながら、小さなことでも行うことができますように。2026年8月2日平和聖日礼拝https://www.youtube.com/live...
02/08/2026

今日は平和聖日礼拝をささげました。

平和の実現のために祈りつつ、自分にできることを父なる神様に教えていただきながら、小さなことでも行うことができますように。

2026年8月2日
平和聖日礼拝
https://www.youtube.com/live/ueB29cdixg4?si=xClBiXUDSUo2Kv08

テサロニケの信徒への手紙二 3章16節
 「平和をお与えくださるように」



今日は8月第一主日、日本基督教団が制定した「平和聖日」です。8月6日は広島の原爆の日、9日は長崎の原爆の日、15日は終戦の日です(沖縄の「慰霊の日」は6月23日)。今年で戦後81年になります。81年経っても、戦争で負った体や心の傷、悲しみは今も残り続けています。そう考えると、武力による戦闘が終わったとしても、いまだに苦しみ、悲しんでいる方がおられるということは、戦争は終わっていないのだと思います。



世界では今も戦争が続いています。ロシアによるウクライナへの軍事攻撃が始まって、4年半になろうとしていますが、いまだに戦闘が続き、多くの命が奪われています(昨日も「ロシア軍の攻撃で、ウクライナの首都キーウで、9人が死亡というニュースの記事を目にしました)。イスラエルとハマスの停戦合意後もイスラエルによるガザ地区への攻撃が続いています。アメリカとイランの戦争も続いています。戦争から戻って、日常生活に戻り、人間性を取り戻してくると、PTSD(心的外傷後ストレス障害)で苦しむ人が多くいます。戦争は人間らしさを破壊してしまいます。戦争によって受けた心の傷は、戦争が終わった後も、終わることがなく、いつまでも人を苦しめます。今、世界で続いている戦争が、今日、終わったとしても、10年後も50年後も80年後も、苦しみは続いていくのだと思います。



今年の平和聖日礼拝の説教箇所として、テサロニケの信徒への手紙二3章16節の言葉を選びました。「どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。主があなたがた一同と共におられるように。」今年度の千葉北総教会の基本方針は、「祈る」ですので、祈りの言葉を選びました。このパウロの祈りは私たちの切実な願いでもあります。



今日の聖書箇所は、パウロからテサロニケの信徒に宛てて書いた手紙の最後の挨拶(新共同訳聖書では「結びの言葉」という表題)の部分です。この手紙の最初の部分には、書き初めの挨拶の言葉(新共同訳聖書では「挨拶」という表題)が書かれています。そこでもパウロの祈りの言葉が書かれています。

テサロニケの信徒への手紙二1章1-2節  
パウロ、シルワノ、テモテから、わたしたちの父である神と主イエス・キリストに結ばれているテサロニケの教会へ。 わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。



「わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。」という言葉で始まり、「どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。主があなたがた一同と共におられるように。」という言葉で終わるテサロニケの信徒に宛てて書いたパウロの手紙ですが、この最初と最後の言葉は、単なる挨拶の「定形文」ではないと思います。他のパウロの手紙でも「わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。」という挨拶から書き始めることがあるのですが、単なる「定形文」ではなく、テサロニケの教会の人々は、本当に恵みと平和を必要としており、パウロは恵みと平和を祈っていました。



テサロニケの信徒への手紙二1章4-7節を読むと、テサロニケの教会の人々が置かれていた状況がわかります。そこには、「今、ありとあらゆる迫害と苦難を受けている(4節)、神の国のために苦しみを受けている(5節)、苦しみを受けている(7節)」といった状況が記されています。迫害、苦難、苦しみ、苦しみ・・・ 信仰ゆえに迫害を受けていたのが、テサロニケの教会の人たちでした。そして、そのようなテサロニケの教会の人たちに、パウロが書き送った言葉が、「わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。」「どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。」でした。



 さらにその祈りの言葉の前に、1章1節「わたしたちの父である神と主イエス・キリストに結ばれているテサロニケの教会へ。」という言葉があり、「平和があるように。平和をお与えくださるように」という祈りを挟むようにして、3章16節「主があなたがた一同と共におられるように。」という言葉があります。「あなたたちは父なる神様と主イエス・キリストに結ばれている。その主があなたがた一同と共におられるように。」という祈りの言葉に挟まれるようにして、「平和があるように。平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。」という祈りの言葉が記されています。



 父なる神様と主イエスに結ばれ、父なる神様と主イエスが共におられるからこそ、平和(平安)は与えられます。「主イエスが共におられるように。主イエスから離れることなく、しっかりと結ばれ、主イエスと共にいるように。」ということです。

 父なる神様から離れてしまうと、神様の思い、神様の御心からも離れてしまいます。父なる神様の御心から離れてしまうと、私たちは自分勝手なことをしてしまい、神様も人も愛せなくなってしまいます。父なる神様から離れず、主イエスとしっかりと結ばれ、主イエスと共にいることなしに、私たちは平和に過ごすことができません。

主イエスは「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。」と言われました(ヨハネによる福音書15章4、5節)。同じように、私たちは父なる神様と主イエスから離れてしまうと、皆が自分勝手なことをしてしまいますので、平和に過ごすことができません。



今月の『信徒の友 8月号』の特集は「平和主義は役立たずか?」です。それに続けて、「力が正義であるような世にあって、私たちはどのように平和を実現していけるだろうか。」というサブタイトルのような問いかけがあります。「祈っているだけでは平和は実現しない」という批判に対して、クリスチャンとして、どのように平和を実現していけるだろうかというテーマです。



毎年、8月6日に広島の平和記念式典で、広島市の小学生2人が「平和への誓い」を読み上げます。2024年の平和記念式典の「平和への誓い」の中にも、「願うだけでは、平和はおとずれません。」という言葉がありました。しかし、その後に「色鮮やかな日常を守り、平和をつくっていくのは私たちです。」という言葉が続きます。そしてさらに、具体的な行動として、「一人一人が相手の話をよく聞くこと。『違い』を『良さ』と捉え、自分の考えを見直すこと。仲間と協力し、一つのことを成し遂げること。私たちにもできる平和への一歩です。」と続きます。平和の実現のために、ただ願うだけでなく、何か自分にでもできることはないかと子どもたちなりに考えたのだと思います。そして、さらに「広島を訪れてください」という言葉が続きます。「さあ、ヒロシマを共に学び、感じましょう。平和記念資料館を見学し、被爆者の言葉に触れてください。そして、家族や友達と平和の尊さや命の重みについて語り合いましょう。」



 今日の礼拝への招きの言葉は、マタイによる福音書5章9節の主イエスの言葉を選びました。「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」新しい翻訳聖書、聖書協会共同訳聖書では、「平和を造る人々は、幸いである」と訳されています(元の言葉でも「造る」という言葉が使われています。英語では「peacemakers」)。平和は父なる神様に祈るものであり、私たちも神様と共に造っていくものです。神様にお願いして、私たちは何もしないのではなく、神様と共に平和を造っていきます。



 今年度の千葉北総教会の基本方針は「祈る」ということで、「知ることから祈りへ祈ることから行動へ」という「世界祈祷日」(3月第一金曜日)のスローガンを礼拝説教の中で何度も紹介しています。この世界の現状を知り、関心を持つことによって、さまざまな課題が見えてきます。そして、その課題が解決するようにと祈るようになります。祈り続けていくうちに、その課題の解決のために、自分ができることは何だろうかと考えるようになります。戦争、貧困、不公平な経済構造・・・ 様々な問題があることを神様は教えてくださいます。そして、何をするべきかを教えてくださいます。

広島の小学生が「一人一人が相手の話をよく聞くこと。『違い』を『良さ』と捉え、自分の考えを見直すこと。仲間と協力し、一つのことを成し遂げること。」と自分にもできることを考えたように、平和の実現を祈る中で、父なる神様が、私たちに何ができるのかを教えてくださいます。

「知ることから祈りへ祈ることから行動へ」、「世界平和」は少し規模が大きいですが、平和の実現のために祈りつつ、自分にできることを父なる神様に教えていただいて、小さなことからでも何か行うことができますように。

この度、熊本県で発生した地震に被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。 8月2日は「平和聖日礼拝」です。世界の平和を祈りつつ礼拝をおささげします。10時半からの礼拝をYouTubeでライブ配信いたします。https://www.yout...
31/07/2026

この度、熊本県で発生した地震に被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。

8月2日は「平和聖日礼拝」です。

世界の平和を祈りつつ礼拝をおささげします。

10時半からの礼拝をYouTubeでライブ配信いたします。
https://www.youtube.com/@%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E5%9B%A3%E5%8D%83%E8%91%89%E5%8C%97%E7%B7%8F/streams

2026年8月2日 
平和聖日礼拝(聖餐礼拝)

前  奏  

招きの言葉 マタイによる福音書5章9節

讃 美 歌  206

主の祈り  93-5A 

信仰告白  日本基督教団信仰告白

牧会祈祷 

讃 美 歌   471

聖書朗読 テサロニケの信徒への手紙二3章16節(新約聖書p.383)

説  教  「平和をお与えくださるように」

聖  餐

讃 美 歌  561

献  金 

祈  祷 

讃 美 歌  88

頌  栄  29

派遣・祝祷

後  奏

住所

草深1139/7
Inzai-shi, Chiba
270-1337

アラート

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