九段教会

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10/03/2018

3-11<九段の丘>  満足している漁師

北部から来た金持ちの実業家が、パイプを吸いながら自分の船のそばにのらくらと寝そべっている南部の漁師を見つけて、びっくりして尋ねました。
「なぜ漁に出かけないのかね?」「だって、わたしは今日の分の魚はもう捕まえましたからな」「なぜそれ以上に魚を捕まえないのかね?」「それがどうだというんです?」
「もっと金が儲かるではないか。それであんたはモーターを舟に取りつけられる。するともっと深い海に生き、もっとたくさんの魚がとれるではないか。ナイロンの網が買えるではないか。そうしたらもっと魚が取れ、もっと金が儲かるではないか。間もなくあんたは2つめの舟が買えるだけのお金を持てるだろう......多分もっとたくさんの舟だってね。そしてあんたは、わたしのように金持ちなるだろうに」
「それがどうだって言うんです?」と漁師が尋ねます。
「あんたはなにもせずに人生をたのしめるってわけさ」と実業家は言いました。
「では、わっしが今していることとどう違うのかね?」と満足しきっている漁師は言いました。              (アントニー・デ・メロ『小鳥の歌』より)

たくさんのお金を稼ぐことことのあくせくするより、自分の能力を楽しみのためにとっておくほうが賢明だと思いませんか。明日を思い煩うよりも、一日一日を楽しく感謝することが大切でしょう。

さあ、卒業。さあ、新しい出発。人生の区切りの時です。立ち止まって考えてみよう。

03/03/2018

3-4<九段の丘> パイを分けあっても、座席にすわれても

 限られた1枚のパイがあります。これをそこにいる人々が平等に分けあうのが社会正義であることを主張したのがカール・マルクス(1818-83)でした。また彼は皆が平等にバスに乗れ、座席にすわれるようにならなければいけないと説きました。マルクスと同時代の人ゼーレン・キエルケゴール(1813-55)の人間理解は、マルクスと異なり、より深いものでした。キエルケゴールは、バスに乗ったとしても、バスの座席や内部構造を変革し、すべての人々が公平に、たのしく座れるようになったとしても、そのバス自体が深い谷に向かって転落しつつあるとすればどうなるかを問いかけました。

 確かに、日本だけに注目したとしても、マルクス的視点からも問題だらけです。弱い立場にある人たちや意識ある者たちは、無神経な人たち、特に権力を持ち責任ある地位についている人たちに対して、しきりに反省を求めています。日本の中でさえこれだけの格差、差別があり、しかも有効な努力もできないままに、問題を先送りしているのでは困ります。世界規模の問題に、わたしたちは取り組む責任があるからです。大変でも、逃げない姿勢が大切です。

 けれども、もう一つの面を忘れてはなりません。それがキエルケゴール的視点です。ヒューマニズムで片づけられない人間の「罪」の問題を解決しないで、わたしたちに真の平安は訪れません。「罪」とは聖書では「的外れ」とか「離反」という意味があります。わたしたちの努力が無駄にならないためにも、主イエス・キリストが復活の勝利を遂げられたとは、死ですべてが終わりではない、死を貫いての希望があることを信じさせてくれます。また、心の問題に真摯に取り組む時、今日の日本の山積している諸問題も解決できるようになるのでしょう。

24/02/2018

2-25<九段の丘>   もうすぐ春ですよ!
2018年が始まったと思ったら・・・昔から「2月は逃げる」と言われるように、もう2月も終わろうとしています。いよいよ3月の声も聞こえます。受験生はそれぞれ進路が決まったことでしょう。もしまだの方や、納得のいかない結果をお持ちの方には、次の聖書の言葉を贈ります。

「神は愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ロマ8:28)

春はもうすぐそこ、楽しみです。ここにサトウハチロウさんのとてもかわいらしい詩があります。ご紹介しましょう。

     お庭で子犬が しっぽでね くるくる春をまわしている

  お屋根ですずめが お口でね ちょんちょん春をつついてる

     お山でうさぎが お耳にね ぴこぴこ春をのせている

  川でどじょうが あぶくでね ぶくぶく春をこしらえた

16/02/2018

2-18<九段の丘>   弱さを誇る
 「自分の弱さを誇ろう」(IIコリント12:9)
 それは進化論で割り切れるほど単純なテーマではない。とてつもない時間の経過があったことを先ず念頭に置かなければならない。そのことを前提での話だが。サルと人間の先祖は同じだそうだ。どこからがサルでどこまでが人間か、発掘された化石を見て、それをどう判断するか?興味があるところでもある。その関係の本をみていたらそのことが書いてあった。ポイントは犬歯で判断するという。犬歯がないのが人間なのだそうだ。牙のあるなしが人間かサルかの決め手となる。いわば最大の武器を失ったことにより、ある日一群のサルは人間としての道を歩み始めたことになる。
 この裸のサルは弱いゆえに頭を使い、そして生き延びてきた。だから弱さこそが人間の本質なのである。人間的弱さを持たない人間は存在しないと思うが、それを自覚していない人がたくさんいる。人間的な魅力のある人と言われる人ほど弱さを自覚している人という事になる。
 伝道者パウロは自信満々の強気一本の男と思われがちであるが、彼ぐらい弱さを自覚した人はいないだろう。彼の手紙に涙という字がたくさん出てくるのでそれがわかる。
 ありもしない牙をむき出しにして隣の人に無暗に襲い掛かることだけはしたくない。

15/02/2018

2-11<九段の丘>  歴史を大切にする努力
 もともと文化に対する理解がないのが我が国のあり方だ。最近とみにその傾向は強まり、文化財保護などに対する予算が削られている。音楽関係の方々とお会いすることも多いが、国の見えない文化財に対する理解は不十分のようだ。それこそ軍事目的の何かを一つ削って文化の向上のために用いれば十分なのだが。
 10年以上前、英国メソジスト教会の招きで、各地を訪れたが、ある神学部の図書館のことが忘れられない。ウエスレー時代の貴重な資料の数々が保存されていた。その歴史文書が収められている部屋は完全にエアコンディションされていることに驚いた。つまり本の維持のために単に温度のみならず湿度までも適度に設定されて見事だった。
 2回目の聖地旅行だったと思う。ガリラヤ湖の水位が以上に下がり、湖底の泥の中から船が発見された。鑑定の結果、その船は2000年前のユダヤ戦争の時にローマ軍によって沈められたユダヤの船だった。その船は掘り出されて放置されるとからからに乾き、ボロボロになって崩れてしまう。そこで歴史を大切にする政府は、その船をワックス漬けにした。プレハブの作業場のようなところにそのワックス漬けの船を見た。次に彼地を訪れた時は、その船のためだけに立派な博物館のような建物ができていた。
 歴史があると言われる日本で、これからも様々な発掘や発見があると思うが、官民協力しての保存の努力が求められる。

03/02/2018

2-4<九段の丘>  神さまへ従順と報い

 「惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ち溢れるように、あらゆる恵みをあなた方に満ち溢れさせることがおできになります。」(IIコリント9:6-8)

 人間中心で、現実的な対応と考え方が優先される限り、上記のみ言葉の真意を理解することはできません。実は、今日教会のなかでもクリスチャンたちは素直な信仰を失い、たしかに心の一部では神さまを信じているのでしょうが、主イエスさまの御心からは程遠いのが現状でしょう。それでは、信仰の力は発揮されません。

 マタイ福音書には「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすればこれらのものはみな加えて与えられる」(6:33)とあります。これは、明らかに神さまの御心最優先の生き方です。自分の思いよりも、神さまへの従順を優先する時、すべては信仰的に導かれ、わたしたちの予想を遥かに超えた神さまのご計画が実現するのです。

 国も、大きな団体組織も、そして個人も、御心に従う時、わたしたちの思いを超えて神さまのご計画が実現するという不思議があります。信じて、行う、まず神第一の生き方を選び取っていくというところに、素晴らしい信仰の展開を見ることができます。

27/01/2018

1-28<九段の丘>  信仰と祈りによって
 すべてのイエス・キリストにある者は神さまの意志に従って生き、その生活および万事についての心配はことごとくこれを主に委ねてしまうべきことは下記の聖句によって最も明らかにとらえられています。
  「何事も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いに  よって、あなたがたの長いことを神に知っていただきなさい。」
 主には制限がありません。彼は何度でも満たすことができる。今日救いたもう主は何年後でも救われます。ただわたしが主を捨てて堕落した時のみ、これを制限するのです。

 祈りと信仰とはすべての欠乏と困難とに対する医薬です。長い人間の歴史の中で、祈りと信仰とを養う神さまの御言葉はすべての困難を超えてわたしたちを助けて来ました。真実に忍耐して神さまのみこころを知ろうとした時、神さまの御言葉をとおして聖霊によっていつも正しく導かれてきました。もしも心の真実に神さまにたいする正しい態度と忍耐とを欠き、活ける神さまのみ言葉よりも人間との相談をよりよく重んじるならば、大いなる過ちに陥ることでしょう。

13/01/2018

1-14<九段の丘>   距離感
 ハラスメントが問題になっています。セクシュアルハラスメント(セクハラ)、アカデミックハラスメント(アカハラ)、パワーハラスメント(パワハラ)、などなど。いずれも、強い者がその立場を利用して、逃げられない相手を意のままにしようとすること。通常、男性が女性に性的嫌がらせをしたり、学校で教師が学生・生徒の意に反して何事かを強要すること。あるいは上司が会社などで部下の意に反して無理強いすることなどでしょう。
 そこに、距離の問題が出てきます。二者の間には適切な距離があるべきと思います。適切な距離が維持できるとき、両者の関係は良好なのでしょう。結局のところ、お互いの信頼関係があるかないかが根本的に問われるところです。
 大人と子供の距離 親子の距離 そこには父親と言えども娘に対するあるべき距離があるでしょう。母親の息子にたいする距離もあります。配偶者との距離、教師の生徒に対する距離。そして、牧師と信徒の距離、信徒と信徒の距離が考えられるでしょう。
 究極的には、神さまと人間の距離があるかもしれません。これは信仰にかかわることでもあり、何をもって理想とするか?エゴの塊のような人間が身勝手に期待するところと、神さまがお望みになるところの落差をどのように埋めていくのか?そこに祈りの課題があるのかもしれません。
 

08/01/2018

1-7<九段の丘>   キズは勲章

 新車購入の希望を伝えると、さっそくセールスマンがわたしの欲しい新車に乗ってやってきました。どちらかと言うとあまり幅に余裕のない狭い車庫にやすやすと車を入れて、どうぞご安心くださいと、駐車の問題もないことを証明してくれました。わたしはその型式の車の購入を決心しました。
 納車の日がやってきました。ピカピカの新車が我が家の表の道路に横付けなりました。感動の一瞬です。「・・・じゃ、車庫に入れてみて?」と言うと、彼は辞退しはじめました。勘弁してください、というのです。とうとう彼は新車の車庫入れはいたしませんでした。
 急に車庫入れの能力が落ちたわけではありません。でも、何が違っていたのでしょうか。それは、車が違ったのです。デモ車と新車の違いです。デモ車には、万一キズつけたとしても問題ありません。けれども、納車にキズ一つ付けても、それは担当者の全面責任になるのです。はは~ん、だから彼は車庫入れを躊躇したのだな。
 それで思い出しました。あるとき相談があって大工さんと礼拝堂で話していた時のことです。長椅子を動かすときキズが付かないように、注意深く動かしました。注意深く扱っても、キズが付くことがあります。その話になりますと、彼は言いました。「キズも歴史の1ページになるのです」
 納品や引き渡しになるまで業者は細心の注意を払います。ひとつあってもいけません。けれどもオーナーのものになった暁には、一つ一つのキズも歴史を刻んでいくことになるのです。もちろん丁寧に使用しなければなりません。それでも部屋の床、柱、壁がキズついたり汚れたりするのも、すべてが歴史を刻んでいくことになるのです。  

03/01/2018

お知らせ
九段教会牧師 髙田和彦

来る1月17日は、九段教会の創立記念日です。1875年(明治8年)1月17日がその日です。それは、キリシタン禁令の高札が撤廃されて、僅か2年目にあたります。
福沢諭吉先生の横浜時代の第一期塾生の古川正雄氏は、慶應義塾の初代の塾長でした。もちろん創立者は福沢先生ですが。
ソーパー宣教師が青山学院を創立した2か月後に、洗礼を授けたのがその古川氏で、その日が九段教会の誕生日になったのです。
本年は、創立記念日を覚えて特別礼拝をささげます。ふるってご出席ください。



創立143年記念特別礼拝
2018年1月21日(日)10時30分
特別説教者 山北宣久牧師(前聖ヶ丘牧師、前教団議長、前青山学院院長)
説教『人間をとる漁師』(マルコ福音書1:16-20)

30/12/2017

12-24 <九段の丘>  いのり
主イエスさま。いつもクリスマスに思うことは、あなたのご降誕があまりにも素寒貧(すかんぴん)の中にもたらされるということです。

救い主の神ともあろう方が夢のように清楚で美しい聖なる馬屋ではなく、人間にこき使われた牛や馬が大きな黒い口でゆっくり食べる、まぐさをかき混ぜておく汚くて臭い、世界中で最も不潔な場所に降誕されたのでした。

本当のクリスマスは、キンキラキンに飾り付けられたクリスマス・ツリーの下で迎えられるより、その飾り付けやロウソクを、一個いくらの手間賃で夜なべ仕事をした、やつれた目と、ささくれた手の持ち主たちのものではないかと思うのです。

主よ、このクリスマスに、あなたが愛しておられる人々へと、わたしのこころを向けさせてくださいますように。(F.B.マーフィー『今日の祈り』より)

30/12/2017

12-31 <九段の丘>  懺悔と反省と

 人間の幸せは、その人の流した汗と涙に比例するといわれます。年の暮に、どれだけ真剣に一年を振り返ることができたかによって、新しい年が実り豊かな年になるかが測られるように思われます。
 ところが、わたしたちの一番苦手なことはは、自らの非を認め、こころから反省することでしょう。この一年だけをみても、どれだけ反省しなければならないことがあったでしょうか。にもかかわらず、なすべき反省の十分の一、あるいは百分の一ほどしか反省しなかったのではないでしょうか。そんなことをしたら、自分の立場が、そして自分の存在そのものがなくなってしまいつ恐れるからなのです。
 詫びること、自分の非を認めることは勇気のいることです。しかし、神さまの御前に謙虚に立ち、反省することは大切なことです。
 思い切って、古い自分を過ぎ去りし一年と共に葬り去りましょう。そうするならば、新しい自分に復活する<飛躍>を手にすることができるのです。

住所

九段北 1ー15/1
Chiyoda-ku, Tokyo
102-0073

電話番号

03-3265-3463

ウェブサイト

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