Salvation Army TWWM 全世界が共に動く

Salvation Army TWWM  全世界が共に動く 救世軍 The Salvation Army はイギリス・ロンドンで1865年に創設されたプロテス?

万国的ムーブメントである救世軍

 『全世界に行って、すべての造られたものに
  福音を宣べ伝えなさい。』
  (マルコによる福音書16章15節)

 英国で始まり、世界各地で神の愛を実行する、キリスト教団体です。国際的な協力体制のもと伝道と奉仕をおこない、災害時は国際的なチームを編成し、人種や思想にとらわれずに救援活動や支援活動をおこなっています。


公同のキリスト教会、福音主義を代表する一派

 世界各地のキリスト教会が、全体として一つのキリストの体(公同の教会)を形成しています。救世軍はその一つで、プロテスタント(新教)の教会です。聖書を基盤とし、三位一体の神を信じ、礼拝し、キリストの福音の伝達を強調しているグループです。


神の愛に動機づけられる働き(ミニストリー)

 父なる神は、私たちのために御子イエスを十字架におつけになるほど、私たちを愛してくださっています。救世軍のメンバー1人ひとりが、その愛に動機づけられて、その働きのすべてをおこなっています。


その使命は、イエス・キリストの福音を宣べ伝え、

 どのような人も、主イエスの十字架の贖いを信じる信仰によって救われ、キリストに似た愛の人とされ、豊かな人生を歩むことができます。そして、イエスを信じる大勢の人々と共に復活の恵みを受けることを信じています。私たちはこの福音を世界中の人々にお伝えしています。


分けへだてなくすべての人々のニーズに応えることである。

 人のニーズは、物質的、社会的、精神的な、そして人がなぜ生きているのかという、スピリチュアルなニーズもあります。それらすべてのニーズに応えることが、救世軍の使命です。人種や思想などを超えて、分けへだてなく、すべての人々の、特にその時代におけるニーズに応えることが、救世軍の使命です。

05/09/2026

命の言葉(words of life)恵みと平安

2026年9月5日(土)

「父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。」(ピリピ人への手紙 1章2節)

今日の聖書箇所は、ピリピ人への手紙1章です。

パウロはクリスチャンがみんな聖徒であること(?と思う人は昨日、一昨日の命の言葉をみて下さいね)を明らかにした後、彼らのために恵みと平和を祈ります。恵みと平和は、ギリシャ語とヘブライ語の伝統的な表現を組み合わせたものですが、ここではパウロがそれらを用いて、新たな貴重なキリスト教の伝統を創造しています。

恵みとは、私たちに注がれる神様の好意のことです。それは、私たちの罪深い生活ゆえに私たちが受けるに値しないものですが、イエス様の完全な生涯ゆえに私たちに与えられるものです。それは、私たちが実際には受けるに値しないものを、イエス様のゆえに神様から受け取ることです。クリスチャンソングライターのジョン・パントリーは、彼の歌の一つ*の最初の節でそれを美しく説明しています。

私にはふさわしくないものを与えてくださる素晴らしい恵みは、
キリストが勝ち取ったものを私に与え、
そして私を自由にしてくれる。

同様に、パウロが語る平和は、単に戦争の終結や神と人との敵意の終結を意味するものではありません(ローマ5:1)。この平和とは、神様が私たちと共にいてくださるという確信であり、困難な時にも救いを確信できる根拠となります。美しい伝統的なキリスト教の祈りのコーラス(イザヤ26:3に基づく)の最後の2行がそれを裏付けています。

心をあなたに留めている者は、あなたは完全な平安のうちに保たれる。(SASB 629)

恵みと平和はどちらも喜びの源です。神様はこれらの賜物を私たちに授けてくださいました。パウロもそれを確証しており、私たちが神の子として、これら二つを相続財産の一部として受け継いでいることを忘れないようにしています。
あなたが神様のために生きる中で、神様の恵みと平安があなたの上にますます深く宿っていることを実感できますように。

*ジョン・パントリー作「Wonderful Grace」第1節からの抜粋

03/09/2026

命の言葉(words of life) すべての聖人のために

2026年9月3日(木)

今日の聖書箇所はピリピ人への手紙 1章です。

キリスト・イエスのしもべであるパウロとティモテ、ピリピのキリスト・イエスにあるすべての神の聖なる民へ、監督者や執事たちと共に...( ピリピ人への手紙 1章1節)

パウロは聖人たちに手紙を書いています。キリスト・イエスにあって聖なる人々に手紙を書いています。この手紙の冒頭にはほとんど意図せずユーモアが加えられており、彼は「すべての神の聖なる民」に宛て、その後「監督者と助祭」を別々に認めている。まるで彼らが「聖なる人々」に含まれていないかのようです。しかし、これはパウロの意図や意識ではありませんでした。彼は、信仰を守り育てるという揺るぎない決意から、クリスチャン全員が「聖なる」「聖潔られている、聖潔られた、」という全体的な称号の中にあることを教えています。

ピリピの信者たちは、パウロの教えのもとイエス様によって救われた人はみな「聖なる人々」と呼ばれました。もし私たちの行動のせいで聖さを損なう原因になったとしても、聖なる状態とは、すべての信者がイエス様を信頼することで踏み入れる状態のことです。キリスト教的な生き方の意味での聖なることは、天使的な完全さを意味しません。もちろん、私たちは過去の罪から清められ、イエス様の心の働きによって新たにされましたが、救いの時点で罪に対して死んだからといって、罪が私たちにとって死んだものになるわけではありません。
サタンは私たちがイエス様に命を捧げたからといって、誘惑をやめません。実際、主のために生きるという意図から私たちを引き離そうと努力を倍増させています。だからこそ、誘惑が訪あはローマ人への手紙7章15〜25節でそれについて語っており、もし彼が罪と闘ったなら、私たちも同じことになるのは当然です。「聖潔とは、誘惑がなくなる事ではあります。誘惑に打ち勝つ力が与えられるのです。イエス様がそこにいて下さるのです。聖潔とは心に住んで下さるイエス様に頼ることです。」と言った人がいます。まだ、分りませんか?聖潔はイエス様に似た者となることです。イエス様はひげを生やしていました。聖潔はひげを生やすことではありません。聖潔は成長します。イエス様も赤ちゃんでした。「幼子のようにならなければ神の国をみることはできない。」と言われました。子どもは子どもなりに神様の愛を受けて聖潔の生活ができるのです。ヨハネ以外の使徒はユダを除いて全員、若くして殉教の死を遂げました。殉教者だけが聖人ではありません。ヨハネは100歳までいき愛の使徒と言われています。『ヨハネによる福音書』の中で、自分の名前を出す代わりに「イエスが愛しておられた弟子」と表現しています。若い頃は短気で「雷の子」と呼ばれましたが、イエス様の愛に触れて死ぬまで聖人として歩んだのです。変化はあるのです。年をとると経験は豊かになりますが、行動は限定され劣っていきます。それは神様の恵みで老人は老人としての聖潔があるのです。

以下は救世軍の教理の10です。
10.われらは、「全く潔く」されることはすべての信者の特権にして、「霊と心と体とを全く守」られて、「われらの主イエス・キリストの来りたもうとき責むべき所なき」に至り得ることを信ず。

祈り
天の父よ、たとえ私の働きが少し劣っても、あなたの私の働きが完璧であることに感謝します。どうか、思考も言葉も行動もあなたのようになる手助けをしてください。アーメン。

02/09/2026

命の言葉(words of life) 喜びにあふれた教会

2026年9月2日(水)

あなた方全員に対して、私がこのように思うのは当然のことです。なぜなら、あなた方は私の心の中にいるからです。(フィリピ人への手紙 1章7節)

今日の聖書箇所はフィリピ人への手紙 1:7-11です。

パウロは、イエス様の死と復活から約30年後、カイサリアかローマの牢獄からフィリピの教会に手紙を書いたのです。フィリピは、パウロらがイエス様の物語を伝えた時、ヨーロッパで最初に福音を受け入れた都市でした(使徒言行録16章参照)。

投獄されている間は、人々の助けがなければ食事にありつくことはまず不可能でした。そこで、フィリピの人々はパウロのために支援の行動をとったのです。パウロが投獄されたことを知ると、フィリピの教会はエパフロディトスを派遣し、パウロを支援しようとしました。エパフロディトスは金銭を携えてフィリピに赴き、できる限りの援助をしようと尽力しました。

フィリッピは多くの人々にとってローマのミニチュア版と見なされていました。その街並み、習慣、その他の行政のしくみは偉大な都市ローマを反映しており、東方地域とローマを結ぶ主要幹線道路沿いに位置していたため、ローマとの間を行き来する人々が頻繁にフィリッピを経由していました。

エパフロディトスはローマでパウロの世話をしていた際に病に倒れた。実際、彼の容態は非常に悪化し、死を案じる者もいたほどでした。。彼の病の知らせがフィリピの教会に届くと、大きな不安と悲しみが広がりました。後述するように、パウロはエパフロディトスをフィリピに送り返し、回復を促そうとしました。

パウロはフィリピのクリスチャンたちを深く愛していました。彼らに宛てた手紙は喜びにあふれ、温かさと愛情に満ちています。フィリピの人々は明らかにパウロの心を掴んでおり、牢獄にいても、彼らのことを思うと魂に深い喜びを感じていました。パウロはフィリピの人々に、自分が彼らに対してこのような喜びを感じるのは全く当然のことだと述べています。

祈り

主よ、どうか私の教会の中で、あなたに喜びをもたらす事柄を示してください。そして、私がそれらの事柄に沿って歩めるよう助けてください。アーメン。

31/08/2026

命の言葉(words of life)

2026年9月1日(火)世界に喜びを

今日の聖書箇所は:ピリピ人への手紙 1章です。

私は、あなたがたのことを思い起こすたびに、私の神に感謝しています。あなたがた全員のために祈るときはいつも、喜びをもって祈っています。それは、あなたがたが最初の日から今日まで、福音を広める働きに協力してくれたからです。私はこのことを確信しています。すなわち、あなたがたの内に良い働きを始められた方が、それをキリスト・イエスの日まで完成させてくださるということです(ピリピ1章3-6節)。

9月、新しいことが始まります。今日から生活道路と言う制度始まるそうです。今日は防災のひです。自然災害も頻発しています。

キリストの弟子としての歩みも、時に困難を伴い、厳しい試練に直面することもあります。しかし、キリスト教の信仰とは、本来、喜びに満ちた旅路であるべきものです。キリストの弟子として生きることには、私たちの心に喜びをもたらす要素がたくさんあります。

これからの数日間、私たちはパウロの「ピリピ人への手紙」に目を向けます。これは「喜びの手紙」です。パウロはピリピのクリスチャンたちの忠実さを喜び、信仰を持ち続けるよう励まし、そして自分自身の模範に従うよう呼びかけています。

第1章の冒頭で、パウロはピリピの教会に対してどれほど感謝しているかを語っています。彼らのことを思い出すたびに神に感謝せずにはいられないほどなのです。あなた自身の教会や小隊のことを思うとき、あなたは神にどのような感謝を捧げますか? 思い浮かべるたびに喜びをもたらしてくれるのは、どのような人々でしょうか? 彼らのどのような点が、あなたを喜びで満たしてくれるのでしょうか?

ピリピ人への手紙を読み進めるこの旅を共に始めるにあたり、私たちの人生に喜びと活力を与えてくれる人々のために神に感謝しましょう。彼らは(あなたと同じように)教会の生活に貢献するために神によってそこに置かれており、会衆の中でその役割を確かに果たしています。

祈り

主よ、私のキリスト者としての歩みをより軽く、より喜びに満ちたものにしてくれる人々のために、今日、あなたに感謝します。アーメン。

住所

Chiyoda-ku, Tokyo
1010051

電話番号

0332370881

ウェブサイト

アラート

Salvation Army TWWM 全世界が共に動くがニュースとプロモを投稿した時に最初に知って当社にメールを送信する最初の人になりましょう。あなたのメールアドレスはその他の目的には使用されず、いつでもサブスクリプションを解除することができます。

ショートカット

共有する

カテゴリー