02/06/2026
雨が大地をうるおすように、仏様の慈悲の心はあらゆる人々の注がれています。
それに気づくとき、私たちの心も満たされるのです。
Amida Buddha vowed to save all beings.
Remembering this brings serenity to your heart.
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浄土宗月訓カレンダー6月の言葉は「慈悲の雨 心潤す」です。
6月といえば梅雨の季節。しかし、雨がなかなか降らず、空梅雨気味の日々が続いています。東海地方の梅雨入りはまだ先になりそうです。
法源寺には不登校・引きこもりの若者を支援するNPOココ☆カラさんと一緒に運営する農園があり、境内でじゃがいもや夏野菜を育てています。この時期、作物の成長には水が欠かせません。雨が降らない日が続くと、土はみるみるうちに乾いてしまいます。先日、植え付けたサツマイモのツルもこの暑さと水不足で何本か干からびてしまいました😢
しかし、梅雨入りしたらしたで、しとしとと続く雨に、今度は水のやりすぎを心配してしまいます。実が割れてしまわないか、病気にかからないかなど、あれだけ欲していた恵みの雨が、今度は心配のタネとして感じられます。
人の心とは、つくづく勝手なものですね。自然は人の都合で「ほどよくちょうど」とはなりませんが、田んぼの稲も、畑の野菜も、庭の草花も、何一つ育ちません。雨は、生きとし生けるものを養う、大切な恵みなのです。
「慈悲」という言葉は、サンスクリット語の「マイトリー(慈)」と「カルナー(悲)」に由来します。「慈」とは楽しみを与えること、「悲」とは苦しみを取り除くこと。この二つが合わさって「慈悲」という言葉になります。
仏さまの慈悲は、まさにこの雨のようなものです。
雨は、豊かな庭にも、乾いた荒れ地にも、分け隔てなく降り注ぎます。大人にも子供にも、怒りっぽい人にも、優しい人にも、勉強が得意な人にも、スポーツが得意な人にも、楽しい気分の人にも、悲しい気分の人にも、すべての人々の上に平等に。
法然上人は、浄土宗を開かれたとき、念仏の教えを誰もが受け取れるものとして広められました。修行を積んだ僧侶だけでなく、農民も、商人も、武士も、老いた人も、幼い子も、どんな人でも「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えることで救われる、と説かれました。まさに慈悲の雨は、万人の上に降り注ぐのです。
ところで、雨が恵みとして植物に吸収されるためには、そもそも大地が潤いを受け入れる状態でなければなりません。カチカチに固まった土には、雨水がうまく染み込まず、表面を流れてしまいます。心も同じで、疑いや頑なさでガードを固めてしまうと、せっかくの慈悲の雨も心の奥まで届かないことがあります。
忙しさや、悲しみ、人間関係の疲れで、私たちの心はついつい固くなってしまいます。そんなとき、手を合わせてお念仏を称えてみてください。
声に出してお念仏を称えることは、固まった心をほぐす一つのきっかけになります。仏さまの慈悲の雨が、少しずつ心に染み渡っていくのを感じることができるかもしれません。
私たちの心には、今日も静かに、慈悲の雨が降り注いでいます。
その恵みを受け取れるよう、心を柔らかく耕しましょう。
南無阿弥陀仏
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