日本キリスト教団 福岡渡辺通教会

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毎週の説教を500字で要約しています。

牧師   :馬場 勇樹
教会の集会:
  教会学校 毎週日曜日 午前9時30分
  礼拝   毎週日曜日 午前10時30分
  祈祷会  毎週水曜日 午後7時00分

  どの集会にも,どなたでもご自由においでください.

*当教会は統一教会,エホバの証人(ものみの塔),モルモン教とは関係ありません.それらでお困りの方は牧師までご相談ください.

04/08/2022

新型コロナウイルス感染者が出たため、8月7日の礼拝は取りやめます。
14日の礼拝にお越しください。

Merry Christmas!!
21/12/2019

Merry Christmas!!

5月19日の説教の500字要約です。「やっぱり人間、中身も大事」聖書箇所ガラテヤの信徒への手紙4:8-20 聖書は人間の外見だけでなく、内面にも関心を向ける書物だ。なぜなら、中身によって、我々は困難をも乗り越える力を得ることができるからだ。...
21/05/2019

5月19日の説教の500字要約です。

「やっぱり人間、中身も大事」
聖書箇所
ガラテヤの信徒への手紙4:8-20

 聖書は人間の外見だけでなく、内面にも関心を向ける書物だ。なぜなら、中身によって、我々は困難をも乗り越える力を得ることができるからだ。

 パウロは伝道旅行の中で病になり、思いがけずガラテヤに滞在することとなった。しかし、ガラテヤの人々は病気のパウロを嫌いもせず献身的に看病した。彼らはパウロのためなら自分の目を差し出すことも厭わないという想いでパウロに接した。結果、ガラテヤに教会が建てられたのだった。

 しかし、パウロが去った後にガラテヤに来た人達によって、教会の中は混乱した。彼らはユダヤ教的な教えを教会の中で語り、パウロを全否定したのだ。そして、パウロは教会の敵となってしまった。これは恐らく実績を出していたパウロに対する嫉妬や恨みのような私怨が背景にあったと思われる。

 普通であれば、自暴自棄になってもおかしくない状況だ。しかし、パウロは親しかった人達の敵となっても、彼らを諦めなかった。なぜなら、彼の中にはキリストが形づくられていたからだ。十字架の死を滅ぼし、復活された主イエスが原動力となったから、失望してもそれでも彼は前を向いて手紙を書くことができたのだ。私達も主を自分の中に迎えて生きていきたい。

Photo by Ian Stauffer on Unsplash

お久しぶりです。5月12日の説教の500字要約です。1年ぶりくらいでしょうか。ガラテヤの信徒への手紙から「ビッグなパパ―あなたの子で良かった」という題で説教したものです。 伝道者パウロは「私達は神の子だ。だから、神を父と呼んでいい」というこ...
15/05/2019

お久しぶりです。
5月12日の説教の500字要約です。
1年ぶりくらいでしょうか。
ガラテヤの信徒への手紙から
「ビッグなパパ―あなたの子で良かった」
という題で説教したものです。

 伝道者パウロは「私達は神の子だ。だから、神を父と呼んでいい」ということを語る。

 それを彼は、私達が神の相続人として既に神から財産を貰っているというイメージを持って語る。ただし、私達は幼かったので、律法という監督人や後見人という人達の監視下に置かれていたのだとも語る。そのため、私達は神から貰った財産を自由に使うことができなかったと。

 また、彼は「私達は律法だけでなく世の諸霊、様々な規則やしきたり、にも縛られてしまっていた」という。それは何も規則のようなものだけではない。私達は富や権力、名声に目がくらめば、それが満たされなければ私は幸せになれないと考えることもあるだろう。更には「あの人が言っていたこと」と人に縛られてしまうこともあるだろう。そこに私達の弱い罪の問題がある。

 その私達を十字架で買い取り、解放するために神はこの世界に主イエスをくださったのだ。そして、主は私達にご自分が神を「アッバ」と呼んだように、私達も神を呼んでよいという神の子の身分までくださった。

 「アッバ」とは日本語で「パパ」という言葉だ。

 神は幼い子供を宝物のように守り育てる父親のように私達に接してくださる。その事実を感謝したい。

聖書箇所
ガラテヤの信徒への手紙4:1-7
「ビッグなパパ―あなたの子で良かった」

Photo by Jude Beck on Unsplash

「クリぼっち救済計画 始動中」クリスマスはぜひ教会へ
14/12/2018

「クリぼっち救済計画 始動中」

クリスマスはぜひ教会へ

18/09/2018

19日の祈祷会は葬儀のために休会とします。

非常に久しぶりの更新ですが、10月14日に東京神学大学より芳賀力先生をお招きします。今からぜひご計画にお覚えください。
12/09/2018

非常に久しぶりの更新ですが、10月14日に東京神学大学より芳賀力先生をお招きします。

今からぜひご計画にお覚えください。

6月24日の礼拝説教の500字要約です。 使徒信条は「永遠の命を信じる」と告白する。 聖書は「人間には永遠を求める心がある」ということを教える。それは、私達の身の回りには永遠というものがないからだ。私達の周りにある全ては、いつかは失われるも...
26/06/2018

6月24日の礼拝説教の500字要約です。

 使徒信条は「永遠の命を信じる」と告白する。

 聖書は「人間には永遠を求める心がある」ということを教える。それは、私達の身の回りには永遠というものがないからだ。私達の周りにある全ては、いつかは失われるものだ。そのことに気がついた旧約聖書の著者は「空しい」と口にしたのだった。

 しかし、それで終わらないのが聖書だ。新約聖書は「神は私達をキリストにおいて霊的な祝福で満たした」と告げる。霊的な祝福とは、目に見えない祝福だ。だが、この霊的な祝福の上に目に見える祝福が成り立つのだ。では、この霊的な祝福とはそもそも何なのか。

 「イエス・キリストによって神の子」であること、これが聖書が語る霊的な祝福の内容だ。

 親が子どもの面倒をみるように、神は私達の一生の面倒を見てくださる。そして、どんなことがあっても見捨てずに、守ってくださるのだ。しかも、これは決して失われることのない永遠の関係だ。キリストによって神の子にされている。これが永遠の命なのだ。

 ただ、私達はそのままでは神の子にはなれない。それほどに、私達は神とはかけ離れている存在なのだ。ただキリストが私達のために十字架にかかった。そのことで私達は神の子とされたのだ。

聖書箇所
コヘレトの言葉3:10-11
エフェソの信徒への手紙1:1-7
「空しさを乗り越えて」

Photo by Sammie Vasquez on Unsplash

遅れていますが、6月17日の礼拝説教の500字要約です。 ゲッセマネに主イエスの一行が着くと、主はペトロとヤコブ、ヨハネだけを連れて祈りに行く。そして「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい」と言われた。主は十字架の...
25/06/2018

遅れていますが、6月17日の礼拝説教の500字要約です。

 ゲッセマネに主イエスの一行が着くと、主はペトロとヤコブ、ヨハネだけを連れて祈りに行く。そして「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい」と言われた。主は十字架の死を前にして「死にそうなくらいに悲しい」と言われたのだ。

 そして、「この杯をわたしから取りのけてください」とも祈られた。「杯」とは運命という意味の言葉だ。それは「神様、十字架の他に人間を救う道は無いのですか。考え直してください」と祈られたのだ。

 主は完全に神であり同時に人として世界に来られた。それは、このゲッセマネの祈りをするためでもあった。神が人間の恐れや悲しみを味わい、私達の苦しみを分かるために生きてくださったのだ。

 しかし、主は眠ってしまった弟子たちにこうも言われた。「心は燃えていても、肉体は弱い」。心が燃えるとは、「喜び」や「わくわくする」という言葉が本来の意味である。つまり、主は十字架を恐れながらも、自分の死で人間が罪から救われることに喜びやわくわくもしていたのだ。

 この生き方を主は示してくださった。そして、その主が私達と共に生きてくださるのであれば、私達も大きな壁や問題の先に希望を持つことができるのだ。

聖書箇所
マルコによる福音書14:32-42
「ぼくらの勇気」

Photo by Samuel Martins on Unsplash

かなり遅れましたが6月3日の礼拝説教の500字要約です。 私達は失敗を避けられない。しかし、その失敗が失敗のまま終わらないことを聖書は語る。 主イエスの一行はゲッセマネへ移動した。その際に主は「あなたがたは皆わたしにつまずく」と言われた。「...
25/06/2018

かなり遅れましたが6月3日の礼拝説教の500字要約です。

 私達は失敗を避けられない。しかし、その失敗が失敗のまま終わらないことを聖書は語る。

 主イエスの一行はゲッセマネへ移動した。その際に主は「あなたがたは皆わたしにつまずく」と言われた。「つまずく」とは失敗や挫折のことだ。

 それに対して、ペトロは「他の皆は知らないが、私はあなたに最後まで従います」と反論した。しかし主は「あなたは3回も私を知らないと言う」と言われた。そしてその通りになるのだった。

 私達は自分が思っている以上に弱くて当てにならない存在だ。どれだけ純粋な、そして真剣な想いで人を愛したいと思っても、その人を裏切り、傷つけてしまう。どんな情熱をもって始めたことも失敗し、挫折することだってある。そして、そんな自分に嫌気がさすのだ。

 この後、主の弟子たちはその全てに陥ることになった。

 しかし、その弟子たちを見越して主は言われたのだ。

 「しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。そこで待っている」と。

 これは、主が「もう一度私と一緒にやり直そう」と言われた言葉だ。弟子たちが陥る罪の問題に決着をつけ、「今度は復活した私と一緒がいる」と言われたのだ。同じ言葉が私達にも告げられているのだ。

聖書箇所
ゼカリヤ書13:7
マルコによる福音書14:27-31
「見捨てないから大丈夫」

Photo by Sebastián León Prado on Unsplash

5月13日の説教の500字要約です。次週の要約はお休みします。 物事には由来がある。教会が大切にしてきた聖餐式は最後の晩餐に由来する。その席で主イエスは、弟子全員が当てはまるような指摘の仕方で裏切りを予告された。そのために、食事は一気に暗く...
18/05/2018

5月13日の説教の500字要約です。
次週の要約はお休みします。

 物事には由来がある。教会が大切にしてきた聖餐式は最後の晩餐に由来する。その席で主イエスは、弟子全員が当てはまるような指摘の仕方で裏切りを予告された。そのために、食事は一気に暗く深刻なものに変わった。

 すると主はパンを取り、それを裂いて弟子たちに渡し「これは私の体だ」と言われた。また次に杯に葡萄酒を注いで弟子たちに回し「これはあなた方のために流される私の血、契約の血だ」と言われた。

 恐らく言われた弟子たちは意味が理解できなかっただろう。ただ、中には「契約の血」が聖書に由来する言葉と聞き取った者もいたかもしれない。「契約の血」とは神が人と交わされる独特な契約の仕方だ。主はここで神として契約を交わしたのだ。

 そして、その契約の内容とは、かつて預言者エレミヤが預言した新しい契約が交わされたのだった。それは神から離れて行ってしまった人間のことを、神が「それでも私はあなた達の神でありたい。あなた達を私の民としたい」と言われた契約のことだ。それが今ここで実現した。

 どのような中にあっても神が私達の味方であってくださる。その契約の実現のために主は十字架の上で肉を裂き、血を流されたのだ。その主に忠誠を誓いたい。

聖書箇所
エレミヤ書31:31-37
マルコによる福音書14:22-26
「決して離さないから」

Photo by Matheus Ferrero on Unsplash

住所

中央区渡辺通4-5/1
Fukuoka-shi, Fukuoka
8100004

営業時間

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日曜日 10:30 - 12:00

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