16/08/2026
2026年8月16日 礼拝のメッセージ
【 聖書箇所 】
マタイの福音書 第20章29~34節
【 金 言 】
「わたしに何をしてほしいのですか」。
「主よ、目を開けていただきたいのです」。
マタイの福音書 第20章26~27節
【 説教要旨 】
「主イエスは深くあわれんで」
木村勝志牧師
主イエス「一行がエリコを出て行くと…道端に座っていた目の見えない二人の人(一人はマルコ10:46「バルティマイ」)が…『主よ、ダビデの子よ。私たちをあわれんでください』と叫んだ」。「ダビデの子」とは、約束のメシアを指す称号で、二人もメシア待望信仰に生きていたのでしょう。と同時に、自分たちがメシアに近づけるような者でないことも自覚していました(ヨハネ9:2)。もしそんな自分たちがメシアに近づけるとするなら、メシアのあわれみ以外の何ものでもない、と考えていたのでしょう。「主よ、ダビデの子よ」と呼びかけた直後、「私たちをあわれんでください」と言いました。案の定、「群衆は彼らを黙らせようとたしなめた」。それでも二人は諦めず、この千載一遇のチャンスを逃すまいと、「ますます、『主よ、ダビデの子よ。私たちをあわれんでください』と叫んだ」。
そんな二人を「イエスは立ち止まり…呼」び寄せ、二人の必要を明確にさせるため、「わたしに何をしてほしいのですか」と問いかけられました。同じような問いかけが以前もあり(21節)、そのとき弟子たちは利己的な願いをしましたが、二人は、盲人の目を開けるという、人間には到底不可能なことを躊躇なく求めました。「イエスは深くあわれんで、彼らの目に触れられた」。主イエスは、人が悩み苦しんだり、嘆き悲しんだりするのを見ると、はらわたが揺り動かされるほど「深くあわれんで」、親身になって関わってくださるお方です。二人は目が開かれただけでなく、救い(マルコ10:52)とともに、「イエスについて行った」という新しい人生も与えられました。多くの人は、自分の願望を果たすまでは必死に祈りますが、それがかなうと神から離れ去ります。しかし二人は違いました。
「苦難の日に わたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出し あなたはわたしをあがめる」(詩篇50:15)。苦難の日に主を呼び続けていると、主が私を呼んで助けてくださいます。二人の何が何でもという熱心さ・ひたむきさ・泥臭さに対して、私たちはあまりにも常識で、物分かりが良すぎて、上品でお行儀が良すぎるのではないでしょうか。「苦難の日に」こそ、主にとことん信頼し、すぐに答えが得られなくても、諦めないで祈り続けたいものです。やがて最善の時に最善の方法で主が祈りに答えて「助け出し」、御名を「あがめる」ようになるでしょう。