23/08/2026
【2026 合同盂蘭盆法要 副住職法話】
〇はじめに
皆さま、本日は当山弘教寺の、合同盂蘭盆法要にようこそのお参りでございます。
今日(8/14、木曜日)は14日、15日とお盆の中日であたります。昨日はものすごい雨でしたね(令和8年千葉豪雨)。土砂災害の危険もまだあるという事で、帰り道は本当にお気をつけてお帰り下さい。
本日はお盆の法要ということで、お盆のお話が出来ればと思います。
〇お盆とは?
皆さん、お盆とはどのような由来があるかご存知でしょうか。
「お盆」は、仏教における「盂蘭盆(うらぼん)」言葉を略したものとされています。
語源は、サンスクリット語の「ウランバナ」、つまり「逆さに吊り下げられた苦しみ」という意味です(諸説あり)。
盂蘭盆会は、その昔、お釈迦様のお弟子である目連尊者(もくれんそんじゃ)が、逆さに吊り下げられた亡き母を救う話に由来しています。
〇お盆の原典、仏説盂蘭盆経のお話
以下のお話は『仏説盂蘭盆経』にて説かれたお話です。
この物語は、お釈迦様の弟子である目連の母親が、子供の目連を溺愛するあまり、周囲の不幸に無関心だったことが原因で、餓鬼道に落ちてしまいます。
餓鬼道に落ちた母親は逆さに吊り下げられ、食べるもの飲むもの全てが火となり飢えと渇きに苦しんでいました。神通力を持っていた目連尊者は、苦しむ母親を姿を目にしてお釈迦様に相談したところ、夏の修行を終えた7月15日に僧侶たちを招き、供物をささげて供養するとよい」という教えを受けます。これに従って供養したところ、その功徳によって母親は極楽往生を遂げたと言われています。
このお話は「自分一人の力で生きている、大切な人を救えている」と思い込んでいる私たちの傲慢さに気づかされ、仏様のお慈悲のおこころに生かされていることをを知る物語なのです。
〇浄土真宗におけるお盆とは?
浄土真宗のみ教えにおきましては少し違っていて、親鸞聖人が『往生即成仏』と説かれています。阿弥陀如来様の本願力によって、すべての人を極楽浄土に往き、仏と生まれさせるよう、はたらいて下さっています。だから、亡くなられた方はすぐに浄土に往かれて、同時にさとりをひらかれて仏様になるので、一般的なお盆の期間限定でご先祖様が帰ってくるという考えではなく、『いつも極楽浄土から南無阿弥陀仏のお念仏となって還ってきてくださって』います。
お盆をきっかけに、日々の生活に追われて仏様のことなど忘れていたこの私が、仏前で手を合わせお念仏申す。『阿弥陀さまのお救いをよろこび、懐かしい方を思い出しつつお念仏申す尊いご縁の機会なのです。
つまり、お盆は「亡き人が家に還ってくる日」なのではなく、「亡き人のおかげで私たちが仏様のみ教えに出会わされ、命の事実に気づかされる日だからです。
だからこそ、浄土真宗ではお盆のことを、仏法に出会えた喜びの集いとして「歓喜会」とも呼びます。
〇浄土真宗ではお盆を「歓喜会」とよぶ
また浄土真宗においては盂蘭盆会のことを「歓喜会(かんぎえ)」と呼びます。阿弥陀如来様がこの私のことを思ってくださっているということに、感謝をさせて頂く機会です。感謝をさせて頂くとはどういう事かというと、南無阿弥陀仏とお念仏を申すことです。
浄土真宗では先祖供養とは言わないと歎異抄でも伝えられていますが、浄土真宗では供養という話が出るときは、常に讃嘆供養、つまり南無阿弥陀仏とお念仏申すことなのです。
浄土真宗ではお盆の法要は、『歓喜会(かんぎえ)』と申します。本日拝読しました、『正信念仏偈』に『宣説大乗無上法 証歓喜地生安楽』、つまり『歓喜地の位、さとりの位に至って、阿弥陀仏の浄土に往生』させていただくことが出来る、
○声となって寄り添う仏様
私たちが日々生活を送る中で、忙しさや目先の出来事に追われ、大切な方々のことや自分自身の命の行き着く先を忘れてしまいがちですが、お盆というご縁は、先立った大切な方々が「阿弥陀様のお話を聞いておくれ」「あなたもまた、大いなる慈悲の中に生かされているんだよ」と、私たちを仏様の前に座らせてくださる「仏様からの呼びかけ」です。
私たちが「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」とお念仏を申すとき、そのお声は、阿弥陀様のお心であると同時に、仏様となられた亡きお方からの「いつも一緒にいるよ」「安心して生きておくれよ」という温かいメッセージでもあります。阿弥陀如来様の御恩に、報恩感謝のお念仏をさせて頂きましょう。そしてお念仏の日暮らしを過ごされますよう、お念じ申し上げます。
南無阿弥陀仏