14/06/2026
2026年6月14日花の日礼拝のメッセージ
【 聖書箇所 】
マタイの福音書 第19章16~22節
【 金 言 】
永遠のいのちを得るためには、
どんな良いことをすればよいのでしょうか。
マタイの福音書 第19章16節
神に対する悔い改めと、
私たちの主イエスに対する信仰
使徒の働き 第20章21節
【 説教要旨 】
「永遠のいのちを得るには」
木村勝志牧師
「永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをすればよいのでしょうか」と問う青年の目は、「良いこと」、善行、自分自身に向いていました。主イエスは、「良いこと」ではなく、真に「良い方」、神ご自身に目を向けさせ、続いて「いのちに入りたいと思うなら戒めを守りなさい」と言われました。これは、青年が設定した土俵の上でお答えになったもので、律法を守れば救われるということでは決してありません。もし律法を守ることによって救われると考えるのなら、本気で守ったらよかろうという、いわば青年に対する挑戦でした。青年にとっては目新しいことなど何もない答えでしたが、「私はそれらすべてを守ってきました」と言いながらも確信を得られない青年は、「何がまだ欠けているのでしょうか」と問わずにはいられませんでした。やはり自分自身に目が向いたままです。
青年の心を見抜いていた主イエスは単刀直入、「完全になりたいのなら、帰って、あなたの財産を売り払って貧しい人たちに与えなさい」と言われました。彼の場合、「多くの財産」への信頼と執着が妨げとなっていることを見抜いていたからそう言われたのであって、どこかのカルト宗教のように、全財産を献げなければ救われないということでは決してありません。主イエスは青年に、自分の善行に頼るのではなく、自分の無力さに気付いて「心の貧しい者」(5:3、自分は神の前に無一物であることを認め、ひたすら神に拠り頼んで生きる者)になること、「天の御国はこのような者たちのもの」(14節)という恵みの世界に目が開かれることを期待しておられたのです。主イエスが来臨されたのはまさにそのためでした。十字架と復活によって、「神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰」による救いの道を開くためでした。
「確かに、私たちは十戒のたった一つでさえ完全には守ることができません。主の掟を実行できないと言って、主イエスから立ち去る必要はまったくありません。そこでこそ、幼子のようにすがりつくべきなのです。なぜなら神は、私たちを祝福しようと、何でもしようと、きょうも父としての御顔を向けていてくださるからです」(リジョイス)。