真言宗大覚寺派 寶龍山普賢院長尾寺

真言宗大覚寺派 寶龍山普賢院長尾寺 真言宗大覚寺派 寶龍山 普賢院 長尾寺

『長尾寺略縁起』

宝龍山普賢院長尾寺
本尊 千手千眼観世音菩薩
脇侍(脇仏) 不動明王 毘沙門天

備後西国三十三観音霊場 第30番札所
福山西国三十三観音霊場 第10番札所

御詠歌 『有漏の身の永き思ひを
雪氷 とけし解脱の門に
入らばや』

長尾寺の開基は、大同年間で真言宗祖の弘法大師の御開創と伝えられている。その時の寺号は、観音寺と称され、十一面観世音菩薩を安置きれていた。下って大治二年(1123年)崇徳天皇(第75代)が四国讃岐の行在所より当地に潜幸された時、当山の本尊を崇敬され、伽藍を再興され、普賢院と改められた。

今日、長尾寺と呼ぶようになったのは慶長六年(1601年)当時の広島城主福島正則公の家老、長尾隼人正、一勝公が深津、王子山城に宿泊したとき、童子が夢に現われ大破した当山の再建を願ったので、伽藍を建立し祈願寺としたのに始まる。当山が古刹であることは、宝永二年境内土中

より唐製の密教仏具(五股鈴、五股杵、銅鈑)が発掘されたことが伝えられていることでも明らかである。

その後、水野勝成公が福山城築城の際、城背守護のため吉津に観音寺を建立し、当山の観音像を移し本尊とした。そこで当山へは中条の寒水寺に安置されていた弘法大師御作と伝えられる六尺立像の千手観音像を迎えて当山の本尊とした。以後、正徳四年三月(1714)に再度の再興があり、続いていたが第二次大戦中、昭和二十年八月八日福山空襲の際、釣鐘のない鐘撞堂のみを残して、観音堂(本堂)大師堂、庫裡等の伽藍をはじめ諸堂ならびに諸仏像を悉く焼失した。

その後昭和23年5月、元備中篠坂の常行院本堂を譲り受け長尾寺本堂として復興したが、老朽化が進み平成2年10月本堂を新築し今日に至っている。

また、長尾寺は、明治時代の啓蒙思想家、窪田二郎が自らの思想に基づき、明治4年(1871)、初めて「啓蒙所」を置いた場所としても知られ、これが現在の福山市立深津小学校の前身となりました。

長尾寺では毎月18日午後2時より、本堂地下、会館に於きまして写経会を行っております。どなたでもご参加いただけます。ご関心のあられます方は、コメント欄よりご連絡下さい。
17/07/2012

長尾寺では毎月18日午後2時より、
本堂地下、会館に於きまして
写経会を行っております。
どなたでもご参加いただけます。
ご関心のあられます方は、
コメント欄よりご連絡下さい。

長尾寺では毎月8、18、28日、午前9時より本堂脇陣、護摩堂、不動明王様御宝前にて護摩祈祷を修しております。身体健康・家内安全・病気平癒・厄災消除交通安全・受験合格・事業繁栄などなど、ご祈願事のあられる方は是非お参り下さい。何方様でもお参り...
17/06/2012

長尾寺では毎月8、18、28日、午前9時より
本堂脇陣、護摩堂、不動明王様御宝前にて
護摩祈祷を修しております。

身体健康・家内安全・病気平癒・厄災消除
交通安全・受験合格・事業繁栄などなど、
ご祈願事のあられる方は是非お参り下さい。
何方様でもお参り頂けます。

11/06/2012
07/06/2012

住所

東深津町7-13/1
Fukuyama-shi, Hiroshima
721-0974

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