おたすけ観音 報恩寺

おたすけ観音 報恩寺 報恩寺は、慶長7年(1602)8月28日曹洞宗の寺院としてかいさんされました?

01/09/2026

朝のお勤め
仏殿諷経 妙法蓮華経観世音菩薩普門品
応供諷経 摩訶般若波羅蜜多心経
祖堂諷経 参同契・宝鏡三昧
開山歴住諷経 大悲心陀羅尼
祠堂諷経 妙法蓮華経如来寿量品偈

丹念に続ける
大道通長安(大道透長安)(だいどうちょうあんにつうづ)
「長安」とは悟り安心の境地のことです。大道がそこに通じていると禅語はいっていますが、何も特別な道があるわけではないのです。それぞれが歩んでいるその道が大道です。しかし、ちゃらんぽらんに歩いていたのでは、大道とはなりません。 一歩一歩を踏みしめる。日常のどんなことも手を抜かず、丹念にやっていって初めて、大道となるのです。そう、大道にするもしないも、自分しだいです。

31/08/2026
29/08/2026

朝のお勤め
仏殿諷経 妙法蓮華経観世音菩薩普門品
応供諷経 摩訶般若波羅蜜多心経
祖堂諷経 参同契・宝鏡三昧
開山歴住諷経 大悲心陀羅尼
祠堂諷経 妙法蓮華経如来寿量品偈

立ち戻る
無事是貴人(ぶじこれきにん)
「無事」 は求めるところがない心、計らいがない心のことです。人は誰でもその心を持っています。 その心のままでいればいいのですが、人は多くを求め、これは得だ、こちらは損だ、これは好き、あれは嫌い、といった判断(計らい)をしてしまう、本来の心に立ち戻ればいいのです。それが自分の中にある「貴人」、つまり、仏性を携えた存在として、生きるということ。立ち戻るべき心に気づきましょう。

28/08/2026

朝のお勤め
仏殿諷経 妙法蓮華経観世音菩薩普門品
応供諷経 摩訶般若波羅蜜多心経
祖堂諷経 参同契・宝鏡三昧
開山歴住諷経 大悲心陀羅尼
祠堂諷経 妙法蓮華経如来寿量品偈

立ち戻る
無事是貴人(ぶじこれきにん)
「無事」 は求めるところがない心、計らいがない心のことです。人は誰でもその心を持っています。 その心のままでいればいいのですが、人は多くを求め、これは得だ、こちらは損だ、これは好き、あれは嫌い、といった判断(計らい)をしてしまう、本来の心に立ち戻ればいいのです。それが自分の中にある「貴人」、つまり、仏性を携えた存在として、生きるということ。立ち戻るべき心に気づきましょう。

27/08/2026

朝のお勤め
仏殿諷経 妙法蓮華経観世音菩薩普門品
応供諷経 摩訶般若波羅蜜多心経
祖堂諷経 参同契・宝鏡三昧
開山歴住諷経 大悲心陀羅尼
祠堂諷経 妙法蓮華経如来寿量品偈

受け入れる
任運自在(にんうんじざい)
世の中には思いどおりにならないことがいくらでもあります。それらをそのままに受け止める。それが禅の考え方です。無理に思いどおりにしようとするから、悩みや苦しみが生まれるのです。例えば、他人の心を変えることなどできないのに、相手の心をこちらに振り向かせようとするから 悩ましくも切なくもなるのです。自然の流れに任せてしまえば 、心は伸び伸びとして軽やかでいられます。

26/08/2026

朝のお勤め
仏殿諷経 妙法蓮華経観世音菩薩普門品
応供諷経 摩訶般若波羅蜜多心経
祖堂諷経 参同契・宝鏡三昧
開山歴住諷経 大悲心陀羅尼
祠堂諷経 妙法蓮華経如来寿量品偈

客観的に見つめる
結果自然成(けっかじねんになる)
何かに取り組んだら、結果が気になるものです。 そして、思うような結果が得られなかったら、不満を持ったり、憤ったりする。おおいなる勘違いです。自分がどう取り組んだかどこまで努力したか……。それが自然にその結果をもたらしている のです。努力したこと以上の結果も、それ以下の結果も、あり得ません。いつも努力に「見合った」 結果がそこにあらわれているのです。

25/08/2026

朝のお勤め
仏殿諷経 妙法蓮華経観世音菩薩普門品
応供諷経 摩訶般若波羅蜜多心経
祖堂諷経 参同契・宝鏡三昧
開山歴住諷経 大悲心陀羅尼
祠堂諷経 妙法蓮華経如来寿量品偈

捨てる
放下着(ほうげじゃく)(放下著)
捨てて、捨てて、捨てきってしまいなさい、とこの禅語はいっています。人は生きているかぎり、さまざまな思いにとらわれますし、いろいろなものに縛られてしまいます。それで心も身体もがんじがらめになって、動きがとれなくなったりする。 一つ捨てることは、一つ執着から離れることです。心の重荷を下ろすことといってもいい。捨てるところに、軽やかで自由な心があるのです。

24/08/2026

朝のお勤め
仏殿諷経 妙法蓮華経観世音菩薩普門品
応供諷経 摩訶般若波羅蜜多心経
祖堂諷経 参同契・宝鏡三昧
開山歴住諷経 大悲心陀羅尼
祠堂諷経 妙法蓮華経如来寿量品偈

耳を傾ける
薫習(くんじゅう)
衣の間に香りのよいお香を添えてしまっておくと、衣替えをするときにはそれが衣に移っている、という意味です。心から尊敬できるよい師に出会い、その一挙手一投足を見ならい、考えに耳を傾けて いると、いつかそれが自分の身につく、ということをいっています。「倣う(まねる)」ことは「学 (まね)ぶ」ことです。真剣にまねていれば、それが自分の本物になるのです

22/08/2026

朝のお勤め
仏殿諷経 妙法蓮華経観世音菩薩普門品
応供諷経 摩訶般若波羅蜜多心経
祖堂諷経 参同契・宝鏡三昧
開山歴住諷経 大悲心陀羅尼
祠堂諷経 妙法蓮華経如来寿量品偈

整える
行住坐臥(ぎょうじゅうざが)
歩くときも(行)、立ち止まるときも(住)、すわっているときも(坐)、横になって眠るときも (臥)、つまり、日常生活の所作、立ち居ふるまいの一切合財が修行である、と禅は教えます。所作と心は表裏一体。美しい所作を心がけていれば、そこに美しい心が宿ります。素敵だと感じている人のふるまい、言葉遣いを、思い出してみてください。美しくありませんか? さあ、「修行」に励んでください。

21/08/2026

朝のお勤め
仏殿諷経 妙法蓮華経観世音菩薩普門品
応供諷経 摩訶般若波羅蜜多心経
祖堂諷経 参同契・宝鏡三昧
開山歴住諷経 大悲心陀羅尼
祠堂諷経 妙法蓮華経如来寿量品偈

今を生きる
前後際断(ぜんごさいだん)
人は過去、現在、未来という時間の中で生きています。それらは連なっているように見えますが、 じつはそうではありません。それぞれ断たれているのです。現在という瞬間は、過去の「後」ではないし、未来の「前」でもないのです。できることはその現在を精いっぱい生ききることしかありません。過去を悔やんだり、未来を憂いたりしていたら、肝心の「今」がおろそかになります。

住所

寺尾南2-10-1
Ayase-shi, Kanagawa
252-1134

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